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ソーシャルワーカー 「グリーフケア」を語る

緩和医療で注目を集める「グリーフケア」とは何か?
1.グリーフとは何か
「悲嘆」という言葉では片付けられない
 グリーフは、日本では「悲嘆」と訳されることが多いのですが、これだと「悲しみ嘆くこと」といった意味になります。しかし実際、家族などを失った方にとっては、悲しみだけではないことが多いのです。たとえば、医療事故で夫を失ったとしたら、悲しみよりも怒りが爆発するかもしれません。夫が病院でがんで亡くなり、奥さんが家に帰ったとき、収入がないにもかかわらず3人の子どもを育てなければならない、という現実に直面するかもしれません。家で一人になったとき、喪失感がどっとあふれて、空虚な気持ちになるかもしれません。新婚早々の女性ががんと宣告されたら、自分が夢描いた新婚生活と違うものとなり、将来に対する喪失感、失望感が生まれるかもしれません。どんな強い感情であっても、これらすべては喪失に対する当たり前の反応です。
 このように、日本語の「悲嘆」という言葉ではとても片付けられない、いろいろな複雑な気持ち・反応を、グリーフという言葉で総称しているのです。ですから、私は、なるべく、そのままグリーフという言葉を使ったうえで、付属の説明をするようにしています。
 グリーフとは喪失に対する感情であって、喪失は死別だけではありません。たとえば、子どもを持たず、ペットを子どものようにしている家庭も増えました。そのペットを失うこと、いわゆるペットロスについても身内の死別と同じくらい影響がある、という研究報告もあります。事故で手足を失ったり、脳の機能を失うことも、喪失です。また、それに関係しますが、アルツハイマー病の場合、その本人の外見は同じであっても、内面は変わっていく。死亡するわけではないのですが、自分の知っている人物ではなくなっていくことに喪失感を感じることもあります。
 グリーフには、こうした現在進行形の喪失感、予期される悲しみや喪失も含んでいることが多いです。また、がんやエイズだけでなく、あらゆる病気や事故、そして失業、離別など社会的な喪失も対象となります。最近、アメリカでは認知症に対するグリーフケアも増えています。今後、認知症の問題は日本でも大きくなるのではないでしょうか。
グリーフワークは日常生活のリハビリ
 グリーフワークとは、失ったものは失ったとして現実に受け入れるまでの過程のために必要な作業のことです。
 それに関して歴史的には、キューブラー・ロスの提唱した「死の受容への5段階」(否認と孤立→怒り→取り引き→抑うつ→受容)があります。この考え方は社会に衝撃を与えましたが、現実はそのようにステージで乗り越えられるものではない、と思っています。現実を否定したり、怒りを感じても、精神的な山・谷を乗り越えて日常生活を送らなくてはならない。言い換えれば、精神的な山・谷があって生活を送れるようになることが、グリーフワークなのだろうと思います。
 また、それに関して、私は「日常生活の中でリハビリをしていこうね」と、よく言います。たとえば、道を歩いていて、この喫茶店には一緒によく行ったな、と思い出す。そのときに心の準備ができていないと、感情があふれてきてしまい、あふれる涙に心が動揺する。ですが、それがわかっていれば、たとえばこの喫茶店のところに来たら涙が出る、と予測もできます。時間がたてば、「懐かしいな」と逆に温かい気持ちになるかもしれません。そのようにして、悲しみに押しつぶされないで生活できるようになる。これが1つのリハビリ作業ではないかと思って、グリーフワークというより「リハビリ作業」と説明することがあります。
背景に少子化やネットが
 最近、グリーフというもの、あるいはグリーフケア、グリーフワークが注目されるようになった背景には、やはり少子化があります。また、インターネットや携帯電話の普及で、自分の気持ちを家庭内や友達に表出することが少なくなった、という背景もあります。
 昔は大家族で、生と死が身近にありました。しかし今では、40歳代になっても、その両親が生きていて、死別の経験がない。そのため、死がどんなものかわからない人がすごく多い、という印象があります。また、一人っ子であったり、親との関係で“いい子”でいないといけない人では、自分の気持ちを表出するという過程が押しつぶされていて、あまり話をしなかったり、どうやって助け合ったらよいかわからないことも多いです。
 また今は、ネットや携帯電話でのチャットやショートメッセージなど、本当にたわいもない会話が文字化していて、その奥に隠れた気持ちが出ていません。たとえば、ご遺族の方と会って顔を見て「元気ですか」と話すのと、メールで「元気?」というのでは、意味合いがぜんぜん違っています。実際にご遺族に会って、元気でない様子を見れば「ご飯、食べてますか」と聞いたりします。しかし、ご遺族だからと単純に「元気ですか」とメールをしても、相手は答えようがない。ご遺族は元気なわけはないのですが、メールを送ってくれた人に失礼だからと「元気です」と答えてしまう。このように、メールなどでは、本音で話せないことが多いのです。
 メディアが増え、情報も多くなりましたが、現実的でない情報も多いと思います。たとえば、いわゆる受験戦争を経験した私たちくらいの世代は、何が正しいのだろうかと、どうしても答えを求めます。がんについてもテレビで見る情報を当てはめて、自分の場合はそうでないからおかしいのではないかと思って、それがストレスになってしまうのです。また、メディアで多くの情報が出ていても、病気については体験するまでわからないことがあります。

2.日本と外国の違い
グリーフは世界共通
 私は、主としてアメリカのオレゴン州、オーストラリアで臨床、教育を受けてきましたが、グリーフについてのケア環境は世界共通だと思います。個人のグリーフ反応も同様です。家族を亡くして悲しむのは当然ですし、がんになって、現実を否定することも当然あります。強い衝撃を簡単に受け入れることはできないものです。
 アメリカでは、私はソーシャルワーカーとして在宅のホスピスに携わり、主治医から紹介を受けたがん患者さん宅に看護師とともにお伺いして「今日から在宅緩和ケアが始まりますよ」と伝えたその場で、その患者さんから「いやだ」と言われるなど、現実を受け入れられない人も多くいました。がんだけではなく、医療一般においてアメリカでは告知しなければならないことになっていて、インフォームド・コンセントがしっかりしているから、アメリカ人は受け入れ度が高いだろうといわれますが、それは簡単なことではありません。やはりどんなに情報があっても、自分の現状を受け入れられない人はいます。この病の現実を受け入れる困難な点については世界共通であると感じます。
 ただし、医療従事者がグリーフの問題をどうとらえているかという点では、日米に違いがあると思います。アメリカの場合は、家族のケア、患者本人の心理的アセスメントなどを行うために、ソーシャルワーカーが各病棟に必ず配置されていて、その給与は医療保険のメディケア(Medicare)から出ています。また、医療従事者自身も、患者本人・家族の精神的な健康に喪失がいかに影響するか、すごく理解しています。だからこそ、政府がソーシャルワーカーに支援しているのだと思います。このように、政府の理解と支援があるという現実がアメリカをはじめ、欧米諸国との特徴であり、違いではないでしょうか。
エビデンスはあるか
 その日米の違いに関して、「日本では、ソーシャルワーカーの給与は誰が払うのだ?」と聞かれることがあります。グリーフに関してもソーシャルワーカーの重要性について訴えていくしかないのですが、その成果はデータに残りづらいものです。たとえば、同じように夫を亡くした主婦のデータであっても、夫が亡くなることを予期できた妻、と突然亡くした妻ではスタートラインが異なりますし、また、それぞれの環境で求めるサポートも異なります。しかし、グリーフケアという視点でいえば、それぞれが援助を受けながら自らの喪失を受け入れる過程で、それぞれの目的やゴールを再発見できれば、それで成果があったといえます。グリーフケアに関しては、こうした複雑性からなかなか研究も進められないのが現実です。
 アメリカにおいても、エビデンスは重要であるとされていますし、実際に周知されているエビデンスもあります。たとえば、告知がちゃんとなされていたり、現実を理解している人たちが、死別後にどのような反応をするかという臨床データがあります。それに基づくと、告知を受けているグループ、家族全員が現実を理解しているグループでは回復が早いのです。
ダギーセンターとの出会いは一番大きなこと
 私は、アメリカのオレゴン州でダギーセンター(注1)という施設と出会ったのが、これまでの自分のキャリアで一番大きいことだと思っています。その運営理念はグリーフという感情は病的ではなく、当たり前のものであるから、ダギーセンターは死別を体験した子どもや家族が安心して気持ちを発散できる安全な環境を提供し、それぞれの思いを発散し、現実に向き合う過程の援助をすることです。ここでは病的な扱いをしないので、スタッフが参加者にカウンセリングを行うことは決してありません。あくまでも本人が本人にあった方法で喪失と向き合うことを促す、私もその援助方法に同感です。グリーフは病気ではないし、自分が大切にしていた人を亡くせば、落ち込んで当然なのです。
 ここでは、主役は子どもたちであり、子どもが「来たい」と言えば来て、「やめたい」と言えばやめられます。そこにいる期間も特に決まっていないので、長い子どもは5年くらい、早い子どもは1年くらいで卒業していきます。
 ダギーセンターでは、たとえば3~5歳のグループ、6~11歳のグループ、12~15歳のグループ、15歳以上のグループといったように年齢で分かれます。また、死の種類により、がんのグループ、突然死のグループ、自死のグループ、事件的なもののグループといったように分かれます。同じような体験をした人たちが同じグループに参加できるよう、振り分けられます。グループのみんなが輪になって座り、亡くなった人の好きだった食べ物の話をしましょうといったように、いろいろなテーマで話をします。がんのグループでは、「治らない病気だよね」と大人のように語る子どももいます。また、「そっちは何がんだったの?」と、子ども同士が話したりしています。そうやって、子どもたちは自分で情報を吸収し、前に進んでいくのです。
 遊ぶ部屋、絵を描く部屋など、さまざまな部屋がありますが、外で遊ぶ子どももいます。また、子どもたちにはトレーニングを受けたボランティアが付いていて、サポートしています。たとえば、絵を描いている子どもだと、亡くなったお母さんに対する手紙を書き出したりすることがあり、ボランティアがフォローします。
 私は6年間、ダギーセンターで多くの子どもたちや家族が他者からの援助ではなく、自分自身の方法で現実を受け入れ、新たな一歩を踏み出す姿を目の当たりにしました。ある子どもは「今日、学校で、『母の日』なので絵を描きなさいと言われたけれども、描けなかった」と言っていました。子どもであろうが、年齢に関係なく悲しいことはある。そうやって子どもたちも日々の生活の中で、悲しみとともに生きるためのリハビリをしているのだとわかり、逆に勇気をもらうこともありました。また、グリーフについては、そのように自分で向き合ってこそ前に進めるし、立ち直ることができるのだ、と思いました。
3.グリーフに関する教育
オレゴン州の現状
 世界的に見ても、医学をはじめとする医療教育の中にグリーフについての授業はほとんど入っていません。アメリカでも必修化の議論や実践が開始されているのは、最近のことです。
 私のいたアメリカのオレゴン州は尊厳死が認められているなど、アメリカの中でも異端的な扱いを受ける州です。また、在宅死が50%を超えていて、アメリカでは最も在宅死の多い州となっています。
 私は、オレゴン州でソーシャルワーカーの仕事の一つとして在宅のホスピスに関わりましたが、そこでは「心臓マッサージをしません」「抗生物質を使いません」「胃瘻をしません」といったことに関して、とことん話し、サインをしてもらいます。また、オレゴン州では、患者さん自らが尊厳死について聞いてきます。意識が高い州の文化は医学部教育にも影響があるようで、オレゴン州では数年前から、医学部1年生の最初の授業は告知の練習から始めることになったと聞きました。
オーストラリアで学んだこと
 私はオーストラリアにも臨床留学しましたが、メルボルンでは一昨年、認知症患者向けの緩和医療の技術を上げるためのプロジェクトを行っていました。老人は、自然と体の機能が低下します。そのような老人にむりやり食べさせたり、水を飲ませたりして、むくんで苦しい思いをさせるよりも、体の機能の低下とともに亡くなっていくほうがきれいではないか。私はオーストラリアで、現場の看護師とのかかわりを通して、そのような考え方を学びました。
 また、がんについては、ときには勝てないことがあって、命をむしばんでいくものだということも、目の当たりにしました。攻撃的な治療は、本当にいいときもあれば、家族みんなを“地獄”に落とすこともあるという現場を見てくると、真剣に患者・家族の人たちに情報をお伝えし、患者・家族を支える仕事は大事だと、強く感じました。
 
4.「患者さま・ご家族・緩和ケア相談サロン」
寄附講座で「サロン」をオープン

 平成20年4月、株式会社アインファーマシーズ(注2)による寄附講座として、札幌医科大学では緩和医療講座を開設しました。同講座は、(1)臨床、(2)研究、(3)社会貢献、(4)教育の4つを柱としています。また、その社会貢献の一環で、がんの患者さんと家族が気持ちを発散させる場所として、緩和医療学教室の中に「患者さま・ご家族・緩和ケア相談サロン」(注3)をオープンしました。私は、ここでソーシャルワーカーとして、患者・家族の相談を受けています。
 まず、その寄付金で、患者さんや家族がご利用できる図書コーナーの本を買わせていただきました。パソコンも置き、自由に使っていただくようにしています。実際、インターネットで何でもかんでもクリックしていけば、がんについての情報も得られるという時代になっていますが、古く、またバイアスのかかった情報もあります。そこで、たとえば何年から何年まで、大学による情報だけといったように、適切な情報を検索する方法をお教えし、一緒に検索したりする。その検索の方法や情報に関する教育をするために、パソコンを用意しました。スタッフが一緒に情報を探し、共有することを心がけています。

 ここに置いてある本についても、パソコンを使って患者さんと一緒にネットで探し、選んだこともあります。当初、私は、死を受け入れるといった内容の本を多く購入していたのですが、患者・家族の人たちから「暗すぎる。もっと笑える本を置いてください」と言われました。そこで、たとえば笑い、セルフケア、栄養などの本などを注文しました。そのように、ここでは患者さんが本当に求めている情報について教えていただくことが多いです。また、なるべくそれらの要望に応え、患者・家族の皆さんが主体的に使える場所にするのが、ソーシャルワーカーとしての私の役割である、と思っています。
 このサロンは、札幌医科大学附属病院の患者さんに限らず、どなたでも利用できるようになっています。ここが北海道新聞に紹介されることもあり、それを見て、遠方から利用に来られる人もいます。
 また、電話での相談にも応じていて、たとえば「主人ががんになったのだけど、他の家族はどうやって乗り越えているのですか」「自分の地域には相談できる場所がない」といった問い合わせもあります。
 私はソーシャルワーカーなので相談業務を主としているのですが、その内容が医学的なことであれば、緩和医療講座に所属する内科医にお願いし、相談に乗ってもらっています。もちろん、それも無料です。
 そのほか、患者・家族のニーズに合わせてセミナーも主催していて、現在はリンパ浮腫セミナーを開催しています。実際、相談にいらっしゃるのは結構、勇気のいることです。それよりも、何か一緒に勉強しましょうというほうが、来やすいと感じる方もいらっしゃいます。そうしたことも踏まえて、多くの方が自分に合ったサポート得られる環境づくりを目指し、個人面談やセミナーのほかにもバランスをとった企画をしたいと思っています。
今後の取り組みと展望
 現在、国が指定する「がん診療連携拠点病院」では、相談支援センターの設置が要件の一つとなっています。ですから、がんの患者さんや家族が相談できる施設は少しずつ増えていると思います。ただ、相談というよりも、いわゆる島根モデルの「がん患者サロン」のように、いろいろなところで患者・家族が話せる形がよい、と思っています。
 今後、「患者さま・ご家族・緩和ケア相談サロン」では、地域の方たちのつながりを強くするお手伝いをしたい、と考えています。ここの主役は、利用するためにいらっしゃる方たちです。それぞれのきずなを深めたり、サポートしあえるネットワークが作れるようにする。そのための教育の機会の提供などもしたい、と思っています。
 緩和ケアでも同じですが、知識を持っているのと持っていないのでは、すごく大きな違いがあります。たとえば、オピオイド鎮痛薬(モルヒネなど)が普及してきても、まだ、それに対する理解は低いものです。そこで、オピオイド鎮痛薬(モルヒネなど)とはこういうものであって、それは怖いものではないという教育も必要だ、と考えています。
 また、将来的には、病気の種類別、年齢別のグループができればよい、と思っています。
5.まとめとメッセージ
講義での姿勢
 現在、単発ですが、保健医療学部や他大学などでグリーフに関する講義をしています。グリーフとは何かといったことは、本を読んでもらえばよいのです。講義では、そういうことよりも、一つのテーマで話をして、あなたはどう思いますか、と聞きます。たとえば告知一つにしても、知識を与えるだけではなく、なるべくロールプレイなどの体験をして、実際に告知を受けるのはどんな気持ちであるか、治療がこれ以上ないといわれることについてはどう感じるか、そこで体験する感情を理解して臨床できること、を伝えられるよう心がけています。また、今の社会は家族の形もいろいろあって、母子家庭、父子家庭、混合家庭、またはまったく親戚とのかかわりがない人も増えている。自分の当たり前が他者の当たり前ではないということを理解する重要性が、とくにこれからの医療人には必要だと思います。
回復力を引っ張り出すのがソーシャルワーカー
 私はソーシャルワーカーという幅広い役割を持った仕事が本当に大好きです。グリーフケアに関して、オーストラリアにいておもしろいなと思ったことがあります。たとえば、あるホスピスでは遺された男性の遺族向けに、一人用のご飯の作り方を学ぶ会を、女性には電球の替え方という、ご主人に頼りきりだった生活の女性が普段の生活の中で体験する問題に着目した会を催していました。分かち合いの会に象徴されるグリーフケアですが、悲しみを語り合うだけではなく、生活の中で体験する問題を解決するための援助としての会でした。そしてそのような会に集まった仲間同士がそれぞれの喪失を新しいスキルを学ぶことを通して語り合う。このように、変化に適応していただこうというグリーフケアもあると、再確認しました。つまり、本当に必要な部分は、カウンセリングだけではないのです。私はソーシャルワーカーなので、役割的にもカウンセリングはしません。私は、その人の力を引き出すお手伝いだけをさせていただきたい。人それぞれが持っている潜在的な回復力、レジリエンス、を信じて、それを引き出すこと。それがソーシャルワーカーの本来の役割だ、と思っています。


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