愛国心
愛国心は結局、普遍的恒久的な価値ではなく、
ただ何かの目的のために利用されるだけだったと、
歴史は教えていますよね。
「国」とか「民族」というものは、時代により、
つまり、交通や通信の変化により、
意義が変化する。
よく言われることであるが、
ヨーロッパでは、欧州統合体が国の上位に位置し、意義を持ち、
一方で、国よりも下位の、地域が、国に替わって意義を持ち始めている。
国というものの意義が薄れてゆく時代なのだ。
人間の意識の届く範囲は国を超えてしまっている。
だから、国を最重要の単位とは考えなくなる。
一方、日常生活に大切な具体的な事柄は、
国ではなくもっと小さな範囲である地域の単位のこととなる。
こんな時代に、愛国と言うこと自体が、
なんだかよく分からない。
分からないが、一部の人は、利用価値はあると判断したのだろう。
でも、一部の人って誰で、何を考えているのだろう。
そこが全然分からない。
今時誰も、愛国で目くらましなんかされないだろう。
本当の目的と利益はどこにあるのか、
すぐにも馬脚をあらわすだろう。
山月記について-2
理想に燃えること。理想に忠実であること。生活の必要はその次だと論理の上でも、感情の上でも、完全に納得すること。
その手続きさえ完了していれば、生活が苦しかろうと、未来に疑念が生じようと、自分の才能に疑問が生まれようと、とにかく、まっすぐに生きることだ。
世の中には、そのような人間も必要なのだと腹をくくることだ。
官吏の代わりなどいくらでもいるのだ。
自分の人生を生きるのは自分しかいない。
それを青臭い、未成熟と考えるのもひとつの感受性である。それはそれでよい。
しかし一方、
それは理想に忠実な大切な態度である。
すべての人に勧められるわけではないが、
集団の中で、ある特定の少数者には、
そのような人生を歩んで欲しいと願っている。
例えば、絵を描く才能があったら、そして、志があったら、
貧乏も承知で、尊敬されないことも承知で、
まっすぐ進んで欲しい。
絵を描く才能は、誰にでもあるものではない。
そして、その才能を信じてみようかと考えることも、誰にでも生じるわけではないのだ。
地盤を引き継いだ二世・三世議員はどこに志があるのだろう。
かけらでもいい、見せて欲しい。
それとも結局保身と世俗的欲求のチャンピオンなのだろうか。
知人には一人もいないので分からないのだが。
教育基本法と憲法をいじることが、
理想の実現なのだろうか?
わたしなどには分からない世界の話であるが。
教育基本法アラタメの件 愛国ランチ
教育基本法を改めたいというので、
与党自公は衆議院にて強行採決した。
野党民主党の対案もはっきりしないのだけれど、
それにしても、自民案は何が目的なのかはっきりしない。
解説によれば、現状の諸々の教育問題や、
青少年の問題が、「愛国心」の教育で解決されるのではないかと、
考えているらしい。
でも、そんなの嘘だと一秒で分かるよね。
愛国心についての議論。
「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」とする条文である。
国という用語を使う場合、統治機構は含まないことを明確にすべきだとの議論が公明党からあり、それを受けて、国ではなく「わが国と郷土」と書く。さらに「他国を尊重する」と加える。しかし批判は、「他国については、統治機構を含むのか」というものである。
日教組問題でもないらしい。
国家が教育により積極的に関与することが目標というらしい。
でも、国家が教育に関与して教育がよくなり、
青少年は幸せになるものなのか?
そんなはずはないね。
憲法アラタメを視野に入れて、
その先兵ではないかとの意見はあり、
しかしそれならば、順序は逆だ。
基本法である憲法をまず議論して、
そこから教育基本法をアラタメル必要も方法も条文も、
現れることだろう。
何をしたいかといえば、
教育を通じて、ある種の階層に都合のいい社会を、
創りだそうという長期的な計画なのだろう。
B層を固定し反省的思考をなくすこと、
これだ。
日教組的にいえば、教え子を戦場に送る教育だ。
核兵器も持てばいいし、
海外派兵もすればいいし、
同盟国と一緒になって攻撃すればいいし、
結局暴力の支配する世の中を温存すればいいのだろう、ね。
そうすれば、米国の爆撃機も戦艦ももっと買えるようになる。
明治維新長州以来の政治的伝統を思う。
それは日本に何をもたらしたのだろう。
そのうち、愛国ランチが出回るでしょう。
それにしても、仕組みがよく分からない。
北海道の中学生が安倍総理に手紙を書いた。
愛国心は自由だけれど、強制の方向になる可能性があるならよくないといった趣旨だったらしい。生徒は署名をして正々堂々と出した。
手紙を出したらその翌日には、なんと匿名の嫌がらせメールが届いたという。
あまえらはどんな教育をしているのかといった内容だったらしい。
中学生たちの不安は的中。
こんなところは、分かりやすい世の中なのである。
多分、アルバイトの人が対応しているのだろう。
時給いくらなんだろう。多分、いつでも切り捨てられる運命なのだろう。悲しい。
この人はこの人なりにぎりぎりの判断をして、
卑劣なことをしてでも、生きなければいけない何かの理由があるのだろう。
そのような社会にしてしまった責任はすべての人にあるのだと思う。
署名をして堂々と意見を提出した中学生に、匿名で、品格の劣る文章を送りつけた人のために、祈ろう。この卑劣な道を敢えて選んでしまった悲しい人のために祈ろう。
私たちの社会のマイナスの現状がいまここに明確に現れているではないか。
その卑劣さは、私たちが隠し持っている卑劣さである。その人は隠すだけの知恵がなかった。それだけのことだ。
利用されるだけで捨てられることは見えている。
誰が喜んでそのような役割を引き受けるだろうか?
多分、その人たちの集団は一歩先んじていて、
集団のためなら自分の良心を徹底的にゼロにしなければならないのだろう。
そしてやがてわれわれもそのようになる。
われわれも、名前を語りつつ意見を言う中学生に対して、匿名で品格の劣る文章を送りつけるようになる。
そして、2006年の11月が、その顕在化の始まりだったと思い出すことになる。
宮沢喜一回顧録を広告で見つける。そのうち読んでみようと思う。
バリとミラノどちらがいいか?
行きたい旅行
バリとミラノはどちらがいいだろう
知人の間では、
バリ島のアマンダリなど評判がいいようだ。
でも、きれいなだけで、飽きるなあとの感想もあり。
ミラノに行って、スカラ座で何か見たり、
ブランドの店をさまよったり、
その後、フィレンツェをひとまわりして、
ベネチアによって、帰る。
そんなイタリア旅行がいいという人あり。
別な人は、マルセイユくらいに飛行機で到着、
その後、船の旅。
イタリアのどこかで上陸して、帰路につく、
これがお勧めという。
シェイクスピアが英語で楽しめればいいのだけれど、
ちょっと無理。
しかし海外のテロの不安はあり、
円は安くなり、
国内旅行が楽しいかもしれない。
京都奈良をリピートしたいな。
カーディガンの上司
すてきなカーディガンの紳士とすれ違った
部下が追いかけてきたらしくて
立ち話を始め
テキパキと指示している様子だった
みんな同じようなスーツの中で
ひときわすっきりりりしかった
知的なアピールがあった
庭園美術館のあたりの景色
日差しが斜めできらきら
秋になって
日差しは斜めになり
落ち葉を横から照らしている
はらはらと舞い降りて
静かに着地する
軽い軽い枯れ葉だった
庭園美術館のあたりの景色
フレディ・マーキュリーとインドとゾロアスター教
王貞治などが紹介されていたが、
中でもおもしろかったのはクイーンのボーカル、
いまは亡きフレディ・マーキュリー。
両親はインドの人で、宗教はゾロアスター教だったとか。
あのみなぎる力はインドだったのか。
ミルトン・フリードマン死去
11月18日朝日12面に解説が報じられている。
ハイエクとともに、マネタリスト(通貨供給量理論)、反ケインズ、徹底した市場主義、シカゴ学派、シカゴ・ボーイズ、共和党経済政策、レーガン、サッチャー、規制緩和、民営化、チリ、貧富拡大、失業率上昇。
これだけ現代経済のキーワードをちりばめられると、とんでもない頭脳だったことが明白である。
知性の専門化・細分化が当然とされる現代においても、このように、飛び抜けた頭脳が存在することが驚きである。
ネット経済新聞
地域情報をデジカメ片手にネット配信、流行をリードとある。
たとえば、「店を閉店、希望者に譲渡」など。
品川ランチもレベルは低いながら、そのような趣向だが、
一向にさえない。
「広告に過度に依存せず、好きなことを書ける」のだという。
その点では、当「品川ランチ」は、
一切広告に依存せず、好きなことを書ける。
しかし、何が目的でこんなことをしているのか、分からない。
キーボードの練習くらいにしかならない。
弊害は、貧乏化と肥満化である。
節約倹約ディノス棚
洋服ダンスはディノスで買って、自分で組み立てた。
かなり汗だく。
考えてみれば、そんなに安いわけでもない。
カタログには大量の商品が掲載されているので、
近くに店舗がない人でも選択枝が大幅に増える。
価格よりも多様性、そして町中でなくてもよい、
それがディノスのメリットのようだ。
恵比寿三越の食材
恵比寿三越にて買い物。
食材の品揃えは、最高に豊富。
総菜ものは少ないと思う。
少量包装で、たとえば、白菜なら四分の一、キャベツなら半分。
アサリは一個一個検査して売っている。
同じ食材でも、色が違っていたり、少しだけ変化があったりする。
目先を変えつつ、食事を楽しみたい層がいるのだろう。
客層は、まず、引退後の夫婦二人暮らし。
若い人は夫婦二人のDINCSか、あるいは、子供が生まれて、そろそろ郊外に引っ越したいけれど、会社の都合もあって実現していない、そんな人たち。
日曜日は雨で、駐車場もいっぱい。
かなり多数の客が買い物をしていた。
ジョアンのパンに行列。わたしはおいしいとは思わないけれど。
白金台の東急は駐車場がいっぱいで待ち行列。
駐車場ではないところに駐車していたのは、二台で、どちらもベンツだった。