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すべての人が疲れる仕組み

どうしてみんながみんなこんなに疲れているのかなあと
思ってしまう。

漠然とだが、こんなことを考える。

野球をやるとして、
学級対抗野球なら、
うまい子は決まっているし、
誰が勝っても、別にたいして関心もない。
疲れ果てるまで練習したりしないし、
怪我をしてまで試合したりもしない。

同じ野球でも、選抜システムがしっかりあって、
うまい子はどんどん上のクラスに行く仕組みになれば、
話は違ってくる。

クラスの中ではうまい子でも、
上には上がある。
練習すると、きりがなくなる。
必然的に疲れる。
疲れると怪我をしやすくなる。

結局、全員が必死になる。
イチローは、すばらしくて文句ないけれど、
単年度で言えば、首位打者になれていない。
松井も満足のいく成績ではない。
松坂にも、上には上があったということだ。

会社でも、「あの子はコネ組だから、期待しない」と
決まってしまえば、
疲れないですむかもしれないが、いまどきそれでは肩身が狭い。

入社年次で待遇が決まってしまい、
どんなにがんばっても、
給料も上がらないし、昇進もしないという会社なら、
疲れるまで働かないかもしれない。
しかし今時そんな会社はない。

また、そんな会社だったとすれば、社員は、余力を使って、
ふたつ目の仕事を始めるだろう。
自分のエネルギーを最も効率よくお金またはやりがいに変えたいはずだから。
そしてそのような機会が、都会にはいろいろとある。

昔、学校は、悪平等の世界だった。
真ん中にあわせるから、
下の子も困るけれど、
上の子も暇で困った。
いまは、上がはっきり見えているから、いつでも努力の先がある。

社会がある程度進歩したので、
仕事の出来る人にはどんどん仕事をしてもらおうということになっている。
選抜制度が整ったので、能力に応じて、場所が用意される。
結果として、みんながみんな疲れ果てる。

もっと出来る?と聞かれて、
イエスと言う限り、
もっと難しい場所が用意されている。
いくらでもある。
結果、「疲れました、もう出来ません」と言うときが来る。

誰にとっても、その方がいいはずだった。
能力が引き出される社会である。
でも、妙に疲れる社会だと分かった。



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