SSブログ

企業買収

午前中の、NHKスペシャルの再放送で、
新日鉄がミタル社による企業買収の危機にどう対応するかという話。
新日鉄の経営陣は怒っていた。
当然である。

鉄を研究し作ることで社会に貢献してきた会社を、
金融ゲームのような手法で飲み込んでいくなんて、
許しておいてはいけない。

世界の製造業が協力して、
ヘッジファンドグループなどを強力にやっつけることなんかできないものだろうか。

もっともっと怒っていい。
なんていうのは、幼稚というものか。
大人の対策を立てるしかないのだ。
世知辛い世の中である。
わたしはドロップアウトだ。

新日鉄の経営陣によれば、ミタルが
アルセロールを最初の標的にしてくれたから、助かったのだという。
そして企業買収に対する防衛策として、
個人株主に対して、株式保有を働きかけるのだという。



共通テーマ:日記・雑感

生きることに要するコスト

ただ生きるだけでかなりの経費を要するものだ。
一見、無駄と思えるコストも必要経費である。
無駄を切りつめようと思っても、
世の中は許してくれない。
世間並みの無駄は必要なものなのだと経験からは思う。

敗者の弁だろうか。



共通テーマ:日記・雑感

巨人第41、42戦目

41戦目 中日川上に負け。仕方ない。
42戦目 なぜかデーゲーム。李はまたホームラン、復調か。
チームは首位陥落。中日は実際に強いから、仕方がないと思う。

交流戦が始まれば、パ・リーグから移籍してきた強打者が
機能すると思うので楽しみである。
パ・リーグのエースを見るのが楽しみである。
交流戦が終了して、3位以内なら、オーライだと思う。



共通テーマ:日記・雑感

大江健三郎「話して考える」と「書いて考える」14

○考えるというのは、つまり言葉で考えるんだと気がついた。

●そう、だから、言葉を使わないで考えるということがどういうことなのかも、知りたいものだ。それは思考とは呼べないかもしれない。直感といった方がいいのだろう。考えるといえば不正確なので、言葉によらずに、結論を出す、その方法ということになるだろうか。

●深く理解する時は、図示できる時だとの印象がある。解説書でも、図解方式は分かりやすい。

●考えるからよい選択ができているのだとも思わない。何も考えずにいい選択ができているのかもしれず、考える過程はそのあとに発生して、すべてを追認しているのかもしれないのだ。無意識の研究はそういうことになる。

○相手を説得できなかった時、一人になってから、紙に書いてみる。

●そのようなことができるならば、かなり誠実なのだと言えるだろう。



共通テーマ:日記・雑感

オーデン「新年の手紙」

風呂本武敏訳。
いやー、参りました。
詩を読んでパッと頭に灯りがつくような詩ではないです。
たとえば、訳詞の世界でも、アポリネールとか、
堀口大学の「月下の一群」とか、そんな感じで分かるものではないようだ。

分かろうとする人のために、
オーデン自注、訳注がたっぷり掲載されている。
これがまたすごいです。

自注の中にはおびただしい引用。
ウィリアム・ブレイク、イェイツ、などこれまた分かりにくい人の言葉を引用されても、
ますます分かりにくいのだった。
他に、ニーチェ、ミード、キルケゴール、リルケ、シェイクスピア、キプリング、
コリングウッド、カフカなど。なかなか難物。
この手のものを翻訳するのは極めて困難である。
無難に、几帳面に既訳文献を引用しているが、断片により意味を正確に
伝達することは難しいのだ。
断片を自分なりに翻訳したいと思ったに違いないが、
多分、放棄したと思う。
大学の先生だから、講義の準備として、
一つ一つの引用について、翻訳をあたり、引用したものだろうけれど、
理解するには、引用部分周辺をさらに理解する必要もあり、
なかなか困難である。
少なくとも時間と覚悟が必要である。

というようなわけで、
理解のハードルは高く、
感動のハードルはさらに高く、
私のような無教養な人へのオーデン導入の書が必要である。

オーデンと、ブレイクについて、初心者への導入書を強く要望する。
ブレイクについては、版画を見ながら読んでも、なお難しい。
霊感がなければ無理なのか。



共通テーマ:日記・雑感

山本周五郎「虚空遍歴」

いいものだ
教訓のためではなく
ただ楽しみのために読んでいる

金沢に向かう途中で
パニック発作を起こす。
不安発作の要点を簡潔に描いていて、
わかりやすい。

抜き書きしてメモしておきたいがその気力なし。



共通テーマ:日記・雑感

小川国夫「アポロンの島」2

愛知県で銃を持って立てこもった人物がいて、
警官が一人命を落とした。そんな事件が起こっていた。

憲法改正の手続きに必要な法律、国民投票法が議会を通過した。

私の身辺も落ち着かない。仕事も私生活も
思わしくないことばかりが続くのだった。
心の安らぎはどこにもない。

そんな中で偶然「アポロンの島」を手に取り、
読み始めたものの、
切れ切れの映画フィルムを見ているようで、
まとまった印象には至らない。
読んでいても文字がイメージに変換されず
つるつると滑ってゆく。
しかしなぜか部分部分のイメージには喚起力があり、
自分の内部の記憶が掘り起こされた。
思いがけない記憶が回想され、しばらくのあいだ
自分の過去を振り返ってみたものだった。

かなり変わった読書体験であった。



共通テーマ:日記・雑感

小川国夫「アポロンの島」

文章の質によるのだろうか
いろいろなことを思い出させられている
過去の連想があふれかえっている
どうしたことだろうか
いぶかしいほどだ

あの四畳半の部屋で本を読みふけった頃のこと
素人じみてはいたがそれでも集中力はあり志があった
カップ麺もよく食べた
湯を沸かしたのは保温もない電気ポットだった
当時はこたつに入っていた

熱い道を歩いていたあの日のこと
汗は噴き出していたが気分は楽だった
どうにかなるだろうといつも考えられた

寒い日、雪が降り、私は飛行機を一つ遅らせた
長靴を履いて鳥肉を買いに行った

自転車を漕いで砂利道にはいるとハンドルが取られた
しかしそのようにして自分の足で遠くまで行けることは幸せだった

記憶の細部に言葉は届かないが
それでも私は回想の時間をたっぷりと楽しんだ
私の中に確実に堆積して蓄えられていたのだ

読書しながらこんなことを次々に思い出すのも珍しいのだった



共通テーマ:日記・雑感

筋肉は脂肪に変わる

身体のどこにも力を入れずに
過ごすコツがわかった

その結果ますます脱力して
筋肉は脂肪に変わる

この季節は
じっとしていると
汗もかかず
寒くもなく
いつまでも無重力の中にいるようだ

ゴールデンウィークの頃は
やりきれなく思えたあの草の香りも
最近は強くない

筋肉が活動停止したら
脳も活動を停止した

多分脳も脂肪に変わるだろう



共通テーマ:日記・雑感

他力本願 信仰の道

いよいよ私に残されているのは
他力本願
信仰の道しかないのだと感じているのだ

市井に紛れて生きて
他力本願を生きる

そんなこともできない現代である
仕事しなくちゃな



共通テーマ:日記・雑感

巨人第40戦目

またまた楽勝
何も書くこともないくらいだ

しかしまた普通波テレビ放送がなかった。
仁志が上原から2ランホームランを打ったはずだけれど、
スポーツニュースでは映像が流れなかった。

スポーツニュースではメジャー情報の方が
大切に扱われている感じになっている。



共通テーマ:日記・雑感

永井荷風について2

永井荷風は孤高の文士として生きた。
社会との関係を最小限にとどめ、
都市の中の隠者となった。
その孤高を支えたのは経済的安定である。
優良株を買い、資産の運用に心を砕いた。
印税、原稿料、株の売買記録も、細かく記している。
他人に関わることをしないかわりに、
他人の世話にもならない。
個人主義を徹底するには、経済的な自立がなければならない。

*****
生きているからその証として日記を書くのではない。
日記(芸術)を書くためにこそ毎日を生きる。
荷風は実人生を芸術に捧げた。



共通テーマ:日記・雑感

川本三郎「荷風好日」

永井荷風についての軽いエッセイ。

荷風の態度を、
敗残趣味とも零落趣味とも呼んでいる。
よく分かる。

教授職をさっさと引退し、仕事はしない。
東京の街を散歩し、私娼を相手に日々を暮らす。
二度結婚していずれもすぐに離婚、その後は終生独身を通す。
自由な高等遊民だった。
孤独を守ってくれた麻布の偏倚館を失ってからは世間の荒波が押し寄せて、
創作の筆も湿りがちとなった。

昭和29年の4月、荷風は国電の電車の中で、銀行の預金通帳を紛失した。
親切な米兵が拾って警察に届けてくれた。通帳にはなんと1600万円が入ってたという。
新聞に報じられると、全国から何百通もの無心の手紙が舞い込んだという。

金銭感覚についていえば、
空襲で焼けた麻布の偏倚館の宅地を昭和23年、79950円で売却。
市川の一戸建てを購入して、それが30万円と紹介されている。
1600万円の通帳を持っている人間が、と考えれば、疑問であるが。

最期は誰にも見取られずに一人で死去したらしい。
そのとき、部屋には森鴎外「渋江抽斎」の一ページが開かれていた。



共通テーマ:日記・雑感

巨人第39戦目

二位横浜相手に完勝。
こんなに強いものかね。
それでもテレビ放映は従来局から締め出されていた。
野球は先細りなのかとひしひしと思う。

そんなことも、人生の大半を生きてしまったという
気持ちのある者にはつらいことだ。



共通テーマ:日記・雑感

野心 グレイス・ペイリー

小説家、グレイス・ペイリーについて、村上春樹の紹介がある。

グレイス・ペイリーが寡作であることについて、
二つの理由があるという。
一つは、彼女の人生に三つの柱があり、
それは家庭と政治と書くことである。最初は育児に忙しく、
そのあとは、政治に忙しかった。それゆえ、佳作であった。
もう一つの理由は、彼女に野心がないことである。
「孫の顔を見ることの方が、一つの小説を仕上げることより大事」
という。

野心という、まことに荒々しい言葉が、否定的にではあれ、
放り出されて見ると、考えさせられる。

私には多分、野心がある。
過剰なくらいに、ある。

しかしそれは実現しない野心であって、
大変困る。



共通テーマ:日記・雑感

穂村弘「本当は違うんだ日記」

私が普段読んでいる文章とはかなり肌触りの違うもの。

生活していて、等身大の人間が、
あれこれ感じたり発見したりしている様子が面白い。
オリジナルな感じがある。
この人が生きているということはこういうことなのかと思う。
実際の手触りがある。

あとがきから引用。

今はまだ人生のリハーサルだ。
本番じゃない。
そう思うことで、私は「今」のみじめさに耐えていた。
これはほんの下書きなんだ。
いつか本番が始まる。
そうしたら物凄い鮮やかな色を塗ってやる。
塗って塗って塗りまくる。
でも、本番っていつ始まるんだ?
わからないまま、下書き、下書き、リハーサルと思い続けて数十年が経った。

そして鼻毛が銀色だったことに著者は気がつくのだった。



共通テーマ:日記・雑感

旧古川庭園に散歩

東京+バラ で検索したら
旧古川庭園がヒットしたので、夜、散歩に行った。

多分夜だから散歩可能な範囲は狭かった。
あちらこちらに立ち入り禁止の表示があった。

バラはちょうど満開のようだ。
日本テレビの撮影隊が来ていた。

しかしあまりに大きい花で、大味。
名前の付け方もお笑いのようで、品格がない。

古い建物はさすがにすばらしい。
このような生活も可能なものかと、
幸せな恵まれた人を羨望する。

来園客のほとんどすべての人が写真を撮っていた。
しかし多分うまくとれていない。
だって、暗すぎる。

しかしこんなにも沢山の人が写真を撮るものかと思った。
男女のカップル客も多い。
親密というよりは、出会ってすぐの、固い感じの人たちが多かったと思う。

私はまだぎっくり腰が完治せず、
向こうから歩いてくるご老人が、腰を気遣いながら苦しそうに歩いているのを見て、
参考にすることにした。
大変ですね、お大事に。

暑くもなく寒くもなく
心地よい風さえ吹いて、
祝福された夜であった。



共通テーマ:日記・雑感

富良野のラベンダー畑

北海道富良野のラベンダー畑に行きたい。
前田新三の写真で印象的である。

御殿場で富士山を見ていたい。

清里できれいな空気を吸いたい。



共通テーマ:日記・雑感

大江健三郎・再発見 すばる編集部・大江健三郎 7

小説家にとって、
魂の癒しは簡単にはいかない。

「憂い顔の騎士」

*****
このところ、「憂い顔の騎士」であるドン・キホーテについて
連続して目にしている。

堀田善衛のゴヤの話、大江の小説、道化の話、そして昨日は、
ロストロポービッチのビデオ。

*****
魂の癒しは確かに大きなテーマである。

自分としては、癒しの本質部分は、たとえばカトリック的構築物に大量に含まれていると思うのだが、
しかしそれは神、天国、審判、その他いろいろな装置を通して語られるもので、
その際に私はたぶんメタファーとして解釈しているのだ。

しかしそんなことももうどうでもいい気分なのだ。
そしてそんな自分がいまここに居て、人生の一時期、そんな気分を生きていたと、
それもまた悪くないだろうと楽観しているところがある。

人並みにしたいと焦れば、まさに焦る理由はある。
しかしまた、人並みにしたところでどうすると思えば、
そんなこともどうでもよいと思える。

この現実の現代日本社会を生きている自分が居る。
もう一つ、科学の延長にある徹底した虚無主義を信条としている自分が居る。
さらに別の平面に、キリスト教などの、宗教的思考に親しむ自分が居る。
この三者は奇妙なことに同居している。



共通テーマ:日記・雑感

大江健三郎・再発見 すばる編集部・大江健三郎 6

セルフの死と再生の物語

*****
再生するには死が必要だ

どうにもくだらない人生ならばいったん死んでも悔いはないが
ほどほどのよい人生であれば、いったん死ぬのもなかなかの苦痛である。

そして、その苦痛の後に、苦痛に値するだけの、再生の喜びが得られなければ、
見合わないことになる。

死の苦痛が強かったら、次の再生において、要求が高くなる。
すんなりと死ぬことができたなら、たいしたことのない再生でも、よかったと思えるだろう。

そのような損得勘定がうっすらと頭に浮かんでいる。

蛇が脱皮するとして、ぼろぼろのよろいならすぐにでも苦痛なく捨てられる。
やっとのことで苦労して手に入れたよろいなら、脱ぎ捨てることの苦痛が大きい。
しかしそれでも脱ぎ捨てたいときがあるものだ。

さなぎから蝶になるという美しいイメージを捨てたくない。
さなぎの時期には不安も大きい。それでいいのだ。

鏡でわが姿を見てしまったとき、
さなぎは耐えられるのか?
それでもなお、未来を信じるしかない。

*****
本当に再生などできるものだろうかといぶかしい。
しかしながら、すでにその道を選んでいるのだ。
再生しないわけにはいかない。
ただ時間はたっぷりとかけようと思う。
大江がスピノザを読んで三年暮らしたように。



共通テーマ:日記・雑感

大江健三郎・再発見 すばる編集部・大江健三郎 5

文学からの解放

書くことから自由になった人生に対してノスタルジーを抱く

逆に、
文学だけが大江さんを文学から解放できる。

小説を書くのを病めて丸三年、
スピノザとその研究書を読んですごした。
想像力の職業というものに見切りをつけたかった。

私は小説を書かない自分はまったくなにものでもない、
という強迫観念にとらえられた。

三年間の終りに、小説を書かない自分は、またくなにものでもない、
という思いに辿り着いてしまった。

文学のみが人を文学から自由たらしめる。

今後、いかに文学から自由になって死んで行くことになるかを、書こうとしているのだ。

*****
仕事をしていない自分はまったくなにものでもない

そのことは悪いことばかりではない
仕事をしていれば世間を渡るには足りるのだから

なぜなら、仕事を通じて、人は社会からの期待値を受け取っている
仕事を通じて受け取る期待値と等価の期待値を他の活動を通じて受け取るのは、
当然ながら、無理な話である。

私はこつこつとひとつのことに打ち込み、
持続を評価してもらえるようになりたい。

思いつきではなく、持続を評価してもらいたい。

こんどは自分の不得意なことで社会に挑戦しようというのだから、
まったくばかげているのだった。
こんな思い付きを語っている暇があったら、さっさと持続の仕事を開始するのがよいだろう。



共通テーマ:日記・雑感

奈良に行きたい

やっぱり奈良に行ってこようと思う。
修学旅行以来である。

興福寺に二日、東大寺に二日、奈良公園を歩く。
もっと余裕があったら、春日大社。
行きたいのはその辺りだけ。

調べたら、付近のホテルは、一泊ツインで一人8500円くらいだった。

興福寺八部衆が一度に見られるという。
阿修羅像は高校生当時にも感動したものだ。

そうは言っても、こまこの状態で、心が何かを感受できるとも思わないのだ。
そのことでかえってつらい思いをしてしまうのではないかと恐れる。



共通テーマ:日記・雑感

大江健三郎・再発見 すばる編集部・大江健三郎 4

かれらの生まれた場所に再び帰って来る者らは、滅びてしまう。

生まれ故郷に帰る人たちは、そこで非業の死を遂げる。
生き延びる人たちは、遠く離れてゆく人物たちである。

彼らが故郷に帰らない理由。
生き延びる者らは、そこから遠ざかる者たちなのだ。

都市で生き延びる者らは、故里の土地から離れていることで、
強く苦しんでいる。
その苦しみの強さは、遠心力からつなぎとめる綱のようにして、
異郷での生活の、漂泊のであれ、追放されてであれ、その生存自体を支えている。

*****
異郷にて漂泊を続ける意識。

鮭が川を遡り、生殖の後に死んでしまう、そのような凄惨な本能を思う。

故郷には毒が仕込まれている。

故郷の毒は麻酔のように効いて、
個体を種に奉仕させ、
一瞬の幸福の後に死が訪れる。

故郷の内部に居るならば、
その幸せに依存はない。
そのほかの生き方さえ、思いつかない。
それでいいのだ。あるがままでいいのだ。

異郷にて放浪する身が感じているのは、
常に、永遠に、満たされない、わが心である。
心休まる我が家もない。
自分の出自を説明する神話もない。
どの家にも、伝承されている昔話があるものだ。
その中で自分の存在は説明可能なものになる。

住まいのことで考えた。
月に家賃が20万円とする。一年で240万円、8年で2000万円である。
何というべらぼうな数字だろう。

家賃という、人間が制度としてつくったものに支払う金がこんなにも高額であったか。

逆に、住まいの場所、仕事の場所、集いの場所を、根こそぎ奪われる苦痛を思う。
故郷は捨てるものだ、それはいい。
しかしまた、一つの場所を追放されることの痛みは格別につらい。
追放のあとに来るものはさすらいである。
安住の場所を持たない。

心が安定しないから安住できないのでもあるし、
安住できない生活を続けているから、心が安定しないのでもある。

しかし考えても見てほしい、
8年で2000万円と提示されて、安住などできるものか?
このような制度を国民のすべてが暗黙のうちに肯定しているというのだろうか?

まさにそのような社会に違和感を抱く。
そのような社会からは、はみ出して、漂泊するのが正しいと思う。

この社会で、必死になって身を守るべき実体はない。

いまこの瞬間にも大量に病院で死んでいる命。

生きているあいだ大切にされなかった命なのだ、
死ぬ瞬間に大切にされるはずもない。

病院で最後の瞬間、家族から声が漏れる。
この人はやりたい放題やったのよ、満足のいく人生だったと思うわ、
結果はこんなもんだけど、悔いはないでしょう。
そんな人生もある。一方で、
この人は我慢ばっかりして、かわいそうだったわ。
少しは思い通りにしてもらえばよかった。
もう少ししたらわがままもしてもらおうねなんて言っていた矢先だったのよ。
そんな人生もある。
無論大抵はその混合物であって、ほどほどの妥協点を生きているのだ。



共通テーマ:日記・雑感

大江健三郎・再発見 すばる編集部・大江健三郎 3

小説によって
個人は作者であると同時に、
自らの人生の読者となる。

*****
なるほど、従って、読者は、
作者が作者自身の人生を読解する現場に立ち会うのだ。

読者とは、教育されたいと願っている人々の群である。



共通テーマ:日記・雑感

古井由吉「野川」所収「忘れ水」

気になる部分を抜粋。

勤勉はかならず懈怠を後に引くものだ、とあれこれ自他の例によって知らされたのは迂闊にももっと遅くて、四十代に入ってからだった。商売を興すまではくるくると働くが、いったん軌道に乗るとタガのはずれる人間がいて、生涯その繰り返しで終わる、と昔年寄りに聞かされた話に思い当たり、しかしもっぱら一身の欲望に掛かって押し上げてきた者にとっては、一応の充足を見た後で持ち崩すのは、これも欲望の命ずるところで、それに従うよりほかにないのではないか、と成り代わって弁護を試みかけたが、また考えてみれば、いまどき、その類の人間はおそらく存在しにくい。飽きるというところまで十年二十年、あるいは三十年しても、行き着くことは難い。それに、生涯繰り返そうにも、一度しくじったらたいていそれでお仕舞いの時代ではないか。懈怠はどこへ始末される、どこへ留保される、と考えた。諸々の制度は人の懈怠の貯蔵庫として機能しているのではないか、と戯れに思った。



共通テーマ:日記・雑感

一つのことにこつこつと

こつこつと人生の仕事を積み上げる、
そんな生き方に私は憧れていました。

中村元先生が、パーリ語から日本語に仏典を翻訳したように、です。

大学生の頃、図書館でよく見かけた女子学生が、
フランス語のテキストと向き合っているうちに、
何年も過ごし、次第に字が細かくて、ページ数の多い書物と
取り組むようになっていたのでした。
使っている辞書も、だんだんと分厚いものに変わっていった。
その人の、持続する力に、私は、時間が経つごとに圧倒されたのでした。
一つのことにこつこつと取り組む、
それは実に尊いことだと、身にしみて思い知らされた。

しかし自分では見習うことをしなかった。
私の特性であり、いい面でもあるが、決定的に悪い面でもある。

この一事、と思い定めて、悔いなし、そのような決意がわたしには欠けている。
そんな決意は、嘘だろうと、思ってしまう。
生きているのだから、興味も移る、
世界も移ろう、私としてはこの世界を漂うだけで充分だ、
そのように思ってしまう。
これは一種の言い訳なのだと知っている。

一つのことに打ち込んできた人は、
社会から評価される。
それは大切なことなのだ。

人生の態度を改めるのに、遅すぎることはない。
何か一つのことにこつこつと打ち込みたい。
ただそのことを思い念じている。



共通テーマ:日記・雑感

実作者と評価する者

実際にものを作る人と、それを評価する人

たとえば、プロ野球の選手と評論家
評論家にやってみろといってもできない
しかし、イチローと松井について、比較して評論できたりする
イチローはバットを振る
評論家は言葉で表現する
だからかなり違う

別の分野では文芸評論
実際の作者と評論家
この二者はどちらも言葉で表現している
評論家の仕事は、
文芸作品についての文芸作品とも言えるくらいだ

評論家は、イチローほどにはバッティングができない
それなのに、イチローのバッティングについて語ることができる
なぜか?
それには理屈があって、
もし、評論家に、イチローの運動神経と筋肉とが備わっていたら、
立派に打てるだろうと考える

文芸評論の分野では、
実作者も評論家もどちらも言葉で文章を組み立てているだけなので、
イチローと評論家の違いはない。

そこで、実作者が、どうして理解していない人の解説なんかを受け付ける必要があるのかと思ったとする

分かっているならできるだろうし
できないなら分かっていないだろうと言えるか?

野球なら、分かっていてもできないことはある。
文芸では、分かっていたら、できるだろう。
そう思ってはいけないか?

本当に最先端の芸術を分かる人なんか少ないはずなのだ。
分からなくて当たり前だろう。



共通テーマ:日記・雑感

ピーマン大王

ごちそうを食べあきたピーマン大王が
うまいものを求めて旅をするが見つからない。
百姓なみに畑をたがやし、百姓なみに のどが
かわいて水をのんだとき、はじめて ごっくんとのどが
鳴った。(住井 すゑ 「わたしの童話」の中の「ピーマン大王」)



共通テーマ:日記・雑感

二回目ならば一回目よりもうまく画ける

ある小学校でプールの壁に絵を画いて卒業制作とした。
しかし教育委員会からクレームがついて、旧状に復すべしとなり、
せっかく画いた絵をタワシで全部消した。
これを朝日が報道して何と大人げないという意見が投書で見られた。
その中に小学生の意見があり、
「もう一度画いてはどうか。卒業までには時間がある。
二回目ならば一回目よりもうまく画けるのではないか」
というのである。
すばらしい意見である。

二度目だからもっとうまく画けるのではないだろうかと
考えることができることこそ人間の価値というものだ。
こう考える人は過去を生かし、
ひいては人生全体を生き生きと生かすことができる。
よい生き方とはこのように人生を生きることではないだろうか。
考え方のよい悪い、正しいまちがっている
ということもよい生き方につながるかどうかで
判断されるべきではないだろうか。

聖書には
良い木はみなよい実を結ぶ
悪い木は悪い実を結ぶ。
あなたがたは実によって彼らを見分けることができる。
とある。



共通テーマ:日記・雑感

巨人第38戦目

高橋尚が先発、しかし山本昌に敗戦。
ウッズ 16号 6回ソロ、だいたいがウッズに打たれすぎているのだ。
こんなにも打たれて対策はないものなのか。
4番のイは確かに不振であるが、信用して任せているのも
いい方法だと思う。
もし、疲れがあるのなら、いまは無理しなくていいのだから、
いったん休養をとってもらってもいいと思う。



共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。