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日比谷松本楼のカレー100円で提供

デパートの案内パンフレットには
初日3000食、3日には2000食の限定と書かれていたが、
現場の貼り紙では各日4000食に増量されていた。

昔、集会に食事を出す時にはとろろ汁を使ったという。
人数に応じて薄めればいいからだ。
現代では、カレーが便利である。
集会や学園祭で、作る側にとってカレーが喜ばれる理由である。

閉場間際に行ったら、待たずに食べられたので、試してみる。
わたしはもともと日比谷の松本楼は嫌いで、
カレーは特に嫌いだったと記憶していた。
それでも100円だから食べた。
カレーは水で薄めればいくらでも増量できるなあと思いつつ食べたら、
むしろ煮詰まっているかのように、小麦粉がとろりと感じられる。
私はこの小麦粉が嫌いなのだと思いつつ、薄めていないなと分かった。
ということは、主催者の見込みははずれていたのだ。
チラシに刷った時には3000で会場掲示には4000だから、
何となく強気の見込みがあったのだろう。
会場の様子からは、閑散としていて、3000も無理だろうと思った。

これが日本人の大好きなカレーの、代表的な名品とは、個人的な嗜好から言えばどうしても考えられないが、
一方で、自分の好みではないが、これがみんなの好きな味だと感じている自分もいる。
中村屋とか、有名カレーの一部はこんな感じだと思った。
もう20年も食べていないから分からないのだが。
わたしが個人的に好きなのは、
グリコのリーの5倍。現在売られている味は昔の味ではないと思う。
昔の味の、グリコのリー5倍が、一番おいしかったと感じる。
レトルトカレーがおいしいとは、自分で書いていて、たいしたことないなと思うのであるが、
しかし、現在、小さな喫茶店などでは、厨房の奥で、業務用レトルトや缶詰を
開けているのだろうと思う。そのおかげで、確かにおいしいのだ。小さな店になるほど、味には自身がないし、品質管理もできないからレトルトに頼り、結果として私の好きな味になるのだ。
そんなものをおいしいと思っている私の舌が情けないが、
現状でそうなので仕方がない。

100円を達成するためなのか、皿とスプーンは使い捨て、水はセルフである。
しかしそんなのは安売りそば屋と同じで違和感はない。
わたしの正直な報告としては、レトルトカレーのほうが出来がいい。
例えば、FR1に冷凍カレーがあり、ときどきおいしく、ときどきまずい。
帝国ホテル冷凍カレーはまずまずおいしい。
レトルトカレーの味は、価格とあまり関係がない。
新製品はそれなりに工夫があり、おいしいと思うことが多い。
具については、個人的には少なくていい。むしろ、変なものを食わせるなと言いたいくらいだ。
すっきり、カレーの部分で勝負して欲しい。ジャガイモも肉もいらない。
こんなのに使う牛肉は多分BSE含有すれすれなのではないかと思う。

インド風の名前のカレー専門店で、ナンと一緒に食べたり、
黄色いライスにかけて食べたりする。あまりおいしくはない。
黄色いライスはサフランライスなのかドライカレーなのかよく分からない。
昔は東銀座のナイルで名物のチキンカレーを食べたりしたけれど、
そのうち全く行かなくなった。
「マゼール、マゼール」と混ぜることを強要されたものだ。
いまはどうだろう。

自分で作ってもうまく行かないので諦めているのだが、
作るとすれば、中辛、リンゴも蜂蜜も使い、チャツネで味を整え、
具はタマネギとチキンのみとしたい。
スープカレーを作るために使うフレーク状のものを使ってうまくいったことが何度かあったが、
そのうちおいしいと思わなくなり、それに何度も同じものを食べなくてはならなくなり、
むしろレトルトカレーでいいと思うようになった。

「さとうのご飯」とレトルトカレーは、電子レンジで、数分でできてしまう簡単さと、味の安定性が気に入って、しばらく食べていたものだ。
いまは食べる気がしない。どうしてだろう。

書いているうちに、カレーの味にまたチャレンジしたくなった。
スコーンにチャレンジする傍らで、工夫してみようかと思っている。
簡単で、安定した味が再現でき、冷凍してもおいしいものを目指したい。



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ミュッシャの絵のきれいさと過剰さ

ミュッシャの絵の「きれいさ」と「過剰さ」を文章でなぞりたい。
そう思った。

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新年の読書

新年を迎え読書について考えた
読書の環境を整えたいと思った

どんな環境がどんな読書の時間を生むか考えたい
唯物論的に

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ミュッシャ 東西モラヴィア挙国一致宝くじ 国語教育

当時、モラヴィアはオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあり、教育はドイツ語で行われていた。民族の言葉を教えるためには財源が必要だった。そのことを訴えたポスター。貧しさを嘆く母が背景にいて、前景には勉強道具らしいものを持つ少女が立っている。

マンガ「モンスター」を思い出した。

国語教育が崩壊しているのは、まさに日本の現状でもある。



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ミュッシャ ドヴォルザーク スメタナ レンドル

元テニスチャンピオン、イワン・レンドルが、
初めて絵を買った。
ミュッシャの絵で、ドヴォルザークやスメタナなど、チェコの音楽家を描いたものだった。

ミュッシャはバリで成功したあとアメリカへ、そして故郷で、民族的なるものに向き合う。
こうした人生の軌跡はドヴォルザークなどと重なり合うのだろう。

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二季物語 作詞者

二季物語、作詞が有川正沙子(漢字多分)。
この歌詞が素晴らしいとずっと思ってきた。
時期遅れですが、拍手。

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古いお守りを返納した



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老舗の会 ?

こんなのがデパートの得意技。
わたしは関心がない。
老舗って、やる気がないもの。
やる気があるところは、資本で支配していても、別の名前でやっているところが多いと感じている。
どうだろう?
こんな風に思うのは偏見か。世界を知らないからか。
長生きしているからには、その合理的な理由があるのか。



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お正月の泉岳寺 四十七士の怨念漂う

この怨念に私は拍手する。
怨念に絡め取られて、命まで捨て、後まで名前を残してしまった、へまな感覚は、「どうしようもなさに忠実であった」点で拍手に値する。

支持する。
この過剰さを誉め称えよう。



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鄙の家 坂を汗して 探し当て

坂道を上ったところに
鄙の家はある
客人は坂を上って一汗かいている

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柄谷行人「世界共和国へ」の結論と論証

最初の導入が簡潔なまとめになっていて、分かりやすい。
最後の結論は、驚いたことに、中学生の考えた理想論のようで、
各国が主権の一部を国際連合に譲渡し、軍事的裏付けを持った国際連合を作ろうかといった趣で、まことに明瞭である。
中間部分は、最初と最後に書いてある結論を証明し説明するためのものだが、すこし難しい。
人民は結論だけを受け取りたいのだろう。

結論は簡単明瞭、論証は難解晦渋。

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自由でも平等でも腐る ホリエモンと生活保護

自由と平等は、現在の社会の仕組みを測定する指標である。
平等を重く考える人たちは
昔の社会主義であり、後の社会民主主義であり、
福祉国家志向であり、大きな政府志向である。
自由を重く考える人たちは、これが最近は流行であるが、
格差が広がっても、自由を保障した方がいいとの意見である。

政府というものが何をしているかといえば、
経済的自由を保証する制度枠組みを作ることと、
結果の不平等を緩和するための政策を実行することである。
自由と平等のバランスについては無限に組み合わせがある。
どの妥協点がいいかについて、
民主主義のプロセスが機能する。

考えてみれば、
ここに理想的な人格の人間がいるとして、
自由競争の中で利益を得たら、
そのあとは、利益を社会に還元したり、周囲の困窮している人を助けたくなるものだろう。
また例えば理想的な人格の人が政府の平等化政策に助けられ恩義を感じたとすれば、
今度はその人が社会や仲間のために何かを志すことになるだろう。

自由と平等の根元に正義の感覚や倫理の感覚や他人を思いやる心などがあれば、
社会制度をどのように設定したとしても、ある程度、いいところに収斂するだろうと考えられる。

逆に、自由と平等の調節中に、
自由の制度を悪用する人たち、平等化の制度を悪用する人たちが出現して、
「想定外」のことを実行してしまえば、
社会の側としてはひとたまりもないし、
仕方がないので後追いで制度を手直ししていく。

自由の悪用としては、必要もないのにライバル会社を合併してみたりする。
平等の悪用としては、生活保護ゴロのように、制度に寄生することがある。

こうしてみると、制度を考えるにあたって、
まるっきり腐った人間を想定していないとうまく行かない世の中であることが分かる。

腐っていない人間を育て守るのはやはり教育なのだろう。

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