医療クライシス:勤務医の6割「病院辞めたい」
*****
記事:毎日新聞社
提供:毎日新聞社
【2007年3月9日】
医療クライシス:勤務医の6割「病院辞めたい」----231人回答
◇「休みがない」「意欲わかない」
勤務医の6割が「病院を辞めたい」と考え、9割以上が「医師不足」を感じている----。大阪市で11日に開かれるシンポジウム「地域医療をまもる近畿の医師・医療者のつどい」の実行委員会が実施した調査で、勤務医の置かれた厳しい現状が浮き彫りになった。
近畿の保険医協会などを通じて調査票を渡し、郵送やインターネットで回答を集めた。その結果、231人のうち、60%が「病院を辞めたい」と回答。その大半は、自由記載欄で▽「休みがなく、30分で来院できる範囲にしか出かけられない」(自治体病院30代女性)▽「患者のクレームにぴりぴりして、がんばる意欲がわかない」(民間病院40代男性)などと訴えている。また、勤務先の病院で医師不足を感じている人は92%に達し、85%が開業を考えていた。回答者の勤務先は民間病院71%、大学病院11%、自治体病院9%で、年齢は30-40代が65%を占めた。
ブリジストン美術館(2)
独特な微細画技法を用いた。雪の質感など、よくでている。信州に旅行して、ドライブしている時に突然自分の心に抱いていたのとぴったりいったする風景に出くわしたとかで描いたのが「雪の発電所」。これはブリジストン美術館でだいたいいつも展示されている絵だ。
・浅井忠
実際にとてもうまいのだろう、好きだ。しかしブリジストン美術館以外で見ることはほとんどない。51歳で死んでいる。今回は展示されなかったデッサンなども好きだ。
・セザンヌとモネ
なんだかんだ言っても、結局、ブリジストン美術館で一番見たいのは、山と睡蓮だ。今日は睡蓮の前に椅子が置かれていたので、ゆっくりと見つめることが出来た。
睡蓮の前で、生きている苦労がばかばかしく思えた。
先に行きたい人はどうぞ、と思う。
・コローとシスレー
ブリジストン美術館の楽しみの一つ。安定した典型的な構図。
無数の人が模倣して、自分の非才にため息をついたはず。
・ゴッホ
モンマルトルの風車があった。パンフレットの表紙に印刷されている。完璧。模倣さえ不可能ではないか。
・現代抽象画
ブリジストン美術館にもかなりあるのだと分かる。やはりクレーがよい。つまりは見慣れているということなのだろうか。
ブリジストン美術館
ブリジストン美術館にて「じっと見る 印象派から現代まで」を見る。
・ピカソ
1913年ブルゴーニュのマール瓶、グラス、新聞紙
1923年腕を組んですわるサルタンバンク
この両者を比較する。
1913年の作は、後期キュビスムにあたる、総合的キュビスムの成果である。
前期キュビスムは分析的キュビスムといわれる。「MARC」とラベルしてある瓶がキュビスム風に分解されて中央に提示されている。画面上にワインの瓶の注ぎ口とまるい肩が見えている。グラスは両側にある。新聞紙は新聞自体を貼り付けるコラージュ技法を応用している。「JOURNAL」の切れ端が見えている。
瓶の後側に新聞、瓶の両側にグラス、それらが、テーブルの上に乗っている。
絵の具が盛り上がっているのは砂を混ぜて書いているからである。
音楽でいえばジャズが似合う。
第一次世界大戦が終わり、ピカソの愛する女も替わる。戦争で疲弊して、時代は大戦前を懐かしむ雰囲気に溢れる。ユトリロなどがもてはやされる。
1923年にピカソはサルタンバンクを描く。サーカスの呼び込みとしてアクロバットを演ずるような人たちのことで、下層階級の出身に違いないが、絵の中では泰然と腕と足を組んでいる。キュビスムは捨てられている。画風をこのように大胆に転換できるのは、ピカソの天才の証である。
画面左上部分に空白があり、うっすらと人の影が見える。完全に消してしまわない、ピカソの創作上の作為が見える。人の影を探ると、左手をサルタンバンクの右肩に置いているように見える。
ブリジストン美術館で昔エックス線画像を撮影したことがあり、その結果では、サルタンバンクの右肩部分に顔をもたせかけている女性像が描かれていた。ピカソはそれを全部完全に消して、壁を描き、その上に思わせぶりに人の輪郭線を残したものである。
同じ人物で描いた絵がニューヨーク・メトロポリタン美術館にあり、その絵では、エックス線で浮かび上がった女性が描かれている。
というような次第で、ピカソは戦争にはさまれた一時期をパリで過ごしていた。
・マティス
ピカソと並ぶ巨人、マティスも1920年代は、フォーヴィスムというよりは、古典的な静謐に近づく。
マティスの娘を描いた1914年の作品では、輪郭に色つきの線を使用したりしていたものが、1921年両腕をあげたオダリスクでは色彩も形態も懐かしいものに回帰している。時代の刻印と言えるだろう。
ブリジストン美術館ではマティスを沢山所蔵している。
・エコール・ド・パリの人々
エコール・ド・パリを厳密に言えば、外国人で、1920年代にパリで活動した画家ということになるらしい。ユトリロやローランサンは当てはまらないことになるが、広義のエコール・ド・パリとして扱っているようだ。
・ユトリロ
10代ですでにアルコール症という、特異な人生である。
いま、どれかの絵に飛び込んでしばらく居てもいいというなら、
ユトリロの絵の中に入っていきたいような気がする。
・カイム・スーティン
1924年の絵。さして感銘も受けないが、まあ、こんな絵を描く人もいるだろうなという程度。現代の我々は圧倒的に多くのイメージに接しているので、ある種の感覚麻痺に陥っているのだろうと思う。
・シャガール
この人もエコール・ド・パリを彩る一人とされるらしい。
・藤田嗣治
1913年にパリに行って、いきなりピカソを訪ね、衝撃を受ける。
当時パリで流行していた絵の、逆を描いて、個性を出そうとしたとか。例えば、キュビスムに反して、どちらかといえば、古典的な視点を保ち、色も穏やかに。独特の乳白色を使い、日本の毛筆と墨を使い味わいを深くするなど工夫。パリの展覧会で数多く入選し、若くして審査員として迎えられ、後にはレジョン・ドヌール勲章までもらう。
従って、後進の日本人画家の指導的立場につく。藤田の名声もあり、円・フランのレートが当時として4倍程度に跳ね上がったこともあり、パリでの日本人は急増した。
・小出楢重
パリ留学組。しかし馴染めなかったようで、帰国してから悔やむ。自分を西洋人のようにしたいと生活を洋風にした。1924年の絵はそんな様子がよくでている。
この人は裸体画にも取り組んだ。日本にはそれまで裸体画というジャンルがなかった。
NHK俳句短歌
話を聞いていると実に人柄というものがにじみ出るものだ。
添削をしているが、
時に野蛮と思う。