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回避して安心していられるからくり

現実原則からも
社会の約束からも
逃れたままで生きていられる。

だから自己愛が肥大するが、
自己愛が肥大しているから現実も社会も否認するようにもなる。

そもそも
おなかがすいたら何か食べるものを手に入れるという現実原則にしても、
他の方法で手に入れられていればそれでいいわけで、
親がいる限り、あるいは社会保障がある限り、現実原則はこっそり免除してもらっても、
最低限生きていくことはできる。

社会の約束にしても、最近の風潮としては絶対でもなく、なあなあの部分がある。
むしろ新聞やテレビで毎日流れているのは、
このなあなあの部分ばかりである。

そのような状況の中で、
自分は逃げているとは感覚しないで、
自分はすごいのだから免除されていいのだという考えかたをする。

実際は疲れるのがいやで近道を通っただけなのだけれど、
それは自分の才能であると考えたりする。

自分は近道しか選べないと考えず
自分は近道が選べた、だからすばらしいと考える。

うまくできているものだ。
豊かな社会になって選択肢が増えて、
ぬくぬくとした自己愛の選択も可能になったということだ。
喜ばしい一面もあると思う。
私も妻子にはぬくぬくと生きて欲しいと思っている。



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