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大食い女の話は「こぶとりじいさん・かちかち山-日本昔話(1)」(岩波文庫)

大食い女の話は「こぶとりじいさん・かちかち山-日本昔話(1)」(岩波文庫)にあり、飯を食わない女なら嫁をもらってもいいというけちな男のところに、私は飯を食わずに働くから嫁にして欲しいと女がやってくる。実際生活してみると本当に飯を食わずに重宝がっていたが、友人たちにそいつはやまんばに違いないと言われ怖くなり、外出したふりをして天井に隠れて見ていたところ、頭の髪の毛を分けると大きな口があり、そこに握り飯やらあぶった鯖をどんどん放り込んでいる姿を見てしまう。友人の手助けで嫁を退治しようとしたところ、逆に友人は嫁に喰われてしまい、男は必死に逃げ、偶然よもぎと菖蒲の草むらの中に逃げ込む。菖蒲が弱点だというやまんばの独り言のおかげで、菖蒲を投げつけ命が助かるという、広島県安芸郡のお話です。各地にはやまんばの退治の仕方のついていくつか異なるバージョンはあるようです。

ーーー
この話は、最初の「飯を食わない女なら嫁をもらってもいい」という条件を飲むから神経性無食欲になる
現代ならば働く女、生む女、愛する女などの機能分化に対応して
矛盾を押し付けられる

それでは生きられないから隠れて大食する、リバウンド
まあ、それも必然である

そのような矛盾を何故引き受けたのかと考えると
山姥は男を愛していたのだ
そして男に愛されたかった(のだろうか、山姥はなにも男に求めていないように思える。一方的な献身)
多分母性的な愛

愛していたから矛盾を受容して
自分の側でつじつまを合わせるために隠れて大食する

カロリーの帳尻が合わないので大きくなってしまう。
破裂する前に排泄する
あるいは実際に破裂する
過食嘔吐や下剤乱用が連想される
出産も排泄の一形式と考えられないこともない
貯めて一気に排泄する様式

ここまでですでに、実に悲しい愛の献身物語である
現代女性はこれをそのまま生きているのだ

何のためにダイエットして、何のために過食嘔吐するのかといえば、愛する男のためである
男に愛されるためである
いや、男を愛するためである
いまは男性のことは諦めたという場合でも
最初の男性から見捨てられたことに絶望し
愛し続けるためにいつまでも拒食や過食嘔吐を続けている女性もいる

平たく言えば、またはたぶん正確には自己愛のため、共同体の規範圧力(同調圧力、空気をよめ)のためなのだけれども
もう一歩踏み込むと満たされなかった愛を取り戻す運動が残存して外壁を作っているような気がする

母親の愛が奇妙にねじれるのは阿闍世の話で出てくる
息子である男が愛しくてならない母親の姿が見える

最初の人が一番好きで
最初の人に振り向いてもらいたい
というのは女性なら思うものではないか
まあ、男性でも
いや男性のほうがとも思う
母親に憧れ続ける男性も少なくない

その場合、母性が捧げられていて、それは人生で一度限りのものではないかと思うのだ
一度限りの学習のことが脳には多い

父が出てこないのも面白い
古代共同体社会では父親はうっすらとわかれば良い程度なのだろう

兄でも弟でもその父でも可能性はあるのだろう
そもそもセックスと妊娠出産の因果関係が明確に把握されていたものだろうか疑問

初恋はコミットメントという点では多分人生最大のコミットメントだったと思うから
なにしろ未熟な自分が自分の全てをかけてダイビングしたのだ
報われるべきだ
そうならないとき人生はねじれるだろう

「友人たちにそいつはやまんばに違いないと言われ怖くなり」
という部分はなんてアホなのかと情けない
言われなくても気付けというのが一点
怖くなるんじゃなくて総てを察知して山姥の愛に応えるのが男だろう
それをしないことが一点

友人は何を案じてそんな助言をしたものだろうか

「外出したふりをして天井に隠れて見ていた」
なんていうのはいかにも卑劣でどうしようもない
これならもう死んだ方がましだと思う

そして山姥にすればお見通しだ
現代で言えばpcや携帯のメールののぞき見だと思う
隠蔽すればできるのに見たかったら見てもいいという態度である
信用したい、見ないでいてくれるかもしれない、あるいは、見ても、私を愛しているなら、守ってくれるかもしれない、
そう考えたのだと思う

ここが山姥の第二のコミットメントだ
賭けた
しかし賭けに敗れる
男は見てしまい、さらにあわてて、退治にかかる

あかん、これでは、あかんではないか、男
山姥からのシグナルをもっと感じなくては
しかし男は感受できず

友人を食べてしまったのは当然だ
何でそんなお節介をするものか
そんなレベルの低い友人をもっていることは男のためにならない
本当に男の為を思っているのは自分であると山姥は言いたい

しかしこのことがまた男には恐怖を引き起こした
飲み込まれたらどうしよう
今までは総て山姥の計画通りで意図通りである



ーー
やはり隠蔽と
「見るな」という禁止命令と

友人は嫁に喰われてしまい
というのもスリルがあっていいですね

菖蒲が弱点だというやまんばの独り言のおかげで、菖蒲を投げつけ命が助かる
というのも実にいい
漢方薬のようなものか

ーーー
飲み込まれる不安とすれすれのところだと思いますが
どうでしょうか

ーーー
夫の側は、やまんばなのだから退治する
という結論のようですね
そんなひどい話があるでしょうかね、
正体が山姥だと自動的に退治すべきということなんだろうか

ーーー
追記

言いたくても言えない

という事情はある
先輩によればやまんばは夫を愛していた
だから正体を言えなくなった

言いたくても言えない構造ができて
見るなと言われれば見てしまう構造ができる

それを防止しないといけない

ーーー
だいたい、飯を食わなくても働くという最初の条件がべらぼうで、
そこが山姥を引き裂く。
そういうべらぼうな条件を飲むのだから
山姥は男を愛していたのだろう。

男は
友人たちにそいつはやまんばに違いないと言われ怖くなり、外出したふりをして天井に隠れて見ていた
というのは、実に、愛情のかけらもないではないか

山姥も見られているらしいことは知っていて見せたのだと思う
もう終わるなら終わってもいいと
腹いせに友人は食べてしまった
大食い女だから食べる

男については食べてもよかったけれど
愛があったので逃がしてやって退治されてやった
自分の弱点を告知してそのとおりの状況を作ってあげるのだから
山姥のほうがずっと計画的で知能が高い感じがする

こうしてみると男は要するに自分の欲望と山姥の愛とに自動的に動かされているだけで
自分の足で大地を踏んでいる様子が全くない

飯を食わなくても働く女という条件がそもそも
間違いの始まり
その矛盾を引き受けながらも男を愛した山姥の悲しい献身物語である

「食べたい」 vs 「 痩せたい+愛されたい」


食欲と異性愛がぶつかったらずいぶんなアンビバレントでコンフリクトだ
この場合正面衝突

食欲は個体生存で
異性愛は種保存
と考えるとより根本的なアンビバレントになる

根本的かつ普遍的なアンビバレント

「個体生存 vs 種保存」

女性は労働力と思われていた時代が長い
性愛、出産、育児が独自機能として独立するのはかなり豊かになってからではないかと思う

平安期宮廷文化ではそのような機能分化が進んでいて
いわば
男女は恋愛セックスマシンだった

なにしろ月のない夜に忍んでいくのだから
何が何だか分からない
匂いくらいで判別
それって結構なスリルですよね
誰の子供なんだかも分からないし
だから男は結構無責任になる

すると本業で頑張らずに夜這いだけに集中する人の子どもが増えていく
統治能力は低下して崩壊する

ーーーーー
追記
山姥は男を現代の男女の感覚で愛していたのか
あるいは母と息子のような感覚で愛していたのか
多分後者だろうとの先輩の意見

なるほど
そう考えると、最初のべらぼうな「食べないけど働く」という条件も
あり得る話なのかと思えてくる

母親は息子のためなら犠牲になったりする
息子は何もしないのに母が献身する

ひっょとしたら山姥は男の実の母なのかも知れない
実の母ならこの献身も納得出来る

しかしそれが日本人の愛の原型だとすればなかなか苦しい

ワーグナーとかゲーテとかもそんなことを平気で書いている
タンホイザーとファウスト

ーーーーー
先輩の助言で
「山姥は男を母親的に愛していた」
という補助線を引くと

カップヌードルにお湯をかけて3分待ったような感じ
みるみるうちに見事に切ない物語になる
短い行数なのに
すばらしい

ーー
飯を食わない女なら嫁をもらってもいいというけちな男
というものはどう理解したらいいのか
困惑する
しかし現実の一面はそういう事なのだろうと思う

男のこの欲望がすべての物語のはじまりだ

この貪欲はなんだろう

ーー
貪欲について考えてみるとこの男にも前半生があったはず
生まれながらの貪欲ということもないだろう

そしてこの男には後半生がある
どう生きたものか、知りたい

母を退治するというのはあり得ないが
いつかその慈愛に気づいてくれればいい

たぶんこんな感じの男はまた誰かの話を聞いて
実はそれは観音様の生まれかわりで
ありがたい人だったはず
今から改心してまともに生きろとか言われて
そのまま信じて生きたかもね

前半生を空想すると何か苦しい影が見える
ひしめき合っている

こうして山姥をいじめているくらいだから
多分誰かからいじめられたのだろう

いじめの連鎖であるような気がする
ACで共依存で
酒も暴力もないが
無知、無想像、不信、卑劣である
ネガティブな行動の嗜癖
いかにも何か欠如を感じさせる

ーーーー追記
たとえば、男性としては、財産目当てなのかと思ってしまう場面がある、
あるいは給料がいいからなのではないかと思ってしまう
自分の何がいいのか
愛しているのかと思ってしまう
それに我慢がならないという場合

それをブロックするためにそのような条件を出すことはあるでしょうね
すると「食わずに働く嫁」というのも分からないでもない
男はある程度高給取りだったのではないですかね

いろいろあって人間不信になり
そのような貪欲な要求を掲げた

もちろん普通の女性はそんな条件に応じられるはずもない

そのことを哀れに思った母親が
それではやってあげようということになった
ゆくゆく諭したいと思ったのでしようね

しかし現実には食べないと生きて行かれないので
食べてしまう

しかも山姥だから半端ではなく食べてしまう

ーーーーー
男のところに転がり込んで男を飲み込もうとする女はいますね
山姥はそんなふうにも見える
食わずに働く嫁」というのは一時的なハードルであって
そんなものは、男を飲み込んでしまえば、終わる

そこで女に飲み込まれると男は一生女の支配下で生きる
それは楽でいいという男性もいて
母親と子どもの関係で安定する

一種去勢された感じになる
それ以降は恋愛機能を発揮することはない

ファルスを引っこ抜いてしまう

この点で言えばどっちもどっちなんだけど
しかし始まりがそれだったとしても
最終的には男を逃がして生かしておいたのだからやはり好きだったんだろう

ーーーーー追記
もうひとつの欲張りとして
「妊娠するな、でもセックスはさせろ」という男の側からの貪欲があると思う

女はそれに応じてピルを使ったりするのだけれど
DNA戦略から言えば、人間の脳も性欲も愛着も恋愛も全部はDNAの複製に集約されるものであるのに
そこの部分が実現されずに性の満足、脳の満足だけになっているのはやはりおかしなことなのだ

そして女性の側でも産まずにセックスすることが得のように思われているようだ
対人関係の代理物である
そしてこの場合、ほぼ全員が語るのは、親は反対すると思うから言えないけれど、優しい人なんですということ。
それは自己愛の延長または投影のようだ
女性の側の貪欲は「愛も性欲も」である

奇妙に男女の思惑は一致する。
外側から見れば、共働きでなければ暮らせない、子供はまだ早い、でもセックスはしたい、ということなのだろうが
避妊を伴うセックスというものは
近年のものですよね
西洋文明と共にと言っても良い
過食
嘔吐と、痩せ文化と共にと言っても良い

江戸時代なんかは避妊とかしなかったですよね
フリーセックスの様相はあったらしい
できたらしかたないから産む
誰の子かよく分からなくてもとりあえず
結局、分からないわけだし












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