真珠貝とその他の貝
その他の貝はだいたいが種を維持する程度である。
真珠を一冊の本とすれば、
人間の中にも、真珠貝に相当する人がいる。
若い頃は真珠貝のような人間に憧れた。
もういまはそんなこともない。
一冊の本の価値を真珠のように信じることができない。
人は問題意識に合わせて世界を切り取る
世界がどのようにあるかということの前提として脳の問題、
または認識の問題がある。
しかしまたそうした脳が発生して、進化の中で保持されてきたということは、
脳を含めた世界がそのように存在するということだ。
さらに、そのように、脳を含めた世界全体を認識しているのが脳である。
部分と全体の入れ子型循環論を形成しているようである。
脳科学は流行なのだが、
しかしそれも流行以上のものにはならないだろう。
各論になれば世界についての科学と創造そのものになってしまう。
哲学を諸学についての学という場合もあるが、
そのような包括的で役に立つ哲学に出会ったことはないように思う。
大学にいるのは、プラトンについての注釈学者である。
つまりはどのようにしても諸学が存在するだけである。
諸学はそれぞれ自分に合わせて世界を切り取り構成する。
解決できないものは見ない。
日本語で考える力がある人は、どうしても発信力に強いものがない。
しかし外国語ができる人は日本語が壊れてしまっている場合が多い。
或いは、日本人としての交信能力が欠けている。
英語のジョークならうまいのかもしれない。
環境問題テレビレポート
大統領選で環境問題を争点にしようという人物に取材。
さらにテレ朝でオーストラリアの砂漠化問題。
問題としては以前からあるわけで、
できれば、この問題に関しては、こういう解決があり、
そのための費用はいくら、何を我慢しなければならないか、
そのために政治ができることは何か、
そんなことを具体的にしていきたいものだ。
ダムの問題などは日本でもさんざんやった。
原発の問題。外来種生物の問題。温暖化、砂漠化、熱帯化。
どれも、われわれの世代はまあ何とか「怖い」という程度ですむかもしれない。
われわれの孫世代は「解決」しなければならないだろう。
官僚vs市場主義vs日本的道
追いつき追い越せ型の社会が行き詰まり、
実際に社会主義国は崩壊し、
アメリカの自由主義、市場主義がくっきりと台頭してくると、
やはり官僚の役割は変わらざるを得ないもので、
大幅に自由競争と市場原理にゆだねたいわけだが、
ライブドア事件とか元官僚主宰のファンド事件とか、
移行期にはいろいろと起こる。
でも、中央集権的官僚制は限界だと見極めて、
新しい社会への軟着陸を考えるわけだが、
そこで日本の歴史的条件とか特殊条件とか勘案して、
ぎりぎりのよい通路を見つけないといけないわけだ。
そんな中で、古い官僚と、古いと知事と、どちらが社会の害になっているのか、
考えるととても空しい。
中央集権的官僚はどうもいけないとなったところで、
問題発言と問題行動が多すぎる都知事が存在して、
やっぱりこんなタイプの人が増えてしまっても困るなあと思う。
北陸大地震で鳥が飛ぶ
テレビを眺めていたら、揺れている時のビデオが流れた。
本当は、ずっと向こうの建物などを狙っていたらしいのだが、
その手前で鳥が乱れて飛んでいる。
空中を、不気味とも、無目的とも、パニックとも、解釈できる感じで、
鳥たちがざわざわと不規則に飛んでいる様子が映っていた。
地中の動物なら、或いは、水にすむ生き物なら、
地震を感じとってということもあるだろうが、
鳥たちにとっては、どうなのだろう。
木の枝に停まっていて、
風が吹いたり、枝の他の部分を猫が揺らしたりなと、
そのような物理的な揺れとは違うことを感知しているように思える。
だって、いったん飛んでしまえば、地震は関係ないはずだ。
地震と鳥の間に、
何が起こっているのだろう。
朝啼く鳥 夢 忘却原理
クックー、クックー、と繰り返し音が聞こえる。
鳥の鳴き声らしいが、一体なんだろう。
夢。よくできた夢だなあと感心しつつ。そのあと急速に忘れる。
忘れる仕組みもよくできている。
多分、夢を忘れる仕組みは、現実を忘れる仕組みにも応用されているはずだ。
人間は忘れたいことを選択して忘れる、多分。
そうならば、忘れたいことを忘れさせてくれない人、思い出させる人は、忌避するようになるだろう。
夢をこんなにもすっきりと忘れられるなら、
その原理を応用して、現実もすっきり忘れられそうだ。
一体どんな原理で忘れているのだろう。
不思議なものだ。
プロ野球についての単純非現実的な提案 たとえば十二支リーグ
プロ野球についていろいろといわれている。単純非現実的提案をしたい。
全球団をいったん分解して、十二支に従って再編する。
生まれた年の十二支でチームを決めて、
チーム名もそれにちなんだものにする。
動物だからちょうどいいい。
たとえばドラゴンズはそのまま使える。
辰年生まれの選手はドラゴンズに入る。
すると、12年に一回、新人が大量に入団する。
高卒でも、大卒でも、社会人でも、
生まれた年のチームにはいる。
練習をしてだんだん強くなり、
年をとって衰える頃、
新人が大量に入団する。
トレードはないから、一体感が強くなる。
たとえば、18歳、30歳、42歳が同じチームでプレーする。
別のチームは、19、31、43である。このあたりは結構強いかもしれない。
24歳、36歳、このあたりのチームも強いかもしれない。
ファンは自分の干支のチームを応援するようになる。
応援歌も干支にちなみ、また、
生まれた年に流行した歌を使うことができる。
このような制度にすれば、ドラフトがいらない。
生まれた年が分かれば自分がどのチームに属するのかが分かる。
簡単明瞭である。
サラリーマンはあなたの干支は何かと聞き合って、
しばらく盛り上がることができる。
世代としての連帯感が醸成される。
12年周期で、どのチームにも優勝のチャンスが生まれる。
以上、プロ野球干支リーグの提案である。
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もう一つ提案があるが、ゴルフの時のようにハンデを考える。
たとえば防御率1.0の投手から2点取った時と、
防御率4.0の投手から4点取った時を、同等と考える。
またたとえば、チーム打点一試合3.0のチームと5.0のチームを
3点と5点に抑えた時では、同等ということになる。
このように、投手防御率とチーム得点率を考慮して
わり算して考えるのも方法かと思う。
もう一つは、最近の巨人のチーム編成を見て思うのだが、
巨人が勝つかどうかよりも、個人成績としてどの程度かということが
興味の中心になってしまっている。
チームとは、偶然にこの時期に居合わせたと言うだけのもののようだ。
むしろそれはそれでいいと思う。仕方ないから。
そこで、たとえば「巨人の三番」(どのチームのどのポジションも同じ)
という場所に、
プロ野球野手が完全に平等にあたるようにする。
テレビへの登場率も平等である。
限りなく個人戦に近い形を考える。
違うな。野球はそんなものじゃない。
不平等で巨人のわがままが目立つけれど、
それもまた社会の縮図であるということで、
ひとつの教訓でありパロディだからいいのだ。
めちゃくちゃでも平気でやっているのが、
サラリーマンの酒の肴になるし、
スポーツ新聞のネタになるのだ。
大相撲優勝決定戦 甲子園20奪三振
相撲、ニュースで見たんですが、朝青龍と白鵬の優勝決定戦、
と思ったら、立ち合いの一瞬ののちに、朝青龍が手をついて、それでおしまい。
これでいいはずはないね。
同じニュースで、甲子園で20奪三振の快挙、21奪三振が最高記録で、
20奪三振は江川以来だという。
全部で27アウトだから、まあ恐ろしいくらいのものだ。
とろこで21奪三振は誰なのだろう。
(選抜大会の1試合奪三振記録) | ||||||||||||||||||||||||||
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伊藤園「充実野菜」
やはり伊藤園の勝ちと思うので
以前買いだめした
そのことをすっかり忘れていたのだが出てきた
いく飲んでいる
しかしどうして腐らないのだろう
それが不思議である