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春夏冬升弐大阪城

春夏冬升弐大阪城--、アキナイ・マスマス・ダイハンジョウと読みます。

 春夏秋冬から秋を抜いてアキナイ、
升弐は升が二つでマスマス。
最近で言えば“マス(×2)”といったところ。
“二升”や“升々”も同様の意味。
大阪城は音読みで。
また、“五合”という表現を使っている場合、
五合は一升(いっしょう)の半分なので半升(はんしょう→はんじょう)という洒落。

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というような記事を読んだ。
携帯で暗号みたいな言葉遊びをしている人たちも
同じ線上にあるようだ。

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「愛」と「恋」の違いは、下心があるのが恋で、下心がないのが愛。

という記事もあり。
全然そうは思わないが。

愛の下にあるのは何か、分からない。

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最近の若い人のことばは
むかつくとか
きもい
とかあるようで、
とても心療内科的な言葉遣いである。
不愉快とはいわず、
不愉快なときの自律神経反応である「むかつき」を表現する。

バカだと
対象自体の性質を記述するのではなく、
わたしは不愉快だと
受け手の反応を語り、
しかも感情ではなく、身体反応を記述している。

このように事態を身体言語化して表現するとき、
退行が始まっている。

対象についての客観的な記述ならば、
他人にフラットに伝えられるが、
「むかつく」といった感じの身体言語で伝えられた場合、
聞いた側が同意しなければ、発話者自体を否定することになり、
なかなか対応が難しい。
否定はほぼ不可能な状態になる。
検証不可能である。

このあたりも現代的な不自由さなのだろう。



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