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無意味さに

人間はどれほどの無意味さに
耐えることができるのだろうか
気付いたら負けなんだ
気付いたらだめなんだ



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不幸の再生産

世間は他人の不幸を見て喜んでいる。
だから世間を信じるな。

こうしたメッセージが親から子供に繰り返し伝えられたら、どうなるだろうか。

あまりに無防備、
あまりに猜疑的、
どちらもよくない。



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青いバラ



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日本橋三越



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六本木



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メリー・ウィドウ



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値上げ

あっという間に
ガソリンと灯油が値上がりし、小麦が値上がりし、
物価が全般に上がってしまった。
どうもこれはまわりまわって一回りすれば
国民の所得も上がって、とんとんになるといった性質のものではない様子だ。

昔、植物のDNA特許をアメリカに抑えられてしまったら、
結局、言いなりになるしかないとの話を聞いた。
よく分からないが、農業生産物にも特許権がかぶさるのだろうか。

特許権とかは現実の物ではないのだから、
結局、主張を通すには、軍事力が必要なのだろう。

確かに、原油と小麦をひねられただけで、庶民の暮しはひとたまりもない。

全く新しいエネルギー源を獲得して、
食糧を自給して、はじめてまともにものが考えられるのだろう。

昔の常識から言えば、
格差の拡大は、資本主義社会の進展にともなって不可避に起こるもので、
同時に、リベラリズムへの圧力が高くなるはずである。
革命的エネルギーに直結するはずなのであるが、
全くそうはならないのが不思議だ。

War Guilt Information Programのことを考えても、
英語を勉強する限りは、どうしても、
米英的に考えてしまうというものだ。
ずっと先まで勉強しないと、意識的にクリティカルにはなれないものだ。

英語の浸透度と、独仏語のシェアの低下、を見てみると、支配力は、圧倒的に思える。

日本に生まれて損したと思いつつ生きるか、
そんなことを忘れて、王朝和歌の世界に親しむでもするか。



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植物は立派だ

堀文子が番組の中で語る

植物は立派だ
いやでも我慢してひとつの場所で耐えている

実にそのとおりだ
人間は我慢が足りない

*****
神様はすごいわ、
死んでいく葉っぱを真っ赤にしちゃうのよ

どうせ死んじゃうのにね



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堀文子 BIOMBO うつ病のたてとよこ

インフルエンザの始まりらしく、
金、土、日、月と不調。
全身がだるい。
消化も不良。
熱が出て、汗。
髪の毛の間に汗をかいて、ぬぐっても、乾かない。
麻黄湯とボルタレンなどで対処。
カロナールではまだるっこしかった。

邦画「手紙」を再見。涙するほどではなく、
前回の方が気持ちが入った。
吹石さんとの恋愛など、すっかり忘れていた。
からだも気持ちも死んでいるらしい。

横になりながら、ビデオ録画していた、
新日曜美術館、堀文子を見る。

BIOMBOとはスペイン語やポルトガル語で屏風のこと。
イ・ビョンボンを思い出したが、
ィ・ビョンホンとみた覚えもあり、
今検索してみても、二つ出てくる。
まあ、屏風とは関係ないけれど。

堀文子の大磯のアトリエが映し出されていた。
おもしろい。
タンポポの綿毛を整髪用のスプレーで止めてしまうと、
飛びかっているままで固定される。
それを絵にする。
よく観察して解きほぐす。
「あら、きれいね、なんて言うんじゃわかんない。
解きほぐしてみなくちゃ、どうなってるのか、わかんないのよ」
なんていいながら、描いている。
これってまさしく、解剖学者である。

くもの巣に霧吹きで水滴をかけて、きれいに描き出す。
庭の甕に水をためて、ミジンコを飼育している。
それを顕微鏡で見ている。
それを絵にする。
確かにミジンコには、小さいながら、心臓もあり、消化管もあり、目もあり、
さらには卵がぎっしり詰まっていて、
生きるに必要なものが一通り備わっている。

タンポポもくもの巣もミジンコも、
発見するかどうかなのだな。

紅葉した枯葉の写真なども集めている。

ずっと同じことを続けているのはいやだから飛び出していくのだと語っていた。

死ぬときには今でも5ミリでもいいから上にあがっていたいと言う。
同じ平面にいるのはいやなのだと。

連想したのは、躁うつ病のことだ。

言葉で書くと不明確なのだけれど、
今イメージしているのは、
躁病の人はやはり5ミリ飛び上がるのであって、それは統合失調症も同じ系列なのだと思う。
躁病と統合失調症は遺伝関係や薬剤の効果をみると、
やや近い関係にある印象がある。
そして、ある種のうつ病は平面上で横に動いているのだと思う。

無論、通常の、うれしい、悲しいはあり、それは同一平面上での動きである。
それとは異質の、縦の動きがあり、それがある種の躁うつ病なのだと思う。

現在うつ病と呼んでいる、大抵の場合は、同一平面上の動きである。
昔から躁うつ病、うつ病と命名して治療してきたものは、縦の動きである。

そのくらいの違いがあるのだと思う。
うつ病と言っても、それだけ質の違うものを、名づけているような気がする。

縦に動いても躁うつ病で横に動いても躁うつ病とは理屈が通らないが、
実際、そのような状況だと思う。

たて揺れと横揺れを、
昔は、内因性と神経症性などと呼んでいたものだけれど、
それでいいのかどうかよく分からない。








一番下の右がミジンコ。

左上のブルーポピーを苦労して見に行った場面も番組で紹介されていました。
とんでもないような断崖絶壁を歩いていたというかよじ登っていたというか、
大変でした。



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数人の人に

あまりに多くの人に会うとやさしくできない。
数少ない数人の人に優しくするように、
人間はできているのではないか。



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