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小椋佳

テレビでコンサート
ガンを克服して63歳

宮沢喜一に似ていた
日本人としての典型的な顔貌の一つと思われる

シクラメンのかほり などやはりよい歌

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シェラトン 八重桜

シェラトンの駐車場入り口にある八重桜
全体に白が強い感じで
新しい緑とよく調和している
ありがたいものだ





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ランチ 四川 タンタンメン

ランチはシェラトンの四川でラーメンを食べた
すったゴマに四川味噌、という感じのどろっとしたスープ。
ここの四川は実際辛い。汗が噴き出た。

鎖に似たものを下げている変格カーテン



窓の外ではこんなにも緑



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ロッドアンテナ

子供の頃のこと、
記憶ははっきりしないのだが、
電子工作キットのようなものがあって、
とても単純なラジオの回路をつくり、
それに長いロッドアンテナをつないで、
イヤホンでAM放送を聞いた。

そのうちにいろいろなことをしたようで、
イヤホン端子を回路の中のいろいろなところに
くっつけてみた。
そのうち、ロッドアンテナ自体の二箇所に
イヤホン端子をくっつけて、それでも聞こえることが確認できたように思う。
アンテナは、電波を受け取り、それ自身で電流を発生していて、
それはイヤホンで聞くことができる、
電子回路はその電流を増幅しているだけらしい。

ロッドアンテナに発生する電流は、
ラジオ局がいくつもあるなかで、どれなのかという問題があるが、
それは多分、ロッドアンテナの長さにより、
もっとも効率よく受信できる周波数が決まるのではないかと思った。

まさかね、アンテナだけでラジオが聞こえるのだろうか。
ラジオの回路はくっついていたわけだから、
結局その回路が何かの働きをしていたのかもしれない。

また後のあるとき、
LPレコードを聴きながら、カセットテープに録音していたことがあった。
タクシーが近づいたときなのだろうか、
タクシーが無線で交信している様子が、
録音された。
レコードの上を滑る針が、
無線の電波が強すぎるせいで、
音に変換してしまったものだろうか。
このときは、以前に経験していた、ロッドアンテナのことを思い出していた。
その後、誰か、この関係の人に話を聞きたいと思いながら、そのままになっていた。

ついさっき、FMを聞いていたら雑音が混じっていて、
ラジオというものの存在がまざまざと感じられた。
それに関して、ロッドアンテナのことも思い出した。

子供の頃の経験は一つきりで替えられない。
そのことが痛いように私の胸に響いている。



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花で装う





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いつまでも流れる花びら





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大江健三郎「話して考える」と「書いて考える」2

○小説を書くとき。準備期間の後、ある時間をかけて文章を書く。その草稿を、最初に要した時日の三倍かけて、二度、三度と書き直す。

●書き直している間に、芸術の度合いは高まる。しかし一方で、その外観で読者を拒絶する場合があり、または読者が作品を拒絶してしまう場合もある。私にとっては、その段階で、作品がグロテスクな何ものかに変化してしまうと感じられる。わたしは拒絶を感じる。私が欲しいのは、その最初の思いつきなのだろう。
●たとえて言えば、キュビスムのピカソのようなものになる。それはそれでいいのだけれど。わたしはもっと印象派的なものが好きなのだ。文章にしても同じ。
●ジャズもいいけれど、酔って歌えるような「歌」が好きだ。
●そうは言いつつ、私もある夜はジャズを聴く。

●思いつき→平易な表現→芸術的表現 というような、単純な系列を考えるとして、読者は何を求めているだろうか。
●一番難しいのは、最初の「思いつき」を得るだろうと思う。これほど情報が流通し反復されている現状からすれば、何か新しいことを思いつくなどということは難しい面もある。
●また一方、メタ批評はいつでも可能なはずで、現在ある情報を素材として、それらを加工してみせることはできないことではないだろう。しかしそれがどの程度本質的に重要な新発想なのかということだ。
●ごまかしたいのなら、小説の主人公の名前を変えて、職業を変えれば、それでもできないことはないのだ。
●その上で、「芸術」的な装飾を造り上げればよい。たとえば、絵画で言う静物画は、特に何か新しい着想があるわけではないのだ。いかに描くかの点で、何か新しい着想があればそれも楽しいが、それさえない場合が多く、結局、何を思いついたのか、どんな技術をアピールしたいのか、はっきりしないことも多い。
●一番求められているのは「思いつき」なのだけれど、この時代では難しいものに属するだろう。思いつきは表現の形と独立しているものではないようで、たとえば俳句という形が、思いつきを促し、結果として、表現と着想は、一緒に現れることも多い。

●思いつきをどんな箱に詰めて提示するか。思いつきも陳腐だし、箱も見飽きている、そんな時代になっている。

●書き直しのプロセスを公開してしまうという形の芸術も可能であり、楽しいのではないかと思う。作家の古い原稿が出てきた時に、書き直しや編集の具体的な細部について研究が始まったりする。そこに興味があることは分かっているのだから、作者による、推敲課程の研究として、提出したら、これもまたひとつの芸術になるのではないか。
●昔、田中康夫が注釈を大量に付加する形を提示した。そんな感じの試みとして、推敲プロセスを辿ることによる芸術プロセスの提示ができないものか。

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NHKドラマ「グッジョブ」 松下奈緒

松下奈緒主演で5回連続。
原作がいいのだろう、おもしろい。
かたおかみさお作のマンガで、第七巻。
仕事を始めるにあたっての、ガイダンスに最適かもしれない。
ノウハウが詰め込まれているドラマは見ていて得をした気分になる。

腐って愚痴を並べているよりは、
工夫した方がいい。

いやな奴だと思って腐ってしまうよりは、
あいつを笑わせられないなら、私の負けだと思い決めて、
その人の笑いそうな話題を見つける人もいるくらいだ。

悪口を言って勝つのではなく、
笑いを取って勝つのである。
いいことだ。

どうせ仕事をするしかないのだし、
どうせ今組んでいるメンツでやるしかないのだから、
なるべくストレスなく職場を作っていきたい、
それは当然だ。
しかしそれがなかなかうまくいかない。
相性というものもある。

しかし、それでも、である、どうせ仕事はしなければならない、
しなくていいなら、逃げてもいいなら、さっさと逃げてしまいたい、逃げているはずだ、
でも、そんなことはできない、
だから、結局、人間関係を工夫するしかない。

多分、一人一人が、みんなのために、苦労も、気遣いも、小銭も、時間も
持ち出しで引き受けるくらいでないとうまくいかない。
特に苦労を引き受けもしていないなら、うまくいかないのは当然だと思うしかない。
苦労して、ぎすぎすを防ぐか、
苦労しないで、ぎすぎすを我慢するか、
どっちもどっちなのだ。
そんなにまで苦労して甲斐があるのかと問われれば、
ぎすぎすを放置して平気でいられるかどうかということだ。
またある人は、ぎすぎすのなかで派閥を作って、集団力学をはじめてしまう。
戦う動物であることは悪いことではないが、
あまりに利己的でも都合が悪い。

対人関係を融和的に導く人と、対立的に導く人がいるものだ。
性格である。



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巨人第10戦

一点差で負け。
しかし一点差でというところがいい。
気力が途切れてどんどん点数を入れられたということではない。
一点差なら、あと少しで何とかなったかもしれない。
このような試合を続けていれば、
こんど3点差くらいで負けているときも、
一点差にはできたのだから、今日も諦めずにやってみようという気持ちが生まれる。
日々、明日のための蓄積になるのだ。

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