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餃子の出てくる話

偶然だけれど、最近読んだ本の中に、餃子の話が出てくるものがいくつもあり、不思議なことだと思いを致している。

堀江敏幸「ピラニア」では、料理店の店主の来歴が紹介されている。その中で、餃子を作る様子と、それが結局余り上手ではないことが描写されていた。
そういえば、と思い出してみた。

伊丹十三「おんなたちよ!」の中では、イギリスで著者が餃子を手作りして友人たちに振るまい、好評だったことが記されている。
餃子の皮を自分で作ることが肝心であり、これを既製品ですませるのなら、
餃子など食べない方がましなのだといったような意見がついていたと思う。
「ピラニア」の中でも、餃子の皮をいかに作るかが軽く説明されていた。

一方、莫言の作品の中に、中国に住む餃子名人のほら話が登場する。
印象に残ったのは、餃子というものはまことに玄妙な食べものであって、
世界的な食糧危機を乗り切るには餃子を普及させるしかない、
なぜなら、食糧危機を乗り切るポイントは、全人類が菜食主義者となることであり、
そのためには、肉の味も、エビの味も、野菜だけで自在に創出できる、この餃子こそが重要である。
そんな嘘の話である。

あと、山本周五郎も餃子について何か書いているような気がした。

実際の食生活では、先日、既製品で、温めればよいだけの、
ふかひれ餃子というものを食する機会があった。
水餃子の一種である。
一人で食べたのであるが、味は、腐っているような味で、
誰かに文句をつけたい気分であったが、
誰にしても不愉快な話であるから、
個人の内部で消化して、誰にも伝えなかった。
別段下痢するということもなかった。
そのあとにもう一度、中華料理屋のセットのようなものに、
野菜いっぱいの餃子が一つだけ含まれていた。

餃子を油であげて温めるのは何となくしつこい感じがして、
水餃子のほうが好ましい気がする。
場合によっては、電子レンジで温めて、そのまま食べることも、
好ましいと感じている。

料理店の店主の話を読んでいて、
今後の人生を乗り切るには、
食事を自分で微調整することが何にもまして肝要である気がしてきた。
こんな一大事を他人に任せておいていいはずがない。

韓国産の餃子かシュウマイの話で、余り推薦できない、思わしくない食材を使っていたとの報道が遠くない昔に、あった。
その後、報道によれば、当事者は、
そのような「食べてはいけないような食材」は日本への輸出用に使っていたものであり、韓国国内向けには一切使っていなかったと弁明したらしい。
なんじゃ?

そういえば、こんなこともあった。
昔、チェルノブイリ原発が爆発して放射能漏れを起こした時の話だ。
地域では白血病の発生率が高くなったりして、
痛ましい話が続いていた。
そんな中で、イタリアが、オーストリアから輸入したウインナーの中に、
高濃度の放射能を検出したとかで、
国際問題として、オーストリアに申し入れた。
オーストリアでも問題視して、調査した。
結果は、原材料の肉に放射能が高濃度に含まれており、
その輸入先は、イタリアであったとのことだ。
イタリアは、ロシアから輸入した、汚染された葉っぱを家畜に与えたものであるらしい。

まあ、そんな具合で、餃子やウインナー・ソーセージなど、加工された末の食品は、どうしても、一部は品質があやしいのである。
そのあたりを考えても、今後、食糧の管理を自分自身でしていきたいと念願している。
ついこの20分くらいの念願であるけれど。

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