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井原西鶴

井原西鶴の勉強をしている学生さんのお話を聞く

井原西鶴の本を読んでいるうちに気がついたことだが
本文で描いていることと挿絵が一致しない場合がある

たとえば
女が美しすぎて嫉妬され
火箸を顔に押し当てられて傷となり
それをはかなんで死んでしまった
川に身をな投げて下流で岸に打ち上げられた
(正確ではないがそんな風な場面)
その挿絵は
女が発見された場面なのだが
その顔には傷はない

それでは本文と一致しないのでおかしいと思い文献を当たると
先行研究があって
観音信仰と関係があるらしい

実際にその挿絵の一部には女が身につけていた小さな観音様が描かれている
本文にはそのような説明はない
観音さまの慈悲により
顔につけられた傷は消され、清らかなままで成仏したとの挿絵になっていると解釈されている

こうしたことは井原西鶴が企画したことなのかとの疑問が沸くのだが
井原西鶴は文章を書くと同時に出版全体のプロデュースもしたようで
挿絵も指示しているし目次とかにも配慮して
目次部分に挿し絵を入れたりして工夫しているのも西鶴の考えらしい

だから出版者とか挿絵画家の考えではないらしい

ーー
今取り組んでいるのは
男が江戸を去るに当たって遊女と別れの挨拶も交わさずに終わってしまったという下り
本文では別れの挨拶もなく去ったと書いてあるのに
挿絵では別れを惜しむ二人なのである
それはおかしいので調べている

ーー
まことに乙な研究である
どんな謎解きになるものか

ーー
それにしても女子学生に井原西鶴を読ませるとは何の教育であるか
ちっょと見てみると

けしたところが恋のはじまり

色道ふたつに寝ても覚めても(最初の一行から二刀流) 

その火けして近くへ

恋は闇

次第に事つのり

流星人(よばいど。流星をよばい星という)

たはぶれし女3742人、少人もてあそび725人(若衆、美少年)

腎水をかへほして(精液尽きて)

さても命はあるものか

色道の書を研究する乙な女学生である

ーー
破産した武富士のような高利貸しも出てくるし
ウィニーでファイル交換したと問題になった児童ポルノも、画像ではなくて実際行為だし
児童がやられるほうではなくて、やるほうなんだから
あきまへんな

ーー
9歳の世之介は行水する女を遠眼鏡で眺めて
夜にしのんで行くから言うことを聞けという
女はとんでもないと断ると
それなら今のことを言いふらしてやるぞとおどす
「何をか見つけられたる、をかし」
と西鶴は書くのだが
「わけなき事どもを見とがめゐる」
と表現していて
これを研究者は「自慰の行為など」と注釈していて
いとをかし

ーー
シェイクスピアはもう少しましなこと書いているぞ

ーー
兄貴分に言い寄ったところ冷淡にされ
不破万作とか鴨長明とか引き合いに出して色道こそと迫ったがだめだった

実はその男には愛し合っている男がいてその人に話したら
そんなに思ってくれるなんて滅多にないことだと
その男は身を引いた
てな話


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