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イングリッド・バーグマン「サボテンの花」

ちょっとしゃれた軽いお話。
いい気晴らし。
イングリッド・バーグマンが出ているので見ました。
彼女は歯医者さんの受付嬢です。
歯医者さんの恋愛騒ぎに巻き込まれているうちに、
話が発展します。
珍しいことにサボテンの花が咲きます。

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シシー・スペイセク 自らを語る

演劇関係の人は頭がどうなっているのだろうと
いつも不思議に思っていた。
ハムレットなどの長いせりふを一人でしゃべり続ける。
一体どうしてそんなことができるのだろう。
シシーが言うには、走っている列車に飛び乗るのだという。
あとは列車が運んでくれる。
せりふを覚えると言ったような技術的なことではなく、
魂をつかむといったことらしい。

タイタニックの女優さんが言うには、
デカプリオは特別な才能の持ち主で、
一瞬のうちに役になりきることができるのだという。

こうした事情は、多重人格障害と多少の関係があるのかもしれない。
役作りとは、人為的に引き起こされた、多重人格状態なのかもしれない。
役に入り込むとは、人為的な多重人格状態になることかもしれない。
そして大切なことは、役が終わったら、もとの自分に帰ることができることだ。
そこの自由がなくなれば、病気である。

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ケイト・ウィンスレット 自らを語る

アクターズスタジオインタビュー。
タイタニックでは印象的だったが、
アイリスではすっかり老けてくすんだ感じだったけれど、
インタビューを聞いて、やっぱりすごい人だと思い直した。
タイタニックのあと、大作のオファーがあったけれど断り続け、
スタッフの名前が全部分かる程度の規模の映画を希望したという。
そういう側面はあるだろう。
家族に恵まれ、幸せだといっていた。
そして真実幸せそうだった。

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日テレ2時間ドラマ「地方紙を買う女」内田有紀

内田有紀を久々に見た。
考えてみれば、彼女程度の美人は身近にたくさんいると思う。
よくある顔なので売るのも難しそうだ。
田舎の演技では、洋服もそれらしく、
歩き方まで田舎っぽく工夫していたと思う。
反対に都会のお水を演じる時にはとてもそれらしくなっていて、
さすがである。
最後の和服のお水の姿は、いるいる、こんな人、という感じ。

デジタル放送になって、髪の一本一本まで描写される。
多分、黒髪の美しさが見直されるのではないか。

どこのホテルを使ったか分からないが、
きれいな椅子と景色だった。
紅葉の鮮やかなこと。

湘南信金とかいうATMを使っていたようだった。

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白黒邦画「戒厳令」三国連太郎

北一輝の話。
あまりに重すぎて胃もたれ。

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イタリア映画「息子の部屋」

「息子」の父は精神分析医である。
患者さんにいろいろといわれながらも仕事を続けている。
家庭生活でもこまごまとした出来事はあり、
しかしおおむね平穏に生活していた。
ある日、息子が事故で死んでしまう。
そのことをきっかけにして、父も母も動揺し、
自分を責めたり、後悔したりする。
父は患者さんの話を距離を保って平静に聞けなくなり、
分析オフィスをたたむことにする。
息子宛にラブレターが届き、
息子は死んだと告げる手紙を書こうとするが、なかなか書けない。
そのようにして時間は過ぎて、
次第に息子の死も心の中のひとつの風景になって行く。
耐え難い体験を受容するまでの物語。
父はまだ立ち直らなかったけれど。

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映画「スコア」

デ・ニーロ主演の泥棒もの。
時間を忘れさせてくれる。
役の中でもデ・ニーロはマニアックな奴で、
いろんな道具を駆使する。

「これが最後の仕事だ。」

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ヴィスコンティ監督「白夜」

原作はドストエフスキー。マストロヤンニなどが出演。
フォーカスのくっきりとした分かりやすい話になっている。
しかしそれにしても、こんな結末か。
恋愛というものがこうしたものである以上、
仕方のない結末ではある。
納得は行かないが、
これが現実だと認めざるを得ない。
二股かけないだけ誠実だということだ。
無邪気な女は男を苦しめる。

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小沢一郎 国会代表質問

ていねいかつ平易な言葉で論点はすっきりまとめ、
説得力があったと思う。
地方の疲弊、農村の貧困、老後の不安、
そういったことと地方分権を関係づけていた。

果たして、地方分権は解決になるのだろうか?
権力が分散すれば、悪行の機会が増えるだけではないかと疑う。
きっとそうだ。

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堀江敏幸「熊の敷石」小説

短編小説。
何か文章を読んで、自分として得られるものがあることが喜びである。
そして文章の手触りが、温かければ、また、荒々しければ、
それぞれに楽しい。
この小説では、筋書きも、舞台も、登場人物も、ちょっとしたネタも、教訓も、よく備えている。
読後の感想として、誰かに話す時も、いろいろと話せるだろう。
よくできた話である。古典的な結構を備えている。

しかしそれだけなのだ。
これが現代の小説の限界なのだろうか。筆者の好みなのだろうか。
よく分からない。
例えば、NHKの8時くらいの歌謡ショーで、細川たかしがいつもの歌をいつものように歌っているような、
非凡なのだが、風景としてはすでに平凡になってしまっている、
そんな感じがする。
現代のような情報過多社会では、ネタはもう出尽くしているのだろう。
最先端企業や最先端学者を登場させて話を引っ張るくらいしか、
novel新奇さは出ないのだろう。
読んだあげく、トリビアが一個でした、というような気の抜ける感じは
嫌だな。

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ウッディ・アレン「おいしい生活」

いまから見れば少し古びているなあと思える。
おもしろいんだけど。どこか退屈。

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映画「デイジー」

男が女を想う。
女も男を想う。
想いは重なっているのに伝わらない。

別の男は女に愛を語るが、
女は私には待っている人がいると断る。
いいんだよ、君の絵が好きだし、友達になれればそれでいいんだと、
大人の答えを用意している。

神さまがはるか上空から眺めていれば、
すべては明らかなのに。
人の世の難しいこと。

未来は変えられる
というメッセージは私には虚しく響く。
所詮、この未来しかなかったのだ。

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白黒映画「嘆きのテレーズ」

古い映画は分かりやすくていい。
夫婦の情景として、このような関係もあったものだろう。
どうしようもなく腑抜けな亭主を持って、
一生を諦めて過ごしたいい女がたくさんいただろう。
だとすれば、そのあとに物語がいくつも発生しただろう。
人間の性はいつもドラマだ。
おもしろかった。

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生き抜く DNA適合性

何が何でも生き抜け

無から生まれた私だ
無に帰るだけの私だ

ゲームと変わりはないのだ
生きるということは
DNAと環境の適合性を検証しているに過ぎない



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うつ 木下順二「本郷」

いろいろあって
完全にうつ状態。
食欲なく、水を飲むだけ。
人の話を聞いても雲をつかむような感じで理解に至らず。
うとうとと眠り、目を覚ます。
夜昼の区別なし。
これが世に言う「うつ」なのか。
悪いことばかり思い浮かべる。
何も思い浮かばず
これだけ報告。
本は木下順二「本郷」などをめくっている。
平板な話で結構。



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映画「ベスト・フレンズ・ウェディング」

ジュリア・ロバーツ、キャメロン・ディアス。
キャメロンが良家の箱入り娘。白いヘアバンドをしたり、
花嫁姿を披露したり。
大変楽しませてくれる。脚本グッド!


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映画「すべては愛のために」アンジェリーナ・ジョリー

プロットについては深い共感困難。
しかし提起している問題については、
深く考えさせられる。
貧困、内戦、栄養不良、伝染病、飢餓、幼くして死ぬ子ども、地雷、救援活動の困難、
どこにも解決のすきまはなく、ただため息をつくのみである。

アンジェリーナ・ジョリーは演技派に挑んだが、どうだったのだろうか。これも疑問。

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生きる意味

この世界に生きる意味は、魂の浄化である。

浄化された魂は軽くなり天に昇る。

この世界に生きる意味は、心を空っぽにすることである。

空っぽの空間には風が吹き渡り、
ときどきイエス・キリストが入り込み、
ひと休みし、またすぐに飛び去る。

心の空間にある、
無用の私物をすっかり片づけることである。
イエス・キリストのためにいつも空けておくことである。

知識もプライドもちっぽけな感情も、
偉大なイエス・キリストに比較すれば、
無限に小さい。
ただ隣人を愛する心だけがあればいい。



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記事No.1000

1000個目の話題として明るく始められないことを残念に思う。人生は思うようにいかない。今日はある会社の経営をしている人と話していて、人の悪口の話になった。高級な飲み屋に行っても、安上がりな社交場に行っても、結局話題の8割程度は人のうわさ話で、その大部分は悪口に類することである。その人には尊敬して止まない経営の先輩がいて、先見の明あり、度胸あり、努力家でもあり、知性も最高、といった具合に惚れ込んでいる。みんな嫉妬しているはずなのだ。その人について、聞く話は圧倒的に悪口である。自分が敬愛しているとは公言していないから、自分も悪口の仲間に誘われる。その時には仕方ないので、つかず離れず、相づちは打たないけれど、否定することもなく、話を流している。おおむね、悪口が流れる時は嫉妬の感情が裏にある。自分より下と思っている人間のことを話題にして、悪口を言うことはあまりない。何かしら嫉妬の感情があって、その上で悪口を言っているわけで、その意味では、勲章でもある。その人の話題で盛り上がると言うことは、みんなの関心の的になっているということだ。関心も持たれなければ、悪口も作り話も出ない。その人は、敬愛する先輩に聞いてみた。人の口はやはり気になりますか。いや、それは世の中の習慣というものです。鬱憤晴らしの材料になっているわけで、ストレス発散の一助になればそれでよい。どうせこちらが落ち目になればすぐに忘れてくれる。そんなことも含んで、その上を行くだけだ。うわさ話の上を行く、それしかないでしょう。例えば、芸人は、恥が金になるのだ。

その後は、魚釣りの話。米国では早期リタイアが尊敬されるとかで、50才でリタイアして、ボランティアや趣味に没頭できれば成功者とされる。そんな話を始めたら、ある米国人が、そんなことがよく言われるが、自分の場合はそんなことはない。自分は本来魚を釣る仕事をしていた。仕事に誇りがあった。好きだった。そこで早期リタイアを実現して、本当に好きだった、自由な釣りに没頭した。ところがどうしたわけか張りがない。自分は仕事で釣りをしていて、この魚が世界のどの地域の人に売られて栄養になっているのか、どんな料理になっているのか、食生活全体でのこの魚の役割などを想像して、仕事に張りがあった。ところがいまは、釣った魚は仲間と近所に分けるだけで、社会的な拡がりがない。社会の一部として確実に機能している実感に全く乏しい。やっていることはほとんど変わりない。むしろ、マーケットの要請に従って魚の種類を指定されるよりも、自分の好きな魚をその日の状況に合わせて自在に調整する楽しみが大きいと思っていた。しかしそうではなかった。社会に要請されているという気持ちが一番の仕事のうれしさだった。そんなこともあって、早期リタイアを経験しても、また、仕事の現場に戻って、生き甲斐を追求したいと感じている人も増えている。これはアメリカの状況。

仕事といえば、こんな話もある。韓国で世界銀行の支配下に入ってから後、起業家の活躍が目立つようになった。しかし大半は道の半ばで消えてゆく。平均すると、道のりは次のようだ。大卒してしばらくは仕事を覚える。資本金の蓄積もすすみ、自信もできて、37才で独立起業。そのあと馬車馬のように働く。しかしライバルは多く、多くの同業者の中で生き残るのは一部のみである。その場合、破産にいたるのは47才くらいなのだという。なるほど人生行路を平均的に良く言い当てている。私もその年齢にぴったり当てはまっていたので驚いた。

またその人は地域医療の問題にも関心があり、具体的には、無医村で、産婦人科をどのように確保するのか、考える。その場合、まず第一は「赤ひげ先生が待望される」。しかし長続きせず、次の世代は敬遠する。次は、金、官舎、その他の優待設備である。しかしながら限界がある。地方では何より教育が問題だ。そして、買い物施設がない。さらに夜になって遊びに行く飲み屋もない。そこまで乏しい現状で、赤ひげ先生も、二の足を踏むだろう。少なくとも、妻子は都会に残すことが行われるようになるだろう。それが幸せなんでしょうか。そうなると結局、都心部の職場に集中することになる。職業選択の自由もあり、それは容易には変えられない。中央統制計画経済的施策は考えられるが、無理だろう。ここで、なぜ都会かとの問いかけがある。田舎に老人は、都会に出てくればいいではないか。そのための補助をしてもいい。田舎の各種インフラ整備をやめて、都会暮らしを援助するのである。今後田舎の郵便はどうするか、宅急便はどうするか、銀行まで行くのは大変だし、都会に普通にあるものが田舎にない。コンビニがない。医者にすれば、子どもの教育、妻の生活の不便が一番大きい。これを解決せずに、産婦人科医を増やせ、小児科医を増やせ、麻酔科医を増やせなど、無理というものだ。医者はある部門では余っている。またある部門では足りない。偏在しているのである。偏在すると競争も激しくなる。なかなか難しい問題だ。ある地方自治体病院の赤字はかなり巨大で、それならば思い切って例えば、ヘリコプターをたくさん用意して、基幹病院に大量輸送する方法がある。きっぱり言うとすれば、田舎に散在する老人を都市部に集中させ、そこに医療の集中させる。それしか解決はない。

そして最後には悪口に移り、悪口を言われるのも勲章だとの結論になった。



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イギリスの田舎町

今日はNHKに感謝したい
いい番組だった

シンプルライフ
手作り
自給自足
持続可能な生活
自然に親しむ
親と子の交流
地域の交流
宗教的親和

これまでずっと人類がやってきたことである
このことに
アメリカ人
日本人
中国人
インド人
が気付けば
あと三十年人類が続くだろう

日本にも自然に恵まれた土地はたくさんある
インフラ整備は十分進んでいるから
電気水道テレビ宅配便は大丈夫だ
とすれば田舎暮らしに心配はない

小単位のコミュニティで労働を交換し合えば
国民生産の統計数値にはならないが豊かな暮らしがあるだろう
問題は医療だろうか
医者が都市に偏在している
それは一面では教育の問題である
医者は子どもを田舎で育てる気分になれないのだろう
妻子を東京に置いて自分だけ単身赴任とする方法もあるが
それが最善とも思えない
やはり全体がもっとコンパクトにまとまる必要があるのだろうか

東京の人口が増加傾向という日経の記事
増えているのは家族持ちなのか単身世帯なのか
また日本人なのかそうでない人たちなのか
定職があるのかアルバイトなのか
地方ではパートの口さえないということなのか
いろいろと問題があるらしい

幸福な田舎暮らしが実現する基盤を整備したいものだ



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種をまいて芽が出る

嘆きで悲嘆反応を思い出し
精神分析から小此木啓吾先生を思い出した
なくなってどれくらいになるだろう
精力的な人だった
そして人の世の空しさを再度思う
この世で獲得したものはすべて死によってはぎ取られる
どんなにどんなに努力してもすべてはぎ取られて無に帰する
これは動かしがたいと思われる

たとえば小此木氏にしても
いま私はこうして綴り
そのことは小此木氏が死後もまだ影響を与え続け
世界を良い方向に変えつつあると思い
そのことは素晴らしいことだと思う
だから絶望ばかりではないし
悲嘆ばかりではない
種をまけば
芽が出るものなのだろう
そのことに生きる意義を見いだしていれば
やはりそれ相応に報われる世の中であるとは思う

種をまいて芽が出て
稀に大木になる

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たれかこの数は定めしわれはただとへとぞ思ふ山吹の花

藤原道綱母

夫の兼家が歌をつけて八重山吹の花を届けさせた。
夫はこの頃も別の女たちのことで忙しかった。長い間逢っていない。
仕方ないなあ、もてる人はこうなる。必然だ。
そこで道綱母は切り返した。

八重山吹の花などを
いかがかなんて言うけれど、
八重なんてきちんと数えたわけじゃないでしょ
わたしには十重(わたしを問え)に思えるのよ

十重と問えをかけている。
頭いいなあ。
八重ではなくて十重。
頭いい女は後回しになるなあ。
これも必然。

それでも、夫兼家の、道綱母に初めて送った歌も残っていて(!)、
音にのみ聞けばかなひしほととぎすこと語らはんと思ふ心あり
噂に聞く魅力的なあなたに是非一度逢いたい
というもの。
はじめは気合いも入っていたらしい。
なかなかいいもんですなあ。

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「タイムマシンにお願い」木村カエラ

ジュラ紀
アンモナイト お昼寝
ティラノザウルス お散歩

無邪気な夢
好きな時代に行けるわ

タップダンスにまみれて
恋とシネマの明け暮れ

鹿鳴館
ドレスが翻る
ワルツ
ポンパドゥール
シルクハットが揺れる

時間の螺旋 を ひとっ飛び
好きな時代に行けるわ

*****
ということはつまり、
どこにも生けないしこの現実はやっぱりひとつしかないということだな

でも タイムマシンにお願いしてみようか
だめで もともと だ
夢でも見るしかないではないか
酔って生きるしかないではないか
うたた寝をしている間に
すべては終わっていて欲しいものだ

そうだ 腹を据えることだってできるのだ
いまこの時代のこの日本の報告をできるのは
私たちではないか
タイムマシンでここに来た
そう思えばいいではないか
悪くしたってどうせみんな死ぬだけだ
どんなにうまくやってもどうせみんな死ぬだけだ
恐いものなんかないじゃないか

恐いものなんかない
酔ってしまえば勝ちなんだ



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悲しくて思考停止 渋谷区エリートサラリーマン夫殺害事件

あるブログからの引用
内容が内容なので
ソースは秘匿
しかし大切なことを含んでいるように思う

妻が夫を殺害した。夫には暴力癖があり、アルコール問題もあったらしく、
一方、妻の側にも、テレビショーによれば、勝ち気で……といったような、
性格評価が下されている。

****
この事件、立派なDVが原因なのになぜマスコミはそこに触れないのか?
殺害前日には鼻の骨を折られていたそうだ。
毎日毎日殴られ罵倒を浴びせられ、いつ殺されるか恐怖のどん底にいたであろう。
殺すか殺されるかどちらかしかなかったであろう。

子どものいじめには国も声高々に対策を練る『ふり』をしているのに、
家庭という小さな社会には目もくれない。
それは自分達が同じことをしているからに他ならない。
私は××市役所の職員に「国は何もできないから死ね!」と言われた。
警察には「そんなヤツに掴まったお前が悪い!」と言われた。

小さな社会で頻繁に起こる事件を目の当たりにしている子どもが
学校という社会でやっても当然と思うのは当たり前ではないか!
根本を正さず目前のことだけなんとかしようとしても無駄なのに。。。


私も私の最後の仕事が終わったら、ヤツを殺してやりたいと思っている。
それだけのことを私はされてきた。

この犯人である奥さんは本望であったろうと思う。
しかし、隠蔽しようとしたことは私には理解できない。
私ならその場で自殺するか自首するであろう。
国も警察も税金という名の搾取をしておきながら、
本当に困っている人間には何もしない・できないのだから、
自分の手で成敗することに誰が意義を唱えることができる?
法は弱者の前では常に無力である。
「やったもん勝ちだ!」と国自ら言い切るのだから、
こちらが実力行使をすることに文句を言われる覚えはない。

この犯人の刑が少しでも軽減されることを願う。

*****
以上のような文章である。
悲しいけれど私にはこの人をうまく説得できる言葉がない。
ただ思考停止するばかりだ。

市民が構成する社会も、統治組織である国も、
結局は弱者の痛みには鈍感なのだと思う。
社会は強者が構成する場所である。
弱者にはただ苦しい場所である。

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今日も年賀状

今日も年賀状をいただいた。
どうもありがとうございます。
でも、まだ一枚も出していません。
一枚目の、二行を書いただけで、
やめています。

ブログは適当に何か書いているのに、
なぜなのでしょう。
みなさんごめんなさい。
これも一種のうつなのでしょう。



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「古今東西対決」を編集しましょうよ

そもそも古今和歌集は、古い秀歌と新しい秀歌を競わせ、
その中で価値観の提案をしようというものだった。
現代ならば、古今という対立軸もおもしろいし、
米欧という対立もおもしろく、
たとえばアジアと西欧の対立もことにおもしろく、
中国の古典とヨーロッパの古典から、現代までを対象にして、
比較、賞味すれば、おもしろかろう。
媒体としては文字もいいが、歌謡を重く取り、メロディーの対比をしてみたいし、
現代では映画を取り上げたいものだ。
その中で、例えば、
「実らない愛」「風の中に消えた夢」「英雄の恋」「娼婦の涙」など、項目を立てて、二つくらいを紹介して、対立、対決させるのである。

もっと平たく、古今東西美女写真比べとエピソード比べも是非やって欲しい。
「気品」で競わせ、「濃艶」で競わせ、「初々しさ」で競わせる。

編集者に望む。
丸谷才一先生の次の仕事はこれだ!

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会社再建弁護士の話

倒産寸前、負債を抱えた会社の再建を請け負う弁護士。
弁護士が見捨てれば、会社が消えるだけではなく、
命まで消える可能性がある、だから、見捨てることはできないのだと語る。
社会の中で、そのような役割を果たす人間が必要なのだと語る。

尊いことだ。
誰にでもできることではない。
何が彼を支えているのだろう。
例えば、借金を棒引きにしてくれと頼むのだから、
債権を持っている立場にしてみれば、
怒りもあるだろう。
潰してしまわない方がいいですよと説得するのだが、
多分、その過程では、さんざんな言葉も浴びるのだろう。
そして、もうこんなさんざんな仕事はこりごりだ、
もう世の中のためにずいぶん働いたではないか、
少し休ませてくれ、と思うはずだ。

極端に言えば、他人のことなのだ。
弁護士にしても、自分の知らないところでいろいろな人が死んでいる。
自分の受任した範囲で最大限頑張っているとしても、
それが何ほどの意味があるだろう。
焼け石に水ではないか。

しかしそうではない。
いま、目の前にある、困難を、
抱えながら共に歩いてゆくことはできるのだ。
その志のありがたいことは限りない。
その志に救われた人たちにしてみれば、
この世界を支えている愛を実感したはずである。

人間はこのように生きることもできるのだ。
周囲の人よ、どうかこの人を、挫けさせないで欲しい。
心理的にも体力的にも多分ぎりぎりだ。

ありがたいことだ。
ほとんど宗教的な境地である。

そうでなければ、現実の「混濁」に立ち向かうことは難しいと思う。

あるいは、たとえば辻邦生が文学をよりどころとして、
時間の風化作用に抗したように。
これを宗教とは言わないが、本質的には宗教的な感覚だろうと思う。

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映画「手紙」 原作:東野圭吾 出演:山田孝之、沢尻エリカ、玉山鉄二

桜の花は刑務所と病院によく似合う。
両方に所属する刑務所の医務官というのがいて、
加賀乙彦などが勤めていた。
大変らしい。

映画「手紙」   [原作:東野圭吾 出演:山田孝之、沢尻エリカ、玉山鉄二]
を見て、柄でもないけれど、泣いた。
なぜなんだろう。
この世界のどうしようもなさがあるから。
受刑者の弟として生きなければならないこと。
そんなことで差別している奴らは全然立派じゃないのに。
小さな人間なのに。
でも、どうしようもない。
そんなことが世の中にたくさんある。
たとえばある種の病気。
皮膚に病変が出たりすると、伝染性はないのに、誰とも遊べない。
たとえば貧乏。それだけで子どもの交友範囲が制限される。
たとえば片親。それだけで結婚を渋る親もいる。
たとえば娘を看護婦と教師にだけはしたくないという親。どんな気持ちでそんなことを言っているのか全く分からないが、そんなことを言った。わたしの血縁には教師もいれば看護婦もいる。
両親が死んでしまっている人もいる。生きてきただけでも誉められることも多いのに、親さえいればこんな人間にならなかったと濡れ衣を着せられた。

すべては、償いのつかない、刑法では裁けない、罪である。
かといって、すべてについてリンチでケリをつけるわけにも行かない。
人を傷つけるのは、愚鈍で邪悪で卑怯で、つまりは、普通の人間だからだ。
普通の社会はこんなものなのだ。
そして中に少しだけ、一時的にだけ、いい人がいる。
そんなものだろう。それ以上期待するのは世間知らずである。お馬鹿さんである。
無限に傷ついているがいい。

ああそんなにも心を傷つけられていたのかと、
私は涙している自分を見て思った。
もうそんな場所に行かなくていい。
もう充分だ。
あとは静かに自分の心を豊かにする方向で生活して欲しい。
そう自分に対して思った。
もうこれ以上、心に血を流さないで欲しい。

例えば、道ばたで人が倒れている。
誰かが助ければよい。しかしそれは、匿名で救急車を呼んでやれば、
充分なのかもしれない。
助けようとすれば血を浴びるかもしれない。
それはエイズの原因になるかもしれないし、肝炎の原因になるかもしれない。
助けようとした時に完全にはできなくて、
かえって逆恨みされるかもしれない。
完全にできないのなら、救急車に任せればよかったのだと言われかねない。
産科の医師はそんな目に遭っている。子どもの障害はおまえのせいだと責められる。
だから、分かっていても、知らんふりで通り過ぎる。
神に謝罪しつつ、倫理感情を麻痺させつつ、
通り過ぎるのである。

映画後半の和解の感情。
それは是非あって欲しい。
それがない世の中ならば、一体人は何のために生きているのだろう。
しかしそれは半ばの夢物語なのだ。
そんな和解はどこにもありはしない。映画の中にあるだけだ。

そのような世界で、
なおも自分を支えて生きてゆく方法がどこにあるのか、
神よ、教えてください。
どのようにして、崩れてしまわないように、
自分を支えることができるのでしょう。

むしろ、この世に属するのではなく、
神の世に属することでしか、達成されないのかもしれない。

ただ絶望だけがある。
ただ過剰な防衛だけがある。



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映画 ロードオブザリング

テレビ版では最初の場面でリングの取り合いをして暴力をふるっている。
ひとつの理論によれば、理念としての世界の始まりは、希少価値の略奪なのだそうだ。
そうした世界観をまあ、見事に露骨に身も蓋もなく言い切った場面である。
相手を殺して、リングを手にした喜びに浸る。

この短い場面がすでに現代文明への痛烈な批評となり得ている。

しかしながら、この批評を受け入れて、世界を平和に営むことはできない。
希少価値の争奪は止むことがない。
人口が多すぎるし、一方では、希少価値は依然として希少価値だからだ。



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1993 Guilty as sin 米国映画

アメリカ映画。
本当に悪い奴だ。
人生の中でこういう人と出会ってしまったらどうすればいいか。
リンチはいけない、法治国家なのだからと教えられる。
暴力も報復も、国家権力の中心装置そのものである。
しかしリンチ以外に何があるというのだろう。
あくまで耐える、キリスト教的に耐える、そんなことができるのだろうか。
できないと思う。
できないからこそ理想としてのキリストの教えは尊い。
しかし現実には無理というものだ。
そして、悪人に都合のいい社会になるだろう。

とにかく死刑もない社会で、
人間がまともに暮らせるものだろうか?
たとえば、南米のどこかにある国の国籍を持っている人が、
日本で殺人、その後すぐにその国に戻れば、
日本の司法は及ばないのだという。

しかし、死刑はいけない、人間は判決を間違うこともあるとの論も分かる。
裁判官が死刑を宣告する時どんなに黒い心になるか、
想像してしまう。

分からないことばかりだ。

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