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来談者が病気とは限らない

心療内科に通院しているということと
病気かどうかということとは
ダイレクトに結合しているわけではないです
当然ですが

その人に関わっている、ある人がとても問題のある人であった場合、
当人は自分は正しいと確信していて
周辺の人はさじを投げている場合も多いわけです

みんな遠巻きにして敬遠しているわけですが
立場上どうしても対応しなければならない人も発生してしまうわけです

DNAの問題も、また環境と教育の問題もありますから
周辺の人の何人かがとても問題という場合もあります
そんなときも「どちらが病気なのか」はたいてい政治力の問題になります
お互いにそう思っているわけですから

そして政治的に弱い人が
「自分は誰かに相談しないといけない」と思って
相談に来るわけです

「脳の構造」としての診断と
「いま支えが必要」という診断は別のものです

そんな基本的なことを
改めて言わなくてはならない社会というものは
なにか間違っていると思いますが
現状をすぐに更新するわけにもいきません
少しずつです

家族、血縁、地域社会というような広がりを考えてみて
「脳」や「こころ」を「コンピュータ」にたとえると
最近の「こころ」は近くの現実の人と結びついていないで
遠くの仮想の「情報」と結びついているだけのようです

ぬくもりのある現実の他人と
五感とついでに第六感で、哲学の用語で言えば、共通感覚の次元で
結びつくことができない

コンピュータでなにか情報が得られるとして
それは「こころ」の栄養としてはとても貧しくて不十分なものだと思うわけです

ーー
最近事件が報道されるたびに
「出会い系で知り合った人」という共通項目があるように思います
いったいどうしたんでしょう

どうして近くの人と愛し合えないのでしょう
あなたの隣人はとっても近くにいるじゃないですか

それが問題です

ーー
遠くの人に自己愛をくすぐられて
奇妙な連帯が生じ
隣人を憎んでいる
そんな構図が見えるようです

心から伸びたとげが長すぎる
コンピュータを通した遠くの人となら
とげを意識せずに通じ合える

そこまでは分かります

ではどうすればいいのか
分からない

2000年前から言われている
隣人愛がますます遠のいています


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