庶民の抱く高貴な感情 山本周五郎「季節のない街」
堀田善衞「ミシェル 城館の人」を読んでいるのだが、頭が疲れる。
中に、労働する最下層の人々の中に、
最も高貴な哲学者の達成や、最も深遠な宗教的達成と、
同等のものを見るといった意味のことが書かれていた。
最上級のものと最下級のものが、深い目で見れば一致する、
むしろ、思想も古典語も知らない庶民の生活と労働の中に、
自然が用意した最も豊かな実りがあり、人生があるのだと説いている。
例えば、死をいかにして受け入れるかということについて、
古来多くの哲学者や文学者が説いてきたのだけれども、
結局、安らかに死んでゆくのは、学のない庶民である。
平和な篤い信仰のうちに、静かに死を受容している。
それは真に尊い姿である。
みたいなことを言っているらしい。
目を転じて、手元にあった山本周五郎「季節のない街」をめくってみる。
中の短編「枯れた木」を読んで、庶民に中に生きている真実の感情や思想というものが感じられた。
さすがである。
してみれば、堀田善衞の作品なども、山本周五郎の一短編に及ばないとも思えてしまう。
易しく言えることを、モンテーニュは難しく表現し、堀田は難しく解釈し、それを読んで私は疲れた。
疲れを癒してくれたのは山本周五郎であり、ごく短い文章であり、
その中に、モンテーニュのたどり着いたすべても、含まれていると感じるのだ。
中に、労働する最下層の人々の中に、
最も高貴な哲学者の達成や、最も深遠な宗教的達成と、
同等のものを見るといった意味のことが書かれていた。
最上級のものと最下級のものが、深い目で見れば一致する、
むしろ、思想も古典語も知らない庶民の生活と労働の中に、
自然が用意した最も豊かな実りがあり、人生があるのだと説いている。
例えば、死をいかにして受け入れるかということについて、
古来多くの哲学者や文学者が説いてきたのだけれども、
結局、安らかに死んでゆくのは、学のない庶民である。
平和な篤い信仰のうちに、静かに死を受容している。
それは真に尊い姿である。
みたいなことを言っているらしい。
目を転じて、手元にあった山本周五郎「季節のない街」をめくってみる。
中の短編「枯れた木」を読んで、庶民に中に生きている真実の感情や思想というものが感じられた。
さすがである。
してみれば、堀田善衞の作品なども、山本周五郎の一短編に及ばないとも思えてしまう。
易しく言えることを、モンテーニュは難しく表現し、堀田は難しく解釈し、それを読んで私は疲れた。
疲れを癒してくれたのは山本周五郎であり、ごく短い文章であり、
その中に、モンテーニュのたどり着いたすべても、含まれていると感じるのだ。