SSブログ

いじめで自殺

今度もまた、遺書があって、
「もう死んだ方がましだ」と書いている。
人間というものはそういうものなのだろうなあ。
ひとりの人間をそこまで決意させるなんて、
そんなことが人間にできるものなのか。

何ということだろう。
その時、そのつらい時、そばに寄り添ってあげたいよ、私は。
そんな回路があればいいのに。

いじめる人たちの心の貧しさを
治療することは出来ないものか、
悲しみつつ思う。

根本的な教育である。
いじめる人間の心が死んでいるのだ。
心が死んでしまったのには理由があるだろう。
私たちのだれもが、少しずつ関与している問題なのだと思う。

都知事選 親ばか 子ばか

現職知事の言動に問題が多いのは明かではないか。
それでも出馬するという本人の感覚はどうなっているのだろう。
そしてそんな人間を支持する自民党筋の人たちの感覚はどうなっているのだろう。
信じられないものを目の当たりにしている感じがするのだ。
世間というもの、人間というものの、「大きな壁」の現状を見る思いである。
そして息子の一人は自民党有力国会議員として着々と地位を築いているのだ。
そんな人たちのために私たちがいるのかと思うと全く絶望せざるを得ない。
このままでは人間の倫理の根拠が問われてしまうと思う。

親ばかの程度も余人に代え難し

親ばか子ばかというが、一番ばかなのは、税金を払って、
満員電車に揺られ、ばかな放送で、ばかな会見を見せられている、
われわれ市民である。

全米No.1

映画の宣伝で全米No.1ヒットといつも言っています。
嘘ではないので、
統計の方法によるのでしょうが。
いつも同じ文句で宣伝しているので、
笑ってしまいます。

細部に宿る物々しさ

莫言の小説、(彼の挨拶やエッセイなどは全くそうではない)
大江健三郎の小説、(彼のエッセイは実によい)
ガルシア・マルケス、ギュンター・グラス、その他、
細部が実に物々しくグロテスクであるような人たちがいる。
大江健三郎は小説の方法の中で、そのような『異化』という作用について
紹介して意識的に方法として用いている。
細部がくっきりと存在を主張し、読む者の空想力は、
時にあらぬ方向に乱反射して、独自の読書体験を結実する。
そのような体験を望むか?
わたしはどちらかといえば、望まない。
静かで、均整のとれたものを最近は好む。
しかし若い一時期、そうした、細部のコラージュのような作品を好んだ覚えもある。
あらすじが問題なのではなく、エピソードが問題なのだと、問題意識を意識していたこともある。

写真で感じるうらやましさ

知人が語る。

僕はね、写真を見ていて思うわけ。
ああ、このカメラマンはこんなにも豊かな表情に囲まれて生きてるのか、ってね。
だって、僕がカメラを向けても、その人や動物はそんないい表情をしてくれないように思うね。
それは、その人がカメラを向けたからなんだ。
多分、カメラを向けなくても、その人は、他人のいい表情を引き出しながら生きているんだろうなと思うと、
とても羨ましいと思うなあ。すばらしい資産だもの。
そんないい表情に囲まれていたら、
世界はキラキラしてくるでしょうね。
生きていてつまんないという人は、一部、そんなことも原因じゃないかと思うんですよ。
他人はとにかく、僕の場合はね。
そこがとてつもなく寂しいな。
仕方ないことだけれどね。ないものねだりもしないし、極端にいつも思っているわけでもないけどね。
他人の写真を見ると思うわけ。
文章ならね、着眼の問題だし、どんな言葉で飾るか、それはある程度任意だし、羨ましいとは思うけど、絶望はしない。
写真の場合は、表情を引き出すことと、シャッターを押すことだけでしょう。
表情を引き出せるということは、その人はどんなに豊かな世界に生きてるかと思うと、
羨ましいわけ。
その人に向かってはこんな感じでほほえみかけてくれるわけでしょう。
いいよね。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。