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目的反応としての「軽症うつ病」

目的反応という適切な言葉を提示している
今のところ読むだけ
目的反応(と異常心因反応)とうつ

誰がどのような手順で区別することが可能であるか

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臨床精神医学37(9):1249-1255、2008
目的反応としての「軽症うつ病」
古茶大樹
抄録:職場のストレスに反応して生ずる抑うつ反応の一型をとりあげた。この病態は、長期休職者の一部を構成するもので、企業や社会にとって大きな問題となっている。初期には今日の操作的診断基準で「軽症から中等症のうつ病」と診断され得るが、その内容を精神病理学的に検討する限り、これらは真のうつ病として扱うべきではなく、正常心理の枠内で生ずる目的反応として理解すべきものである。個体の性格傾向、状況、ストレス体験、初期反応、症状の慢性化について論じ、クルト・シュナイダーとエルンスト・クレッチマーの論考を援用し、この病態を精神病理学的に検討した。保身の心理が背景にあるために、うつ病の基本的治療指針である「症状がよくなるまで無理をせずゆっくり休養する」という医師の指示は、症状の慢性化を助長する可能性がある。治療は脱疾病化と本人の回復への意志を支える地道な精神療法である。
Keywords:軽症うつ病(mild depression)、目的反応(purposive reaction)、職場のストレス(work place stress)、抑うつ反応(depressive reaction)、病人の役割(sick-role)

1 はじめに
なぜこれほど多くの偽りの抑うつ、あるいは偽りのものとなった抑うつがみられるのだろうか。その理由はおそらく、苦しみを訴えて医師を受診する人は、総じて逆の意味で選り抜きだからだろう。悲しみを「疾患」と考え、こうした方法で転嫁するなど、昔の世代の人は思いも寄らなかっただろう。今日でも、自分の運命を自身に課せられた課題・責任と見なす成熟した人であれば、そうしようとはしない。もっともなことであろう。(クルト・シュナイダー『臨床精神病理学』針間博彦訳、p47)

この一節は、大きなストレス体験をした後の無力性の病像を呈する患者の中心自ら進んで医師に苦悩を訴える患者を評したものである。今日の気分障害の概念に疑問を感ずる、あるいはcontextを考慮しない今日の操作的診断基準そのものに問題意識をもつ医師にとって、この一節は共感を呼ぶ。シュナイダーにいわせれば、これら「偽りの抑うつ」は厳密に循環病性抑うつとは区別すべきものである。仕事上のストレス、対人関係のストレスなどで、失望・落胆し、あるいは怒りをにじませ、医師に[うつ病]の診断書を要求する患者は少なくない。今日、気分障害と診断される患者の中に、シュナイダーの指摘する「偽りの抑うつ」が含まれている可能性は否定できない。しかしながら、重大な問題は患者の側にあるのではない、理由のある悲しみを「疾患」とみなすことをアカデミズムが承認していることにある。

HorwitzとWjkefieldは共著The Loss of Sadness の中で、悲しみがいかに疾病化pathologizeされたかを多角的に分析し、その弊害を述べている。うつ病の長い歴史の中でも、理由のある悲しみは精神病としての躁うつ病とは厳密に区別されてきたことをわれわれは忘れるべきではない。

ここで取り上げる目的反応としての職場の「軽症うつ病」は、おそらく企業における「うつ病」による長期休職者の一部を構成している。さらには、昨今の「うつ病」の急増とも関係があるだろう。患者は控えめで良心的であり、診断書目的に受診するような積極的な(意図的な)「偽りの抑うつ」ではない。理由のある悲しみ、抑うつ反応に始まり、それが正常心理の機制を経て慢性化(自動化)する病像である。横断面の症状からすれば今日の気分障害(程度が軽ければ適応障害)に相当するが、症状の発生と経過をよく吟味するならば、目的反応Zweckreaktjon(独)purposive reactionとみるべきものである。症状の自動化には、少なくともその出発点においては自己欺届(抑圧の機制)が作用しており、その意味では消極的な「偽りの抑うつ」ということもできる。

なお本文中、括弧つきの「うつ病」は操作的診断基準による広義の「うつ病」を、括弧のないものは狭義の、精神病という意味での内因性うつ病を示す。まず筆者が複数の症例観察を通じて得られた所見を一般化してこの病態の諸特徴を述べ、続く考察では精神病理学的な検討と治療について言及する。

2 個別の症例観察から得られた所見をもとに、再構成されたこの病態の諸特徴
1.個体と背景
症例は大企業の健康管理センターに通院中の患者でいずれも休職中である。おおまかに患者の特性と環境についてまとめる。多くは、入社して1~2年程度の新人女性社員である。性格特徴は、従順、素直、控え目、大人しい、良心的、協調的、自己主張しない、辛くても我慢するなどと評される人物で、新人社員としては歓迎されるタイプであり、仕事も丁寧で人当たりもよいので周囲の評判もよい。就職以前の人生行路は、社会適応・対人関係ともに良好で、人格障害にあたるはどの偏った特性はない。

多くの場合、彼女らは相当な努力をし、希望を抱いて入社しており、客観的にみてもその職場の社会的ステイタスは高い。この背景は、簡単にやめられない、あきらめられないという状況につながっている。さらに付け加えると直属の上司は男性である。入社してまだそれほど時間が経っていないということは、新人社員として新しい職場への適応を努力している過程にあり、自己の職業的なアイデンティティを確立する途上にある。持ち前の従順さで周囲との摩擦もなく、順調に進んでいるところへ、辛いストレス体験・状況が生ずることになる。

2.原因となるストレス
抑うつ反応を引き起こす体験刺激は、特有な職場のストレス状況である。具体的には、ミスを上司からきびしく叱責される、困った状況に陥っているのに周囲からのサポートがない、窓口で客からひどい仕打ちにあうなど、職業アイデンティティの形成に深刻なダメージを与える性質のものである。いずれの場合も、上司はなんらかの関係があるのだが、彼女らの性格傾向ゆえに、辛いこと・納得がいかないこと・助けてほしいことがあっても男性上司に強く訴え出ることをしない、本人の感覚では「そうすることはできない、わがままをいうべきではない」と感じている。このストレス体験を受けても、彼女らは傷つきながらも懸命に努力する道を一旦は選択する。そして「失敗してはいけない」「もっとしっかりしないといけない」「自分が努力しなくてはいけない」というさらなる緊張状態に自らを置くようになる。

3.抑うつ反応
上記のストレスに遭遇して、まず抑うつ・不安感、涙もろさ、あるいは意気消沈といった負の状態感情が出現する。さらに、動悸や下痢・嘔吐といった器官の反射充進症状、無月経などのストレス性の身体症状が認められ、食欲低下や睡眠障害も併発する。ごく短期間にこれらの症状から回復する例はおそらく無数に存在し(それが一般の健常者であろう)これらは医療化することもかく社会的問題にもなり得ない。しかしながら、一部に重症度・症状の持続期間を含め、「軽度から中等症のうつ病」の今日の診断基準を満たすケースが存在する。出社することが辛くなり特に朝になると具合が悪くなるので日内変動があるようにみえるが、それでも出社しようと努力する。仕事への自信がなくなり、自己価値感情もまた低下するが、それは職業についての自信のなさに限局しており、深刻な自殺念慮にまで発展することはない。怒りは意識の中心にはのぼらず、自分に適応力がないと悩み、上司や他者を責めようとはしない(他罰傾向がない)ことも特徴的である。こうなると周りからも明らかに調子が悪そうにみえるので、精神科受診を勧められることになる。本人は、この段階では自分の心身の不調を「病気」とは捉えていないことが多い。

精神科を受診することには大きな意味があるのだが、それは後述する。患者を診察した精神科医は「うつ状態」ないしは「うつ病」、あるいは「心因反応」の診断を下し、自宅での休養を進言するのほまちがいない。そして職場を離れてゆっくり休養することは、初期段階では確かに効果があり、一連の症状は消失するまでいかなくとも軽減する。しかし、その休養期間中にあっても、職場に戻ることを考えない日はなく、それを考え始めるとひどく落ち込むし、症状(反応)がぶり返すことになる。はっきりとした職場恐怖の形を取ることも少なくない。

4.症状の慢性化一自動化
さて抑うつ反応であるとすれば、職場を離れて過ごすことで少しずつでも症状は改善してくるはずである。しかしながら、すでに初期病像に含まれている職場恐怖が症状の改善を遅らせることになる。「これ以上傷つきたくない、職場にいきたくない」という保身の心理が働いていることは、患者がそれを明言しなくとも感じ取ることができる。これが患者の良心との間に葛藤を生じているようにみえる。患者の自己申告に基づけば、病像は、抑うつ、寝込む、意気消沈に加え、引きこもり(対人接触を制限する)、楽しみの制限、他人と比較してさらに落胆するといった様相を呈するようになる。診察室では、症状が十分に改善しないこと(復帰の意志はあるが、それができないこと)をすまなさそうに語るが、これは診療の場が、職場とつながっている健康管理センターであることと関係があるかもしれない。症状の改善が不十分であることから、医師はさらなる休養の必要性を説く(「症状が改善してくるまでゆっくり無理をせず休養しなさい」)ことになり、薬物の調整を行うだろう。しかし、抗うつ薬は十分な効果を発揮することはない。患者は医師からの助言に従い、無理をせずひたすら休養するようになるのだが、症状には改善の兆しすらみえない。病状はほとんどが「軽度から中等度のうつ病」にとどまるので、入院治療するでもなく自宅療養が延々と続くパターンが多い。職場恐怖の自覚はあるので、退職という着想は意識には上るものの、やっと手に入れた職場なのだし、再就職できる見込みも確実ではない、簡単に辞められないという未練がある。これらの患者は退職よりも長期休職を選択する。いずれのケースも、経済的な側面はなんらかの形で安定したサポートがあり、無理をして出社しなければならない事情がない。またこの休職期間中に結婚したケースもある。そのようなケースでは本当にうつ状態なのだろうかという疑いがつきまとうが、彼らの申告が事実をありのままに述べているとするならば、彼らの生活の態様は主婦としての最低限のやるべきことはこなしているが、健常時と比較するとやはり明らかな制限がある。この時期になると、職場復帰が診察場面で話題に上ることも全くなくなってしまい、医師は患者の症状の評価と果てしない薬剤の調整に苦心するような状況に陥りやすい。ケースによっては、この状態で1年以上に休養期間が延びてしまうことすらある。以上が、個人の特性、背景、症状の起始と経過である。治療的試みについては次項の考察で述べる。

3 考察
1.精神病理学的検討
シュナイダーは、ある状態が特定の体験による体験反応であるかどうかの判定基準として次の3つの項目を挙げている。
①原因となった体験がなげれば、その反応性の状態は出現しなかった。
②状態の内容、主題はその状態の原因と了解可能な関連がある。
③その状態の時間的経過は原因に依存する。特に原因が解消されると、その状態も終わる。
第1の基準は必須、第2の基準は必須ではないが、体験反応が存在することの重要な手掛かりとなる。そして第3の基準についてはすべての体験反応に当てはまるわけではない。第2の基準については、特定の体験以後、悲哀的抑うつ気分が存在している場合、原因となる体験が思考の内容、抑うつ気分の主題を形成していないことがわかれば、それは体験反応ではなく、誘発されたうつ病を考える。うつ病が体験によって誘発される場合、その体験はいつまでも思考の内容であることはなく、体験がなくなっても抑うつは改善しない。誘因となる体験と自己苦悩の重症度との間にも、適当な関係がないことが多いとシュナイダーは指摘する。これらが、抑うつ体験反応と誘発されたうつ病との鑑別点である。

ここで提示した病態は、上記の第1・2基準を満たすことは明らかである。筆者もこの第2基準が、診断上特に重要であると考える。これは問診の中で明らかになる、例えば「このような状態にははっきりとした理由があるか」あるいは「その体験がなければこのような状態にならなかっただろうか」という質問がよい、体験反応であるかどうかは患者自身が最もよく知っているはずである。しかしながら、原因となったストレス体験を、特にそのときの辛かった感情を含めて抑圧してしまうケースでは、「思い当たるストレスはない」と答えることもある。そのような場合でも、経過を語らせる中で、抑うつ気分の出現がどのような体験や生活状況の変化と結びついているのかを丁寧に問診することで、原因となったストレスは比較的簡単に見いだすことができる。たとえ抑圧の機制が働いたとしても、それは意識のどこか(中心でなく辺域)にあるはずで、意識化することは可能である。気分や意欲といった症状の評価にとどまらず、思考の内容に焦点を当てる。「ふだんどのようなことを考えているか、どのようなことで悩んでいるか」という質問で、多くの症例では「早く職場復帰をしなければいけないと思う」とか、「復帰のことを考えるとすぐに気分が落ち込んでしまう」「仕事のことは何も考えられない」などの応答が返ってくることが多い。ストレスのあった職場のことを話題に出すのもよい。患者の様子を仔細に観察すると、情緒的に動揺するのがみてとれる。原因となったストレスを意識させると、その場でも反応が生ずることがある。このような方法で体験反応であることを確認する。このストレス体験の暴露からまだ時間の経っていない初期病像を体験反応とみることに異議はないだろう。むしろ、われわれの注意を引くのは、体験反応であるにもかかわらず症状が一向に改善しないこと、症状の慢性化一自動化である。これは上記の第3の基準に関わる。ここで再び、シュナイダーを引用しよう。

この領域全体にわたって、すでに言及した目的という要素がしばしば存在している。最初の情動の嵐は一貫して真性のものだが、これにはすでに危険から離れ、危険の中に入らないようにしようとする欲動か含まれている。後にそれが意識化される。熟慮が出現し、しばしば半ば明らかでしかない願望に応じて障害が堅持される。すなわち「障害の中に入り込む」。これはとりわけ心因性身体障害に当てはまる。この固定がいかにして行われるのか、そこで何か起こるのかは全く不明である。(文献3、54-55ページ)

クレッチマーは「医学的心理学Medizinische Psychologie」の原始反応Primitivreaktionenの章の中で、この症状の自動化のメカニズムについて言及している。治療とも関係があるので、少し長くなるがその重要な部分を引用する。

抑圧Verdrangungは偽装現象に類似の精神的機制と解してよい。抑圧は自分自身に対する偽装である。それで我々は経験的にも内部への抑圧と外部への偽装とが一緒に現われ、密接な機能連関を持っているのを見ることが非常に多く、これはことにヒステリー性病像の特徴になっている。抑圧とは好ましくない事実や二面価値的事実を意識の中心から辺域へとおしやること、つまり自分の精神過程に対する目つぶり政策、嫌なものを見まいとする状態をいう。こうしてひとりでに起こる身体的あるいは精神的過程のすべてのものが(ヒステリー化)histerisierenされる。誰でも軽いけがや関節痛、喉頭炎や原因のある気分変調を経験したことがある。さてこれらの障害がひとりでに消退しつつある時にこの障害が続くことが内心望ましくするような精神的刺激が加わると治癒の過程がひどく遅れたり全然治らないというようなことが起こってくる。‥・このような願望や目的や防御の動機は極めて様々である。・・・平凡な現在ある動機がもとである事もあれば錯綜した古いコンプレクス機制がもとである事もある。〈中略〉

ヒステリー性習慣は我々はあまり気づかない正常の精神身体的根本原則に相応する。はじめから終りまで意識され意志によって行われるような行為は極めて僅かなものである。意志はむしろうまくできあがった回路、「臨機装置」Gelegenheitsapparat(ブロイラー)を一定の目的のために直ちに編制するのであって、こうなればこの装置は自動的に働きだす。…臨機装置あるいは一度与えられた回路は自動的に機能を発揮する。ところでこのような臨機装置は長く用いられると、練習によって要約されて公式となる。その次には固定が始まり、次第に円滑に確実に行き、ついには意志から解放されて反射のような具合に固有活動を始め、そうなると意志によらずに、あるいは意志に反してさえ働けるようになる。…それ故われわれの精神活動の大部分は、分化した、この目的で与えられた意志衝動によって行われるのではなく、固定され独立させられなかば自動化した要約公式によって行われるのである。…正常の治ろうとする意志のある場合にはこの臨機装置はもう必要がなくなれば再び回路から除かれる。しかし治ろうとする意志のない場合、その人間が障害を止めさせる気がなかったり、あるいは端的にそれを続かせる気があるというような意図的な態度になる時は、一度作られた臨機装置はいよいよ固定され、意志から解放され、自動的に限りなく働くようになる。それはこの装置を解体させるものが存在しないからである。(文献2、87-90ページ、一部訳語を改変)

ごく初期の狭義の抑うつ体験反応に引き続いて、あるいは初期の体験反応そのものに「職場にいきたくない」という目的(意志)が意識される、その意志が臨機装置を形成し、それが反復・公式化され、ついには固定化(自動化)するという仕組みである。クレチッマーはこれをヒステリー化と呼んでいる。一連のカスケードは精神病ではなく、正常心理の枠内で生じている連鎖として説明されている点に注意してほしい。ちなみにシュナイダーはこのような異常体験反応を目的反応と呼んでいる。

さて、われわれの症例に戻ることにしよう。保身の心理が働いている患者にとって、保身の心理そのものが症状の自動化の原動力となっていることは疑いないが、それを促進しているのが、精神科医の誤った対応であるように思う。初期段階の休養で症状が十分に改善しなければ、「うつ病」と考える医師(それは今日の診断基準ではまちがっていない!)は「さらなる休養」を進言する。この医師からの「さらなる休養」の指示が、症状の慢性化あるいは自動化へのステップに一役買っているのではないか。「うつ病」という形での休養=職場からの離脱を専門医が保証すること、さらに、「うつ病」は第一に休養が必要という一般社会通念までもが、患者の治ろうとする意志・努力を弱体化させるのではないか。正常な抑うつ反応から回復するときに、誰しもが必要とする努力の腰を折ることになっているのではなかろうか。抑うつ体験反応を、「うつ病」として疾病化することは、クレッチマーのいう「自分の精神過程に対する目つぶり政策」を見事に助長すると同時に、患者に新しい役割、つまり病人の役割sick-roleへの定着化を促す。病人の役割は、仕事からの免除が保証される一方、治療への専念が義務として生ずる。治療への専念とは、まさに医師からの指示を忠実に守ることに他ならず、「症状が改善するまで無理せずゆっくり休む」ことになる。医師の指示の他にも、休職に追い込まれてもなんらかの形(多くは親の同居)で経済的なサポートがあることも見逃せない。職業人としてなにがなんでも自己を確立しなければならないという志向性あるいは必要性は、女性新人社員の場合、男性に比較すると弱いのかもしれない。女性の場合、職業人として成功しなくとも専業主婦という別の役割を生きていく可能性も意識の中にある。それが職業人としてのアイデンティティの確立に投入すべき努力をくじいているようにもみえる(もちろん、このような考え方はすべての男性、女性に一般化できるものではない)。これらの要因が、退職あるいは転職してやり直した方がよいという合理的な判断の選択を遅らせているのかもしれない。保身の心理、医師からの指示、「うつ病」に対する社会的通念、経済的安定、役割を全うすることへの動機の弱さ一おそらくこれらの複合化した効果が、症状の自動化を促す精神刺激として作用しているのだろう。

すべての女性社員がみな一様に上記の目的反応を生ずるわけでは全くない、むしろごく一部であるといってよい。今日の生物学的精神医学は、そのような個体差を生物学的要因に求めるかもしれないが、筆者は賛成しかねる。体験に対する反応の仕方は、生物学的に規定されている部分があるにせよ、人生経験(体験の蓄積)により培われている部分が少なくない。性格傾向や反応の仕方には遺伝子ではわかりきることのできないヴァリエーションがあるはずである。

2.治療について
以下は筆者が現在これらの患者に対して試みていることである。患者が自信を回復するための、傷ついた気持ちに対する温かいいたわりと励ましを含む地道な支持的精神療法である。治療は脱疾病化の治療方向性を自覚させることから始まる。患者の状態は喪失体験(理由のある抑うつ)であり精神病としてのうつ病ではない(狭い意味での病気ではない)ことを明確に告げ、そして治癒に向けて患者がどのように努力したらよいのか、その道筋を提示し、支えていくことである。

職場復帰のことを考えると具合が悪くなることは本人もよく理解しているので、現在の症状が当初のストレス体験の反応であることは容易に受け入れられるだろう。それと同時に症状が慢性化しているのは、当初のストレス反応そのものではなく、傷つきたくないという心理が働いていることを感じ取らせる。その際、「疾病への逃避」という言葉は使わず、そのような心理は誰にでもあることを強調する。さらに現在の「うつ病」診断が、理由のある抑うつを含んでしまうことがあることも伝えておくとよい、それは「うつ病」の基本的治療方針である「よくなるまでゆっくり休養」が必ずしも有効でないことを伝えることにつながる。そして「うつ病」から抜け出さないことがやがて(あるいはすでに)自分にとっても大きな不利益であることを説く、元の職場に戻るか戻らないかに関わらず、この状態から抜けださなければならない。それは「治ろうとする意志」を取り戻すことであり、現状からの回復には、時間だけでは足りず、本人の努力しだいであることを伝える。薬物療法はすでに患者自身が有効でないことに感づいていることが少なくない。薬は可能な限り減量する(終了することもある)、治療は薬ではなく、自らの回復力・自然治癒力であり、それを導くための努力が必要なのである。そこで活動性をあげて自信を取り戻すための工夫をともに考える。かっての元気な自分(行動範囲、活動性、対人関係)をイメージして、それに少しずつ近づけてゆくことを目標にする。寝込むのをやめること、楽しめることをする、楽しめることがすぐにみつからなければ、単に寝込まず、散歩や買い物などの外出の時間を増やしてもらう、そこで自分で変化することができることを感じ取ってもらう。職場復帰については、元気になるまではできるだけ考えないようにする、復帰を考えて落ち込むことで、明日につながる今日が台無しにならないようにする。まずは元気になること、職場復帰するかどうかは元気になってから決めればよい。患者はしばしば同世代の周囲の人と比較しがち(そこで落ち込む)であるので、他人と比較せず自分の回復を考えることを繰り返し説く必要がある。目的反応であるとすれば、一連の働きかけと本人の努力により、治癒への意志と自信を少しずつ取り戻すことができる。最後の重要なステップは職場復帰のタイミングだが、そのためにはお膳立てが必要となる。ストレス体験の生じた職場(部署)へ戻るのは難しいし、本人もそれを望まない、復帰に当たっては異動の可能性を視野に入れることを当初から本人に伝えておく。この提案は復帰への不安を軽減するために、具体化していなくとも治療初期に提示してもよい。持ち前の性格面でのプラス要因があるので、部署を替えれば会社に貢献できるはずと復職へのモチペーションを支え、この最後の段階では異動を実現するべく会社側に進言する必要がある、本人任せでは上手に交渉することができないー医師はここで少し骨を折らなければならないが、それがこの最後のステップがうまくいくかどうかのカギになる。

4 おわりに
目的反応という言葉を初めて耳にする精神科医も少なくないだろう。生物学的視点ばかりが強調される今日の精神医学にとって、もっとも欠如しているのは正常心理の枠内にある精神病理学ではなかろうか。クルト・シュナイダーやエルンストクレッチマーらの古典的精神病理学は、その分野の最良のテキストである。これらの患者は、たとえ今日の診断基準で「軽症から中等症のうつ病」と診断されたとしても、学問的にも、そして治療的観点からも真のうつ病と考えるべきではない。



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