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大江健三郎「話して考える」と「書いて考える」10

○老婦人にとつて、その人生の「時」は、いまや静かな回想の中にある。

●なるほど。確かにそうだろう。回想の中のいくつかの場面を関連づけて、対応させたり、内的関連について考察したり、感情の流れを確認してみたり、いろいろなことができるはずなのだ。
●そうした回想をより意識的に行うなら、文学にも、宗教にも近くなるはずだろう。

○しばしば、「もう時がない……」と感じとる。少年も老女も。

●それはなぜなんだろう。ひとつには、現在の一瞬が失われるものであるという事実に基づいているかもしれない。

○読み直すこと。リリーディング。
○シリアスな・真面目な読者とは、リリーディングをする読者のことだ。
○必ずしもそれは、もう一度読むということではない。本の持つ構造のパースペクティヴのなかで読むこと。それが言葉の迷路をさまよっているような読み方を、方向性のある探求クエストに変える。

●なるほど、たとえていえば、読書する時、読者として、著者の提示する平面で一緒に楽しくさまよう、しかし、その一方で、その平面を高い地点から俯瞰することもできているなら、読みながら同時に別の視点の読み方ができているはずだろう。
●日常生活を生きていて、そのように視点の移動がしばしば円滑にできているとしたら、一種の達人であると思う。その人にとっては、目の前にあるひどい現実も、相対化されるだろう。


品達 麺と丼 1000円以下

最近何度か、品川駅ガード下の
品達、
麺の店何店かと、丼の店何店かが集合しているゾーンで食べた。
まず値段がカジュアル、味もまあまあよい、
店によっては量も満点。

客層は、若い人。
カップルが多いのも特徴ではないか。
一人の人は男性で、バイトの前か、後かという感じ。

おつまみを取って、ビールを飲んでいるおじさんもいた。
この人は独りなので、店の混み具合によって、席を移動してあげていた。
大人だ。


巨人第22戦目

横浜相手に打ち合いで敗戦。二岡が頼もしい。

姜は1勝3敗0Sとなった。でもまあよく投げている。問題ない。

最近は2勝1敗ペースできているし、全体でも勝率は6割を超えているので、
全く問題ない。

パリーグとの交流試合も、今年は谷、小笠原がいるので、
いけるかもしれない。


古い町の歯医者さんに行く

結局、古い町のなじみの歯医者さんに電話をして、
予約を取りました。
電車賃はかかるけれど、仕方がないでしょう。
安心感の方が大事だもの。
ちょっとした小旅行です。
明日行くことになりました。


ゴールデンウィーク

世の中はゴールデンウィークなのですね。
私は何も予定はありません。
ひたすら読書したい、それだけです。

まだ味読していない古典作品が沢山あるのだから、
わたしのやりたいことはまず第一に、
古典を読むことだ。

天気がよければ少しだけ散歩に行ってもいい。
人混みでないところに。


歯医者さんを選ぶ

たとえば歯医者さんを選ぶ時、
どんなふうにして出会うのでしょうか。
難しいものです。

あんまり上手そうではないとか、
商売第一らしいとか、
素っ気ないとか、
よく分かってくれるとか、
そんな要素も徐々に分かってくることで、
最初から分かるわけではないし、
偶然の相性の問題でもあるし、
難しいものです。

結局、昨日行った歯医者さんの予約があるのですが、
行こうかどうか迷っています。

昔住んでいた町の歯医者さんは、私は好きでした。
もう60歳も過ぎるかと思われるほどの男性歯科医、
息子さんと共同で駅前で診療していました。

その町では駅前でほとんどすべての用が足りたものです。
スーパーがあり、電気屋があり、ホームセンターがあり、
お医者さんもあり、銀行も役所もあり、全部徒歩10分以内の距離で、
自動車は必要ありませんでした。

いま都心部にいると、歯医者さんは沢山あって看板をそこここで見かけるのですが、
評判については全然分かりません。
田舎ではお医者さんの評判がかなりいろいろ分かります。
正確ではないかもしれませんが、○にしろ×にしろ情報はあるようです。

困ったなあ。
新しい医院はなんだか商売に走っている感じがする。
古い医院は技術と設備が古い感じがする。

優しくて患者の立場に立ってくれる人で、
しかも技術が確かな人がいい。
どうすれば巡り会えますか?

古い町まで行ってもいいのだけれどなあ。
どうしようかなあ。
うつの私には決められない、重大すぎる事件なのである。


読みかけの小説

仕事に関してのことがにわかにやかましくなり
私は、脳が仕事モードになってしまうと、
ゆっくりと小説を読んでいられないたちであることは承知しているのだが、
今回も実際、その通りになっている。

大江健三郎「憂い顔の童子」を読みかけている。
先日までは、大江ワールドの中で、イメージのふくらみを楽しみ、
言語の力を楽しんでもいた。
しかし脳の仕事回路が発動してしまうと、
小説は色あせて萎んでしまうようだ。

仕方がないので、そばにあった、
安岡章太郎「海辺の光景」を読んでみた。
ますます頭になじまないことが分かった。

なじまなくなると興味がなくなることはもちろんなのだが、
途中で本を置いて考え込んでいることが多くなる。
また、夜ならば、うとうと眠り、その間に、自分なりに物語を進行させていたりする。
すこしして起きて、また文章に沿って進み、またうとうとして、
自分の物語を進行させたりしているようだ。

文章についてもそうで、
うとうとしつつ、自分の文章を「読んで」いることがある。


大江健三郎「話して考える」と「書いて考える」9

○敗戦後の一時期。あの時期ならば、自分の運命がどんなにねじ曲げられても不思議じゃなかった・よく生きのびたものだ、という思いにあらためてとらえられるのです。いや、あの時期、自分は確かに決定的な変動を体験したのであって、いまここにいる自分は、全く変わってしまった後の自分だ、という気がします。この時期については、うまく表現することができないできた。

●敗戦後の一時期については、まさにそうだっただろうと思う。石川淳を思い出した。
●「よく生きのびたものだ」の感慨について。そういえばそうだ、そうなのだ。ただ生きのびただけで、それはかなり立派なものなのだ。自分の割り当てられたDNAがどんなふうにこの世界で形質を発現していくのか、それを見届けるだけでいい。もう苦しまなくていいのだ。そう思う。

○身体と精神と感情に起こった決定的な変化。その転換期をどう乗り越えたかの物語。
○わたしは理科少年から文学に関心を持つ少年に変わった。
○私らが子供の時、時間がいかにノロノロ進むようであったか。

●転換期をどう乗り越えたか。理科少年から文学少年に。そこに段差があったのか。
●理科少年が本当に文学に関心を寄せたら、たとえば安部公房のように、独自の世界を築くことができるはずなのだ。私なら、多分、独自の世界観の提示を試みるだろう。


大江健三郎「話して考える」と「書いて考える」8

○しかもそのようにして生きのびるだけでなく、自分を、なにかえたいの知れないところのあるものから、なんとかかたちのある「自分自身」に造り上げて行っていたのですから。

●自分を造り上げる。そうかもしれない。しかしまた、私の目指すことは、自分自身を造り上げることではなく、人々に向けて、それも100年後の未来の人類に向けて、確かな、有効な言葉を残すことではないかと思うのだ。そして、その言葉をみがき固める過程で、私自身が確固たるものとしてみがかれて出来上がるなら、それも望外の喜びである。
●100年後の人と仮定することで、理想的な人を想定することができる。信頼するに足る人と想定することができる。しかし一方で、現在、周囲にいる人間に対しての、不信感と解釈することもできる。

○子供だった頃のリアリティーは、悪夢から幸福な夢まで、まさに夢のリアリティーと重なっているようにも感じられる

●こうしてみると現実の時間軸と夢の時間軸は並列しておかれているようだ。無論、現実であることの重みはどうごまかしようもなく重いのであるが。人の心の中で、過去や未来は現在と拮抗する形で存在しているし、過去の人間は、いま現在命がないとしても、やはり人の心の中で生き続けていると思う。


歯のトラブル

今日の昼頃、歯の詰め物がとれてしまいました。
歯医者さんに行ったら、

虫歯が12本もあります。
まずレントゲンを撮って、全部なおした方がいいですね。
今回とれたその部分もだいぶ削ってきれいにしないといけません。
とりあえず簡単なもの詰めておいてもいいですけど、
すぐにとれてしまいますよ。
歯垢も溜まっていて、それが歯槽膿漏の原因になりますね。

こんな感じでさんざんに言われて、
どうしようもないなと、落ち込んだけれど、道をさっさと歩いていた。

他人の病気についてあんなに簡単に断言してしまうんだね。
人の辛さはどうなるのだろう。
どうでもいいか、事実は事実だ。
おみくじの大凶を渡す時に特別な慰めを言ったりしないものね。

老化。
変化。
衰え。
つらいものだ。
徐々に徐々に受け入れて行くしかない。

おまけに最近は横になっている時間も長いので、
体力も落ちているのだ。
困ったものだ。
どうしようか。

虫歯については仕方がない、
歯医者さんにまかせるしかない。
億劫だけれど、仕方がない。


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