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20年前の「17歳」と何が変わっただろう 先入観について

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写真集『17歳 2001-2006』を撮影した写真家・橋口譲二さんのインタビュー。

 「考えると不安になる」という少年。/「酒鬼薔薇少年と同い年です」という少女。/「自分の考えだけ言う人とかにはなりたくない」という少年。/「レギュラーはきわどいところです」と語る野球部の少年。/「お客さんの感じでだいたい何を買うかがわかってきた」と話す、コンビニでバイトする少女。/お母さんから髪を染めたらと言われるけど「私はイヤ」という制服の少女。

 「朝鮮名を名乗っているのは僕一人です」と話す少年。/「島から出たくない」と語る日焼けした少年。/女子は4人の工業高校の少女は、同級生がふたり続けて自殺した理由を考えていた。

 「どっちやねんと思います」と語るのは、2002年に撮影された大阪・生野の少女。拉致報道に誰を信じていいのか戸惑う、白い体操着の胸の「朝鮮高校」の刺繍が鮮やかだ。/仕事を辞めたいと思うたび上司が引きとめてくれたと話すのは、定時制高校3年の少年。/「家に月2万入れて、ケータイに5万ぐらい消えて、あとは貯金してます」という道路建設の現場で働く少年は、高校に入りなおしたいと思っていた。

 写真からインタビューの文章に目を移すたび気持ちいいほどに、先入観が裏切られる。

 「人がキレそうになる現場にいると、怖くて泣きたくなります」という少年がいて、嫌なことばかり考えるからボーッとしないという少年がいる。「限界みたいなものに挑戦してみたい」と語る詰襟の少年もいれば、視線がこわくて「人の顔とか見れない」という金髪の少女がいる。「鏡は朝見て、トレイに行った時に見るぐらい」と語るポニーテールの少女も、「働いてよかったのは、知らない大人と話せるようになったことです」と語る少女がいる。どれもが、大人が抱く17歳のモデルからほんのすこしずつズレている。それが「個」性だ。

1988年の『17歳の地図』も、今年出された『17歳 2001-2006』も、撮るだけでなく、一人ひとりに丁寧にインタビューをされていますよね。それで、共通の質問項目の中にある「好きな音楽」「最近読んだ本」の二つ、20年前に出された写真集でも同じ質問をされていて、面白いのは、女子だと漫画の『ホットロード』をあげる人が多かった。音楽は、男子は尾崎豊とハウンドドッグ。女子は、BOOWYなんですね。

「ああ、懐かしいなぁ。ツッパった格好をしたひとたちが多かった。今度の本では『ハリーポッター』と『いま、会いに行きます』だっけ。あと『“IT”(それ)と呼ばれた子―少年期ロストボーイ』が多かったかな」

「(カバーにも使われている、背景に団地がひろがるページを開き)これがいまのニッポンですよね。いま、郊外の県営住宅はどこも中南米からの帰民の人たち、あるいは東南アジアからの難民、中国残留孤児の人たちの姿が多い、公営住宅の役割が変わったということですよね」

── 20年前に撮影されたときと今回との大きな違いとして、撮影を断られることが多かったと「あとがき」で書かれていますよね。昔は、探すことに苦労はしなかったけれど、声をかけても今は断られ続けると。

「そうですね。ほんとうに、時間がないからという人もいたと思うんだけど、でも多くは、あとがきに書いたように、目立ちたくないということが大きな理由だと思う。

 僕は、仲間でいるうちの一人だけを撮影したい。それは誰でもいい。でも、そこで撮られてもいいと答えるということは目立つということ、友達の外から出るということになる。とにかく、いまの少年たちは目立たないように、目立たないようにというふうにして周りを気にしながら生きている。それは気の毒だなぁと思ったし、恐ろしい事実ですよね、いつも周りを気遣って生きなきゃいけないということは。でもこのことは17歳にかぎったことではないですけど。僕は後書きで書いていますけど、魂が殺されているということですよね。もっと言うと僕ら=社会は、魂の殺人者だということになる」

「ああ。彼は、『だめ連』(※「だめ人間」であることを積極的に表明した生き方模索集団)で紹介してもらいました。それで、靴下が破れて親指が出ているでしょう。このカットは、あえて選んだんです。

18歳か、16歳か。それは微妙。でも、共通するものがある。ある種、不安定。成熟と未成熟の間にある」

 「青年海外協力隊に行きたい」という、細身の彼女は山道を自転車で通学していた。/お父さんとメールを始めたと語るのは、母と妹と暮らす少年。/「子供の面倒を見ないような大人にはなりたくない」という別の少年の家庭にも、父がいない。/「化粧をすると自分に自信がつく」という目のくりくりしたペルー生まれの少女。/八方美人な自分が好きじゃないという少年。/駅伝をやっている女子高校生の不満は、「もうちょっと顔が良くなりたい」。/原爆の映画を見て、「人間がわからない」というギャルふうの少女もいる。

 カンボジア生まれの鉄筋工の少年は「何か親にプレゼントしてあげたい」と言い、中3から眉毛を剃りはじめた少年は「失敗せずに揚げられた時は嬉しい」とバイトのチキン揚げのことを話した。

 「部屋の中に5個鏡がある」と話す少女は「珍しい大人になりたい」と言い、養護学校の少年は、好きな子がいるけれど言うのは恥ずかしいと打ち明けた。「普通の大人になりたい。サラリーマンとか」と夢を語るのは、渋谷のセンター街で店の呼び込みをしていた中国名の少年だった。

 日本で暮らすのを当たり前と思っている少女や少年は、漠然とした未来への不安をもらし、「僕は」「私は」と答えながら、不安な境遇をにじませる移民の子供たちがいる。偶然街で声をかけられた、ひとりひとり。写真と対のインタビューから覗き見えてくる内面は、希望と不安で膨らみ、繊細で、いびつなぶんだけ芳醇だ。

── 写真を撮る前に、インタビューをされるんですよね。それは、どれぐらいの時間?

「だいだい一時間ぐらいですね、話を聞くのは」

── 「一緒に住んでいる人」「今朝の朝食」「好きな音楽」「最近読んだ本」「今まで行った一番遠い所」。用意されている質問が、この5つというのは何か理由があるんですか?

「そんなに難しく考えてはいないんですけど。この質問の答えを読むだけでその人となりや日常が分かるでしょう。引き続き『世界』で連載している『WOMAN』では、「現在の収入」と「これまで就いた仕事」を加えています。そのひとが今日までどうやって生き抜いてきたか。いま、どういう境遇にいるのかがわかるように。

── それって、いいですね。インタビューを読むと、彼女が仕事に責任感をもって、やりがいを感じているのが伝わってきます。

〈大切にしていることは、真面目にしていることかな。やる時はやる。農園の仕事は1年半続けていて、まだ遅刻とか欠勤とかもしたことがないです。一番若いけど仕事は全部まかされている。(中略)今は葉牡丹とシクラメン。土日、休みだから3日目の月曜日が気になってしょうがない〉

「朝山さんは驚きだとおっしゃるけど、僕ら=世間は、あふれるほどの情報のなかで、いろんな先入観と思い込みで、目の前に居るひとを見ていると思うんですね。でも、僕の本を見たたくさんの人が、彼ら彼女の思いに触れて、いい意味で裏切られるんですよ。自分の言葉できちんと自分をしゃべっているし、社会全体が破滅に向かって行きそうな中でもなんとか生きたいと思っている。どんな17歳も、人生を投げてはいないですから。学校に行っている子も、行ってない子も。

(写真集を手に、ちょっとツッパった男の子のところでめくる手を止め)彼なんかも『キレるように見えるかもしれないけど、自分の好きなところはキレないところ』と言ったりする」

── 体格がしっかりしていて、野球の清原っぽい風貌をしている。定時制高校に通っていているその彼が、保育士になりたいと答えているのがいいですね。

「僕らは、偏った情報のなかで生きているということを、この本を見ることでわかってもらいたいなというのは一つの思いとしてありますね。いかに世間に流れている情報というものが、流す側の都合で供給されているというのがこれでわかると思う、それと17歳を、社会を生きているパートナーという意識が欠落していて、消費の対象にしか見てないから、情報がかたよるのだと思いますよ」

 橋口さんは、偶然に出会ったひとを撮る。撮るのは「誰でもいい」という。その「誰でもいい」というのは、撮る側の重要な意図にもなっている。

 なかには、はきはきしゃべれない少年もいる。人と目をあわせるのが苦手という少女もいる。インタビューは、そんな一人ひとりのテンポにあわせて行われたものだというのが、工夫されたモノローグからも読み取れる。

「一人ひとりのモノローグを読んでいると、胸がつまるし、せつなくなるんですけども、トータルして全体でみると、みんな生きようとしているなという希望みたいなものが伝わってくる。さっきも話しましたけど、ほんとうにみんな生きることを諦めていないですよ。

 だけど、今、社会で起きている悲しい出来事を見たり聞いたりすると、自分は社会や物語から弾かれたと感じて、心が氷結していく人が存在する事実と、このギャップをどうやって埋めていくのか、繋いで行くのか、というのが表現に関わる僕らの仕事だという気がします。アートの存在意義というのかな」

「彼らとの出合いを重ねて行く中で、20年前の17歳の撮影の時と比べて、いまの17歳は、想像以上に、なんらかの挫折を体験している17歳が多いのが驚きでした。社会との折り合いを上手くつけられない現状が有る半面、そんな17歳たちが人生を投げずに生きていることは、ある面、生き方が多様になっているということでもありますよね。たぶん社会の仕組みが現実に追いついていないことでもあるけど、なんか嬉しかったですね、皆が模索している姿にふれられて、でも当事者たちは必至でしょうけど。

 写真集では触れていないことですけど、友達同士でも僕に話したような内容のことを話すかどうか、みんなに尋ねたんですね。『いや、話さない。学校でこんな話をしたら浮くから』という。『浮くとか怖いというのは、みんな思っていることだから、話してごらんよ』『でも、みんな、きもい。学校でうざい存在になるから』『でも、話してごらん』と僕は話してきたんです。

 みんなどこかしら、おびえている。学校で孤立した友達がいかに悲惨な状況か、いやというほど見てきている。そこで、彼らにどこまで伝わったかはわからないけれども、『今でも僕は変わらないけど、僕らの青春の頃は、連帯は求めるけれど、孤立は恐れなかった』と話してあげると、彼らは、なんだこのおじさんという顔をしていたけど(笑)。でもどこか真剣な顔つきでしたよ。

 で、言葉を置き換えて、『つるむけど、一人になることを怖がらないことだよ』。そのために僕はカメラを手にしたんだ、という言い方をしています。でも僕の生き方なんて特別なケースなわけであって、リアルではないですよね」

 写真集のページをめくるごとに、人と目を合わせることがなかなかできないということに悩んでいたり、ぼんやりとひとりでいることが楽で、話すことが苦手という子供たちが多いことに、あらためて驚かされる。

 孤独や将来に対する不安な胸のうちを語る言葉は、とても素直で、そしてみんな、目はしっかりとこちらを見ている。気弱な子も。

 20年前の17歳の撮影時との違いといえば、頻繁にケータイの着信音がすることだ。その都度、橋口さんは、怒った。『ケータイを切りなさい』と。

「僕は『17歳』を角川書店で再版したときには、ただ絶版になっている本を復活させたいからという理由だけではなくて、社会状況に僕自身がとてもいらついていて、何かを発したかったから。僕は、あの本の後書きで、新しい文明を疑うことを伝えたかった。

 人間と人間を、友達と自分を、分断しているものの正体は、僕らが便利だ思って使っている道具ではないのか。便利なものが、人と人の関係を壊している。たとえば待ち合わせをするにも、ケータイ電話が無かった頃は、友達が現れるまで会えるかどうかわからない。でも来ること信じていくわけでしょう。信じることも学ぶし、信頼関係も築ける、人間力は連続性の中で培っていけるわけだから」

── 待つことには、来ないかもしれないという不安はありますよね。

「そこに人間の関係ができるわけですよね。だから、これからの時代は便利なものを使うのはいいけれど、必要なだけの便利を選択して捨てていくことも必要になっていくと思うんです。

 新しく生まれた文明の力を、個人がどこまで採り入れて捨てるか。これからの時代は、個人が今まで以上に判断を迫られることが増えていくと思います。それに耐えられなくなると、人間は全体主義に身を預けてしまうから、今は本当に恐ろしい状況ですよ。その意味においては、今度の本で出会った17歳は一人ひとりが、自分の方法で戦っているのが確認できて良かった」

── 若いだけに、自分のことを利用しようしているのかどうかということについては敏感なセンサーを働かせるでしょうし。そんな少年や少女たちの写真集を見ていて、印象深いのは、みんな目がしっかりしていることです。気力がないとか言われるけれど、そんなことはない。ちゃんと目が生き、こちらを見ている。

「新しく『17歳』を撮ろうと決めたときから始めたことですけれども、『自分の心の中で何回も自分の名前を叫んでほしい、それは写るから』と言うようにしたんです。

 気持ちは写るんです。だから、1、2枚とって、カメラになれたかなと思った頃に、『名前を心の中でつぶやけば表情にでるから』って」

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すごいものだ。
本当に、何が変わったのだろう。



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