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博多の名物

博多帯の特徴は、経糸の密度の高さにあります。そのせいか、一度締めたら緩まない!が定説です。キュッ、キュッという音は、博多帯ならではの気持ちの良い音色です。大島、結城、塩沢には、なくてはならない趣味の帯といえます。

献上柄(けんじょうがら)の博多帯。

献上の由来は、黒田藩が毎年幕府に献上した事からその名がつきました。柄は独鈷(どっこ)がらと呼ばれています。独鈷とは、不動明王が手に持たれている仏具の事です。

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写真はツメがひとつなので独鈷。三爪や五爪があって、三鈷や五鈷という。三鈷は高野山に、五鈷は京都に広まった。
「いっぽんどっこ」というとこのこと。
やくざ者はこれにあやかって一本刀を一本独鈷にたとえ、漁師は自分の銛を独鈷にみたて、芸者はこの独鈷を帯に染めて「どっこ帯」とした。
弘法大師の井戸や弘法の湯(トッコ井戸、トッコの湯)も、この独鈷で掘り当てた。


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これは高野山東京別院にあるもので、みたところ高野山の三鈷のようだ。

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夏の献上柄を紗の献上帯と呼びます。 

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博多祇園山笠
博多どんたく
博多人形
博多長浜ラーメン
ミス福岡
福岡ドーム
キャナルシティ博多
櫛田神社
博多おくんち
太宰府天満宮
福岡タワー
中洲歓楽街
福博であい橋
老舗百貨店「玉屋」
黒田節
福岡市博多区であって博多市はない
弘法大師の東長寺
筑前琵琶
博多独楽
日宋貿易
承天寺の聖一国師が伝えた「うどん」 「そば」 「饅頭」
元寇防塁
日明貿易
江戸時代になっても博多の町に武士が家を持つことは禁止されていた
町人の町=博多
藤原純友の乱


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藤原純友の乱をWikiでながめていたらこんな記事

人員削減と海賊の発生

しかし最近の研究では、純友が鎮圧の任に当たった海賊と、乱を起こした純友らの武装勢力の性格が異なっていることが指摘されている。純友が武芸と説得によって鎮圧した海賊は朝廷の機構改革で人員削減された瀬戸内海一帯の富豪層出身の舎人たちが、税収の既得権を主張して運京租税の奪取を図っていたものであった。それに対して純友らの武装勢力は、海賊鎮圧後も治安維持のために土着させられていた、武芸に巧みな中級官人層であり、彼らは親の世代の早世などによって保持する位階の上昇の機会を逸して京の貴族社会から脱落し、武功の勲功認定によって失地回復を図っていた者達であった。つまり、東国などの初期世代の武士とほぼ同じ立場の者達だったのである。しかし彼らは、自らの勲功がより高位の受領クラスの下級貴族に横取りされたり、それどころか受領として地方に赴任する彼らの搾取の対象となったりしたことで、任国の受領支配に不満を募らせていったのである。

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正当な武士の発生

これらの乱は発生期の1世代目から3世代目にかけての武士が、乱を起こした側、及び鎮圧側の双方の当事者として深く関わっている。乱を起こした側としては、治安維持の任につく武芸の家の者としての勲功認定、待遇改善を目指す動きを条件闘争的にエスカレートさせていった結果として叛乱に至ってしまった面を持ち、また鎮圧側も、乱を鎮圧することでやはり自らの勲功認定、待遇改善を図った。結果として鎮圧側につくことでこれらの目的を達成しようとする者が雪崩的に増加し、叛乱的な条件闘争を図った側を圧倒して乱は終結した。以後、承平天慶勲功者の子孫のみが武芸を職能とする正統な家の者すなわち武士とされるようになった。



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