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搾取されることや自己犠牲を愛と混同することもある

きれいな人や才能のある人、またお金を稼げる人が
男性に束縛されて、お金や愛情を搾取されて、
周囲から見ると痛々しいのだけれど
本人はその自己犠牲を自分たちなりの愛だと思っている場合、
周囲はあまりきついことは言わずに放置している場合も多い。
監禁されているわけでもないし
大人が好きでやっているのだから
他人の口出しすることではないということだ

男女関係ばかりではなく
宗教団体や政治団体、学術団体でもこのような搾取は行われていて
自己犠牲を尊い愛だと感じていることがある

なぜか人間の脳にはそのような回路がある

部分だけを見れば利他行為であり隣人愛であるが
全体としてみればやはりそれは搾取でありマインドコントロールである

利他回路を利用した搾取を行う回路があると考えている

部分的には言葉や肉体による暴力や性的暴力が使われることもある
それを暴力による不当な支配と思わずに
自分に対しての愛または想いの深さと感じてしまうようだ

性愛の領域ではプライベートな事柄であるため
相手の行為、気持ちのあり方、経済関係などを冷静に整理することは出来ず、
長くなればなるほど、自分と自分の生きてきた人生を否定することはつらくなるので、
現状を維持してしまう場合も多い
他人は踏み込めない領域で搾取の構造を作ってしまう

愛と錯覚しているだけなのだと気付くのは難しい
しかし何かの機会に気付くこともある

外側に救いを求めればきっかけにはなるけれど
介入は簡単ではない

せっかく脱マインドコントロールしたのに
また簡単に戻ってしまったりして
治療側は無力さを痛感する

また、その人たちの関係が、どういうものであれ、本人同士がいいのなら、それもいいのではないかと
ふと思うこともあり、自分が果たして正しいのだろうかと思うこともある
点検した上で、世間の常識も、理論も、これでいいと肯定してくれるのではあるが、
歴史を通じての人間の営みとは、このような、ある程度、奇妙な関係がむしろ普通だったのだろうし
ということは、それに対応した脳回路が強く深く埋め込まれているのだろうと思うのだ

信じたいという気持ちを利用すると言えばいいのだろうか

公平に判断して、この人はもっと幸せになっていいのにと思うのだが
本人はこれが私の幸せだというのならそれはそれで理由もあり背景もあるのだし
その際に働いている脳回路のこともうっすらと推定は出来るのだけれど
それでいいはずはないのだがという思いは消えない

治療というものは危ないもので
そのような搾取の構造があると知ってしまうと
その搾取する側に自分が取って代わろうという欲求が芽生えるものである
そのような欲望に対しては抑制策があるので
どうしようもないというものではないが
やはり危険は認識しておく必要がある

しかし多くの実例を挙げて
粘り強く説明すれば
本人も日々の生活の中で
扱いの不当さに気がついていくものだと思う
時間はかかるが道はある


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