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主よ、人の望みの喜びよ

コラール「主よ、人の望みの喜びよ」
Choral "Jesus bleibet meine Freude"

カンタータ147番「心と口と行いと生命」より
Kantate Nr.147 "Herz und Mund und Tat und Leben"

あちこちから集めて編集したCDがあって、
さっきから繰り返し、
聞いている。

*****
苦しみには意味がある。

苦しみは、神から人間への問いかけである。

人間は、行いにより、神に応える。

少しでもあなたにふさわしいものになろうと
努力する。

隣人愛を通して、神の愛に応える。
そのように生きる。

隣人を愛することが、
神の愛に応える方法である。

*****
ときどき苦しくなるので、
バッハのコラールなどを聞く。

*****
ウィリアム・スタイロン「ソフィの選択」の中で、
ネイサン・ランドーはソフィに
語りかける、
「ソフィ、僕たちは死ぬんだ」
最期の床、その脇にあったのはレコードプレーヤー、
ターンテーブルの上にあったレコードは、
バッハカンタータ147番。

この世で報われない魂に平安を、喜びを。

*****
考え直してみれば、
望みすぎかもしれない。
わたしはもうすでに充分に与えられているのだろう。
それは神からの問いかけだ。

課題は、神からの問いかけにどう応えるか、
それだけなのだろう。



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神は存在するが語らない

またクリスマスが近づく

神は存在すると思う
神の眼差しを感じる

ただ出来れば、
あなたの言葉が欲しい

あなたはいつも沈黙している
わたしは御心を推定することが出来るだけだ

それで充分だけれど
しかしときには心が弱くなる



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もしもワクチンが効くのなら

インフルエンザで学級閉鎖など、ニュースが届いている。

インフルエンザ対策として、うがい、手洗いなどが勧められ、
外出して電車のつり革につかまったら、その手で目をこすってはいけないなどと
細かなアドバイスが書かれている。

そして、心配な人は、ワクチン接種をするようにと勧められている。

ところが、ワクチンは、保険適用外である。
うっかり「ついで」に、ワクチン接種をしたら、混合診療である。

こんなにも普通の医療行為としてニュースでも勧められていながら、
自費扱いというのは、どうしてなのだろう。
どうして自費なのか、不思議ではありませんか?
こんなときこそ、国民皆保険を有効に機能させればいいのではないですか?
「もしもワクチンが効くのなら」

予防は治療ではないから、自費であるというのだろうか。
効果的に治療費を削減できるなら、積極的に策を施すべきである。
経済学の根本である。自明。

インフルエンザをこじらせてクリニックにやってきて、
注射をして、ついでに点滴をしたりして、それは全部保険だとしたら、
大きな無駄である。ついでにタミフルで異常行動が出たりして。

もしもワクチンが効くのなら
そして、
タミフルが怖いのなら、
ワクチンを打ったほうがいいよね。

ワクチンは保険がきくようにして、
ワクチンをしていない人が、インフルエンザにかかった場合、
全額自費で払ってもらうというのなら、話としては、分かる。
ところが、そうなってはいない。逆なのである。

たとえばの話ですが、
ききもしないワクチンを宣伝して、製薬会社と開業医に儲けさせる。
効かないのだから結局インフルエンザになって医者に行き、
医者は二度儲かる。
ワクチンをしたのにインフルエンザになったのは、
不完全な治療だと文句をつけたとして、
不運でしたねでおしまい。
社会保険庁が保険点数を上げないことを許してもらうための作戦か。
自費接種を宣伝するのだから、社会保険庁は痛くない。
これも、話としては、分かる。

以前は子供には全員に接種したものだ。
問題があって、全員接種は取りやめになった。

今、テレビニュースで勧めているということは、
その問題はクリアできたということなのだろうか。

問題はあるけれど、自費で受けるので、自己責任となり、
だからいいのだろうか。
なにがいいのか全く分からない。

子供に全員接種していたころも、やはり学級閉鎖はあった。
やっぱり効かないのか。
おまけにてんかん発作まで起こった。
効かないのに副作用があるなら、やめたほうがいいな。

しかし現在、
なによりワクチンは厚生労働省が認可しているのだ。
問題ないに違いない。

問題ないのなら、インフルエンザの感染の特性上、
誰でも感染源となりうるものなのだから、
全員にいっせいにやったほうがいいに決まっている。

現に、子供に大量発生して、学級閉鎖になっている。
これでもまだ、自費による自発的ワクチン接種を勧めるのだろうか。

実は効かないんですよというのなら、
厚生労働省の態度も納得できる。
効かないものに保険適用は出来ない。

好意に解釈すると、
本当は効くけれど、
全員に接種する費用と効果、
自費で自発的に接種してもらって、インフルエンザ発症後に保険適用で治療する費用と効果、
それを対比した結果、全員に接種することは無駄と結論したのだろうと推定できるのだが、
果たしてそんなことがあるだろうか?人命がかかっているのだ。

後遺症比較で言えば、
インフルエンザ脳症の発生と、
ワクチン後遺症の発生の重症度と発生率の対比ということになるだろうか。
てんかん発作が起こったら、確かにいやですね。
インフルエンザ脳症は解熱剤の選択の問題ともいわれていて、
一時は神経質になったものでした。

こうした方面に関心の高い家庭では、
うがい手洗いなどこまめに指導するだろうし、ワクチンも考えるだろう。
しかし、関心の低い家庭では、何も対策しないだろう。
その場合、親の関心が低いというだけで、こどもがインフルエンザに感染してもいいのかという、
共同体の側の問題。
そして、そのような子供が感染源となり、
どこかの子供やお年寄りが死んでしまうかもしれないという、共同体の問題。

個人の選択の問題ではないところがある。公共の福祉が優先する典型例だと思う。

一部の後天性のエイズは自分の責任ともいえるけれど、
インフルエンザは、学校、職場、電車などの環境、人ごみでのマナーなど、
個人の責任ではない部分が大きいと思う。

もしもワクチンが効くのなら、感染防止は自費接種をニュースで勧めるよりも、
もっといい方法があるし、
学級閉鎖は起こさなくてすむはずだ、よね?
普通に考えて。

それをしないのは何故なのだろう。

会社などでは、ワクチン接種の補助をしているところもある。
よく考えた結果なのだろうか。
もしもワクチンが効くのなら、それでもいいけれど。
しかしそれなら、さっさと、保険診療の範囲内に含めて、国民皆保険を生かすべきではないか。

*****
長々と、
「もしもワクチンが効くのなら」
と、意地悪を書いてみました。

ヨーロッパの専門家グループは、成人にインフルェンザワクチンは有効であるが、「安全性と生活の質を加味した場合には、インフルエンザワクチンはあまりにも有効性が低く、局所反応の頻度が高い(注:副作用が多い)ので好ましくない」、「健康成人において最も費用対効果比の高いインフルエンザ対策は、どんな行動もとらないことだ」としています(「Vaccine」18巻957頁・2000年)。
まあ、もっともな意見ですね。evidenceは語る、です。

子供の頃は、一つ一つの感染症を経験して、
免疫を獲得していくのがひとつの仕事なんですけれどもね。

今の子供は栄養もいいし、環境も清潔、加湿器まである。
まあ、だから、集団発生するともいえるのだけれど。

昔は現在のような人間の移動がなかったので、感染症の拡大も、少なかったはずです。
しかしまた、昔の感染症の拡大も、人の異動だけでは説明できないとの報告もあり、
気流が運んだとか、いろいろ説がありました。
確かに、人が移動するよりも、インフルエンザは早く移動しているようでした。
現代では飛行機で移動しますから、人の移動を考えるだけで、説明は出来るようです。
しかし古いデータは、別なことを示唆しているようでもあります。

まとめると、
効いて副作用がないのなら、全員に予防接種。
効かなくて副作用があるのなら、宣伝をしないこと。
効くけれども副作用が心配で、保険適用にはできないというのなら、
きちんと説明すること。
じゃないでしょうか?



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東京都の税収を、「暫定的に」地方に?

石原都知事が、東京都の税収を、「暫定的に」地方に使ってもらうことに同意したのだそうだ。

税金を使うなら、どうか大切に使ってほしい。
オリンピックよりも大切なことがあるはずだ。

まず、次の文章を再掲。

*****
スティーブン・ランズバーグ氏の指摘。
公園では親たちが自分の子どもにいろいろなことを言って聞かせている。だが、ほかの子がおもちゃをたくさん持っているからといって、それを取り上げて遊びなさいと言っているのを聞いたことはない。一人の子どもがほかの子どもたちよりおもちゃをたくさん持っていたら、「政府」をつくって、それを取り上げることを投票で決めようなどと言った親もいない。

*****
地方のお年寄りが困っているのなら、
都会に来たらいいじゃないのとの意見あり。

青山なんかいいけれど、あの辺は大きい病院が遠くなったからね、
お年寄りにはよくないかも、なんて言っていた。
都立広尾も日赤もあるけれど、その人によれば、遠いらしい。
都立青山病院がなくなって、老舗の病院は軒並み外来クリニックになっていて、
高齢者には住みにくく、やはり日本の未来型である。
怪我をして救急車を呼べば、江戸川区まで運ばれる。
慈恵医大もあるけどね。

*****
地方の道路整備よりも、通信インフラの整備を進めたらいいとの意見もあり。
道路をつくれば、周辺地価が上がり、ただの農地に少しはいい値が付く。自動車も売れるかもしれない。
しかし、インターネット回線、無線回線、携帯電話網、これらを整備しても、地方のお年寄りは得をしない。
だから政治家は動かない。

通信インフラを整備したとして、
企業は、たとえば、青森県六ヶ所村のデータ入力業者に発注するか、
中国大連のデータ入力業者に発注するか。
残念なことに、通信インフラが整備されればされるほど、
中国に仕事が流れてしまう。
唯一の解決は、六ヶ所村の人々が大連に移住することである。

いま安いからといって、
大連に投資したとして、いつの間にか中国はそれを「国有である」と宣言して、
それに文句をつけても、国際法上は、文句をつけようもなく、
結局、米国の軍事力に頼るとして、相手が中国ではどうしようもなく、
国際世論に訴えるとして、
一人一票の世の中では、中国は実際、超大国である。

中国の「国有化宣言」はばかばかしいと考えている人たちは、現在大もうけしているのだけれど、
そして、「中国は結局信用できない」と昔の考えでいる人が、相対的に損をしているのだけれど、
果たしてどうなのか、私には分からない。

*****
みんな若い頃はリベラルだ。
「世界」を読んで、「アサヒジャーナル」を読んでいた。
高額納税者は、所得の9割を税金で納めていると聞いて、
いい国なのだと思っていた。

考えてみれば、金持ちのおじいちゃんは、税金なんて払っていないのだ。
むしろ、いろんな補助を政府から引き出していた。

そして、相続税をちょっぴり払っただけだった。

税務署に補足されるような収入を主体にしているのは、
知恵がないのだといわれるのだった。

そんな知恵が何だ、
相続税を100%にして、
全く平等な競争制社会にしたらいいと考えていた。

リベラルでは飽き足りず、
リバタリアンに傾く。

所得税9割はどこに消えたか?
相続税を仮に100%にしたとして、その金はどこに消えるか?
そう考えると、わたしはリバタリアンにならざるを得ないのだった。

*****
土台、こんなことを石原都知事に決めてくれと、誰が頼んだか?
選挙のときに、この件で投票した覚えは全くない。

*****
まあ、そのことも、あのことも、言い古されたことで、もういいとする。

ただ、今日言っておきたいことは、地方の人も大変だろうけれど、
そして、高齢者の人たちは、過去、大変な時代を生きてきただろうけれど、
現在の、東京の、末端労働者の苦しみを知っていますかと聞きたい。
この苦しみを知ってなお、東京都の税収を地方にばら撒けと言えるのかと聞きたい。
ひょっとしたら知らないのではないか。
いや、東京の税金を地方で使えなどといえると言うことは、
現実を知らないに違いないと思うのだ。

東京では、エリート社員さんが、こぎれいなスーツを着て、
優雅に働いているだろうと思うなら、大間違いである。
そんな人もどこかにいるのかもしれないが、
私の知る限り、かなりのエリートさんでも、悲惨な労働環境の中で、
心身をすり減らして労働しているのである。

そうした労働から生み出された税金を、彼らの労働環境や生活環境を
改善するお金に回して何故いけないのだろうか?

終電まで仕事をするなら、せめて、職場の近くに、家族を置きたいではないか?
それさえ、許してくれないのか、地方の人たちは。

農家の人たちは、朝早いだろう。しかし東京のサラリーマンも、朝早い。
1時間半、満員電車で立って通勤するのだ。人身事故があれば、立ち往生である。
地下鉄で、駅の途中で止まってしまい、地下鉄線路を歩かされることもある。

農家の人たちは夜遅くまで仕事をするだろう。
東京のサラリーマンは、課長になったばっかりに、残業代ももらえずに、
夜11時まで仕事をする。帰宅は12時で、1時に寝て、朝6時に起きて、また出勤。
子供と話も出来ないのである。

ワーク・ライフ・バランスなどと寝ぼけたことを口走ったとたんに、
もっと遠いところに飛ばされるのである。

好きでやっていると思いますか?
いやなら、田舎に来ればいいよと言いますか?

田舎の人たちのご親戚も一人くらい都会で苦労していると思うけれど、
かわいそうと思いませんか?

*****
原理は単純で、
民主主義的投票というものは、
土地を適当に区分して、選挙区とする。
したがって、転勤したりして流動性の高い人たちは脇役で、
土地を生産資本として所有する農家の人たちが主役になる。
そのあとはいつも「土地」が値上がりを待っていたりして、利権が付いてまわる。
相続も、株券よりは、土地が優遇されている。

だから、土地を区分けして選挙区にするのではなく、
たとえば、生年月日で、選挙区を作るとか、そんな制度にすれば、
かなり違った世の中になるはずだ。

たとえば、何年生まれでもいいから、1月1日生まれの人をひとつの選挙区とする。
「1月1日区」に立候補者を募り、「1月1日区」の人たちが投票して、決める。
定員は366人となる。簡潔ではないか。
そうなれば、利益の誘導も難しい。土地の神話も崩れるだろう。
どぶ板選挙も様子が変わる。
握手しようにも、誰に握手していいのか、分からない。
そのとき、「握手と政治は何の関係があるんだっけ?」と考えるだろう。

*****
東京都の税収は、東京都に本社機能が集中したため、最終的に東京都に納税されているだけだ、
本社が移転すれば、分散するものだとの意見あり。

それならば早く移転して、筑波でも名古屋でも、本社を構えてほしい。そして、
社員の働き易い環境にしてほしい。
多分、出来ないだろう。
東京の集積性は貴重である。そしてその集積性は、
サラリーマンの通勤地獄に支えられている。
家族の寂しさに支えられている。
狭いオフィスでインフルエンザを何度もうつしあうのが現実だ。

*****
まあ、それはいいとして、
東京のサラリーマンも大変なんですよと言いたかった。
そのうち反乱を起こそうね、東京の人たち。



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