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唇のある魚

先日ある展覧会で
唇のある魚を見ました。

唇は哺乳類から始まっているのですが、
魚についていると不思議なものです。
魚にはオッパイがないのですから、
唇があっても無駄なわけです。

人間の唇は皮膚粘膜移行部のひとつで、内部の興奮状態を表示する部分です。
だから口紅を塗ってヌルヌルやピカピカに見せたりするわけで、
それを魅力的と思ったりするわけです。

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配偶者選択の妙

・異種を好む傾向
 これについてはいろいろな研究があり、例えば、カゴの中にマウスをたくさん入れて、配偶行動を見る。すると、HLAタイピングで遠いもの同士が引かれあう傾向があったとする、有名な、古い古い話。
 HLAタイピングというのは、ヒト組織適合性抗原というもので、臓器移植の時に、これが近ければ、拒絶反応が起こりにくい。また、ある病気にかかりやすい傾向とか、HLAを調べれば分かったりする。
 異種を好む傾向は、遺伝子の混合が進み、有利な遺伝子を利用できるチャンスが増えることから、合理的であると考えられる。

・同種を好む傾向
 これは主に人間の社会生活の都合から来るもので、たとえば財産を確実に残すための戦略、家柄を維持するための方法、などと関係する。
 あまりに同種を好みすぎると遺伝的不都合が生じてしまう。しかし、家柄を維持するためには、例えば、ヨーロッパの王族貴族の婚姻などを見てもわかるように、次第に狭い範囲の中から選ぶようになってしまう。そして正妻はそのような人を当て、第二夫人以降には別の選択基準で対する場合が多い。

・こうしてみると、異種を好む傾向はDNAの原則で、同種を好む傾向は脳の原則であると考えられる。人間はこの中間で苦しみもがく。

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フィリピンの腎臓売買

フィリピンの腎臓売買についてNHKが伝えていた。

解説者は、金持ちばかりが長生きしたり、生きる権利を持っていたり、貧乏な人は生命の尊厳を傷つけられたり、そんなことでいいのか、といったような感じのことをいっていたが、話はよく分かるとしても、なかなか難しいところだ。

金持ちの中にも、よく働いて、なるほどこういう人ならば少しは幸福になってもよかろうという人もいる。
相続した人もいるが、親または先祖が立派だったから幸せになれるというのは、理由になるようでならないようで難しいところだ。

金持ちの中には、立派でなかったから金持ちになれたという人もいて、その場合は、本人であれ、先祖の話であれ、問題なのだが。

別のインタビューに答えていた人の言葉によれば、フィリピンの腎臓売買の場合、外国人に売った方が手数料を高く取れるから、どうしてもそっちを優先する、資本主義だからね、という。
(このばあいは資本主義とはいわないだろうと思うが、まあ、命に関わることでさえも、もうかる方に行くということを言いたいらしい。自由主義的と言った方が近いかもしれない)
それもなかなか難しいところだ。

こうした問題の場合、どこまで根本にさかのぼったらいいのか、難しいこともある。

キリスト教ファンダメンタリストからむき出しの自由主義者のまでが存在して、現状はその中間を漂っている、そんな状態で、そのときどきに応じて、幅を持って対応しているというところだろう。
若い人にはそのような無原則な態度が気に入らないだろう、多分。

一方で、病気腎移植の問題もあり、簡単に結論は出せないだろう。

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右利きの左バッターが有利

イチロー、松井、由伸など並べてみると、
右利きで左打ちのバッターがいる。
かなり前のことになるが、
大リーグの歴代の好打者を分析して、
右利きで左打ちという特徴を抜き出した論文があった。
その人の推定によれば、
利き目が右ということになり、左バッターボックスでは
ボールを主に見る目が右となるから、
有利なのではないかとのことだった。

その他に、右投手を打ちやすい、一塁に近い、
左打席では右腕のコントロールが大切など、
いろいろな意見がある。

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マツゲの角度

先日レストランでウエイトレスさんのマツゲを見てしまいました。
上まぶたのマツゲはほとんど真上に、
下まぶたのマツゲはほとんど真下に、
向かって、
固まっていました。

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昔の人たち

テレビのコマーシャルで元プロ野球投手金田氏が笑顔で出ていた。
新聞では竹村健一氏が写真入りで登場していた。だいぶやせている。
昔の人たちが元気そうに出ている。何歳になったのだろう。

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ドモホルンリンクル

ひっきりなしにコマーシャルをしている。
どんどん宣伝していると売り上げが伸びる。
しかし無限に客がいるわけではない。
ある時点で伸びが鈍り、これ以上宣伝費を使っても無駄だという状態になる。
合理的に考えれば、その時点で宣伝を少なくして、
現在のリピーター顧客を囲い込む方がいいのだろう。

そう考えて、依然として宣伝が多いのはどうしてなのだろう。
リピーターは少ないのかもしれない。
いつも新規顧客を獲得しなくてはならず、結果として宣伝を続けなければならないのかもしれない。

あるいは、現在の顧客を引き止めておくために宣伝が有効なのかもしれない。
宣伝を見て、ああ、自分はこれを使っているから大丈夫だと安心する。
テレビ広告を実際に見て、それにより購買行動につながる人は、
多分限られた層で、無限に存在するわけではないだろうから。

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とんでもない未来

とんでもない未来のことに属するのであるが、
交通手段がますます発展し、人間同士の意思疎通手段も発展すれば、
当然、遺伝子の交配も、文化の混合も進むはずで、
そこに人間の進化の最前線が形成されるが、
それが一渡り終わったあとで、どうなるだろう。
人間にとって未知の文化はなく、異国の異性も存在しなくなるのだ。
世界は均一化する。
そのときどんなに「しらけた」世界になっているだろうかと思う。

人間の文化活動も、性活動も、異種の混合に向かうものだ。
いまはまだ異種が存在する。
異種が存在しなくなったら、退屈してしまうのではないかと危惧する。

人間が実際に歩くことのできる距離、生活圏と呼べる距離、
また会話して共同体を作る距離、仕事で関わる距離、
これらは明らかに限界があり、地球はあまりにも広いのであるが、
しかし遠い遠い未来を考えれば、そうした物理的距離を
ゼロにしてしまう方向で技術は発展するだろう。

インドのカースト制など、異種を強固に保存する文化に
意味があるのはそんなところかもしれない。
技術は地球を狭く均一にするのに、
人間のこころは、閉じこもってみたり、差別してみたりして、
科学技術の傾向に反撃しているのかもしれない。

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