西武 潮崎 シンカー 大リーグ騒ぎすぎ
どういう脈絡か自分でも分からないのだが
多分プロ野球の開幕の影響か
日本シリーズの西武対巨人で
潮崎のシンカーにきりきりまいして
完敗したことを思い出した
新聞投書で
日本人大リーガーの動向が大きく報道されすぎだとの意見
もっともである
完封したというのならともかく
今日はこんな練習をしましたとNHKが伝えている
BS契約の目玉という気分なのだろうか
まさかそんなこともないだろう
誰が喜んでいるのか不明
考えてみればアメリカは植民地に野球と民主主義を広める
そしてみんなが幸せになる
はずだった
しかし日本人選手はアメリカ本土に引き抜かれる
日本人は金を払ってテレビで接するだけになる
アメリカがもたらす民主主義と平和というお題目は
植民地になるということで
グローバリズムというけれど
物質的に豊かな生活の方がいいに決まっているじゃないかということだ
グローバリズムがもたらすものはこれだ
松井がアメリカで暮らすようになったこと
日本人は遠くの興奮を薄く喜んでいるだけで
松井はアメリカの観光資源になっているのだ
まあいいか 明日から仕事ね はい
多分プロ野球の開幕の影響か
日本シリーズの西武対巨人で
潮崎のシンカーにきりきりまいして
完敗したことを思い出した
新聞投書で
日本人大リーガーの動向が大きく報道されすぎだとの意見
もっともである
完封したというのならともかく
今日はこんな練習をしましたとNHKが伝えている
BS契約の目玉という気分なのだろうか
まさかそんなこともないだろう
誰が喜んでいるのか不明
考えてみればアメリカは植民地に野球と民主主義を広める
そしてみんなが幸せになる
はずだった
しかし日本人選手はアメリカ本土に引き抜かれる
日本人は金を払ってテレビで接するだけになる
アメリカがもたらす民主主義と平和というお題目は
植民地になるということで
グローバリズムというけれど
物質的に豊かな生活の方がいいに決まっているじゃないかということだ
グローバリズムがもたらすものはこれだ
松井がアメリカで暮らすようになったこと
日本人は遠くの興奮を薄く喜んでいるだけで
松井はアメリカの観光資源になっているのだ
まあいいか 明日から仕事ね はい
新潮美術文庫16「ゴヤ」
新潮美術文庫16「ゴヤ」というのが図書館にありまして、
昭和49年発行、平成6年8刷とのこと。
せっかく堀田善衞ゴヤを読んだので、カラー図版で見たいと思い、
ぱらぱらめくった。
ひどい。
作品6。
1794~5年の作、魔女の集会。
解説の一部に、集う者たちは快活、楽しげな感じ、装飾性なんて書いてある。
著者は上智大学教授という人。
まさか。
だって、不快で、陰鬱で、堀田は、どうしてこんなものを壁画に描いたのか、
気が知れないとまで言っているのに。
全体に作品の選び方が不出来。まあ、美術館とか所有者との交渉もあるんでしょうか。
そんなものかなあと思いつつ、巻末の年表を見る。
1802年アルバ公夫人死去、40歳。
記事には、「毒殺説がひそかにつぶやかれた」とある。
教授、これはあんまりです。
学生に作らせたのなら、一回くらいは読んでください。
出版社に作ってもらったのなら、一回くらいは読んでください。
「ひそかにささやかれた」と普通に言えばいいのだと思います。
というような次第で、墓場のゴヤも的はずれな賞賛に困っているだろう。
結局、人類の文化に深く付き合う気持ちも失せる。
新潮社さんは、何も感じないんでしょうか。
昭和49年発行、平成6年8刷とのこと。
せっかく堀田善衞ゴヤを読んだので、カラー図版で見たいと思い、
ぱらぱらめくった。
ひどい。
作品6。
1794~5年の作、魔女の集会。
解説の一部に、集う者たちは快活、楽しげな感じ、装飾性なんて書いてある。
著者は上智大学教授という人。
まさか。
だって、不快で、陰鬱で、堀田は、どうしてこんなものを壁画に描いたのか、
気が知れないとまで言っているのに。
全体に作品の選び方が不出来。まあ、美術館とか所有者との交渉もあるんでしょうか。
そんなものかなあと思いつつ、巻末の年表を見る。
1802年アルバ公夫人死去、40歳。
記事には、「毒殺説がひそかにつぶやかれた」とある。
教授、これはあんまりです。
学生に作らせたのなら、一回くらいは読んでください。
出版社に作ってもらったのなら、一回くらいは読んでください。
「ひそかにささやかれた」と普通に言えばいいのだと思います。
というような次第で、墓場のゴヤも的はずれな賞賛に困っているだろう。
結局、人類の文化に深く付き合う気持ちも失せる。
新潮社さんは、何も感じないんでしょうか。
コラージュについての点描
コラージュについて少しネガティブなことを考えると、
各個のイメージが目についたというところまではいいとして、
それらがどんな関係になっているのかについては、
考えることを放棄しているのではないかとの疑いがある。
意味のまとまりがある文章や絵であれば、
何にせよ、作者の考えていたらしいことをつかむのは難しくない。
作者の意図していた以上のことを深く読みとるとすれば、
それはコラージュの読みとりと同じ次元の話になる。
コラージュは親切な作品ではない。
深い読みとりを要求する。
そうしたことを前提とすれば、
作者は意味のまとまりについて責任を放棄してもいいわけだ。
その点では夢の世界と似ている。
そういえば、
それも悪くない。
各個のイメージが目についたというところまではいいとして、
それらがどんな関係になっているのかについては、
考えることを放棄しているのではないかとの疑いがある。
意味のまとまりがある文章や絵であれば、
何にせよ、作者の考えていたらしいことをつかむのは難しくない。
作者の意図していた以上のことを深く読みとるとすれば、
それはコラージュの読みとりと同じ次元の話になる。
コラージュは親切な作品ではない。
深い読みとりを要求する。
そうしたことを前提とすれば、
作者は意味のまとまりについて責任を放棄してもいいわけだ。
その点では夢の世界と似ている。
そういえば、
それも悪くない。
芸術の道
小林秀雄によれば、こうである。
自分が持って生まれた天分は、
偶然の産物であって、
普遍ではない。
いかに自分の個性、すなわち癖を克服し、
普遍に至るかということが、
芸術家としての本質である。
普遍に至る道とは、自分の個性との
壮絶なる闘いであり、
癖を突き抜けて普遍に至ることを目指している。
こんなことを茂木健一郎がどこかで紹介していた。
なるほど。