SSブログ

愛の幻想

万葉集をぱらぱらめくっていて思ったのだが、
現代人は愛の幻想が過剰なのではないか?

物語の中には、愛の物語が、存在するだろう。
それはいい。

ロミオとジュリエットは恋をするが、
それは瞬間の恋で、だからこそ、純粋で、恋のままでいることができる。
現実には、時間とともに、変質する。

ロミオとジュリエットが、結婚式をして、新婚旅行に出かけ、親戚に挨拶もして、仲人さんにご挨拶もして、新居を整え、貯金は底をつき、残業は続き、ジュリエットの肌は荒れ、化粧品代を節約し、ロミオの昼食代は700円以内となり、新聞購読を中止し、冬には風邪をひいてロミオは二日だけ会社を休み、ジュリエットは出勤を続け、その間に、ジュリエットの女友達とロミオは親密になってしまい、そのことを携帯をのぞき見て知り、けんかもしたが、お金がなくて別居もできず、お金がなくて離婚もできず、そのうちに傷だらけの二人になる。

現実の生活でどのくらい恋愛があるものかといえば、
あまりないだろう。
一瞬恋する、瞬間恋愛が、連続するだけだろう。
生身の人間は、恋愛の対象としては、エゴ成分が多すぎる。
知るにつれて、恋愛は醒める。
醒めないならば、幻想を抱いているのだと思う。

たとえば、誠実さだとかが、相手に求めるものだとしたら、
そんなものは、ありはしないのだ。
人間は自分が魅力的である限り、
さらに魅力的な異性を求め続ける。
釣り合うということはまずない。
相手にも自分にも適当に幻滅して、
そこではじめて、恋愛運動は停止する。

妄想でない限り、
相手に幻滅するのは必然である。
また、自分に幻滅しない限り、
次の恋愛対象を探し続ける。

肉体的な満足ならば、まだ相談にも乗りやすい。
精神的満足や、恋愛への夢だったら、
なかなか難しい。

現代は、愛への欲求が過剰なのだ。
夢見ているような愛は、現実にはありっこないのだと見極めて、
現実の利益をとれば、賢明である。
それができない夢過剰の乙女たちがいつまでも恋愛を妄想している。
妄想とは、現実に反する、訂正不可能な、信念である。

共通テーマ:日記・雑感

お台場ソニーにて

お台場メディアージュにはソニースタジオが入居している。
訪れると、写真・ビデオ撮影のコーナーがあり、
一般客が自分たちを撮影したら、それを、DVDに焼いて、
おみやげにしてくれる。
プリクラみたいに写真を焼いてもくれる。
ソニーが売りたいのは、まず、ブラビア。次にカメラとビデオ。次にDVDレコーダーだろう。これらを全部使って、プレゼンしてくれる。

撮影コーナーには、
デジカメと、一眼レフαシリーズ、それと、ビデオカメラ各種。
実際に撮影すると、αシリーズはとっても一眼レフだった。
デジタルなのになぜかシャッターの動く機械音が心地よいのだ。
バシッと撮れた、そんな気になる。
私は機械音が好きだったのか。
現在使用しているデジカメと一眼レフもどきは、どちらもシャッター音を消去している。だって、もともとないんだから。

40枚ほどとって、気に入らないものは削除して、20枚を残して、
DVDレコーダー、D900Aという、パナソニックに押されっぱなしの機械に読み込ませる。それを処理して楽しく見せる。

宣伝をペーストすると、

デジタルスチルカメラで撮影した写真を「スゴ録」に取り込んでBGMを選べば、ビデオクリップのようなハイビジョンフォト作品を自動作成。曲調に合わせてさまざまなエフェクトをかけて再生します。また、作品は標準画質でDVDに保存できます。
ソニー独自の顔認識技術を利用し、エフェクトがかかったときに人物の顔が切れるのを防ぐ「フェイスフレーミング」機能。

といった具合。x-ScrapBookとかx-Pict Story の名前で出ている。
ビデオクリップ自動生成ソフトは試したことがあり、
うまい具合に偶然にいい位置に来るものだ、
多分、みんな真ん中に顔を置くからだろうと思っていたら、
顔認識をしているという。
しかし複雑なからくりではないようで、実際軽いソフトだったし、
富士フイルムでも似たようなシステムで、顔をきれいにとるカメラを売り出しているようだ。

最後に20万円のプリンターで印刷。これはタッチパネルで操作できる。写真屋さんに置いてある末端みたいな操作。
プリントアウトされた写真は普通よりも薄目の印画紙のようだった。充分な画質。
DVDレコーダーD900Aについては、ブルーレイディスクを使えるもののほうがいいと思うので、買わない。パナソニックに正面から対決せず、x-ScrapBookなんてつけておまけで売ろうなんていうのでは、最初から負けている。
多分、DVDの基本特許をパナソニックが持っているので、ブルーレイディスク戦争まで時間を稼いでいる。そして、肝心のブルーレイディスクは、プレイステーション搭載で生産現場が混乱したらしい。そんな根も葉もない噂を聞いた。
プリンターは、どんな意図があって生産販売しているのか、不明。キャノンとエプソンとヒューレットパッカードは多分無視している。わたしも無視。
ただ、αシリーズは、育てばやはり、キャノン、ニコンも気にしないではいられないのでないか。
わたしも昔のαシリーズの本体と交換レンズを持っている。



共通テーマ:日記・雑感

lingering snow

ランジェリーの雪ということで、
根雪のことだそうです。

大地が一枚まとうランジェリー。



共通テーマ:日記・雑感

お台場トヨタ展示場 広い大きい

トヨタの展示場がありまして、驚きました。
品川に三菱モーターの展示場があり、
子どもの遊ぶスペースもあり、いいものだと思っていました。
お台場のトヨタ展示場ははるかに規模が大きく、
子どもの遊ぶスペースも桁外れです。
さすが世界のトヨタでした。



共通テーマ:日記・雑感

茶道は日本文化の入り口

16日付朝日新聞夕刊に茶道の記事。
茶道を始めれば、茶器から陶芸に、
花から華道に、お菓子から懐石に、
衣装から着物に、話題から文芸一般に、
掛け軸から日本画、和歌、漢文に、
そして書道に、通じている。
茶道は多種多様な日本文化への入り口のようだ。

季節感をひとつひとつ折り目正しく感じるようになることもいいことだ。
一月に初釜の予定。はなびらもち。

共通テーマ:日記・雑感

やせすぎですよ きをつけてね

お腹がぺったんこですよ



共通テーマ:日記・雑感

今朝は布団の中で幸せ

今朝自然に目が覚めると
布団の中で足がつるつるすべすべで気持ちいいのだった
昨日の入浴剤は変わりなくツムラ登別カルルスだった
早く眠りについた
ぐっすり眠った
シーツの肌触りが心地よかった
多分ぬいぐるみのふさふさした肌触りだ

こんな幸せがいまの私の幸せ
昔はなかった幸せ

共通テーマ:日記・雑感

昔の時間は戻らないのか

かつて若い私を魅了した安部公房と高橋和巳。
全集を読んで霊感を与えられた。
かつて図書館の本を読んでは次々に読書ノートを
書き続けた。
たくさんの文字を私は書いた。

いま、それはすべて虚しい。
その時間にアルバイトをしていた友人たちのほうが人生について知っていたということだろう。
それでもいい。わたしは二度目の愚行を遂行中である。

昔の私にはできなかったこと。
考えられなかったこと。
そこに届くか、チャレンジしてみる。
私は若い私と競うつもりだ。

共通テーマ:日記・雑感

緑はいいけれど、パールをコートの外にですか

勿論、ディスプレイの工夫としてですよね



共通テーマ:日記・雑感

品川に欲しいもの これなんだ

品川にも需要はあると思うんだけれど
テナント料が高すぎるのかな
なぜないのか不明
欲しい
署名運動を起こしてもいいから欲しい



共通テーマ:日記・雑感

田町で用をたす

田町・三田の小路
この雑然としたエントロピーの高さがいい

お台場は広すぎるんですね。
なんだか間延びしている。
ソニーの展示場など、展示するものがなくて、ソファばっかり目立っていた。
カメラ系電気屋さんみたいに、稠密に物品を展示するのが好きだ。



共通テーマ:日記・雑感

お台場ではこんな広告が目についた

つまり、フジテレビを見ているのと変わりなかった
街全体がテレビ放送の中みたいだった

カメラを向けたのはこんな広告で、
結局、家にいても得られる情報だった



共通テーマ:日記・雑感

プリザーブドフラワーの不自然な色

すぐに飽きる



共通テーマ:日記・雑感

水がぶくぶくのショーケース



共通テーマ:日記・雑感

観光バスの群れ

こんな感じで団体客を誘導しているのか

私たちも、海外の観光スポットではこんなことをされているのだろう

悲しい



共通テーマ:日記・雑感

むさ苦しい生え際

あんまりだな



共通テーマ:日記・雑感

どこでも全く同じ光景

多分、東京のどこでも、
横浜でも、同じ光景。
世界をこんなにもつまらなくしている。




共通テーマ:日記・雑感

要するにゲームセンターと遊園地なんでしょうか

お台場に限らず、
たとえば横浜みなとみらいも、
開発予定は滞ったままのようです。
仕方がないのでくだらない施設を入居させています。
文化の行き止まりだ。



共通テーマ:日記・雑感

子どもに着せ替え写真

いまこんなサービスがある。
先日知人の子どもが撮影してきて、
みんなが、「みつばち」と推定したが、
実際は、「ひまわり」なのだという。
何でもいいが、そんなことがあったので、参考に一枚。
アリスといいます。



共通テーマ:日記・雑感

クラシックカーの展示 マツダ コスモスポーツ

本当にあるんだね
いまでも魅力的なフォルム



共通テーマ:日記・雑感

お台場の広場で 子どもが多い



共通テーマ:日記・雑感

電車で 寒川神社とねぶたは関係ないだろう

もうなんでもありだな



共通テーマ:日記・雑感

枯れた心にも軽やかに映るもの

私には似合わないが



共通テーマ:日記・雑感

世界史を教えなかった問題

高校で世界史を教えなかった問題について、
いろいろな観点からの議論がある。

結局、
世界史の考え方を教えると、
いろいろとまずいことが起こりそうなんだと思う。

認識を形成する時、
事実と解釈を分けることができないだろうとの立場がある。
世界史ならば、
どのように記述するかが、
そのまま「史観」につながるということになる。

「ただの暗記もの」としての歴史は明らかに排斥されている。
そこで、歴史について考えながら学ぼうということになるだろう。
しかし、一体どのように考えたらいいのか、
「史観」についてどのように考えたらいいのか。難問である。

歴史の形成の原理を考える時、
唯物史観は依然として強力な観点である。
科学的分析として、他にどんなものが可能だろうか。
そして、科学的というからには、唯一の真実であることが含意されている。最近はそのような言い方は流行ではないのだが。

ここは政治的イデオロギーと連動している点でもあり、難しい。
また、近現代史は、いまの日本の社会を否応なく批判的に
見ることにならざるを得ないので、
これもまた、公教育の観点からは、難問を含んでいる。

私立学校の代表者が新聞で発言していたのだが、
役所が定めた「必修」に縛られるのは、
公立学校だけであるという。
これにも驚いた。

共通テーマ:日記・雑感

行き着いた場所がここなのか

洪水のように本を読んで
蟻のように働いて
しかし行き着いた場所はここだ
わたしは自分の子どもたちの世代には
このような愚かな人生の過ごし方をして欲しくない
しかしそのような知恵を伝える書物はあっただろうか
ヘンリ・ライクロフトの手記などはそのようなたぐいかもしれない

共通テーマ:日記・雑感

contrex

水、contrex。ラベルにはミネラルと書かれている。
カルシウムとマグネシウムが多いようだ。
飲んでみると確かにそんな味がする。
なにか舌に金属が触っているような味わいである。
私としては、「すっきり爽やかな日本の水」の方がいいな。

ボトルの形はとてもいい。
空っぽになったら水道水を入れて使うつもり。

先日はレストランで、水がボトルで1200円だった。
ドリンクがチャージ代の替わりになっているから、
まあ、理解はできる。
それにしても、場合によっては、牛乳より高い水が存在しているというのは、
昔の常識では考えられないことだ。

やっとのことで
危うく存在している
自分を思う。

今朝、ネットで、商材ビジネスのひとつを見かけた。
一体どうしてこんな恥ずかしいことが書けるのだろう。
この文面を見ると、確かに、この筆者はまともな仕事はできそうにもない。
いや、この文章の作成も、下請けがやっている可能性もある。
だって、商材ビジネスの文章はどれも似ているではないか。

Winnyは有罪で、このたぐいの商材ビジネスが野放しなんて、
おかしい。
まあ、実際、ひっかかる人は少なくて、みんな笑ってみているのだろうけれども。
そして、ひっかかる人は、余裕のある人ではなくて、
かなりぎりぎりで生きている人なのではないかと想像する。
余裕がないから、だまされてしまう。
泣き面に蜂である。降れば土砂降りである。

Winnyについては、今後はいけません、
著作権で飯を食っている人が困らない程度にしてください、
という法律を作ればそれでいいじゃないかという気がする。
後追いで理屈をつけてもだめなんじゃないか。
新しい技術なんだから。
そして、類似のソフトを開発している人も、
新しい法律もできたから、著作権法とも共存できるようなソフトを開発しよう、
そんなふうに自然に思えるような、法律にして欲しいものだ。

共通テーマ:日記・雑感

なすべきことに如何にして行き着くか

結局、私はいまの人生に満足していない。
この身の回りの状況を満喫しているわけでもない。

やりたいことはほどほどにあり、
気晴らしも適当な程度にはあるけれど、
なすべきことに行き着いていないのだ。

使命の感覚と言ってもいい。

したいことをするのではなく、
私は自分としてなすべきと思ったことを納得して行いたい。

この感覚はなんだろう。
「なすべきこと」が世の中にはあるという感覚。
これは小さな頃から繰り返し刷り込まれたものだ。
あるべき人生があり、あるべき世の中がある。
現在ではそのような「範型」はあるはずもないだろうと考える。
子どもの頃の夢からまだ目覚めていないのかと、
自身を笑う。

二言目には人類のためとか、大げさな言葉が口をついている。
これも、子どもの頃からのすり込みである。

ただ自分のために生きる、
そのような態度には私は満足ではないのだ。
なぜなのだろう。
体質と言うべきか。

カトリック教会にでも行って、
原理主義的に考える、考えの足りない人や、
死の恐怖を克服できず錯乱している人とともに、
祈り、
世の中に明確に正しいことがあり、なすべきことがある
という雰囲気の中で時間を過ごしたいものだとも思うのだ。
しかし私としては、どうしたことか、
そのような場所に行くととても居心地が悪い。
場違いである。
やはり間違っている。この人たちとは同じではない。
そう感じてしまう。

それでも、カトリック教会は私にとってベターな選択なのだ。

そうだね、こうして書いてみるとベターでもないね。

倫理の基礎理論が欲しいと思い続けてきた。
しかしないことが分かった。
それだけの人生だった。

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。