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唯一信じられるもの

どんな価値観もイデオロギーも組織も人間も
錯覚・イリュージョンであるというのが
前回の戦争やソ連崩壊の帰結だったと思う。
今回はまたリバタリアンの破綻とかけ声で、
明示的な価値観の体系が一つつぶされた。

こんな中でますます、唯一信じられるものは、自分の自己愛だけとなっている。
ささやかでもいいから裏切られないものを大切にしていきたいと考えるわけだ。

安易に自我を拡大して集団と同一視して戦うのはやめたということになる。
賢いことである。やや夢がないのだが。

時代はこのように次々にイデオロギーやイリュージョンを脱色していくようだ。
脱宗教化がずいぶんと進行している日本はその意味で先進国だと思う。
なぜ生きるか、死んだらどうなるか、誰も答えを求めず、
宗教に頼らず、無神論も唯物論も頼らず、疑いながら、
特にどれにも頼ることなく生きられることを示している。
これは人間の未来形であると思う。

イデオロギーも集団も宗教も神も信じないで
自己愛の中に閉じこもって生きていられるのだと
証明している。

時々古い遺伝子が顔を出すようで、集団主義的な言論はあるが、
特殊な人たちという位置づけである。
その人たちを訂正する必要もなく、
そのことに大多数が影響されることももちろんない。
そのように遠い対人関係である。

国家主義的な言動は大多数を巻き込むことができる点で便利なものだったのだが、
最近はそうでもないようだ。
豊かな社会はそういうものなのだろう。

イリュージョンに命を捧げた人も歴史上多かったわけだが、
そんなことを目指していない社会は健全だと思う。

ヒーローもヒロインもすぐに脱価値化されて、人は幻滅する。
それはそれでいいのだと思う。

いいようなことを言っていたが、実は私腹を肥やし、権力にしがみつく人間だったと暴かれて、
お話は終わる。
台湾ではそれが現在進行形だ。

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