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自然法則と自己愛

科学技術と社会制度の発達は、
自然の現象も人間が受け容れざるを得ないことではないと思うようにさせた。

老化もコントロールできるかもしれない。
死も遅らせることができるかもしれない。
不妊も変えられるかもしれない。
気候も変化させられる。

我慢せずに欲求していいのだと肯定的になる。

たとえば男で生まれたら男、女で生まれたら女というルールさえ、
変更可能なものになっている。

そうなると欲求を断念する苦痛に耐えることは意味がなくなってくる。
極端に言えば、お金が用意できれば、回避できるかもしれない。
歴史を通して、人間である以上、堪え忍んできた苦痛を回避できるかもしれない。

そうなるとたとえば人間の死に関しても、運命として厳粛に受け止めるというよりは、
人間の側の限界だったのか、そうではなかったのかということに関心が向く。
最善手は別にあったのではないかと思えば、いろいろな動きに結びつく。
いずれ死ぬとは理解しながら、この死だけは納得できないという感情に突き動かされる。
限界を限界と受け止めることが苦痛である。

これは自己愛肥大の一つの局面であり、
ルールは自分のために変更していいし、何か耐え難いことが起これば他人のせいだという
自己愛的な感情の動きのレールに乗ることになる。

ルールは知っているが自分のために変更しろと
いう場合、自己愛的である。
自己愛が肥大したところで自然法則はどうにもならないのであるから、
自己愛は自然法則に抗議するのではなく、人間の作る社会と制度の側に抗議する。
矛先を微妙に変えている。

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