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パーソナリティ構造と防衛機制とうつ病

1.パーソナリティ構造
精神病性
境界性
自己愛性
神経症性

2.防衛機制
精神病性……現実を捻じ曲げる……被害的受け取り
中間……分裂,splitting
神経症性……自分の気持ちを捻じ曲げる……自責 


3.現実検討能力
なし
部分的にあり
部分的になし
あり

4.人格の「発達」は上位のものがいいとは限らない

「発達」という言葉は「成熟」とつながり、
より上位のものがより価値があるとの印象を与える。
しかしそうでもない。
所詮は環境への適応の仕方に過ぎない。
つらい環境におかれた時に、
あいつが悪いというか、
俺が悪いというか、
どちらが楽かということで、
後々まで考えた総合的な判断としては俺が悪いと言っている人間の方が
得をするだろうという程度のことである。

たとえば走り高飛びで高い地点を跳べる人は低い地点を当然飛べる。
その点では上位のものに価値がある。
人格の発達はそのようなものではない。

たとえば小学4年生の女子がその人の人生の中で最高の人格だったりする。
最高というのは何かといえば難しいが
簡単に言えば最高の適応という意味だ。

別の例を挙げると、
洞窟で暮らす人の身長の価値を考えるとき、
身長が高すぎても無駄で邪魔だ。
短すぎてもやはり不足である。
大体考えて、手を伸ばして天井に届く程度の身長がもっとも
適応的である。

バレーボール選手という種族と、
競馬騎手という種族では
どのような体格が適応であるかが違うのである

こう考えれば、人格も環境との適応の問題だということの意味内容が分かるだろう。

イギリス絹織物を追撃するときの日本人
アメリカ自動車オートメーション工場を追撃するときの日本人
グローバル金融資本主義を追撃する日本人

環境によってそれぞれに適した人間が違うだろうと想像できる。
たとえば
几帳面な女性
筋肉の豊かな強迫性格の男性
攻撃的で危険に鈍感で貪欲な人格

5.適した人格構造は自己愛性である
現代に生きる人間は
消費者資本主義
金融資本主義
情報化社会
を生きているのであり、
昔の人、たとえば松下さんも本田さんも
ネット証券会社でデイトレードをして儲けた金で遊び暮らす消費型人間を
批判するだろうが
そして私も昔の人間だからそんな人生はいやだと思うが
しかしそれも一つの生き方ではあり
むしろ現代社会にうまく適応した生き方であることは認めざるを得ない。

溢れる情報を操る消費者というものは
自己愛的なレベルの人間が一番適していると思う。

現代という条件はたとえば洞窟に相当する。
その条件の下での生きやすい人格は自己愛性の性格構造である。

6.うつ病になったとき
そんなことを前提として、うつ病になったときどうなるのかを考える。
ここで「うつ病」とは慢性持続的なストレスにさらされて疲れきったときどうなるかという意味である。
だから世間一般でいう「うつ病」の意味から見れば特殊である。

いずれにしてもそのような疲弊状態に陥ったとき、

精神病性
境界性
自己愛性
神経症性

のそれぞれの性格をもった人は

精神病性うつ病
抑うつ神経症型うつ病
ディスチミア親和型うつ病
メランコリー型うつ病

となる

現代のメインは、少なくとも、新橋のメインは、
自己愛性人格を抱えた人間が、
かなりの程度うまく適応してサラリーマンの街・新橋に職を得たが
慢性持続性のストレスにさらされて疲労困憊し
ディスチミア親和型うつ病になって
受診する、というタイプである。

7.日本社会と西欧社会の違い
何と言ってもキリスト教という一種の奇妙な統合失調症とうつ病の混合物が
あるかないかでまったく違う風景になっている。
キリスト教の聖書を見ると、
イエスがいろいろと行為していることは
まったく統合失調症患者の語る妄想のようなことで、
一読して、統合失調症系の人が書いたものかと思う。
奇跡とか告知とか。
しかし二読して分かることは、
あまりにも自責とか後悔とかが多いことで、
人格構造としては多分にメランコリー型うつ病的であることがわかる。
このような奇妙な混合物を大切にしている奇妙な文化が西欧というものであって、
日本文化はそれと異なっていてよかったと思う点もある。
そして西欧社会はダーウィニズムの影響もあり、
ともすれば直線的な発達の観念を持ち出しやすい。
マルクスなどはその一例と思うが、
マルクスが現代にまで生きて
情報化社会を体験し、その中での適応的な人格傾向を見たとき、
直線的な発展の図式は引っ込めるのではないだろうか。
日本は日本でおかしな酔っ払いみたいな種族が威張っている変な社会だと思うので、
キリスト教とどうかといえば、引き分け程度なのだろう。

8.統合失調症の軽症化
厳しい現実に直面すると人間はいくつかの方法でその場をしのごうとする

精神病性……現実を捻じ曲げる……被害的受け取り
中間……分裂,splitting
神経症性……自分の気持ちを捻じ曲げる……自責 
現実的対応……現実を実際に変える

など

無論誰でも現実的対応をとりたいのだが
みんながそうできるはずもなく
仕方なく神経症的対応を採用し、
それでも現実が厳しいときは
精神病性対応を採用する。

現実は厳しくないんだと妄想して過ごそうというのだから
あるいはこれは失敗ではなくて策謀で誰かが仕組んだものだと考えれば
一応悪者は外部に割り当てることができるのだ

こうしてみれば
現実が厳しすぎない範囲であれば
境界性、自己愛性、神経症性の対応で事足りるわけである

厳しすぎない現実といえば
現代がまさにそうではないか

死は病院に隠蔽され
老は医学により緩和され
病気はますます改善され
貧困はあるものの生きていくことは出来る
苦しくなったら役所に行って騒げば何とかしてくれる
そんな楽園はかつてなかった
いつも人間はやっとのことで生き延びてきた
飢えと病気がいつでも隣にいた
現代の楽々世界ではそこまでの厳しさはない
ほどほどでいいと思えば実際ほどほどに生きていかれる世の中だ

そうなれば
精神病性反応が起こってしまうことは少なくなるはずで
統合失調症の軽症化は説明できそうな気がする

一方で、現実的な対応をする大人が少なくなって
自己愛的な人間が増えたのも説明できそうだ
衣食住性の世界ではもうある程度満たされていて特に努力することもない
あとは内的価値の問題で
自己愛とか自己実現の問題が残っている
それに対しては
自己愛性人格で対処しておけばしばらくは
安楽である
先延ばしなのであるが
現代のモラトリアムは無期限である
実際は期限がないのだ
父母の財産や年金に寄生していれば生きていけるのだ
あとはネットに向かって自閉していれば良い

厳しく生存を問われることはなくなった
その分、精神病性の反応は減少した

現実的対応はお金を払えば実現可能になった
Do it yourself は趣味になってしまった
従って現実的対応の局面も減少した

境界性
自己愛性
神経症性……現代ではパニック性といってもいいと思う。不安の病理が根本にある。

このあたりが残り、
発達の悪いものは境界性、
発達のいいほうは自己愛性、
身体かする傾向も含めて不安が主体のものはパニック系とまとめることができる。

このそれぞれの性格構造を持った人間が
慢性持続性ストレスにさらされてうつ反応を起こす。
そのような時代と見える。



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