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馬を洗わば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ

馬を洗わば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ
塚本邦雄

かの有名な塚本先生だ

力み返っているね
縄文人みたいにもりもりしているね

馬を洗うなら魂が冴えるくらい
人を恋するなら人を殺してしまう心

最後のところの意味が不安定で
多分字数が足りなかったんだろう

なにもそんなに力まなくても、ねえ
人を好きになるって
ちょっとした素敵なエピソードでもいいじゃない
なんですぐに命がけなのかしらね

野蛮だ

馬を洗う時に
魂までって
それは考えすぎだわ

夢を見すぎる少年か
この世の最後の恋にかけている老人か

どちらにしても
壁のしみが天使に見えているわけで
それは壁のしみなんだよと誰か言ったら怒られるかな

*****
いずれにしても
こんな人が相手だと
困るだろう

*****
2008-08-04 には こんな風に 茶化していたのだった。

いまは 2009-6月であるが かなり違う受け止め方をしている。

先日朝日新聞で車谷氏の人生相談コーナーがあった。
相談は、高校(いや、中学だったか)教師であるが、教え子の女性がかわいくなってどうしようもないのだという。
どうにかとどめている。以前は、好きだった教え子が風俗(だったかはっきりしないが、
そんな感じのもの)で働いているとの噂を聞いて、足を運んでみたこともあるという。
実際には逢えなかったが。
それに対して、「寸前のところで止めているあなたの場合、人生は始まってもいない」と車谷氏は書いていたと思う。

本当の人生とかいってもそれはその人それぞれで
「本当の」の押し売りも困るけれど、
こうした感じのことを本当の人生と感じる人たちもいて、そのような感性もあるのだと、
現実のものとして思う。
塚本先生のぎりぎりの言葉も、なるほど、深いもので、
古今和歌集とかの職業歌人とはかなり異なる言葉なのだ。

「あなたの場合、人生は、始まってもいない。」
なるほど、そうなのか。

わたしの場合の短歌の世界は
風吹けば落つるもみじ葉 水きよみ 散らぬ影さへ底に見えつつ (凡河内躬恒 古今集)
というような調子のものと考えていたし、いまでも大部分そうだと思うのだが、
そうでない世界にも理解は示すくらいになったとは思うのだ。



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