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高額療養費制度

大変大切な指摘であり、有用である。ポイントは、

実際には、わが国では医療費が払えずに窮乏するケースは極めて稀である。それは、公的医療保険の中核をなす「高額療養費制度」によって、医療保険における自己負担額の月々の上限が定められているからである。

 標準的な所得水準の人であれば、1か月の自己負担額の上限は8万円強と定められている。たとえば1ヵ月の入院で150万円要したとしても、自己負担額は3割の45万円ではなく、約10万円で済むのである。

 残念なことに、この制度の存在は国民にほとんど知られていない。

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ライフネット生命保険代表取締役副社長/岩瀬大輔


 拙著「生命保険のカラクリ (文春新書)」(文春新書)は、発売後1週にて増刷決定、その後も版を重ねた。多くの経済紙やブログで好意的な書評をいただくなど、「生保の本は売れない」という出版業界の定説を覆す売れ行きを見せており、大変有難い限りである。

 刺激的なタイトルとは裏腹に、業界人からすれば「当たり前」のことしか書かれていないこの本が、一般読者の目に新しく映ること自体、これまで生保業界が売り手と買い手の間に存在する「情報の非対称」を守り続けることに成功し、それを収益の大きな源泉としてきたことを表している。

 本エントリーでは、我々の生活に大きな影響を与えるにもかかわらず、紙面の制約ゆえに同書では十分に書ききれなかった、もう一つの話題について論じたい。

 保険会社の熱心なPR攻勢の結果、いまや伝統的な死亡保障を抜いて圧倒的な国民的人気を得るに至った、民間医療保険のカラクリである。
4.7兆円の保険料を払い込み、払い戻されたのは0.9兆円
 国民が2008年度に民間生命保険会社45社に払い込んだ「第三分野」(医療保険)保険料は、4兆7,293億円。これに対して、同じ期間中に契約者に払い出された給付金は、9,208億円(入院給付金が6,280億円、手術給付金が2,928億円)だった。

 つまり、払い戻されたのは、払った保険料の2割以下ということになる。8割に該当する残りの3兆8,000億円は、どこにいってしまったのか?

 主流である終身型の医療保険商品は、若くて健康なうちから多めに保険料を払い込み、高齢時に備えて積み立てていく。医療保険を専業としている会社のディスクロージャー資料をもとに推計すると、保険料の3割に当たる1.5兆円が「責任準備金」として、将来のために積み立てられていると考えられる。

 しかし、この3割分を差し引いても、まだ半分近い2.3兆円が残る。この大半は、保険会社が費消する事業費と利益に充当されていると考えられる。そして事業費の大部分は、新契約を獲得するための営業費用である。

 このように、国民が医療費負担に備えるために払い込んだ5兆円近いお金のうち、半分程度しか実際の医療費に充当されないという事実について、我々はどう理解すべきだろうか。元来国が果たすべき社会保障の機能を民間が担うのは、民間がより効率的であることが含意されているはずである。その仮定は、民間医療保険分野でも成り立つのだろうか。


150万円の費用でも自己負担は10万円
 非効率は保険会社の運営面だけにあるのではない。国民医療政策機構が実施した「日本の医療に関する2009年世論調査」によると、86%の人が「深刻な病気にかかったときに医療費を支払えない」ことが不安であると回答している。民間医療保険の隆盛は、このような国民の不安意識の表れでもある。

 しかし実際には、わが国では医療費が払えずに窮乏するケースは極めて稀である。それは、公的医療保険の中核をなす「高額療養費制度」によって、医療保険における自己負担額の月々の上限が定められているからである。

 標準的な所得水準の人であれば、1か月の自己負担額の上限は8万円強と定められている。たとえば1ヵ月の入院で150万円要したとしても、自己負担額は3割の45万円ではなく、約10万円で済むのである。

 残念なことに、この制度の存在は国民にほとんど知られていない。内閣府の調査によると、この制度の認知度は20代・30代では2割、医療が心配になってくる40代・50代でも3割程度に過ぎなかった(内閣府調査「高額療養費制度に関する認知度」)。

 本当の自己負担額を正しく把握していない結果、国民は必要以上に多くの医療保障を確保することになる。それが国民経済的に見て大きな損失であることは言を待たない。

 高額療養費制度の認知を広げるべき第一義的な責任はもちろん国にあるが、公的保険を補完する医療保険を熱心に販売する民間保険会社にも、生命保険に関する情報の非対称性に鑑み、公的保険の中核をなす本制度に関する説明を義務付けることが、社会的に見て公正ではなかろうか。


医療制度の最適化という観点から民間医療保険も監督せよ
 厚生労働省の統計によると、わが国の国民医療費は34兆円であり、このうち保険料で賄われているのが約16兆円、患者の自己負担額が4.8兆円である(「平成19年度国民医療費の概況」)。

 この数字と比較しても、民間医療保険の4.7兆円は、決して小さくない金額である。にもかかわらず、これまで民間医療保険は医療制度の議論からは別個のものとして扱われ、「医療制度の最適化」という観点からは議論されてこなかった。

 筆者は民間シンクタンクである国民医療政策機構が主宰する「国民医療政策フォーラム」に政策委員として参加しているが、その議論の中で、民間医療保険が一切、議論の俎上に載せられることがないことに驚いた。知人の厚生労働省の中堅官僚に訊ねても、民間保険は関心の範囲外にあるようである。

 問題の本質は、霞ヶ関の縦割り行政に起因する。公的な年金・保険は厚生労働省の監督下にあるのに対して、民間保険は金融庁の監督下にあり、その監督の主眼はあくまでも、「保険会社の財務的健全性を確保する」ことに置かれている。すなわち、保険料が十分に徴収され、将来の支払のために適切に積み立てられているか、また、財務・運用等の安定性はどうかという視点が軸であるため、5兆円の医療費のフローが最適化されることは制度設計の中に組み込まれていないのである。

 近年では大きな規制緩和の流れの中、保険会社の「創意工夫」に任せた商品の多様化が進んできた。競争が進み、保険料も低下傾向にある。結果として、似たような商品が乱立するに至り、業界の論客をして「『多様化』の域を超え『カオス』状態にある・・・どのような給付があるのか消費者が正確に理解して購入しているとはとても思えない。筆者自身が比較検討しようとしてもあまりに給付内容が違いすぎて比較のしようがない」(ニッセイ基礎研 明田裕理事)と言わしめるほどになっている。

 超高齢化社会において、医療費の財源をどう確保し、どのように適性に配分していくかは重要な課題である。今後は民間の医療保険についても、全体的な医療制度設計の枠組みのなかで議論されるべきであると考える。


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