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森羅万象が婚姻して関係する 女という舞台と男というダンサー

古代エジプトでも
古代インドでも、
古い日本でも、
とにかく、森羅万象は婚姻し、
正でも負でも関係する。
いちいち考え続けるその構想力が圧倒的だ。

たとえば、星座。
あんなにも無理で
必然性のないことを
人に押し付けるその無神経さ。

魂にしてもあの世にしても
どんなにでもできたのに、そのように決めた、
そのいい加減さと強引さ。

そこには現実の利益に裏付けされる権力があったのだ。

裏付けのない構想ならそこここにあり、
構想自体が凡庸なわけではない。
現代ならば宣伝する資金力と簡単に言えばいいのだろう。

たとえば現実利益は女で、
構想力は男とたとえてもいいかもしれない。

中国歴代王朝で、
支配民族の交代があったとしても、
女たちの血脈は保存されていたのではないか。
男たちは殺しあったとしても、
女は戦利品であり、
子供が生まれればやはり跡継ぎである。

舞台そのものは女が占有しているのであって、
それは必然である。
舞台の上でどの男がダンスを踊るのか、
それは偶然である。

いま舞台の上では英語と資本主義と民主主義が踊っている。
元気のいい男を選んで
その子を女が産み育てるという舞台は
変わりなく続いている。

ダンサー
お前は悲しい
最近は息も切れるようだ



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