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方言について

この人は何を伝えたいのだろうかという場合、
方言は大切だと思う。

食べ物名の地域差
 我々の毎日の生活にとって必要不可欠な食べ物。その食べ物の名前に地域差が多いことは、地方を旅行した時に感じることである。
 ここでは、そのような地域差の中で、関東と関西の相違例を挙げてみよう。
関東 おでん うな丼 肉まん さつまあげ
関西 関東だき まむし(丼) ぶたまん てんぷら
 このほか、近代になって使われるようになった食べ物の名前にも、次のような東西対立が見られる。
関東 ヒレカツ メンチカツ コーヒー アイスコーヒー
関西 ヘレカツ ミンチカツ コーヒ 冷コー・コールコーヒ

誤解された表現-「カイテ!」
 福井県出身のある女性が横浜で小学校教師をしていた。ある日のこと、学校で重い机を運ぶ必要があって同僚に向かって「ちょっとこの机カイテ!」と言った。言われた同僚は横浜の出身の先生。一瞬きょとんとして、次に「机に何書くの?」と尋ねたという。
 福井の方言で「二人で物を持ち上げる」ことをカクという。それまで福井出身の女性教師はそのカクを方言だとは意識していなかったという。
 このような誤解は、「ナゲル(捨てる)」「コワイ(疲れた)」「ワカラナイ(できない)」などのように、標準語に意味の異なる同じ語形が存在する場合に生じやすい。また、方言と共通語の間だけでなく、方言と方言の間でもしばしば起こり得る。

誤解された表現-「オメー」
 意味のズレが、時には深刻な誤解を生むこともある。
 八丈島方言では、相手を指す「あなた」に当たる代名詞にオメー、オミ、オマエ、ウヌなどの形があり、中でオメーが目上の人に対するもっとも丁寧な言い方とされている。
 ある時、八丈島出身の人が仕事で東京の取引先に行った。彼は先方に失礼のないようにと一番丁寧なオメーを使って相手に話しかけたという。その結果、彼からオメーと言われた東京の人がどういう反応をし、取引がどうなったかは説明するまでもないだろう。

気づかずに使う方言
 大学生から集めた「気づかずに使う方言」の一部を紹介しよう。「犬カラ追いかけられた」(犬に)〈山形〉/アルッテ(歩いて)〈東北・北関東〉/ガオル(からだが衰弱する)〈東北〉/自転車のウラに乗る(うしろ)〈栃木・埼玉〉/自転車をツク(押す)〈和歌山〉/背中をカジル(掻く)〈山梨〉/おなかがオキタ(満腹した)〈香川〉/先生にカケラレタ(当てられた)〈東北・新潟〉/ダイシ?(大丈夫?)〈茨城〉
 気づかずに使う方言は、共通語と語形が同じで意味・用法が異なる場合や、共通語と語形がわずかに異なる場合、また共通語では表せない微妙なニュアンスを持つ単語が多い。これらは地域共通語の一部とも言える。

育児語と方言
 母親が幼児に向かって発することば(育児語。幼児語ともいう)にも地域差がある。
 例えば、「船」を表す語を見ると、エイヤンコ(宮崎)、エンヤ(愛媛)、ヤンヤ(茨城)、ヨイヤ(長崎)などは船を漕ぐときのかけ声で、ギッコンギッコン(東京・兵庫)、ギッチラギッチラ(三重・長崎)、ギッチラコ(茨城・富山・福井・愛媛)などは櫓の音で表現している。
 一方、ポッポ、ポンポンなど、蒸気船の進むときの音で表現する地域は全国に広く見られる。
 標準語でブーブといえば自動車のことだが、香川や愛媛では船のことをいう。
 プカプカ(群馬・石川)、プッカンプッカン(福岡)などは船が浮かんでいる様子で表現していておもしろい。

気候と方言
 気候と関係のある単語については、地域の特色が方言に反映することが多い。雪の多い地方では、雪の降り方に関する非常に細かい区別がある。また、しもやけ(凍傷)をユキヤケという地方は日本の豪雪地帯とほぼ一致する。
 沖縄諸島や伊豆の八丈島には、「凍る」を意味することばがない。この地方では凍結現象そのものがないのであろう。「しもやけ」の名称も八丈島および奄美大島以南には見られない。
 日本海側の各地には「ふくろうの鳴き声」としてノリツケホーセー類の語が分布するが、これを「糊を付けて干せ」の意味と説明するところが多い。これらの地域では、冬に晴天の日が少なく、洗濯物が気になるために、ふくろうの鳴き声もそれらしく聞こえるのかもしれない。

藩領と方言
 方言差はどのように発生し、保たれるのであろうか。
 異言語が境を接する場合と違って、一本の線を境に、あらゆる言語状況ががらりと変わる例は、方言差の場合、ほとんど考えられない。ひとつひとつの方言特徴ごとに、独自の境界を形成するのが普通だからである。
 方言地図を見ても、方言の分布模様はそれぞれ独特である。
 一方、山脈や大河などの自然境界、あるいは県市町村界などの人文社会的な境界に、方言の境界線がまとまる場合がないわけではない。江戸時代の藩領の境界に方言境界の集まることは、よく言われもし、当時の生活に鑑みて、極めて自然なことである。
 なお、調査の結果、辺境地域の藩界に、特にこの傾向の強いことが明らかになっている。

方言の海上伝播
 マスコミの発達した現代では、新しく誕生したことばがあっという間に何百キロも離れた地方に伝わったり、全国のあちこちに空からばらまいたように伝播することも珍しくない。が、方言は、本来陸路を地を這うように伝播するものであった。
 ところで、場合によっては、海上交通を通じてことば(方言)が伝播することもあった。
 新潟県の佐渡の方言は、アクセント・語法・語彙などの諸部面で西部方言的だと言われる。これは、かつての海上交通路で佐渡と北陸の能登が深く結びついていたことによるものと考えられている。
 風位名や魚名など、特に漁業と深いかかわりをもつ語の分布に、ことばの海上伝播のあったと思われる例が少なくない。

移住と方言
 方言の伝播にとって人の集団「移住」は重要な要因のひとつである。過去の日本国内の例を見ても、江戸時代の大名の移封にともなう集団移住が少なからず見られ、明治以降には、本州各地から北海道への大規模な移民が行われた。
 このように集団移住が行われると、場合によっては、ある共通の特徴をもつ方言域に突然異なる体系の方言がもたらされるため、あたかも言語島のような姿を示すことがある。多くの場合それは、時の経過とともに周囲の方言に同化していくが、それでもなお移住前の方言の特徴を部分的に残している例が報告されている。
 北海道における移民とその二世・三世たちの言語変容については、国立国語研究所による詳しい調査研究がある。

方言差の濃淡
 方言の分布を総括すると、東日本は単純な分布、西日本は複雑な分布といった、いわば東単純vs西複雑のパターンが目立つ。
 東日本と西日本における日本語歴史の深浅と関係するのではあるまいか。言語一般について、歴史が長ければ長いほどその内部のことばの違いは大きくなると推測される。反対に展開後の時間が短ければ短いほどその違いは少ないはずである。このような地域差の多少が、ある言語の祖語の祖地を推定する一つの根拠ともなるのである。
 特に東北地方では、方言の地域差が一般に少なく、やはり東北地方の開拓の歴史、人口展開の歴史の新しさがわかるのではないかと考えられる。
 北海道の場合は、移住者の出身地とのかかわりで事情は他の地方と異なる。

東西対立分布
 奈良時代の昔から、当時の中央語である近畿地方のことばと東国のことばが違っていたことは、『万葉集』の東歌(巻14)や防人歌(巻20)に収められた東国出身者の詠んだ歌から確認できる。平安時代以降になると、それは都人の東国語への蔑みの感情として露呈してくる。
 現代においても、そうしたことばの東西対立は、東京語を中心とした共通語と関西方言の違いなどで、日常多くの日本人の意識するところである。
 近世初頭、キリスト教布教のために日本を訪れたジョアン・ロドリゲスはその著『日本大文典』(1604~1608)の中で日本の諸方言に言及して、関東方言について次のような記述を残している(土井忠生訳、1955による)。
 〇三河、(Micaua)から日本の涯にいたるまでの 東、(Figasi)のちほうでは、一般に物言ひが荒く、鋭くて、多くの音節を呑み込んで発音しない。(以下略)
 〇打消にはNu(ぬ)の代りに動詞Nai(ない)を使ふ。(以下略)
 後者は西部方言の打消形「書カン(ヌ)」と東京方言の「書カナイ」の対立を指摘したもので、ロドリゲスの記述は、方言の東西対立を学問的に、かつ具体的に取り上げた最初のものとして注目される。
 両方言の対立については、明治39(1906)年、国語調査委員会『口語法調査報告書』によって学界の取り上げるところとなり、「仮ニ全国ノ言語区域ヲ東西ニ分タントスル時ハ大略越中飛騨美濃三河ノ東境ニ沿ヒテ其境界線ヲ引き此線以東ヲ東部方言トシ、以西ヲ西部方言トスルコトヲ得ルガ如シ(以下略)」といった記述により、初めて具体的にその大まかな境界線の位置が明らかにされた。
 その後、1950年代には牛山初男によって文法的事象のいくつかについて東西両方言の境界線が、1960年代には国立国語研究所『日本言語地図』で語彙における東西対立の状況が、明らかにされ、そして現在、国立国語研究所『方言文法全国地図』によって、文法・表現法についての状況が明らかにされつつある。
 従来のこうした研究成果から、東西の対立分布を示すものを音韻・文法・語彙のそれぞれについて数例ずつ挙げてみよう。各項目ごとに/の上が東部方言、下が西部方言の特徴あるいは方言形である。

〈音韻〉
母音の無声化 無声化しやすい/無声化しにくい、母音ウの音声平唇の[w]/円唇の[u]、アクセント東京式/京阪式〈文法〉
動詞の音便形 カ(買)ッタ/コ(買)ータ、形容詞の音便形 シロ(白)クなる/シローなる、断定の助動詞 雨ダ/雨ヤ・雨ジャ、否定の助動詞 書カナイ/書カン・書カヘン
〈語彙〉
「一昨日」オトトイ/オトツイ、「煙」ケム・ケブ/ケムリ・ケブリ、「明明後日」ヤノアサッテ/シアサッテ、「居る」イル/オル
 以上はいわゆる伝統的方言における東西対立の例である。もっとも、これら各事象ごとの境界線の位置は一様ではなく、それぞれに微妙な違いをみせている。
 ところで、明治以降に使われ始めたと思われる新しいことばの中にも次のような東西対立分布を見せるものがあり、東西差を生み出す要因の根強いことを思わせる。

〈新しい東西対立〉
「ワイシャツ」ワイシャツ/カッターシャツ、「画鋲」ガビョウ/オシピン、「学区」ガック/コーク・コーカ、「メンチカツ」メンチカツ/ミンチカツ
 東西方言の対立が生じた要因としては、日本アルプスという自然地理的障害の存在や、長い歴史の中で形成されたであろうことば以外の地域差を含めた東西差、さらには日本語の古層に原因を求める考え方などがある。
 方言の共通語化が進むと将来は、若い世代から、また公的場面から、東西の方言差は徐々に縮まっていくかもしれない。
 しかし、東京方言(共通語)は関東方言や東北方言の中に、また、京阪方言は北陸方言や中国・四国・九州方言の中に浸透していく傾向も見られ、今後も東西のことばの対立は根強く続いていくものと予想される。

方言周圏論
 方言の全国的分布を眺めると、一地方に見られる語が、かけ離れた別の地方にも分布するという場合が多い。
 たとえば、「とんぼ」の図(国立国語研究所公式サイト PDF、598KB)では全国に広く分布するトンボの語をはさんで、アケズやアッケなどの語が東北地方と九州・沖縄地方に見られる。
 このように中央に語形Bがあり、その両側に語形Aが分布するという分布形態を、方言学・方言地理学の分野では「周圏分布」またはABA分布と呼ぶ。そして、現在Bが分布している地域にもAが分布していた時代があり、のちに中央でBが生まれた結果、ABA分布が形成されたと推定する。このような考え方を「方言周圏論」という。
 日本の方言について、この分布に注目し、「方言周圏論」を唱えたのは民俗学者の柳田国男である。柳田は通信調査によって全国の「かたつむり」の方言を集め、ABCDEDCBAという複雑な周圏分布が見られることを発見した。そして、この分布は、すべての語が京都付近で生まれ、A→B→C→D→Eの順序に水の波紋のように周辺に広がっていった結果であると解釈した(かたつむりマップを見る)。
 周圏分布(ABA分布)が認められるとき、Aが古くBが新しいと推定することを「方言周圏論を適用する」という。しかし、ABA分布が見られても、つねにAが古いとは限らない。周圏論適用には例外もある。
 方言周圏論は「言語記号の恣意性」という言語学の大原則の上に成り立っている。それは「意味と形式との結びつきは恣意的(arbitrary)である」という原則である。「恣意的」は「偶然的」あるいは「非必然的」と言いかえてもいい。
 ことばは意味と形式とが結びついたものである。共通語(東京方言)では「雨」という意味はアメという形式と結合しているが、無数に近い音の組合せの中からアメという形式が選ばれたのは、まったく偶然にすぎないのである。青森でも鹿児島でも「雨」をアメと言うが、かけ離れた地域でアメということばが別々に生まれる確率はゼロに近い。したがってアメ(雨)はどこかの地域で生まれて広がったものと推定する。これが方言周圏論の根底にある原理である。
 しかし、共通の発想によってかけ離れた地域で同じことばが作られることがある。たとえば「はげあたま」の地図(国立国語研究所公式サイト PDF、861KB)を見ると、「ヤカンアタマ」という表現が各地に散在している。もしヤカン(薬缶)ということばが全国で使われているなら、禿頭を薬缶に見立てたヤカンアタマという表現が各地で生まれることはありうると考えられる。したがって、中央に連続的に分布するハゲアタマという語に対してヤカンアタマの方が古い表現であるとみなすのは危険である。
 意味のずれによって各地で同じ語が生まれることもある。
 「灰」の図(国立国語研究所公式サイト PDF、714KB)ではアク・ハイ・アクという周圏分布が見られるが、これは「灰汁」を意味するアクが各地で「灰」の意味にずれたものであって、周圏論は適用できないのではないかと考えられている。
 語形変化によって周圏分布が生じる場合にも周圏論は適用できない。
 デーコン・ダイコン・デーコンというABA分布が見られてもこれに周圏論を適用してデーコンの方が古いとすることは無理である。
 物の移動や移住などに伴って、方言が途中の地域を飛び越えて、飛火的に他の地域に伝播することがある。この場合も周圏論を適用できない。「カボチャ」を意味するボーブラが西日本から秋田県に飛火した例(国立国語研究所公式サイト PDF、733KB)や、醤油製造業者や漁師の移住・交流などによって、オーキニ(ありがとう)、ベニツケユビ(薬指)、スクモ(もみがら)などの西日本の方言が千葉県にもたらされた例などがある。
 北海道には函館・松前などの道南地方を除いて、主として明治以降に全国各地からの移住が行われ、各地の方言がもたらされた。したがって、たとえば、西日本と北海道に同じ語が分布していたとしてもこれに周圏論を適用することはできない。
 江戸時代の移封(お国替え)によって方言が飛火することもある。愛媛県の宇和島市内では「来なさい」をキサイと言うが、これは伊達秀宗の一族が宮城県の仙台から宇和島に移封したことによって仙台弁が持ち込まれたものである。

標準語なのに西日本語形!?
 あさっての翌日を意味するシアサッテや魚のウロコなどは、明治時代までは、おもに西日本で使われていたことばであり、話し言葉として東京で使われるようになったのは、昭和になってからのことである。
 国立国語研究所編『日本言語地図』は明治時代に生まれた人たちを対象に調査した結果を地図に描いたものであるが、これを見ると、ツララ、コワイ(恐ろしい)、ケンケン(片足跳び)、ツユ(梅雨)、ヒマゴなどはいずれも西日本(おもに近畿地方)に分布し、東京を含む関東地方では、アメンボー(つらら)、オッカナイ、チンチン(片足跳び)、ニューバイ(梅雨)、ヒコ(ひまご)が使われている。
 このように西日本のことばが標準語になった例は非常に多い。

英語流の方言がある!?
 英語と日本語とで、とくに否定疑問で尋ねられた時の相づちのうちかたが相違することはよく知られている。例えば、Don't you speak English?(英語を話せませんか?)とたずねられて、話せるのなら Yes. であるが、標準日本語では、「英語を話せませんか」と聞かれれば「いいえ、話せます」となる。
 ところが、英語と同じように相づちをうつ地方がある。たとえば岩手県の気仙地方のことばではハーが yes に、ウンツェーが no に相当する。「ムネァクルスクネァベカ(胸が苦しくないか)」「ウンツェ、クルスクネ(いいえ、苦しくない)」「コゴイダグネーノ(ここは痛くないの)」「ハー、イデ(はい、痛い)」のような会話が病院で交わされる。このような方言はほかにも存在するらしい。

「ソツがない」のソツとは?
 「ソツがない」ということばがある。ではソツとはなにか。ソツには普通他の用法がないので意味がわかりにくい。
 ところが方言辞典を引くと、「(砕けたりこぼれたりして)米がソツになる」(仙台)や、「この小豆一杯分には、ちょっともソツのなか(傷んだ豆や未熟な豆などが入っていない)」(長崎)の例が挙がっていて、ソツが「無駄」とか「余計なもの」といった意味で使われていることがわかる。これらによって「ソツがない」がよく理解できると思うがどうであろうか。『伊勢物語』一四段の「夜も明けばきつにはめなでくたかけのまだきに鳴きてせなをやりつる」のキツが、東北地方の「水槽・用水桶」を意味する方言によって解釈できたというのは、有名な話である。

漢字にも方言がある!?
 そもそも音声言語の世界である方言では、文字が問題となることは少ない。ただ、数はそう多くないが、特定の異体字が限られた地域で用いられるとき、その特定の異体字を方言形に見たてて「方言文字」と呼ぶことがある。
 鹿児島県では「鹿」を「」「」「」のように書くことがあるという。
 新潟県では「潟」を「」と書くことが多く、これは江戸時代から続く習慣らしい。
 中国地方では「山の鞍部、峠」を意味する方言形タワ・タオに「垰」「嵶」「」などの独特の字が用いられている。
 そのほか福井県江市の「」→「鯖」、山形県鶴岡市の「鶴」→「」など、いずれも地名に関係したものである点に注目したい。

*****
最後の所はうまくコピーできなかった。
「日本方言辞典」「方言の地図帳」「日本語でなまらナイト」

話し言葉は立派に方言を守っているのに、書き言葉については東京言葉になるというのは実に変だ。

ものもらい
かたつむり
つらら
くすりゆび
おにごっこ
さつまいも

これらの言葉の変化を地図にして示している
大変面白い

子供の言葉が統一されずに残っているようだ

薬指をさす言葉が存在しない地方もあるようで、
それでむずむずしないのだろうかと不思議だ。

「唐イモ」「琉球イモ」「薩摩イモ」と順次呼ばれ、江戸に到達し、以後は薩摩イモのままであることなど。

柳田国男は、その著『蝸牛考』(1930)の中で、全国のかたつむりの方言をナメクジ系(A)・ツブリ系(B)・カタツムリ系(C)・マイマイ系(D)・デデムシ系(E)の5類、その他に分類し、京都を中心に分布するデデムシ系(E)を囲んで、A―B―C―D―E―D―C―B―Aの順に並んでいると判断した。そして、この分布は、京都でA―B―C―D―Eの順にことばが交替し、そのつど古い方の語が水の波紋のように外側に押し出された結果であると解釈した。

なるほどね!



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