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若年性認知症で万引き 懲戒免職の男性に障害年金支給へ

若年性認知症で万引き 懲戒免職の男性に障害年金支給へ
2008年7月12日

 スーパーで万引きをしたとして懲戒免職になったA市の元課長、Bさん(58)に対し、C県市町村職員共済組合は10日までに、若年性認知症の「ピック病」による障害を認定し、近く障害年金を支給する。働き盛りでピック病などを発病し、万引きなどで失職する例は各地で起きている。今回の決定は、同様の事例の救済策となりそうだ。

 Bさんは要介護2と認定されている。公務員共済制度の一つ「障害共済年金」に加入していたため、家族らが昨年、診断書などを提出。上部団体の「全国市町村職員共済組合連合会」の専門医が審査した結果、ピック病による障害が認定された。同連合会は「病名別の統計はないが、ピック病での認定例は聞いたことがない」としている。

 Bさんは06年2月、自宅近くのスーパーでチョコレート4個とカップめん3個(計3300円相当)を盗んだとして現行犯逮捕され、16日後に懲戒免職となった。その前から同じものを繰り返し買って帰るなどの行動があったため、家族が大学病院などで診察を受けさせたところ、若年性認知症の前頭側頭型認知症(ピック病)と診断された。

 BさんはA市に懲戒免職処分の撤回を申し立て、市公平委員会で審理中だ。

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以上、アサヒドットコムより。
定年退職前の場合、うつ病や適応障害、脳血管障害とだけ思わず、もっと幅広く鑑別診断したほうがいいという教訓。
働き盛りという点で、家庭にも組織にも本人にも、ダメージが大きい。

○ 彩星(ほし)の会(東京都)
○ 朱雀(すざく)の会(奈良県)
○ 愛都(アート)の会(大阪府)
○ 認知症の人と家族の会(本部・京都府、旧呆け老人をかかえる家族の会)

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朝日新聞によれば、

若年認知症「ピック病」で万引き 厚労省が調査
2007年02月26日06時05分

 「ピック病」と呼ばれる認知症になった公務員らが、症状の一つである万引きをして社会的地位を失うケースが相次いでいる。脳の前頭葉の萎縮(いしゅく)で感情の抑制を失って事件を起こしてしまうためで、犯行時の記憶がないのが特徴だ。しかし、正確に病気を診断できる医療機関は少なく、厚生労働省の若年認知症の研究班も、初めてピック病の実態調査に乗り出した。専門医は「まじめに仕事をしていた働き盛りの人が万引きをして『なぜ』ということがあれば、ぜひ専門の医療機関を受診してほしい」と話している。

 脳の前頭葉と側頭葉の血流低下と萎縮で起きる認知症は「前頭側頭型」といわれ、うち8割が「ピック病」とされる。

 アルツハイマー病のような記憶障害が、初期はあまりみられないものの、時に、周囲の状況を気遣わない行動や万引きが症状として出る人もいる。ただ、本人は善悪の判断がつかず、厚労省の若年認知症の研究班メンバーの宮永和夫・群馬県こころの健康センター所長によると、欧米でも万引きなどの軽犯罪がピック病の症状の一つとして報告されているという。

 宮永医師が診断したケースでは、万引きの疑いで逮捕され、懲戒免職となった人がいる。

 昨年2月、自宅近くのスーパーマーケットでチョコレートとカップめんなど計7点(計3300円相当)を盗んだとして逮捕された。しかし、釈放後、話のつじつまが合わないなど家族が「おかしい」と気づき、大学病院を受診。「認知症の疑い」の診断が出た。このため、4月末、市の公平委員会に処分取り消しを求める不服申し立てをした。

 昨年末には、別の病院で脳の血流検査を受け、前頭葉と両側の側頭葉に明らかな血流低下がみられたため、「ピック病」の可能性が高いとされた。前頭葉の機能を調べる心理検査の結果なども合わせ、宮永医師がピック病の「軽度と中等度の間」で、発症は「04年1月以前と考えられる」と診断した。

 このほかに、会計事務所に勤める東京都内の50歳代の男性も、近所の文具店でボールペンや消しゴムなどを万引きする症状が出た。ひと月もしないうちに、同じものを盗んだ。しかし、本人に盗んだ意識はなく、外出時に家族が付き添ってトラブルを防いでいる。

 また、奈良県内の50歳代の放射線技師の男性は「仕事が難しい」と勤務先の病院を休職した。散歩帰りに近所の家の畑から、野菜を毎日のように持ち帰るようになり、苦情が来た。入院先でピック病と分かり、職場を辞めている。

 宮永医師は「万引き後に、ピック病と診断される人は少なくない」と指摘。「病気が原因でやった行為なのに、社会的な名誉を失い、その後の人生が大きく変わってしまうのは非常に残念だ」と話している。

 〈若年認知症〉 若年期(18~39歳)と初老期(40~64歳)に発症した認知症の総称で、アルツハイマー型のほか、脳血管性、前頭側頭型などがある。「ピック病」は、1898年、精神医学者アーノルド・ピックが初めて症例を報告したことから名づけられた。ただ、画像診断技術の向上などで、正しく診断できるようになってきたのはこの10年。うつ病や統合失調症と誤診されているケースも多い。

 若年認知症の患者数の調査は、旧厚生省の研究班が96年に推計した2万5千~3万7千人があるだけで、現在、ピック病を含め、10年ぶりの実態調査が進められている。

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【社会面】2007年02月26日(月曜日)付
そんな記憶ないのに 「ピック病」発症 市元課長・Bさん
 Aにゆかりが深いサザンオールスターズにちなんで海水浴場を「サザンビーチちがさき」と名づけるのに一役買うなど、A市の文化推進課長だったBさん(57)はアイデアマンでもあった。しかし、万引きで懲戒免職に。「まじめ一筋で40年近く勤めたのに、なぜ……」。家族はいぶかった。診察した医師が出した病名は、若年認知症の一つである「ピック病」だった。(大貫聡子、寺崎省子)

    □    ■

  事件のあった昨年2月11日は土曜日だった。休日で、車で役所に出かけた。リビングにいた妻(51)に「行ってくるよ」と声をかけ外出した。が、その日、中村さんは帰らなかった。スーパーマーケットで、カップめんとチョコレートを盗んだとして逮捕され、A署に勾留(こうりゅう)されていたからだ。

 連絡はなく、携帯も職場もつながらない。「事故に遭ったのか」。妻は眠れぬまま、夜が明けた。翌日、捜索願を出そうと、娘と訪れた同署で事件を知った。

 月曜日、保釈された中村さんは「冤罪だよ」と話した。なのに、笑って「みんなやさしくて、ゆっくり寝られた」と言い、心配していた家族を驚かせた。

 スーパーでは、通報で駆けつけた警察官に「盗んでない」と否認し続けた。一度、トイレットペーパーを購入した後、戻ってカップめんなどを店外に持ち出していた。レシートはなく、「再び店内に戻って別の商品を盗むやり方は、よくある手口で悪質だ」と警察官も店側も思った。

 だが、本人は盗んだことを覚えていない。家族が「どうして」と尋ねても話がかみ合わない。それに、警察で過ごした夜を「ゆっくり寝られた」。妻らは不審に思い、市内の心療内科のクリニックを受診した。医師は、Bさんの日常生活の言動から、認知症を疑った。

 大学病院で心理検査を受け、「認知症の疑い」と言われた。コンピューター断層撮影(CT)と磁気共鳴断層撮影(MRI)で、脳の前頭葉と両側の側頭葉に萎縮(いしゅく)傾向が見つかった。

    □    ■

  振り返ると、事件の約2年前、文化推進課長になったころから、家族に思い当たるふしがあった。まだあるのにトイレットペーパーや歯磨き粉を次々買ってきた。似たような黒い靴、同じ柄や色のネクタイが家にあふれた。家族は「ストレス解消なのかもしれないから、そっとしておこう」と考えていた。

 事件の16日後、懲戒免職になった。微罪で、代金も支払われているため、不起訴処分(起訴猶予)になったが、妻も勤め先に居づらくなり仕事を辞めた。

 病気と分かり、処分取り消しを求めて、公平委員会に不服申し立てをした。大学病院の主治医は、市に出した意見書で「事件の2年前から徐々に進行し、万引きも本人の正常な判断ではなく、前頭側頭型認知症の初期の状態によって引き起こされたと考えられる」としている。

 一方、市側はBさんの元同僚に聞き取り調査し、「仕事ぶりに不自然な点はなかった」と結論づけ、「処分は適正に行われた」としている。

 昨春、妻は、近所の人に夫の病気を打ち明けた。引っ越しも考えたが、「家族だけでは支えられない。周囲の理解が必要だ」と思った。今、近所の人は気軽に声をかけてくれ、「本当に支えられている」という。

 Bさんは投薬治療を受けながら、昨秋から週に1回、デイサービスに通っている。毎日1人で散歩に出、パソコンでメールや日記を書く。地域の友人とソフトボールを楽しむこともある。「できなくなったことを数えるより、まだできることを見つけて頑張りたい」

 自宅玄関に一枚の写真がある。サザンの桑田佳祐さんと、笑顔で肩を組むBさんが写る。00年夏、Aでのコンサートを控え、所属事務所を訪れた時に撮った。

 Bさんは「病気が万引きをさせたといっても許されるわけではない」。ただ、懸命に働いてきた仕事を懲戒免職という形で終えたくない。収入は途絶え、退職金も出なかった。「私のような人が出ないように認知症への理解が広まってほしい」と願っている。

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ここにも若年性認知症の記事あり。
http://www2f.biglobe.ne.jp/~boke/boke2.htm

「若年性認知症、全国で推計3万~5万人…国が実態調査」(7月5日/読売新聞)
若年性認知症について厚生労働省の研究班が群馬県で初めて行った本格的な実態調査から、全国の患者数が3万1000~5万2000人と推計されることがわかった。
旧厚生省研究班が1996年度に同県などで実施したアンケート調査での推定数より5000~1万4000人増えており、認知症の若年齢化が進んでいることが判明。若年性認知症の認知度が低いことから、公的支援が行き届いていない状況も浮かび上がった。
厚労省研究班は2006年度から、先進的な研究者らのいる群馬、茨城両県で実態調査を始め、群馬県分のデータがまとまった。
県内の医療、福祉施設など約2000か所へアンケートするなどして発症例を把握。その結果、65歳未満の若年性認知症の患者は男性302人、女性159人だった。平均年齢は56歳で、最も若い患者は21歳の男性だった。患者出現率は1万人中3・7人と、前回調査の3・2人を上回った。年代別の人口の推移などを考慮し、全国の患者数を推定した。内訳は、脳卒中などで起こる血管性認知症、アルツハイマー病の順だった。男性は血管性認知症、女性はアルツハイマー病が多かった。
症状の程度は、「自立生活は危険で、ある程度の指導が必要」という中程度以上が7割と、前回調査より1割近く増えた。
しかし、患者のうち障害年金受給者の割合は約4割と前回調査並みに低迷。00年度にスタートした介護保険でも、対象患者(40歳以上で頭部外傷などを除く)のうち4割近くがサービスを全く受けていなかった。

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若年期認知症サミット アピール

2007.2.12 参加者一同・認知症の人と家族の会

若年期認知症―それは、40代、50代に多く発症し、だれでもなりうる原因不明の進行性の病気です。
本日、認知症の人と家族の会は、広島市において若年期認知症サミットを開催しました。全国から600名を超える参加者があり、その中には数名の認知症の人本人もおられました。
サミットでは、専門医による基調講演、認知症の人本人からの訴え、妻と娘からの報告、厚生労働省の政策説明などと関係者によるシンポジウムを行い、若年期認知症の人と家族の声に耳を傾けてその思いを知り、社会的取組みを進めることの重要性を確認しあいました。
本日のサミットを通じて、参加者と「家族の会」は次のことを行政、企業そして社会のすべての人々に訴えます。

1 若年期認知症の人の多くは、現役の勤労者であり家庭の大黒柱です。未成年の子どもの養育中である人も多くいます。
2 この病気は、本人の苦しみだけでなく、家庭生活にも重大な困難をもたらします。
3 それは何よりも働けなくなることによる経済的困難と子どもへの社会的悪影響がないかという不安です。
4 この困難と不安を解消するための本人の最大の願いは、「治りたい」「働きつづけたい」ということです。
5 それとともに、病を持って生きざるをえないとしても、家族が経済的に困窮しないこと、子どもを安心して育てられること、適切なケアが受けられることです。
6 以上の状況から、わたしたちは次のことが社会的に実現されることが必要と考えます。
(1) 製薬企業、国が、「抗認知症薬」の研究・開発を促進し、早期に認可、使用できるように取組むこと。
(2) すべての企業が、企業の社会的責任を認識して、認知症を理由にする解雇等を行わず、本人の能力に応じた職種、職場への配置換えなどにより定年までは雇用を継続すること。国はそのための実効性のある就労支援施策を実施すること。
(3) 国及び地方自治体が、介護保険制度をはじめ社会福祉制度において、若年期認知症にたいする適切なサービスを拡充すること。また、税、医療費、年金などにおいて本人と家族を支援する経済的対策を講じること。子どもの養育、就労などにも支援策を講じること。
(4) 保険会社、住宅ローン会社等が、若年期認知症について「高度障害」と認定し、保険金の支払い、返済金の免除などの措置をとること。
(5) すべての人々が、昨年10月に発表された「本人会議アピール」を理解し、若年期認知症の人を支える気もちを持ち、広島の『陽溜まりの会』のような取組みを各地に広げること。
以上

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介護家族の声
(家族の会の会報の掲載された声です)

仕事を辞め、貯金を食いつぶす状態
本人54歳・男性(発病51歳) 介護者:妻
(家族の会会報「ぽーれぽーれ」2002年6月号より)
年齢が若くても、介護がそう必要でなくても、同じような悩みをもつ方々とコミニュケーションをもてる場、能力にあった仕事、生き甲斐、自分を必要とされる場の設定を望む。私も介護のために仕事を辞め、貯金を食いつぶす状態。娘には、進学をあきらめさせ、早く自立させた(家のローンがあるので)。私は、パソコンを習いました。ホームページがもてたらと努力中。若年性痴呆の家族の方の声が聞きたい。

子供達の結婚に問題はなかった
本人63歳・男性(発病50歳頃)介護者:妻
(家族の会会報「ぽーれぽーれ」2002年6月号より)
言葉を理解できず、言葉も発せられない。体は元気、何でも口に入れてしまう状態なのに要介護度3。不服の申し立てもしたが、だめでした。やはり、痴呆に対しての介護認定を検討して欲しい。長女は成人し、長男も20歳前後に夫が発病したが、これといった困りごとなく、結婚しました。巷と違って親のことはあまり問題にしないで、本人同士がよければ大丈夫のようです。4年半、一般病院に入院していた時は入院費に心配がありましたが、特養に入所できたので楽になりました。年金ももらっているので、今は安心です。痴呆の始まりから、アルツハイマー病と分かった頃が修羅場でした。本人も苦しかったと思います。

遺伝のことが心配で
本人59歳・女性(発病47歳)介護者:夫
(家族の会会報「ぽーれぽーれ」2002年6月号より)
娘達や孫に遺伝するのではないかと心配です。最初の頃は私も娘達もこの病気のことを受け入れることがなかなかできませんでした。在宅で介護している時、行方不明になり、2日間見つからず、警察のお世話になって、やっと30キロも離れたところで見つかった時、言葉や書面で表せないほどの不安でした。病院に入院して、費用の高いのに困ってしまいました。

若くて体力があり、長期で介護者が疲労
本人55歳・女性(発病50歳) 介護者:夫
(家族の会会報「ぽーれぽーれ」2002年6月号より)
叫んだり、物を叩く、手を叩く、暴力的行為が多くなり、困っています。記憶がなくなって不安と恐怖のため徘徊と暴力的になっていると思うと可哀想でならない。若年性アルツハイマー病の場合、配偶者が献身的に介護すれば生存期問が長くなりますが、長期間になってくれば配偶者の方が疲労とストレスのため、病気になってしまう可能性が多い。本人が若いため、まだ体力があり、暴力行為には相当な体力を介護人が維持していないと耐えられない。本人の子どもや本人の兄弟、両親も介護を本気でやろうとは思ってくれない。

痴呆の義母とアルツハイマー病の主人を(家族の会京都府支部だよりより)
義母と、夫と子供たちと
平成7年、82才の秋まで旅行仲間のリーダーとして宿泊の手配等をこなしていた義母が、12月に脳梗塞をきっかけに痴呆症状が出はじめ、私や子供が泥棒扱いをされる日が始まりました。無いと言えば必死に探し回り、見つかった財布は大事に身に付けておくように、ポケットつきの腹巻を作ったりもしましたが、役には立たず、仕事から帰っても財布探しをしてから夕食の用意にかかる毎日でした。義母の入った後の湯舟にはうんちが浮いていたり、押入れの中に汚れた下着が突っ込んであったりとか…。
夫までもアルツハイマーに
そんな平成10年の1月に一番協力してほしい主人がアルツハイマー病と診断され、先のことを考えると毎晩同じ時刻に目が覚めてしまい、どう生活していけばいいのかと、真夜中に計算ばかりする口が続きました。二人の子供達には、いつまでも隠しておくわけにもいかず、検査入院の前に主人のことを伝えました。上の娘は「今日までお母さん一人で悩んでいたのかと思うと…」と言って泣き、高校生だった下の息子は、ひきつけを起こさんばかりにテーブルを揺さぷって泣きました。今こうして思い出しますと、この3年の間に私も子供も逃げ去ることの出来ない現実にどうにか生活していける精神力が身についてきたようです。義母と主人の2人を介護している2年間、子供たちにとっては、下に行けば祖母のややこしい言動・行動を見せつけられ、2階に上がれば父親が何もしないでポーツとしている姿が目に入り、心底くつろげる家庭ではなかったと思います。
義母は特養に
そんな時、義母だけでもと特養入所の声がかかり、お世話になることができました。主人のリハビリやデイケアのない日は、面会に行くのが日課になり、「おばあちゃんだけやな、いつもいつも家の人が来てくれはって、ええな」とホームの掃除の方がよく母に声をかけてくれていました。面会に行けば、両手で持参したおやつを嬉しそうに受け取り喜んでいた義母は、去年の秋に軽い脳梗塞になってから、食事が日に日に入らなくなりました。最後の言葉は、息子を「頼むわ」
今年の1月19日に施設の方から連絡が入り、子供達とかけつけた時には個室に移り、酸素吸入をしてもらっていました。それから1ヵ月、「アホ、アホ」という言葉だけがまだしっかりと残っていた義母から声を聴くことがなくなりました。私や娘さんの名前を順番に耳元で呼びかけても反応が無い中、主人(息子)の名前を言ったときに「頼むわ」とはっきりと言われたのが最後の言葉となりました。自分白身もまだらぼけのなか、子供のことは忘れずにいて、見た目には健康でどこも悪くないのに仕事にも行かず、家でブラブラしている息子のことを最後の最後まで案じて亡くなった義母は、かわいそうでした。
母の死に号泣する父を見て
でも、主人がまだ母親の死を理解し、泣いて、震えて悲しんでいる姿を見たときは、私も子供も、お父さんを守っていかなければと思う気持と、母の死を嘆いている姿に救われる思いがしました。2人を介護している時は、私も子供達も神経がカリカリしていましたが、義母が施設で頑張ってくれました分、面会に行けば子供もベッドに一緒に座って話しかけたり、髪をとかしてあげたりと、ずいぷんとやさしく接することができました。義母の葬儀の際には、手順が分からない主人の手を取って焼香させている私の姿や、常に父親を気遣い誘導している子供たちの姿が、親戚の方々の涙を誘ったようです。子供達にとっては、祖母はともかく父親が若年痴呆になってしまったことのショックや悲しみは計り知れないものです。分かっていても自分の気持ちを押さえられなくなってあたりまえの、根気のいる大変な生活ですが体を震わして号泣した父親(主人)の姿を思いだし、意識の無い中、「頼むわ」と言った義母の言葉を思い出して、3人で頑張っていきたいと思っています。

若年期痴呆の要望書に寄せて
若年期痴呆を「家族の会」で取り組んでいただきとても嬉しく感謝申し上げます。
夫はこの1月でやっと60才。発症は56才と思います。介護保険が始まると同時に養護も特養も老健もわからないまま週2回のデイサービスを受け、ほっとするまもなく、3カ月で施設側から断られ、別の施設では1カ月で断られました。自宅介護から今は老人保健施設に入所し、さまざまな葛藤の中で現在に至っています。
特養はどこもいっぱいで、老健施設に入所するしかないのですが、時間をかけて慣れる事がとても大切で、ちょっとした変化で混乱してしまうのに施設をあっちこっちたらい回しにするべきでないとつくづく感じます。痴呆専門棟でありながら、なぜ期限で追い出すのでしょうか。夫の場合、3カ月で出てほしいと言われ、あげく精神病院にと言われました。大声や取られ妄想、暴力行為など無いのですが、窓を開けたくてロックを下ろすとたやすく壊れる鍵。夫のいる階の分を弁償しました。エレベーター横の目の位置にある火災報知器を何度も押してしまった事など。施設に迷惑をかける事が理由のようですが。
痴呆専門棟はまったく閑散として生活感のない施設。最小限のテーブル、イス、ベッド、テレビ、音響機器のみで潤いのある物は何ひとつ無いため何か仕事らしい事をしていた夫にとっては、その少ない中で毛布を一生懸命あっちこっちへ持っていったりすることが日課。施設は迷惑顔。もっと何か入所者が自由にできる「物」を置いてほしいのです。せめてもと思い可愛い造花を危険ないように藤の鉢籠にいっぱい入れて夫の部屋に置いたところ入所のおばあちゃまが「きれいな花ですね。ここを通るのがいつも楽しみなんですよ」と言ってくれて涙がでるほど嬉しくなりました。
障害年金は現在治ることのない病気とはっきりしているのに他の精神病と同じルールでしかとらえる事ができない現実。そして社会生活に全く適応できないまで進行しているのに障害2級。心臓にペースメーカーを入れている方は多少なりとも社会生活が営めているのに1級。その差は生命にあるのでしょうか。
夫と85才の舅とを同時に介護して何より強く思った事。「安心して私達に介護を任せなさい。困ったらいつでもいらっしゃい、さあ!」と両手をひろげて受け入れてくれる所があったらどんなに救われるでしょう。これは夢物語でしょうか。夫が人間らしくいちいちとがめられずに自由に動き、いろいろな物に触り持ち、そして若い人からお年寄まで一緒に生活できる制約期限のない施設、知的障害施設、老人施設等、可能な限り年代をわけずいたらと理想を追っています。姥捨て的施設はとても心が痛みます。
5項目の要望書が一日も早く現実のものとなりますよう、賛同しより具体的要望をもりこんでいただき、切実なものとして訴えてくださるようお願いいたします。(千葉県)

ピック病について知りたい
私の家内(66)はアルツハイマー病と診断されて3年、現在は身体機能には顕著な障害はありませんが、行為には全介助が必要で、特に最近になって、言葉が全く出なくなりました。要介護度5です。デイサービスに週5日通っており、後は私が一人で介護しております。
先日、精神科羊治医の診察で、CT画像の説明を受けたところ、前回の画像から前頭葉の萎
縮が進み、中央の空洞も広がっているが、後頭部には異常がなく、行動から見ても、アルツハイマーと言うより、ピック病に近いと考えられる。いずれにしても原因や治療方法は今のところ明確になっていないとのことでした。また、アルツハイマー病治療の新薬「アリセプト」の投与についての柵談には、現在の症状ではほとんど効果は期待できないが、使ってみましょうと言われ、奇跡を期待して服用を始めました。下痢、腹痛や、反抗的行動などの副作用があるかもしれないとのことで心配ですが、その時はすぐ止めることにしています。ピック病については全く知識がありませんので、「アリセプト」の服用と合わせて、誌上で説明していただければ幸甚です。

若年性痴呆の夫に何の保障もないのですか?
 私は、55才の時脳内出血から痴呆になった主人と今6年余りの介護生活を送っております。
一時は私の方が混乱して、主人を道連れに死のうかと何度も何度も考えましたが、何とか「今」を迎えることができました。でも安定剤と抗うつ剤、睡眠剤のお世話になる6年余りの日々が毎日続いております。
 最近思うことは、身体障害、知的障害の方々はそれなりの保障(例えば、タクシー券、税の減免、駐車券)、特別障害者手当金などがあるのに、痴呆に関しては何のメリットもないということが、大変不思議に思います。何があれば教えてくださいませ。(大阪府 Nさん 57才)
大阪Nさんへのお便りへ
「若年性痴呆の主人と」会報234号掲載、悲しいお便り、とても人ごととは思えずペンを取りました。今から14年前の昭和61年、夫は44歳で若年性アルツハイマーになりました。限界を超えた壮絶な戦いの日々には、いろいろなことがありました。疲労と睡眠不足で、私にも幻覚のようなものが見えたりして、よくここまで生きて来れたなと思っております。この試練を乗り越えて、今夫と2人大変ですが楽しく暮らしております。どうかNさんに良い日が来ますことを祈ります。さて私の場合、障害基礎年金の手続きを専門の医師により平成4年に受給することが出来ました。とても有りがたかったです。車椅子になってから、平成7年に身体障害者手帳を頂きました。これは市役所で書類を頂き指定の病院で(市役所で聞いて)検査を受けました。どうぞお体に気をつけて頑張ってくださいませ。 

初老期痴呆の夫を介護して
 61才の主人がアルツハイマーではないかと言われて5年になります。どうにかこうにか定年まで仕事を続けることができましたが、ここ半年くらい前より病状の進行が早く、話すことは「うん」くらいしか言いません。精神状態も怒って物にあたったり、すごく恐い顔で一日過ごしたり、また落ち着いた日もあったりと、すっかり主人に24時間振り回されています。
 週3回のデイサービスも自分から行く感じではなく、どうにか行かせているという状態です。「暁学園デイサービス」に出かけ、介護されている人たちに会い、いろいろ聞いたり言ったりすることで自分の気持ちがとても楽になり、また頑張って介護しなければと思っております。
 リウマチと喘息の持病がありますので自分自身も大切にしていかなければと思っております。(愛知県 Sさん) 
夫は日本人ですが
 私の夫は、64才の日本人です。でも私の話す日本語が通じません。それはアルツハイマー病だからです。私はこの病名を知ってしまいましたが、まさか自分の夫がこの病気になるとは考えたことがありませんでした。診断されてから7年になります。これからの人生が考えられないぐらい悩んだ時期もあります。
 が今は自分の仕事をやめ、時間に追われない生活になったが、心から平安でやさしい看護ができるようになりました。老人保健施設を利用し自分も趣味を持ちながらがんばっています。
 こんなに何もが進んでいる時代に治療薬がないというのが残念でなりません。朝、目がさめたら今までのことが夢であったらといつも思います。 (福島県 Hさん)

若年性がなぜ難病指定になれないのか
 夫(病人)、若年性で56才頃の発病だと思うが、100余年経っても治療しない病気なのに何故に難病指定されないのか疑問に思う。現在62才、60才になった頃、障害1級の認定を受けたけれど...。また破産寸前の東京都に住んでいるからガマンしているけれど、実状に合わない古い規則をたてにしている東京都の福祉に腹が立つ。 (東京都 Kさん)

若年の人の受け入れ施設を
 若年性の場合、デイサービス、老人保健施設、特別養護老人ホームなどは受け入れはあっても初期の場合は、本人のプライドを傷つけ、落ち込み、うつ状態になることは多く、結局は行くところがなく家に閉じこもりがちになる。初期の若年性ばかりを受け入れ、軽いスポ-ツ、散歩、レクレーション、カラオケなどをして、規則正しく生活ができる老人保健施設があればと思っています。また、そういうところがあれば他府県でも教えて下されば嬉しく思います。(奈良県 Nさん)
若年性アルツハイマーの家内と
  私は平成3年に若年性アルツハイマーと診断された64才の家内を、現在自宅で社会的支援をフルに活用して全介護しています。
 家内の状況は、平成8年に肝機能が悪化し10ケ月入院したため、急速に弱り、立つことも、歩くことも、食べることも、話すことも全くできなくなりました。肝臓の悪化に目をつぶり、痴呆の典型的な初期症状に、私がいま暫く耐え忍んで頑張っていたら、まだまだ普通の生活ができていたのでは”対応がまずかったのでは”と時折胸を痛めています。
 介護に手もかかり力も要り、会話もなく淋しい限りですが、反面至極おとなしく、短時間なら寝かせておいて買い物にも出られ、こうしてワープロも打てるので現状に感謝しています。
 私が溌剌としていなくて、快適な介護はできないと信念から、平成7年には家内と同行した中国山西省の黄土高原の緑化活動に、以来毎年参加し、今年も3月末に8日間行ってきます。 
 会報215号のTさんの「介護者自身の心のケア」の記事に共鳴しております。雑事にかまけてお便りが遅くなりましたが、同じような境遇のTさんとの文通を致したく思っています。(福岡県 Oさん)

心は通じている
 59才になるアルツハイマー病の妻の介護をして早5年。徐々に進行して現在は介護がなければ寝たきりになる状態まで悪化しており、運命の非情さを改めて思い知らされております。
 精神と身体双方が共におかされ、自己の意志表現は全くできない状態であるが、心(ハート)は正常な気がします。それは目で分かります。私が心静かに気分良く対応すると妻も機嫌が良く、誠意を欠いた対応をすると妻も暗い気持ちになり、不機嫌となることが、手に取るように分かって来ました。(神奈川県 Sさん)

若年性痴呆の認知を
 会報によりいろいろ情報を教えて頂き有り難うございます。特に、介護者の体験談などは共感することも多く、参考にさせて頂いております。時々、会の名称に「老人」の言葉をなくしてほしいという意見がありますが、私も同意見です。若年性痴呆はまだ、ぼけ老人と違う苦労があるものです。若年性痴呆は少数派ですが、社会的にしっかりと認知して頂き、行政のサービスを受けられるようになってほしいと思います。(神奈川県 Mさん)

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若年期認知症-その理解と援助-(1999年家族の会の会報に掲載した「初老期痴呆-その理解と援助-」を2005年に書き改めたものです)

目次
1.はじめに      
2.若年期認知症とは
3.患者数
4.医療      
5.介護
6.患者・家族の実態
7.社会的サービス
8.人権・法律
9.調査・研究
10.海外の現状

1.はじめに
 
 社団法人「呆け高齢者をかかえる家族の会」(以下「家族の会」とする)は、会の名称からもわかるとおり、発足当初、専ら認知症高齢者の介護家族が相互に助け合い、介護家族への社会的な理解と援助を求めました。
 しかし、家族の会の活動を続けるなかで高齢者でない認知症の人の介護家族からの相談があり、初めてそうした人達がいることを知りました。しかし、家族からの相談があっても、家族の会として個別的に対応しているだけでした。
 こうした相談が増えるなかで高齢者でない認知症の人の介護は、高齢者とは違った困難な問題があることを家族の会として少しづつ気づくようになりました。
 家族の会は発足して間もない時期に認知症高齢者の家族介護の全国的な実態調査をしましたが、それと同じように高齢者でない認知症の人とその家族の介護や生活などの実態を詳しく把握するために会員を対象に1991年にアンケート調査を行いました。若年期認知症の生活に関する全国的な初めての調査でした。その結果から経済的問題、家族内・対社会の問題、制度利用の問題などが明らかになりました。
 この結果をもとに家族の会は、1992年厚生大臣に要望をしました。その主旨は「認知症高齢者と同等の社会的援助」でした。こうした家族の会の活動は、高齢者でない認知症の人とその家族への社会的な関心よび、また厚生省に「若年期における痴呆対策検討委員会」が設置されて提言が出され、それに沿って老人保健施設などを「若年期認知症」の人が利用できるようになりました。
 しかしその後、家族の会としてこの課題を積極的取り上げることはあまりありませんでした。200年頃に家族の会の奈良県支部で「若年期痴呆家族会」の活動が始まり、家族の会の支部でも高齢者でない認知症の人とその家族についての関心が少しづつ強くなってきました。また家族の会とは別に関東を中心にした 「彩星(ほし)の会(若年認知症家族会 関東部会)」が2000年に発足しました。
さらに2004年京都で開催された「国際アルツハイマー病協会第20回国際会議・京都・2004」では日本の若い認知症の人自身の体験発表があり、若年期認知症のワークショップも行われ、これをきっかけに高齢者でない認知症の人と家族への関心が一層高まり取り組みが拡がっています。

2.若年期認知症とは

1)名称について
 高齢者でない人の認知症については「初老期認知症 presenile dementia」「若年性認知症 younger dementia」「早期発症型認知症 early onset dementia」「若年期認知症 younger dementia」などいろいろな呼び方、用語が使われていますが、日本語としては「若年期認知症」に名称に統一されつつあります。ここでいう若年期とは40歳から64歳までをいいますが、18歳以上64歳までの意味で使うこともありますが、本論では前者とします。ところで若年期認知症の人は、英語で簡単にyounger people with dementiaと言われることが多い。
なお若年期認知症と初期認知症とは異なる意味で、後者は特にアルツハイマー病の初期に言われることが多く、65歳以上の高齢者でも当てはまります。英語ではdementia of early stage, early dementiaなどと表記されます。従って人によっては若年期認知症と初期認知症の状態が同時にあることもあります。

2)若年期認知症の原因となる病気
高齢者の認知症のほとんどはアルツハイマー病と脳血管障害ですが、若年期認知症は多様な疾患によるという特徴があります。
(1)アルツハイマー病
 若年期認知症のなかで最も多いのがアルツハイマー病(アルツハイマー医師がこの病気を初めて報告した)です。最近、65才未満で発病する場合を若年期アルツハイマー病と呼び、65才と以上で発病する場合は高齢期アルツハイマー病といいます。
 症状はどちらも同じで、いつとはなしに発病し、最初に目立つのが物忘れ(記憶障害)です。その後、仕事ができにくくなったり、日常的なことで間違いが多くなったりして一人では生活できなくなります。
 症状は時にゆっくり、時には急に進み、失禁、徘徊、幻覚妄想などがあり、さらに進むとそれまで残っていた感情も乏しくなり、意欲もなくなり、一日中ぼんや過ごしたり、歩行困難となり寝たきりのような状態になります。末期には自分で食べることも飲み込むこともできないなってしまいます。
 このアルツハイマー病は、一部に遺伝によるものもありますが、その割合は高齢期と比べ若年期でやや多いにしても遺伝の関与は極めて稀です。アルツハイマー病は遺伝要因と環境要因との複合的要因で発病すると考えられています。

(2)脳血管障害(脳卒中)
 脳血管障害は、脳梗塞、脳出血、くも膜下出血の3つの脳の血管の病気を総称したものです。脳血管障害による認知症を脳血管性認知症、単に血管性認知症とも呼びます。
 脳血管性認知症は脳梗塞、脳出血、くも膜下出血のいずれでも起こりますが、高齢者と比べ若年期認知症の人は脳出血やくも膜下出血が相対的に多いのが特徴です。
 脳血管障害は、普通、突然に発病し、多くの場合は左側または右側の手足が動きにくくなる運動麻痺が現れ、認知症だけの症状ということは稀です。しかし朝起きた時、手足は普通に動くのに家族の名前が出てこない、電話をどうかけてよいかわからないといった症状が起き、始めから認知症のみということもあります。しかし多くの場合、脳血管障害を繰り返すなかで認知症が現れ悪化するこおが多い。 

(3)ピック病または前頭葉型認知症または前頭葉側頭葉型認知症
 ピック病(ピック医師が報告した病気)は、アルツハイマー病や脳血管性認知症と比べ若年期に多い認知症と言えます。しかしピック病は、始めからもの忘れなどの認知障害が出てくることは少なく、性格の変化や日常的な行動の変化として始まることが多い病気です。穏和な人だったのに短気になる、几帳面に仕事をしてたのにいいかげんになったり、下着が汚れても気にしなといったことで家族がおかしいと気づきます。病気の最初の頃は記憶は比較的しっかりしているので「なまけている」とか「人柄が変わった」と思い、あまりに自分中心的で家族の言うことを聞かないので相談されることが多いようです。病気が進むと、認知症の症状が目立ちつようになります。
 この病気は頭のCTを撮ると、大脳の前の方(前頭葉)だけが萎縮していることがわかり病気の診断の重要な参考になります。 従ってピック病は、広く「前頭葉型認知症」るいは「前頭葉側頭葉型認知症」の一部と捉えることもあります。この病気の原因は不明です。

(4)レビー小体病
 大脳の皮質(一番表面の部分)にレビー小体(レビー医師がこれを発見・報告)が認められるこの病気は、認知症(特に日内で変動する認知障害)、幻覚(特に幻視)およびパーキンソン病様症状(特に硬直)の3症状が特徴的です。パーキンソン病でも重度になると認知症が現れることがありますが、この病気では比較的早くから認知症が現れます。この病気については我が国から世界的に優れた医学者が出ていますが、原因が解明されてはいませn。

(5)頭部外傷
 交通事故やボクシングで頭を強く打ち硬膜(頭蓋骨の内側の膜)の下に血のかたまり(血腫)ができて認知症になることは少なくありませんが、血腫がなくても頭の強い打撲や頻回な打撲で認知症になることがあります。

(6)クロイツフェルト・ヤコブ病
 クロイツフェルト・ヤコブ病(単にヤコブ病と呼ぶ。クロイツフェルト医師とヨコブ師先生が報告した病気)は、以前は極めて稀な病気でしたが、狂牛病(BSE)の肉が食べることで人がこの病気(正しくは変異型ヤコブ病といいます)なることがわかってきました。イギリスで多く発病しましたが、わが国でも2005年に初めてこの病気で亡くなった人がいることがわかりました。しかし日本ではそれ以上に脳外科で使う他人の硬膜から感染してこの病気になった人が少なからずおり、薬害のひとつとして裁判になりました。原因はプリオンというビールスより小さい病原体で伝染する認知症のひとつで病気の進行は早いのが特徴です。

(7)その他
 その他に、手がふるえ身体が硬くなる「パーキンソン病」が進んだ場合、身体が踊っているような症状の「ハンチントン病」が進んだ場合、片側の腕や指の運動がうまくできなったりする「皮質基底核変性症」の場合、歩行障害、眼球運動障害が現れる「進行性核上麻痺」の場合でも認知症がでることがあります。また「脳腫瘍」でも腫瘍の場所によっては認知症が現れます。また「エイズ」でも認知症になることがあると言われます。「ダウン症」の人が中年期になるとそれまでの知的障害に加え、認知症が現れるこがあります。また心筋梗塞などで一時的に心臓が止まって脳に血液が行かなくなって脳の神経が死んでしまい、心臓は動き始め一命は取り留めたとしても低酸素脳症のため認知症になることがあります。一酸化炭素中毒でも同じような状態になることがあります。

3.患者数
 我が国を含め世界的にも65才未満の若年期認知症の人がどの程度いるかは正確には分かっていません。その理由は認知症高齢者より関心が低く研究者が少ないこと、また実際に調査しようとしても170万人と言われる認知症高齢者よりはるかに数が少なく患者が「まばらにしかいない」ことなどで、疫学調査が行いにくく正確な数がつかみにと考えられます。
 こうした条件のなかで、家族の会が1991年10月に行った全国の実態調査から、40才から64才までの年齢の認知症の人が全国で8.3万人のいると推計しました。その後1998年に厚生省の研究班による若年期認知症の実態調査では18才から64才までで全国で少なくとも2.6万人の認知症の人がいると報告されています。家族の会と研究班との数字を大きな開きの原因は、調査方法が全く異なることにより、どちらがより実態に近いかは明らではありませんが、実数は両者の間にあると考えます。
 ちなみにイギリスのアルツハイマー病協会の報告によると、同国で40才から64才までで認知症の「有病率」は人口1000人に対して1人としており、この有病率を我が国に当てはめてみると、40歳から64歳mでの若年期認知症の人は3.6万人になります。しかしこれはあくまでもイギリスの場合であり、我が国でより詳しい調査が待たれます。

4.医療
 若年期認知症の医療は認知症の原因によって異なりますが、医療できることは限られたものであり、治癒につながる治療になるとさらに限られていると言えます。

(1)アルツハイマー病
 アルツハイマー病の特効薬としてわが国ではエーザイの「アリセプト」が保険診療で使うことができます。この薬はアルツハイマー病で減少するアセチルコリンを補う作用があるアセチルコリンエステラーゼ阻害剤というもので、海外ではレミニール、ガランタミンも使われています。いずれもその効果は限られ、効果期間も長くて2年と言われています。病気そのものを治すものでありません。またメマンチンという作用の異なる薬も海外では使われていますが、これも効果が限られています。10年前には全く薬が何もなかったのと比べるとアルツハイマー病の治療の大きな進歩といえますが、より治癒につながる薬の研究開発が世界的に進められていますが、まだこれに代わる薬は見つかっていません。

(2)脳血管障害(脳卒中)
 脳血管障害による認知症の医療も根本的な治療方法はありません。しかしアルツハイマー病と違い、脳血管障害の危険因子である高血圧、糖尿病、高脂血症、肥満、心房細動などの治療や管理を適切に行い、脱水にも注意することがとても大切です。一般的にアルツハイマー病と比べ、脳血管性認知症は進行することなく知的機能も横這いのことも少なくなく、また通常の理学療法や作業療法あるいは「生活リハビリ」などを試みるなかで知的機能が改善することも稀ではありません。

(3)ピック病
 これは原因も不明で治療の方法ほとんど分かっていません。介護が中心となりますが、病気が少ないことから介護経験の蓄積が少なくどのような介護が適切か、高齢期のアルツハイマー病の人と比べ広く認められた介護方法はなく、模索中といえます。

(4)レビー小体病
 これもピック病と同じで、治療も研究途上です。

(5)頭部外傷
 一度症状が出てからの治療は困難です。治療より予防です。交通事故、労働災害、ボクシングなどで頭を頻回に殴られることを避けましょう。

(6)クロイツフェルト・ヤコブ病
 これはプリオンという伝染性の病原体で発病します。グルメが過ぎて哺乳類の脳を食べるのは辞めて方がよいでしょう。プリオンに感染しBSEの牛肉で感染するかもしれません。発病してからの治療はありません。

(7)その他
①パーキンソン病
 パーキンソン病には多種多様な薬があり、手のふるえや体が固くなる「神経症状」は軽減され、病気の進行を遅くすることができますが、病気そのものを治すわけではありません。病気が進行して出てくる認知症の症状を改善する治療の方法はないのが現状です。
②ハンチントン病
 体が意志に関係なく動いてしまい、踊っているような動き認知症がでてくるこの病気も治療法がありません。
③皮質基底核変性症
 片側の腕や指の運動がうまくできなったり認知症も伴いますが、治療方法はありません。
④進行性核上麻痺
対症療法しかありません。
⑤脳腫瘍
 症状が認知症だけという脳腫瘍は稀ですが、認知症に気づき脳腫瘍を早期に発見して脳外科的治療で認知症が治ることはあります。
⑥エイズ
 エイズについては最近いくつかの有効は薬があり、進行をかなりくい止めらようになり、認知症状態になる人は少ないようです。
⑦ダウン症候群
 この病気の認知症についての治療はよくわかっていません。
⑧低酸素脳症
 防が重要ですが、一度低酸素の状態で脳の神経細胞が破壊されると後いくら脳に酸素を送っても再生することはありません。悪くもならなければよくもならない認知症のひとつです。

5.介護
 これまで述べてきたように若年期の認知症も高齢期の認知症と同様にたとえ良くなることはあっても治ることは難しい病気が多く、アルツハイマー病のように進行するものも少なくありません。従ってこうした若年期認知症には介護が中心となります。
 しかし若年期認知症は病気の種類が多く、その病気の特徴、進行の仕方や程度によって介護の方法も異なってきます。アルツハイマー病にはアルツハイマー病の状態にあった介護があり、ピック病にはその障害にふさわしい介護の方法があります。
 ただ、どの病気にも言える介護の基本的は、病気によってどのような認知症の状態にあるのか、認知症の人は何ができて何ができにくいのかを正しく知っておくこと、即ち病気と病気の人を知ることです。また認知症高齢者と同様、若年期認知症の人も知的機能は障害されていても人としての感情は残っていることが多いことも介護をするうえでとても大切なことです。さらにパーキンソン病のように手がふるえるといった神経症状などが伴うことが多いので精神面だけでなく身体面もどのような状態にあるか知っておくことも欠かせません。
 しかしながら、若年期認知症に詳しい医療職や介護職など専門職が少なくのが現状で、介護家族は何を何処で誰に相談してよいか戸惑います。家族の会ではこうした認知症自身の人と家族からに相応しい相談体制を取りつつあります。 
 若年期認知症の介護についてはよく分かっていないこともありますが、ここでは代表的な3つの病気について私見を述べます。

 1)アルツハイマー病
 アルツハイマー病の介護は高齢期と基本的には同じでが、若年期の男性では会社での仕事に失敗が多くなるとか、女性では毎日していた料理が下手になるとか、初めの時期は本人が混乱して悩んでいても、周囲の人は怠けているとか、疲れていると誤解することがあり、注意されると本人は一層混乱してうことがあります。うつ状態と見分けておく必要もあり、発病に早く気づくこと、早い時期の正しい診断を受けることが大切です。できにくくなった仕事は少しづつ少なくし、できる範囲での仕事を続けてもらいましょう。若年期アルツハイマー病の人で対応に困るのが車の運転です。キイーをどのように取り上げたらよいか、車を運転できないようにどうしたらよいか、免許証を取れないようにする法的なことも考えならないこともあります。道路交通法で認知症の人は免許の再交付を受けられなくなっていますが、その手続きは運転免許センターでまちまちのようです。どされていません。もっとも私の知る限り幸いアルツハイマー病の人の交通事故は意外に少ないようです。介護家族がいろいろ工夫されているためでもあるからでしょう。アルツハイマーが一層進み、外出して家に帰れなくなる、失禁をするなどの状態では高齢期と同様です。若年期のアルツハイマー病は、一般に高齢期と比べ進行が早いようです。
まだ限られてはいますが社会的援助をうまく利用しながらできる範囲で在宅での介護を続けるとよいでしょう。しかし在宅でみれなくなった場合の施設といえば精神病院など限られており、しかもそこで若年期のアルツハイマー病の人を適切にみてくれるかどうか心配はあります。

 2)脳血管性認知症
 若年期認知症でアルツハイマー病と同様に多い脳血管性認知症も介護の基本は高齢期と同様です。脳血管性認知症では「まだら認知症」が目立ち、できることとできないことをよく見分けておきます。また感情の動揺も多いのですがそのまま受け止めてあげるのがよいでしょう。アルツハイマー病と比べ脳血管性認知症はあまり進まないか、よくなることも稀ではありません。精神面に配慮すると同時に、高血圧、糖尿病、高脂血症、脱水など身体面にも注意しましょう。

 3)ピック病
 ピック病は若年期認知症のもっとも特徴的な病気と言ってもよいでしょう。病気は初期には記憶など知的機能の低下は少なく、性格や生活の変化が目立ちます。それまで熱心にしていた仕事を無断で休んだり、几帳面にしていた家事がだんだんルーズになったりします。説明、説得しても分かったような返事をしても、また同じことを繰り返したリ、頑なに自分の決めた方法や生活を守ろうとします。言い張ることは一見筋が通っており、説得はあまり効果が少ないでしょう。介護の基本は、まずは相手の生活習慣を受け入れてあげることにあると思います。そのなかで本人の注意が行き届かないところは気を配り、失禁があるとそれとなくトイレに連ていってあげたり、入浴を嫌がり体が汚れてくると、それとなく風呂を勧めるかシャワーで済ませるか、下着をそれとなく変えてあげるようにします。ピック病の人はデイサービスや短期入所を嫌がることが少なくありませんが、介護者のためにも試みに利用してみましょう。

6.患者・家族の実態
 期認知症の人と家族の置かれている状況は、基本的に認知症性高齢者と同じかもしれません。しかし家族の会の調査などから明らかになった以下のいくつかの特徴を指摘することができます。

1)家族の精神面や人間関係について
 働き盛りの50才代半ばの夫、結婚していない娘のことを気にしていた50才過ぎの妻、子供にしてみれば頼りにしていた父や母が若年期認知症になることは家族にとって考えてもみなかったことで、その悲しみは計り知れないでしょう。
 認知症といえば高齢者のこと、もっと先のことと思っていたのが、話したこともすぐ忘れてしまうほどひどい物忘れで会話がまともにできない、トイレでの失敗が多く部屋で失禁することもあり家中を臭くしていまう夫。あるいは夫や子供の顔も忘れ、昼間は落ち着きなく家中をうろうろし夜間は大声を上げて「おかあーさーん」と泣き叫ぶ妻。こうした姿を毎日見る家族はその変わり様を嘆き悲しむでしょう。
 「おかしい」と思い病院に連れて診察を受け「アルツハイマー病です。アリセプトという薬はありますが、効果は一時的です」と言われ、やはりそうだったのかとの落胆と救いようのない気持ちと将来への不安が募ります。診断が間違っているのではないか、治る病気ではないかと病院や医者を巡る家族もいます。結果的に不治の病と分かっても、どうして夫や妻がこうした悲しい病気にならなければならいのか納得できないでしょう。80才も過ぎた高齢者であれば分からないでもないが、周囲に同じ年代で元気に働いている多くの人達を見れば見るほど辛い気持ちになります。さらに親は、そうした姿を子供にどう説明しようかと思い悩みます。
 若年期認知症の人の場合、まだ在学中の子、結婚していない独身の子がいるでしょう。若い子供がいると若年期認知症の親の姿を見ることは子の成長に好ましくないかもしれません。また結婚の話があっても若年期認知症の親のことで縁談がまとまらないことも起こるかもしれません。あるいはアルツハイマー病は遺伝するとの誤解のなかで社会的な偏見や差別を受けるかもしれません。
 
2)経済な問題について 
 若年期認知症の人の大きな問題に経済的なことがあります。同じアルツハイマー病でも90才の人と50才の人ではその家族への経済的な影響はかなり異なります。50才頃アルツハイマー病を発病すると、仕事で失敗が多くなり、自分でもおかしいを思いながらも、家族に隠して、自分なりに注意して仕事を続けてようとします。しかし失敗は重なるばかりで上司から注意されることが多くなり配置転換されたものの、やはり失敗が続き、退職せざるをえなくなります。退職金は受け取ったものもその後は障害年金の収入と激減し家族の生活は困窮するでしょう。自営業者でも同様です。妻は介護のため働きにいけず、子供に学校をやめさせ働かせたという家族もいます。
 専業主婦が発病した場合は少し事情が異なりますが、やはり家族への経済的な影響はあります。物忘れがひどくなり、頼んだことをほとんどしてなかったり、勤めから帰っても夕食の用意をしてなかったり、勤めに行こうとしても妻は不安がって出勤を嫌がることもあります。このため夫の勤務に支障をきたすことが多くなり、勤めを続けるべきか、妻を入院・入所させるかを決めなければならなくなります。会社を辞めて介護に専念することになれば、収入は断たれるかもしれません。娘に勤めを辞めさせ親の介護にあたらせても同じことでしょう。大学生の息子を退学させざるを得なくなるかもしれません。
 家での介護ができないと、病院-その多くは精神病院ーや施設で看てもらうにしても医療保険や介護保険が利用できるとしても出費はかさむでしょう。

3)制度利用の制限について
 調査当時、認知症高齢者へのサービスは充実しつつありましたが、介護保険はなく若年期認知症の人と家族へ制度は限られていました。デイサービスも利用できない、ショートステイも制限を多すぎる。介護手当も高齢者に限られていいました。しかし2000年から始まった介護保険で若年期認知症の一部の人が制度の対象になり、保険制度上はサービスの利用が可能となりました。しかし若年期認知症の人が安心して実際に利用できるサービスは限られています。これについては次に述べます。

7.社会的サービス
 若年期認知症の人と家族への社会的サービスは、2000年に導入された介護保険で前進しましたが、なお改善の余地は多いのが現状です。介護保険とその他の社会的サービスについて現状と課題を述べます。

1)介護保険
介護保険は、65才以上の身体的精神的障害があり介護を要する高齢者を中心にした公的制度です。
 しかし40才以上65才未満の人(第2号被保険者)の一部も介護保険の給付の対象です。その対象となる疾患は、不思議な条件ですが「加齢に関係した疾患(特定疾患とよびます)」となっています。障害があり介護が必要な40歳以上64歳までののすべての人が介護保険の給付を受けられるわけではありません。65才以上でではこうした病気や障害の制限はありません。
 「加齢に関係した疾患」はかなり曖昧は定義で、医学的根拠はありません。脳腫瘍の病気や、交通事故や労働災害の怪我による身体的精神的障害は含まれません。具体的には、次にあげる15の疾患または疾患群です。

①筋萎縮性側索硬化症、 ②後縦靱帯骨化症、 ③シャイ・ドレーガー症候群、 ④若年期における認知症、 ⑤脊髄小脳変性症、 ⑥脊柱管狭窄症、⑦早老症、 ⑧糖尿病性神経障害、糖尿病性腎症および糖尿病性網膜症、 ⑨脳血管障害、 ⑩パーキンソン病、 ⑪閉塞性動脈硬化症、⑫慢性関節リウマチ、 ⑬慢性閉塞性肺疾患、 ⑭両側の膝関節又は股関節の著しい変形を伴う変形性関節症 ⑮骨折を伴う骨粗しょう症
この15のなかに「若年期における認知症」が含まれたいます。
 この若年期認知症の範囲も「加齢に関係する疾患」としてアルツハイマー病、脳血管性認知症、ピック病、レビー小体病、皮質基底核変性症、進行性核上麻痺が含まれますが、脳腫瘍、頭部外傷、エイズなどは対象となりません。
利用できるはずのサービスは、ヘルパーの訪問介護、看護師の訪問看護、デイサービスやデイケア、ショートステイ、保険介護施設(特別養護老人ホーム、老人保健施設、療養型医療施設)、グループホームなどです。
 しかし問題は実際にサービスを受けようとする時です。若年期認知症の人がデイサービスやショートステイを利用しようとしても受け入れる施設で若年期認知症の人の介護経験が少なく、責任ある対応ができないと拒まれることがあります。また若年期認知症の人自身も高齢者が多いデイサービスの利用を躊躇することが少なくありません。若年期認知症向けの特別な施設を作ることも必要ですが、現にあるサービスのなかで若年期認知症の人と家族が安心して利用できるように改善することが必要と考えます。

2)その他
①高齢者精神保健相談 
 保健所で行われいる相談です。一応、高齢者が対象ですが、若年期認知症だからといって断られことはありません。精神科の医師や保健師とや精神保健福祉員とのつながりも出来るのでおおいに相談の利用を勧めます。もっとも保健所によって取り組みのばらつきがあります。
②認知症疾患センター
 これも主に高齢者の認知症を対象としていますが、若年期認知症だからと断られることはありません。若年期認知症の鑑別診断から治療や介護や生活の相談にのってくれます。もっともこのセンターは1都道府県に数カ所しかなく、遠方の人は利用しにくいかもしれません。
③保健師の訪問
 市町村と保健所の保健師は地域で精神保健活動を行っています。若年期認知症も対象です。保健師は訪問もしていくれます。積極的に相談してみましょう。
④外来診療
 外来診療といっても若年期認知症に限った外来診療はほとんどありません。「もの忘れ外来」「認知症外来」などで若年期認知症の人の診療は行われています。また精神科、神経内科などでも若年期認知症を診ている場合がありますが。また外来に若い認知症の人を連れてゆくのが難しいのは高齢者以上かもしれません。しかしアルツハイマー病など若い認知症の人自身から外来診療を受けることも珍しくはありません。
⑤往診・訪問診療
 往診は患者や家族の要請で緊急または不定期に医師が訪問して診察することで、訪問診療は患者や家族の了解のもとに医師が計画的に定期に訪問して診察することです。認知症の人が外来受診を拒む場合や通院が困難な場合は、こうした医療が利用できます。もっとも訪問診療が必要な若年期認知症の人の場合は身体的な障害が重い人が多いので内科の医師でも対応しています。
⑦重度認知症デイケア
精神科の病院や診療所で行っている介護保険でははく医療保険によるデイケアで若年期認知症の人も利用できます。
⑧入院
 入院は認知症そのものの診断や治療のために入院する場合と認知症に合併した身体疾患の治療のために入院する場合があります。 前者の場合は、総合病院の内科、神経内科、脳外科に入院する場合と精神科病院に入院する場合があります。身体治療のために若年期認知症の人が総合病院に入院することは一般に困難なことが多く、入院や入院目的が理解できないなどで、断りもなく外出したり、点滴チューブを抜いたりするため家族が付き添ったり、個室に入ることを求められることがあります。わが国の認知症対策のなかで最も取り組みが遅れているサービスでしょう。
⑨在宅介護支援センター
 この支援センターは高齢者の在宅介護を主な対象としていますが、若年期認知症の人の家族も相談できます。身近なところにあるセンターであり積極的に利用してみましょう。
⑩介護手当
 特別障害者手当は国の制度として以前からあり、重度の身体障害の他に精神障害をも対象として、その介護にあたる家族に支給されます。現在月額2万円程度です。当然、若年期認知症も対象となっていますが自分で日常生活を営むことが困難で常時介護が必要をされる状態とかなり重症でないと手当は支給されません。
⑪障害年金
 年金給付年齢になる前に心身の病気で退職した者で年金支給に該当する被保険者に障害年金が支給されます。障害の重症度も関係しますが、軽度でも就労が不可能となれば対象となり、終身支給されます。
⑫精神障害保健福祉手帳
 国の制度度で精神障害者の社会生活を援助する制度の一つです。若年期認知症の人も受けることができます。しかし手帳を受けても身体障害者手帳と比べ納税控除など特典は限られています。この手帳については、保健所が扱っています。
⑬徘徊SOSネットワークシステム
 全国的に普及しつあるこのシステムは、主に徘徊高齢者ですが、若年期認知症の人も利用できます。徘徊が頻繁になるようであれば地元の警察に相談して、前以て「登録」しておきましょう。全国すべての地域を網羅したシステムはできていないので、地域によっては利用できなかもしれません。
⑭)納税控除
 若年期認知症の人の家族も特別障害者控除の対象になります。福祉事務所に相談して証明証を受けるか、精神障害保健福祉手帳を提示するか、医師の診断書を添えれば控除が受けられます。
⑮)家族の会
 家族の会の支部では若年期認知症に取り組んでいるところが増えています。また家族の会とは別に、関東地区、奈良地区、大阪地区に若年期認知症の人と家族を対象とした家族会があります。

8.人権・法律
 認知症高齢者の人権等に関する制度が整備されつつありますが、若年期認知症の人も同様の扱です。

1)成年後見制度
 認知症の人の残存能力を個別的にみながら自己決定権を尊重しその人の財産と生活を守ることを趣旨として2000年の民法の改正の伴って導入されたのが新しい成年後見制度です。これは若年期認知症の人も利用できます。法定後見については障害の程度に応じて、補助、補佐、後見に分けられます。家庭裁判所が扱っていますが、裁判所以外にも弁護士、司法書士にも相談できます。

2)地域福祉権利擁護事業
 対象者は認知症性高齢者、知的障害者、精神障害者等となっており当然若年期認知症の人も含まれます。事業の内容は、相談と援助で、援助は日常生活支援サービスと日常的金銭管理サービスとがあります。実施主体は原則的には市町村の社会福祉協議会です。本人、家族、代理人などが相談、申請します。これに応じて相談、調査等を行い、支援計画を作成し、契約を結びます。これに応じて生活支援員が実際の援助にあたります。援助は金銭管理にとどまらず福祉サービスなどの内容の確認も含まれます。

3)介護保険施設での身体拘束の禁止
 介護保険施設(特別養護高齢者ホーム、高齢者保健施設、療養型医療施設など)等での利用者の身体的拘束は禁止されています。若年期認知症の人も同様です。若年期認知症の人は高齢者と比べ、身体に元気で行動も活発な傾向にあり、介護が困難と身体的拘束などされやすいかもしれません。

4)その他
高齢者への虐待と同じように、在宅や施設内で若年期認知症の人への虐待が起こっています。人権の自覚と介護しやすい環境整備も大切です。
高齢者の虐待防止の法律はまだありません。若年期認知症の人虐待をも対象とした法整備が必要です。

9.調査・研究
 若年期認知症の調査研究は、高齢者と比べかなり遅れています。対象者が少ない、問題が社会的に十分に認知されていない、研究者も少ないなどが理由でしょう。
こうしたなかで我が国ではピック病などの若年期認知症の基礎的臨床的な研究が行われてきました。また1970年後半から散発的に若年期認知症の実態調査は医療機関を中心して行なわれました。1996年からは厚生省の若年期認知症の研究班は全国実態調査を行っており、認知症の原因や介護実態の一部を明らかにしました。
 調査研究として家族の会が1991年と1992年に会員を対象に行った調査があり、特に介護実態についての我が国で初めての調査であり、介護家族の置かれたいる状況を明らかにしました。
医学雑誌では「老年精神医学雑誌」の1993年3月号で「初老期痴呆の臨床」)、1998年12月号で「若年期の痴呆」の特集がありました。
今後、わが国においても若年期認知症の基礎、臨床、ケア、制度などの調査、研究が、サービスの拡充と併せて進められることが期待されます。

10.海外の現状
 若年期認知症については欧米でも問題となってはいるが、必ずしも注目され、積極的に取り組まれているとはいえません。
 家族の会が加盟している国際アルツハイマー病協会でも、若年期認知症が取り上げられたのは1992年ベルギーでの国際会議が初めてです。
 こうしたなかでイギリス、オーストラリアのアルツハイマー病協会を中心にした取り組みを紹介します。

1)イギリス
 イギリスのアルツハイマー病協会は世界的にみて協会として若年期認知症に最も活発な取り組みをしています。その協会は若年期認知症の問題を以下のとおり列記しています。
①子供がいる ②発病して仕事を辞めなければならない ③経済的負担が重い ④ 若くして能力を失うことに納得できない ⑤適切な情報や援助を得るのが難しい
こうした背景から同協会は1996年に以下の「若年期認知症の人の権利宣言」(概要)を提出しています。
①早期の診断、評価、専門医への紹介(一般医の役割)
②専門的なサービスの利用(若年期認知症のためのデイケア、施設、カウンセリングなど)
③相応しい経済的な援助(介護に伴い出費を補う経済的な援助)
④適切な雇用関係(必要であれば早期の退職と年金を支給)
⑤教育、研修、情報(医療、福祉等の祉関係者への教育)
 また同協会は若年期認知症の人や家族への特別なページYounger People with Dementia を設け、情報提供しています。同協会のサイトによると
イギリス各地で若年期認知症の人を対象としたデイケアや入所施設が広がりつつあります。
 
2)オーストラリア
 オーストラリアのアルツハイマー病協会は協会のサイトに若年期認知症Younger Onset Dementiaのページを設け、情報提供をし、冊子も発行しています。

なお海外の取り組みについては、彩星(ほし)の会のサイトでヨーロッパ(オランダとスウェーデン)の視察報告が紹介されています。
(終り)


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若年期認知症について

社団法人呆け高齢者をかかえる家族の会 副代表理事 三宅貴夫(医師)

1. 若年期認知症とは
若年期認知症とは、文字通り若年期の認知症をことで、若年期認知症という特別な認知症があるわけではありません。若年期の時期については、18歳以上64歳までとする場合と、介護保険の特定疾患(この場合は「若年期認知症」と呼ばれています)に決められているように40歳以上64歳までとする場合がります。英語ではDementia of early onsetとか、簡単にYounger dementiaとよんでいます。

2. その数は
若年期認知症の人がどのくらいいるのかの信頼できるデーターは世界的にみても少ないのが現状です。こうしたなかでわが国では、当時の厚生省の若年期認知症研究班の報告(1998年)では全国推計数で2万6000人(18歳以上64歳まで)としています。また社団法人呆け高齢者をかかえる家族の会(以下「家族の会」と称する)は、1991年に行った調査から8万3000人(40歳以上64歳まで)と推計しています。
海外の例では、イギリスのアルツハイマー病協会が40才から64才まで若年期認知症の「有病率」を同年齢層の人口1000人に対して1人と推計しています。この率をわが国に当てはめると全国で約4万4000人居ることになります。
いずれにせよ認知症性高齢者と比べるとはるかに少ないのですが、その抱える課題は重い。。

3. 原因は
家族の会や宮永和夫氏(群馬県こころの健康センター所長)らの「若年認知症研究会」の調査によると、若年期認知症の原因として脳血管障害が最も多く、アルツハイマー病や頭部外傷がこれに続きます。その他の原因として脳腫瘍、パーキンソン病、ピック病(前頭葉側頭葉型認知症)などがあります。若年期認知症というとアルツハイマー病が注目されますが、わが国では脳血管障害による認知症が最も多いのです。ただし若年期のアルツハイマー病は高齢期と比べ、遺伝的な関わりが強いことが指摘されています。
また高齢期の認知症と比べ若年期では、原因が多くより多様な対応が求められるという特徴があります。

4. 予防・治療・介護は
若年期認知症はその原因によって予防も治療も介護も異なります。最も多い原因である脳血管障害は、危険因子である高血圧、糖尿病、高コレステロール血症などを生活改善や薬の治療によって予防することは不可能ではありません。アルツハイマー病の危険因子は、最近の研究によると脳血管障害の危険因子とはよく似ており、こうした因子を少なくすることがアルツハイマー病の予防につながる可能性があります。頭部外傷による認知症については交通事故や労働災害の予防が重要です。
治療は、認知症の原因によって異なりますが、多くは治りにくい認知症です。進行性のアルツハイマー病は、アリセプトが唯一の治療薬ですが、効果は限られています。
若年期認知症の人に特別な介護があるわけではありませんが、我が国では十分な介護経験の蓄積がありません。年齢が若いことから介護へ抵抗する「力」があり、高齢者と一緒にされることへの拒否があり、生活背景が異なることから認知症性高齢者とは別な介護が必要です。

5. 心理・社会的な課題は
家族の会が1991年に行った調査は、我が国で初めて若年期認知症の介護の実態を明らかにし、以下の3点の課題を指摘しました。
1) 収入の減少
若年期認知症の人の多くは働き盛りで、認知症になることで会社を退職させられ、あるいは自営業を辞めざるをえなくなり収入が途絶えるか、障害者年金を受けたとしても収入が減少します。このため家族は子供が大学を辞めたて就労したりなど生活を変えざるとえないことになります。
2) 子供への影響
認知症の父や母と生活を共にすることの子供への心理的な影響は無視できません。子供が家庭内で暴力的になったり、家に帰らなくなったりということが起ります。また若年期認知症への偏見から子供の就職、結婚などで社会的に差別されることがあります。
3) サービス利用の差別
当時、認知症性高齢者へのサービスはあっても若年期認知症の人へのサービスはほとんどありませんでした。デイサービスやショートステイなどは若年期認知症の人や家族にとっては無縁でした。介護保険が始まって40才から64才の認知症の人が介護認定を受けることができるようになりましたが、介護サービスを利用しにくい現実は続いています。さらに頭部外傷による若年期認知症では認定さえ受けることができません。

6. 取り組みは
家族の会は、1992年に若年期認知症の人と家族への支援を当時の厚生省に要望しました。また家族の会の支部では集いや相談や会報を通して若年期認知症の家族への支援に取組んでいます(注1)。また家族の会とは別に、「若年認知症家族会」が関東と奈良で活動を進めています(注2)。さらに先に延べた「若年認知症研究会」が若年期認知症の実態、ヨーロッパでのサービス、我が国での支援のあり方などの研究を続けています。
注1:http://www.alzheimer.or.jp
注2:http://www009.upp.so-net.ne.jp/fumipako/

 

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若年期痴呆 子供にどう伝えるか
若年期痴呆の人と生活を共にしているのは妻や夫だけではありません。子供がいます。小学生で通学している子供、就職を間近にし大学生、社会人として働いている子供、婚約した子供がいます。こうした子供は若年期痴呆の親をどのように見ているのでしょうか。

先日、京都府支部の若年期痴呆の介護家族の集いでは、子供のことが話題になりました。若年期痴呆の親を見下す子供、家に居てもつまらないと外泊することが多い子供、介護のことで介護する親と言い争う子供、若年期痴呆の親のことを友人に話せないと悩む子供、アルツハイマー病の遺伝のことを心配する子供など。

配偶者が不治の若年期痴呆になった時、夫あるいは妻は病気を悲しみ、将来に不安に抱き、周囲の人に知られたくないと思うものです。日々の介護のなかで結婚し共に歩んできた連れ合いが痴呆であることを受け入れるには年月必要です。容易には受容できるものではありません。親がこのような悩みと葛藤のなかにあるのですから、理解と判断が十分にはできない子供や自分自身の将来に夢を抱いていている子供にとっては若年期痴呆の親を受け入れることはもっと難しいことでしょう。

若年期痴呆の親をどう見るか、介護のどう負担するか、病気の親をもちながら子供の就職や結婚をどうすうかといったことについて苦悩の多い介護の日々のなかでも親として子供に説明し話し合っておかなければならないでしょう。親が一人で悩みを抱え込もうとしても、一緒に生活している子供も同じように悩んでいます。辛いかもしれないが親は子供と語り合わなければなりません。こうした話題も若年期痴呆の介護家族の集いで語り合うようにしたいものです。またアメリカやオーストラリアのアルツハイマー病協会のように子供を対象にした集いも必要かもしれません。

介護している親自身が若年期痴呆の正しい知識を持ち、病気の配偶者の状態について説明できるだけの理解をし、子供の心も理解しながら冷静になって子供に答え伝えなければなりません。

京都の集いで親の前向きな介護をみるなかで若年期痴呆の親のことを友人に隠そうとしなくなった子供、大学の進路を福祉系に変えた子供の話も出ました。

2001年3月12日 三宅貴夫



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