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山本周五郎「樅の木は残った」3

そうですねえ、私にとってつまり、この物語は、

  辛抱 ということですね。ペイシャンス。ビー・ペイシャント。

 心理戦 に勝利するとは、こんなことなんでしょうね。

私にはとてもできない。ネバー・ポシブル。

何があっても顔色ひとつ変えない。ポーカーフェイス。

わめいたりしない。愚痴もこぼさない。カーム アーンド クール。

もちろんブログなんか書かない

原田甲斐はキレがあってコクがあるんだ。

絶対の孤独の中で、アブソリュート・ソリテュード、

ひたすら耐える。エンデュアー。put up with。

できない。やっぱり理解されたい。

私だったら、さっさと戦いを降ります。ギブ・アップ。

私にとって人生とは、味わうことだもの。アブリーシエイトなんだわ。

戦うことでも、耐えることでも、創造することでも、改革することでもない。

Life is not to fight,endure,create,reform.

But only to appreciate.

世界はいいところだから、味わおうよって、呼びかけたいんだ、あたしとしては。

あれ、なんだか、いつもと違っちゃったな。



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毎回のようにランナーを背負う

NHKのニュースで、
「ヤンキースの井川は毎回のようにランナーを背負い、……」
と言ってました。
毎回背負ったのでしょうか。
それとも、毎回に近いくらい、何度も背負ったのでしょうか。
何回のうち何回ランナーを出したのか明示してくれた方が報道としてはいいと思います。
ぼかしたあいまいな表現も、場合によっては悪くないですが、
報道でその必要はないでしょう。
スポーツニュース特有の定型句なのだと思います。
これは頭の悪い言い方で、事実を伝えると言うよりは、定型句でニュースを書いたというだけでしょう。
決まり文句を言っているだけです。
たとえば「ここで突然試合の流れが変わりました」なんて言います。

でも、この「ように」はどんな意味なんでしょうか?

「毎日のように水泳に行く」と言えば、毎日の日課であるかのように、くらいの意味でしょう。
毎日とは言い切れないが、ほぼ毎日と言っていいくらい、の意味もありそうです。

毎回のようにといえば、毎回の決まりであるかのように、くらいの意味でしょうか。
毎回、さんざん、またしても、くらいの意味が込められているのでしょうか?

元来は、高貴な人たちの所業について、はっきりと言い切ることにためらいがあり、
ぼかす必要がある時に、使ったものでしょうか。
現在の若い人の言葉で言えば、
「井川はさあ、毎回みたいにぃ、打たれちゃって、……」くらいなんでしょうか。
「毎回みたく、打たれ」たとか。
「毎回くらい、打たれて」
「毎回とか、うたれてぇ」。
「チョー毎回、打たれて」。
「井川のほう、毎回のように打たれて、よろしかったでしょうか?」



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新宿御苑 とりどりの花















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雨 

 雨の日々が始まる前、あなたから十通ほどの御手紙をいただいた。
 細やかなお心遣いの伝わるこころゆかしい御手紙を受けとるたびに、あなたは女性にお優しいかただとは知りつつ、わたしなどお遊びの相手にも不足だろうと思いながら、そのうちにたくさんの歌を作ってしまい、二首を選んで手紙にしたためて返事をした。
 あなたからの御手紙は白檀系の香りが微かだった。
 お返しのわたしからの手紙にはムラサキツユクサの薄い色を広げた。
 わたしは筆は苦手なので女御にお願いした。
 それほどに自信のない女だった。

 つまらない歌と思われたはず、それきりで忘れられたものと思っていたら、ある夜あなたがお連れの人に歌を託し、わたしは自然にそれを受け、そのあとあなたはわたしを訪れたのだった。
 あなたはわたしのような目立たない女と気を遣わない時間を過ごしたいと気まぐれに思ったのだろう。
 月も出ていない夜だった。

 夜は終わり気がつくと雨だった。
 眠るはずなどなく意識がすこし途切れていたらしいのだった。
 夜のうちに月もない夜と思ったのは、かなり曇っていたからだろうと思い至った。

 あなたは連れの者と語らい、空の様子からすれば、あと小一時間ほどで雨は上がるだろう、それまで出立は延ばそうと決めたようだった。
 雨の多い季節にわたしを訪ねてくださったことをこころから感謝した。
 小一時間の贈り物だった。
 何をしても運のないわたしに、雨は恵みをしてくれた。

 あなたは雨を待つとは言わず、この庵を立ち去りがたく思うなどとつぶやいてくれた。

 それでいいのだった。
 それでうれしかった。
 ただ一度の逢瀬としても、そしてそれがわずかにのびたのはただ雨のせいだとしても、それでもわたしはうれしく、あるだけの自分を献げたのだった。

 あの人を
 ひきとめているのは
 雨
 わたしではない

 そのあとしばらくわたしは長雨とあじさいを親しく思い、後年に至って雨とあじさいをわたしの守り神と思った。 
 あなたとのことは一度きりゆえに忘れがたい思い出となった。

 いまは出家して仏に仕える身となりながら、雨の季節には、まだ娘だった頃の羞じらいまでも思い出せるのだった。
 まぶたの裏を走った光のようなものを思い出すこともある。
 みな、あなたゆえのことだ。
 わたしのことなどお忘れになっているはずのあなたゆえのことなのだった。



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