ソクラテスは毒杯を仰ぐ 来世の信仰
ソクラテスはその思想の名において毒杯を仰いだのであった。
こう堀田氏は書いている。
ソクラテスが毒杯を敢えて仰ぐに至った経緯について、
自分としては次のように考えている。
ソクラテスやプラトンにおいても、
真善美とされるものがどうしてこの世で報いを与えられないかは、
説明の難しいものであったと考えられる。
ソクラテスとプラトンは哲学者の常で、あの世での報いを説いた。
つまり、この世で報いられなくても、あの世できちんと報いられるのであるから、
心配はいらないとした。
そこで、民衆は問う。しかしそんな来世が本当にあるのか。空想ではないか。
本当に信じているのなら、
いまこの場で死ぬことも怖くないはずだ。
まして、この世は影であり、真実の存在はイデア界にあり、
などと言うからには、この影の世界などには用はないはずであろう。
死の恐怖に打ち勝てるのか。
そのよう局面にいたり、
ソクラテスは信念に従い、毒杯を仰いだ。
そう思う。
ソクラテス氏はやせ我慢したんだな。
それともうつ病だったのだろうか?
こう堀田氏は書いている。
ソクラテスが毒杯を敢えて仰ぐに至った経緯について、
自分としては次のように考えている。
ソクラテスやプラトンにおいても、
真善美とされるものがどうしてこの世で報いを与えられないかは、
説明の難しいものであったと考えられる。
ソクラテスとプラトンは哲学者の常で、あの世での報いを説いた。
つまり、この世で報いられなくても、あの世できちんと報いられるのであるから、
心配はいらないとした。
そこで、民衆は問う。しかしそんな来世が本当にあるのか。空想ではないか。
本当に信じているのなら、
いまこの場で死ぬことも怖くないはずだ。
まして、この世は影であり、真実の存在はイデア界にあり、
などと言うからには、この影の世界などには用はないはずであろう。
死の恐怖に打ち勝てるのか。
そのよう局面にいたり、
ソクラテスは信念に従い、毒杯を仰いだ。
そう思う。
ソクラテス氏はやせ我慢したんだな。
それともうつ病だったのだろうか?