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大岡信「日本の詩歌」

コンパクトでクリアーだが、私としては不賛成の部分もある。

1.菅原道真
概ね賛成。漢詩が感動的かどうかにつては、個人的には感動的ではない。

2.紀貫之
和歌の成立と宮廷風景については明快な解説。
和歌には自然や超自然に働きかける力があるとする紀貫之の意見を、
和歌に独特のものと書いているようであるが、
これは、中国古典の「詩経」にすでに明白に見られるものと思う。

3.奈良平安の女流
くっきりと輪郭を描きたいと思うあまり、少しどぎつい論になっていると思うが、
いかがだろう?

4.叙景
叙景に託して心情を歌うのは、これも中国古典に広く見られる態度であろうと思う。
しかしながら、漢詩よりもさらに短い詩形の中で独自の発展を遂げたことは
確かである。
少ない言葉で多くを伝えるとすれば、多くの共通する知識や感情を前提とするだろう。
そのことだけが重要であって、
外界の事物と人間の感情が主客未分などというのはあたらないのではないかと思う。
フランス聴衆にサービスしすぎだろう。

5.中世歌謡
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそ動がるれ

この歌について、小西甚一説を紹介、有益と思う。
遊び、戯れの語は、いずれも、男女の性交渉を表現する言葉と解釈する。
遊び戯れている女の子を見ながら、遊女がその少女の行く末の運命を思いやり、
自分と同じようにこの子もやがて哀れな遊女に身を落とすことになるのだろうかと、
深い哀感に襲われているとするもの。

富裕な商人階級の出現などを社会背景として歌謡の成立を
説明するのは明快と思う。

社会の下部構造から上部構造を説明する方式であるが、
少し単純化しすぎているかもしれないと思う。

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