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役人と政治家にICチップを埋め込む

公権力を担って活動している人には、体内にICチップを埋め込んでもらって、
24時間、地表のどの場所にいたかを全部記録しておくのも方法ではないかとの意見がある。

公務員も、政治家も、悪いことはしないのが建前なのだから、
居場所を特定されたとしても、なにも問題はないだろう。
声が聞こえるわけではないから、
誰と会っていたかは分からないし、
携帯で何を話していても、分からない。
ただ、どの時間にどこにいたか、コンピュータが記録するだけである。

たとえば山崎とかいう人が、ナントカ協会系の女性と、
たとえば橋本とかいうひとが中国系女性と、
懇ろになったとして、寝物語の内容までは分からない。
ただ場所と時間が分かるだけだ。

ただホテルの一室で休憩していたといえばいいだけなのだから、
特段のプライバシーの侵害にもあたらない。

そのような仕組みにしたとして、それでも、
公務員と政治家になりたいという人がいるだろうか
という問題である。

自分は最初から最後までクリーンでいたいし、いると思うから
何を調べられても大丈夫だと思う人もいるだろう。
またある人は、自分は最初からICチップでの追跡を前提に動き、
場所だけは仕方がないが、それ以外は嘘をつき通すという人もいるだろう。
その両極端になるはずで、
それは実は現状とあまり変わらないのだろうと思う。

平気で嘘をつけるのも交渉力とすれば、
それは必要なことなのかもしれないのだ。
それを自分の利益のために用いてはならないのだけれど。

厳密には、ぎりぎり、嘘にはならないような運用をするのが、さらにプロである。

ホテルの一室でマッサージを受けることが習慣の人もいるだろうし、
夫婦でゴルフに行く人もいるだろうし、
それは自由だ。
何を話したかまでは分からないから、安心。
とりあえず、ICチップ埋め込みは許可したらどうかな?



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Blondie - Heart of Glass - The Tide Is High

Blondie - The Tide Is High - 1980
いまもコマーシャルで流れている歌
http://www.youtube.com/watch?v=FbMYwuAHK_4&NR=1

Blondie - Heart of Glass
これも印象に残っている
http://www.youtube.com/watch?v=oUG0GjdoGHE&feature=related

この人が一時代のセックスシンボルだったなんて、
そしてこのあとはマドンナだったなんて、
信じられる?

遊びほうけているうちに
おばあさんとおじいちゃんになっちゃったよ

*****
マドンナと比較するとやっぱり「拒食症の時代」ですね。


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「超立体」マスク

どうも喉が腫れて、
気持ちも凹む一方だ。

寝ている間に暑くて布団をはいで、
ついでに口をあけて寝ているらしく、
おきたら喉がからからなのだ。

つばを飲み込むのさえ痛みがある。

いかんなあと思いスーパーに買い物。
寒くてだんだんおなかが痛くなってきた。
このままは吐いたり下痢したりしそうだ。
一週間前と同じ。
まず温かくすることだ。こんなに風が冷たいとは思わなかった。
昼に陽光がまぶしく温かかったので、
うっかりしていた。

いつもより人は少ない。空気は乾燥している。
愛媛宇和島のポンカンを買う。
宇和島の知人は家持のことを話したときに、
「海行かば」をすらすらと語り、
この人は軍人だと思い、
そのあと家持の話はしていない。

家持も歳をとってからはすっかり軍歌調になっているとも思える。
わたしの興味には関係のない歌も多い。
叙景にしてもきれいではない。
無意味に何かを礼賛している。

かぜ用マスクを買う。
「超立体」と書いてある。
わたしには立体にしか見えない。
世間の人にはこれが超立体に見えるのだろうか。
まあ、スーパーフィットという意味だけれど。

頭が悪いのもいけないのだけれど、
言葉を間違えているのも、
ますます思考を粗雑にする原因である。

知能と言葉と思考は悪循環している。

「超立体」マスクの使用感はとてもいい。
しかし「優れたバリア性」というのも嘘で、
息ができるということは、
くらでもウィルスが素通りしているのだと思う。
ウィルスを防ぐのではなくて、
他人のつばを防ぎ、自分のつばを防ぐ程度のものだろう。

乾燥を防ぐのは確かで、湿気を保持できると思う。
二つ折りにすると完全に平面になっている。
うまいものだ。

医療用は、鼻のあたりにワイヤーが入っていて、
さらにぴったりフィットさせることができる。

しまいこんでいた加湿器を使い始めた。



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糖尿病の人の寿命

知人に糖尿病の人がいる

どうしたらいいんですかね
とため息をつく

主治医は
どんなにうまくコントロールしても
普通の人のように長生きはできない
と宣告しているのだという

早く死んでしまう

何と言っていいか分からず
「待っていれば画期的治療も出てくるでしょう
諦めないことです」
ととりあえず言う
嘘ではない
本心そうである

死に向かう体内時計が速いのだという
どうしたらいいのだろう

次の桜がこの世で最後の桜かもしれないと
思いつつ桜を待つ
のだろう

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バラライカ

ドクトル・ジバゴではバラライカが大切な小道具として出てくる。

ロシア料理の店もいくつかある。
新宿にマトリョーシカとかいう店があったような気がする。
良心的な店だった。
お茶の水にバラライカという名前の店があったような気がする。
もうだいぶ前のことだ。

そんなに高級な店でもないので、若い私にも行くことができた。
しかしコースなどは注文する気はなく、その時は、
キエフ・カツを頼んだように思う。つまりチキンカツの薄いやつである。

見るともなく見ていると、
目の前の席で、40才くらいの男性と、20才くらいの女性とが、
コース料理を食べていた。
食卓には皿がたくさんで、豪勢である。
最初は親子なのかなと思ってみていた。
女性はあまり食が進まず、どんどん皿がたまっていくようだった。
途中で男性がキャッシュカードを一枚取り出して、
女性の方に差し出した。
女性は受け取ることに抵抗があるようで、なかなか受け取らなかった。
時間をかけて、結局、受け取った。
ああ、親子じゃなくて、特別な関係なんだなと思った。
目撃してしまったことが申し訳なかった。
女性は明らかに、そのようなことを恥じている風だった。

まあ、特に証拠もないのだが、そんなことを当時思ったのである。
現金で渡さないのは、今後の永続的な関係を意味するのではないかと思った。
ためらいつつ、受け取るというのも、何となく、関係を暗示しているような気がした。

その店では時間になると実際にバラライカの演奏が行われた。
日本人が演奏していた。

別の日、女優の中野良子さんが食事をしていて、
ろうそくの火に美しい顔が照らし出されていた。
特にファンではなかったのだが、女優というものは実に「オーラ」が出ているもので、
そのテーブルを囲む人の誰もが魅了されていることがありありと分かった。
離れてちらちら見ている私たちも魅了された。

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憲法九条にノーベル平和賞を

新聞の投書欄に、憲法九条にノーベル平和賞をとの意見あり、
まことに清涼なる声にして、
賞賛せざるべからず。
元旦第一の声にふさわしく、こころ啓かれる。

頭いいなあ、「憲法九条にノーベル平和賞を」なんてなあ。
国際平和、ノーベル財団、アメリカ、国連、中国、
どの立場からも、いいに決まっている。

平和とは、
憲法九条のことでしよう。

自分のメールの「署名」設定に、
「憲法九条にノーベル平和賞を」と加えることにする。



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F22ステルス 250億円から400億円

ニュースステーションによれば、米国最新鋭戦闘機F22ステルスは
一機250億円から400億円で、日本は買いそうな気配なのだという。

もちろん、アメリカの商売に乗せられているのは
我慢がならない。

しかし一方、人間というものがどんなに愚かなものであるかを知らないで、
理想論みたいなことをいっている人達に、
共同体の運命を任せておいていいものかと、
心底疑問に思う。

難しいものだ。ある程度信じないと、オオカミに対するオオカミになってしまい、
泥沼である。
しかし信じてしまえば、そのことを逆手に取られて、敗れ去ることになる。

小さな例であるが、
わたしの場合、業界人としての良心もある、同業者への仁義もある、
多数を握っていれば可能ではあるといっても、
実質それを抑止する世間の目というものがあるはずで、
そのことを無視することはできないだろう、と
きれい事で考えていたのだった、私としたことが。

そんな抑止理論はきれいに裏切られて、
いともあっさりと事態は転覆してしまった。
そうなってみると、私の当事者能力の不足ということになるらしい。
危機対応能力が不足していた、
予測可能な事態に対処していなかったということになるのだ。

いいわけになるが、私としては事態を憂慮して弁護士にも相談していた。
複数弁護士を抱える事務所で、結論は、どうしようもない、
何か起きたら対処する、しかし向こうも何もできないはず、というものだった。
そんななまぬるい結論しかないのかと大いに憤ったのだが、
仕方がない。
いわれた通りにしていたら、事態は最悪の局面を迎え、
弁護士らは、もう守れないから、相手の言う通りにしてくださいと言うのだった。
あきれ果てて、弁護士委任契約を解除した。

何重にもばかばかしいじゃないか。



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韓国映画「朱紅の字」

ドラマ「白夜」でアナスターシヤの
若い頃を演じていた女優さんが
なくなったことは知っていて、
ちょうど手元に韓国映画「朱紅の字」が
あったので視聴。

以前見た時に記憶に残ったのは、
看護士さんが産婦人科で女に、
「こんどは中絶しないでくださいね」と
言ってしまい、
それを夫が聞いてしまう場面だった。

今回は前回よりもかなり理解は進んだ。
しかし、ファックスの内容とか、もう少し字幕で
解説して欲しかったような気がする。
関係ないから訳さなかったのかもしれないが。

ブルー・ノート ソウルでボーカル。
それが亡くなった女優さんの役。
愛情表現も激しい。
でも、ブルー・ノートにしては素っ気ない。

画面はとてもきれい。
インテリア見本市のように次々にきれいなセットを見せてくれる。
赤を中心に配置しているのが分かる。

血の色も赤。
でも、映画の中の血は、
明らかに赤インクで、さらさらした感じ。

この人が若くして死んでしまうのかと思いつつ、
見終わった。

スカーレット・レター。19世紀アメリカ文学の名作として名高いナサニエル・ホーソーンの小説『緋文字』。植民地時代の北米大陸を舞台に、姦通の烙印を押されながらも真実の愛を貫き通して闘った女性の姿。デミ・ムーアが主演したバージョンがありました。

17世紀、北米大陸のニューイングランド地方。若く美しいヘスター・プリン(デミ・ムーア)は、仕事で忙しい夫のロジャー(ロバート・デュヴァル)よりもひと足早く、戒律の厳しいこの地方に入植した。ここは先住民族のインディアンとの間に緊張が高まりつつあった。ある日彼女は、インディアンに聖書の教えを説く牧師のアーサー・デイムスデイル(ゲイリー・オールドマン)と出会い、2人は互いに引かれ合う。そんな時、ロジャーを乗せた船が沈没したとの報せが届く。呆然とするヘスターを励ますアーサーに、彼女はこの結婚は15歳の時に親の借金のためにした、愛のないものだと打ち明ける。2人の愛は燃え上がり、やがて彼女はアーサーの子を身ごもった。町の審問会で父親の名を問われても決して明かさなかった彼女は投獄された。数カ月後、娘パールを生んだ彼女は解放されるが、以後、姦通を意味する緋色の「A」の文字を生涯胸に縫い付けるよう命じられる。厳しい迫害と中傷の中、ヘスターは自らの愛を信じて愛するアーサーとパールのために、毅然と生き続ける。そんな折り、死んだはずのロジャーが姿を現した。インディアンに捕らわれていたのだ。実の夫が生きているとわかれば、彼女の死刑は免れない。ヘスターを恨むロジャーは、自分の身分は明かさない代わりに彼に献身的な愛を捧げるよう要求し、彼女はこの屈辱的な申し出を飲んだ。また、ロジャーはインディアンの襲撃を恐れる町の長老たちにもっともらしいアドバイスを与え、町の名士としての地位を着実に築く。さらに彼は、パールを魔女として弾劾し、その父親がアーサーであることを突き止める。その夜、冷静さを失ったヘスターを、長老の息子ブリュスターが襲った。彼女は逃げおおせたが、それを見ていたロジャーはインディアンの仕業に見せ掛け、彼を殺した。町の人々はインディアンを疑い、ついに戦いの火蓋が切って落とされた。ヘスターとアーサーは混乱の中、パールを救出する。パールは緋文字「A」を母の胸から取り去り、川に流した。

というような長い話です。一回は見たけれど、二回見る気はしません。真実の愛、ねえ。



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開業医、夜間・休日診療優遇へ やめた方がいいな多分

記事を引用して、下線を引いた。
*****

開業医、夜間・休日診療優遇へ 初・再診は下げ 診療報酬改定、厚労省方針

記事:毎日新聞社
【2007年3月22日】

診療報酬改定:開業医、夜間・休日診療優遇へ 初・再診は下げ----厚労省方針

 厚生労働省は21日、勤務医の負担軽減策として、開業医の診療報酬については、外来患者を時間外に診療した場合の加算を手厚くする代わりに初・再診料を引き下げ夜間や休日に診療をしないと高収益を望めない体系に改める方針を固めた。現在、患者は大病院に集中し、多くの病院勤務医が疲弊して開業医に転じるため、勤務医不足が深刻化している中、地域の診療所の夜間診療を促進し、現状を改善するのが狙い。08年度の診療報酬改定で実現させる考えだ。【吉田啓志】

 ◇大病院集中を改善

 政府は06年度改定で、初診料については診療所(ベッド数19床以下)を引き下げる一方、病院(同20床以上)は引き上げ、双方270点(1点10円)に統一した。また、24時間往診可能な診療所を「在宅療養支援診療所」とし、報酬を手厚くした。時間外診療における開業医の役割を高め、病院との役割分担・連携を強化することが、導入の狙いだった。

 しかし、同診療所は医師らの負担が重く、届け出数は約9300カ所と全診療所の1割にとどまっている。再診料は病院57点に対し診療所71点と高く、厚労省は「依然開業医は夜働かなくとも高収益となる報酬体系になっている」(幹部)ことも、診療所の夜間開業が広まらない原因とみている。

 そこで厚労省は08年度の診療報酬改定で、診療所の初・再診料を引き下げて財源を生み出し、夜間など時間外加算を充実させることにした。平日の初診で午後10時までの診療に85点を加算するなどしている現行報酬を大幅にアップする代わり、再診料を中心にカットする意向だ。収入面で後押しし、開業医に夜間診療をしてもらうことで、患者が大病院の救急病棟に詰めかける現状を改める考え。その一方で、ビルにテナントで入り、定時診療しかしない「サラリーマン開業医」の収入を抑える狙いもある。

 診療報酬の具体的な増減幅は今秋、中央社会保険医療協議会(中医協)で議論する。ただ、日本医師会などは慎重審議を求めるとみられ、初・再診料を巡る議論は難航する可能性もある。

*****
そんなことを言われてもね。役人は、ポジションがどんどん替わりますから、長期的な責任は取らない。とりあえず今突きつけられている課題を根回しして調整すればそれでいいと考えているようだ。

根本的な解決は、とりあえず、勤務医部長クラスの社会的待遇を、銀行支店長クラスよりもましなものにすることだと思う。
それをしないで、開業医の収入を下げたらいいと思うのは間違い。
数字で出ている開業医の収入というのは、実は、診療報酬というもので、
開業医はそこから、人件費や家賃、諸費用を負担する。税金を支払って、
残るのは、銀行の支店長よりも少ないというのが、一般的な見方だ。
美容整形のように保険外診療を多くしたり、眼科コンタクト外来のように数をこなしたりする以外に、収入を上げる方法はない。

財政担当者は、財政との関係で、命を縮めるしかないのだと白状すればいい。

今時の患者さんは目が肥えていて、ゆっくり細かく診療してくれない医者は見限られる。ゆっくり細かく診療すると言うことは、時間あたりの収入が少ないということだ。診療全時間を伸ばすしかないのだが、当然、燃え尽きる。産婦人科、小児科と、すでに燃え尽きた科目が知られている。

*****
夜間診療や休日診療には、職員の確保が難しくなりつつある現状があります。7対1看護のこともあり、看護士は圧倒的に大病院に囲い込まれています。そんな中で、夜間・休日に張り切って勤務してくれる看護し、事務員さんがどれだけいるというのでしょう。
「サラリーマン開業医の収入を下げる」なんて言っていますが、その人たちは、都会のサラリーマンをターゲットにした開業なので、夜間や休日に開院していても、患者さんは来ません。しかも、夜間・休日の救急に準じた患者さんには相当な設備が必要なことも多い。緊急検査なんかが必要なわけです。田舎の開業医にそれはできない。
ベッドタウンの開業医さんは多分一時的には、社会の要請に応えて、夜間・休日をまじめにこなすでしょうが、土台、その時間帯は患者数が少ないのですから、そのうちやる気がなくなります。報われないし、そんな時間に押しかける患者さんは扱いが困難な例も多いのです。待合室が荒れてきます。緊急に来たのにいつまで待たせるんだ!などと、いままで基幹病院夜間外来で聞こえていた怒鳴り声が小さな診療所で聞こえるでしょうか。しかしそれも短期間です、すぐに学習して、医者はそんな患者さんを受けなくなりますし、患者さんはやはり検査設備の整った病院に行くはずです。怒鳴って有効なのは公立病院だけですから。

結果は、昼間の診療の値下げが起こるだけです。これまで何度も診療報酬は下げられてきたわけですが、何が起こっているでしょうか?時間をかけないで数だけこなす診療です。看護士さんも事務員さんも働きやすい時間帯に、なるべく集中して数をこなす。多分も今回もそうなるでしょう。
「開業しても儲からないみたいだからこのまま勤務医でいよう」なんて、
誰も思わないはずです。
まじめな勤務医は全然楽ではないでしょう。不真面目な勤務医はどうか知りませんが。
夜間・休日は続けられないです。第一、友達がいなくなります。子供と話す時間がない。そして職員さんも、こう言っては何ですが、家族も友達のいないような人しか、土日は引き受けてくれないんです。

*****
たとえば夜間に来た患者さんに関して、緊急検査が必要になります。ビル開業診療所では、血液検査さえ外注しているのですから、ほとんどなにもできないのです。たとえば意識混濁があったとして、薬なのか、血糖異常なのか、脳血管障害なのか、電解質異常なのか、現代医学の水準で要求されることを、開業医院でできるわけはないのです。そこをなんとかできないかというので、昔風の、検査に頼らない医学も見直されているのですが、そんな名人技は危ないばかりで評価されません。

たとえばですが、血液迅速検査とMRI迅速検査ができる、基幹病院に、地域医師を、夜間と休日にかなり高額で招くのは方法かもしれません。
あるいは、保険財政が苦しいなら、夜間休日は自費にしてもいいかもしれません。
診療所はコンビニではないのですから、24時間待機していろなんて、とても無理な話です。
救急車がたらい回しされてしまう現状の延長が見える気がします。

*****
医者の全体数が増えているのに、医者が足りないと言われる最近の危機感は何でしょう。
医者が多くなれば、医者も、いやな仕事も安く引き受けるだろうという計算がそもそも違ったのです。
良心的な医者は現実に落胆し活動を狭めてしまいます。そうでない医者は、患者のレベルに見合った医療を提供しています。どこにも理想なんかないわけです。
責任の重さに応じた待遇がないのですから、長続きしません。

子供も医者にして医院を継がせたいなら、やめることはできません。
しかし自分の代で医者はやめていいと考えているなら、
そもそも優秀な人たちですから、他の仕事だってできるわけです。
奥さん方が何かの資格を持っていることも多いので、それを援助したっていいのです。
親や兄弟が事業をしている人たちだって多いですから、そこに名前を連ねてもいい。
日本という国の特徴かもしれませんが、不動産経営をしたほうが、医者より儲かるのです。そうした資産を持つ人たちはさっさとやめます。
やめないのはどんな医者か、引き算すれば分かりますよね。
この引き算がどんどん進行するのです。
病院に行くこと自体が命取りになりかねません。
個人的に、いい医者を知り合いにもっておくことが必要になるかもしれません。
病院に行ってもいい医者はいなくなるのですから。

まあ、それは極端としても、
いま医療が何とか持ちこたえているのは、卒業したての若い人たちが、それでも理想を求めているからです。すぐに燃え尽きるのですが、新人は毎年いますし、いまでも医学部は人気ですから、そんな人たちが支えているわけです。

ある人の意見では、最近の医者の責任の取り方が変わってきたと言います。
そもそも新人が責任なんかとれるわけがないわけで、
昔は現場で何か起こっても、それについては院長が責任を取っていたわけです。そのようにして新人は経験を積んでいく。
しかし最近は、先端医療の分野でどんどん技術は先端化している、つまり、どの先輩も経験したことがない場面で、新人もそれなりに考えながらトライしないといけない。当然予期しないことも起こるわけで、そのことについて上司が責任を取らなくなってしまった。当たり前のように執刀医が裁判で責められる。まあ、裁判は乗りきったとしても、当人はもう懲りてしまうし、その苦労を見ている周囲も、萎縮してしまう。すると良識のある人たちはトライする気がなくなる。そんな中であえてトライするのは、どんな人たちなのか、それも、引き算してみると分かる。

夜中なのでまた明日推敲するが、とりあえずそんなことを、外野席で感じている次第である。
サラリーマンも大変だけれど、命を預かるお医者さんも受難の時代だと気の毒である。

*****
「検査費用を安くあげてしかも安い薬ですませるガイドライン」でも作りますか、厚労省。
勤務医は特に働きすぎではない、ただぼうっと待っているだけでそれは仕事の時間ではない、と暴言を吐いたあの柳沢大臣の任期中に。

われわれは何のために働いて何のために医療保険料を支払っているんでしょう。
最近の、テレビで大量に流れている民間医療保険のコマーシャルが気になります。なんでもアメリカ並みにということで、流されて行くのでしょう。誰が儲けているのか、よく見る必要があります。

既得権益にメスを入れろと言うわけで、貧乏な人がますます医者にかかりにくくするでしょう。
結構、愚政は今に始まったことではありません。常にそうでした。そしてまれに賢政があるだけでした。
国民がそれを欲し、選択しているのだとしか言いようがありません。

お医者さんは、ハワイなんかで開業するのもいいかもしれませんね。
老齢日本はこの先だめなんだと思います。



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NHK 日本の、これから「止められますか 地方の衰退」-第1部-

地方はどれだけ衰退してもいいのか
という議論らしい。
 →衰退したところに住みたくないなら、東京に来ればいいじゃないの、とのご意見あり。
 →お金があればいくらでも手厚くしてあげたいけれど、お金がないんだから仕方ないよね、誰にがまんしてもらう?という手順になる。
 →僻地にお医者さんがいなくなった。今後、僻地医療を誰がどのような仕組みでになうのか、議論されている。この一点だけでも、すでに、最悪の事態である。

グローバリゼーションの中で、東京でさえすでに、
中国やインドの大都市に比較して「負け組」だとの発言があり。
  →仕方ないよ。アテネとかミラノとか、そんなイメージでいいんじゃない?

東京を支えているのは地方だとの意見あり。
  →だんだんそうでもなくなっていて、東京を支えているのは中国の田舎だったりする。

もちろん、地方も健全に発展すれば一番いい。
それができない場合に、予算の配分をどうするのか、
将来の計画をどうするのか。
 →それはどんなふうに決まるのかと言えば、選挙だ。選挙制度の中身だ。

放任しておけば弱者にとってつらいことになる、
その行き過ぎの部分については、政治が補完する、
それが従来の政治だっただろう。
 →再び福祉国家のビジョンを採用するか、どうか。福祉国家は社会主義的ビジョンに通じているわけで、あまり流行ではない。しばらくすれば揺り戻すだろうけれど。そのしばらくはまだまだ先のようだ。

大都市と地方のことについては、
強制的なローテーションでもしないと、
調整はできないだろうと思う。
 →今後ますます固定化するだろう。政策決定権のある、実質的な支配層と、そうでない人たち。

コンパクト・シティの話。
駅前に住宅も諸施設も集中するように行政が誘導する。
 →根本的ではないが、とりあえず分かりやすい。でも問題は日本全体の沈没なのだ。

そもそも、まず都市整備に税金を使い、
そのあとで地方に税金を使うという順番だったのに、
地方の番になったらもうお金がないと言いだして、
都市部に住んでいる人たちは、
いまさら地方に投資は必要ないよと言い出した、
なんていう感じの意見もあったように思う。
 →そんなこと言っている間に、中国がいいところをみんな持っていくよ、と恫喝しているのだ、自由競争派は。

だって労働人口が激減するのだから、
国の風景も変化せざるを得ないのだ。
お年寄りが増えるのだから、
それなりの国になるしかないのだ。



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9.11陰謀説

陰謀説のことを話していたら、
いろいろと教えられた。

9.11は陰謀であり、
http://www.wa3w.com/911/

http://store.globalpeace.jp/index.php?main_page=product_info&products_id=83&zenid=97c5d608968fa9f58e756b584b2f4770
がある。また、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%8C%E6%99%82%E5%A4%9A%E7%99%BA%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E9%99%B0%E8%AC%80%E8%AA%AC
さらに
http://video.google.com/videoplay?docid=-1467800415159035409&q=%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8&total=18&start=0&num=10&so=0&type=search&plindex=0
これには関連ビデオがいくつもある。
http://video.google.com/videoplay?docid=-1467800415159035409&q=%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8&total=18&start=0&num=10&so=0&type=search&plindex=0

飛行機が突き刺さったビルは、原形をとどめないほど粉砕されている。飛行機が突き刺されば、
古いビルの爆破解体のように中央から瞬時に崩れ、周りの建物をほとんど傷つけることなく瓦礫がきれいに敷地内に収まるものなのか?
確かに、あまりにきれいに完璧に、粉々になっている。
ビルという構造体はそのようなものなのだろうか?

飛行機が接近したときに、衝突直前に、閃光が見えている。

ペンタゴンの「穴」は、小さすぎる。

第7ビルが崩れているのはどうしてか?飛行機は関係ないはず。

アメリカ政府は情報を統制している。

*****
こんなことを言われて、私としては、賛成も反対も難しかったのだけれど、
なるほどなあ、こんなこともあるのかなあと思ったことだ。



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鎌倉のゴールデンウィーク

昔々ゴールデンウィークといえば
鎌倉でデートするのが定番だった

今回のゴールデンウィークはとてつもなく暇で
そうなると自然に学生時代のことを思い出していた

生物学的な意味での幸福感は充分に感じられる
ムズムズするような
このまま過ごしては無駄になってしまうような
若さを無駄にしたくないような
そんな春の気分だ

しかしその一方で
性的エネルギーを消費し尽くしたような
けだるさがずっとおおっている

花の香りにむせるようで
海辺で太陽の光がはねまわるようで

車で行く余裕はなかったけれど
BGMはユーミンとかサザンだった

鎌倉のゴールデンウィークを思い出しつつ
過ぎてゆく私は今こんなことを書くだけの存在になった
私の回りにも口を開けば戦争の話をする老人がいたものだ
私は今まさにそのような存在の仕方をしている
ユーミンとサザンは老年期のアイテムになったと思う



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NHKスペシャル 中国貧富の差

中国の富裕階級と貧乏階級の格差を紹介

お金持ちはすごい勢いで稼いでいます
一億円の車に乗っています
でも背広は似合っていません

お金がない人は家族の病気や教育のために出稼ぎです
子どもと離ればなれです
泣いています

子どもは話します
勉強して貧しさから抜け出したい

*****
さて、中国にしてもインドにしても、
少しずつ豊かさが広がれば、
人々は目覚めるでしょう
そして再び政治の季節が訪れるでしょう

だから私は中国株はいまでも敬遠していて、
結果としてはとても損をしています

こまったな

*****
さて、ある程度の格差は認めるとしても、
能力があれば可能性がある、
努力すれば成功する、
そんな社会にしようといえばだいたいは賛成でしょうね。

しかしまた少しの心配もあります
たとえば階級間の流動性が大きくなると
活力が出ると同時に不安が高くなります
上昇の活力は一面では結構なことですが、
下降の圧力はすさんだ心に結びつくでしょう

またたとえば、偶然才能に恵まれて上昇したとしましょう
その人は果たして仕合わせになれるのでしょうか
小さい頃から慣れ親しんだ行動パターンや感情パータンが
使えません
人とのつきあい方も違います
そうした生活の流儀の変更を強いられるわけですが
それでうまく行かない場合があります

また金持ちグループが上昇してきた者をうまく受け入れるとは限りません
そんな中で悲劇も起こるでしょう

勿論個人的な意見としては
社会階級が固定化して政治家の二世三世が国を動かすような奇怪な社会はいやです
しかし一方で苦しい局面もあるのだと認識しようということです



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いとしのエリー あれこれ

Ray Charles
http://jp.youtube.com/watch?v=YWcDI4TU8k8
訳詞も最高

夜が来るたび おまえを抱きたくなるよ
そのぬくもりを感じたまま 朝を迎えたいんだ

おまえは最高の女さ
いとしのエリー

傷つけたこともあった
でもそのたびに気付くんだ
おまえと一緒じゃないと幸せになれない

わがままなのに
さみしがり屋

まぶたの裏で笑っておくれ
忘れられないんだ いまも いつまでも

俺にはおまえしかいない
一緒にいておくれ
エリー マイラブ

おまえしかいないんだ エリー

SAS
http://jp.youtube.com/watch?v=j9c28jnUvNE&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=ScwHnVxKzAI&feature=related
比較すると、上の方がいい。
Ray Charles と比較しても、メロディーラインとして好きなのはSASの上のやつ。

Ayaka Hirahara
http://jp.youtube.com/watch?v=HZPxtsiJBks
ボサノバ風かな
Ayakaさんが桑田
風に歌ってくれたらもっといいと期待します。

MEB!US
http://jp.youtube.com/watch?v=oXzvCjTvBtw&feature=related
Epo
http://jp.youtube.com/watch?v=L7FjFkOyqY4



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サハラ砂漠

世界遺産の番組で、サハラ砂漠を見る。
最後の氷河期が終わって後、砂漠化したといっていた。

サハラ砂漠にはキリンが生きていた時期がある。
キリンを石に彫り付けた像が残っていて、
それがすばらしい。

砂の上を風が吹く。
石英が飛んでゆく。
画像で見ると、透明な粒である。

日本の海岸の砂とは少し違うようだ。



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新聞広告

寝そべって新聞を読んだ。
眠くなったら寝てもいいやという気持ちで
新聞などをゆっくりと眺めている。
自分は評価されない、ただ批評していればいい、
そんな立場はとても気楽だ。
時間に追われるわけでもなく、
至福ではないか。

元旦の朝日新聞は出版各社が辞書の広告を出している。
新潮社、三省堂、岩波書店、大修館、学研。
五社が大きく辞書をアピールしている。
コンピュータがあれば、辞書は手元になくてもいい時代だから、
学生用なのか、あるいは、
そんな時代だからあえて新聞で広告するのか。

辞書というものは非常に手間がかかり、間違い易くもあり、
訂正が次々に発生し、論理整合性がいつも気になり、
厄介なものだ。
自分の勉強が進むにつれて、書き直したくなる。

わたしは辞書を一冊出版していて、
それを改定する作業も一回経験して、
最新版はネット辞書になっている。
そんな関係もあり、出版各社がどのような体制で
見出し語を選定し、説明しているか、興味がある。
辞書というものの性質上、簡潔さが求められる。
値段を安くしたいので、情報を詰め込む。
出版後、こっそり訂正している部分もかなりあるはずで、
そんなことも気になる。

最近は類語辞典の類が増えた。
類語辞典は普通の辞典よりもさらに困難だろうと思う。
見出し語の選定、検索システムの提供。
最近は全文検索で探せばいいし、あいまい検索もできるので、道が開けた。

新潮社から、漢文を読むための漢和辞典ではなく、
日本語を読み書きするための漢字辞典というのも出ている。
漢字文化圏の話とか、
中国の簡体字、台湾の漢字などを目にする機会もあり、
漢字について、どの程度日本独自なのかについて、
知るのも悪くないと思う。

辞書以外では出版社が、
文藝春秋、講談社、光文社(ここは海外古典の新訳で儲かった)、新潮文庫、小学館、集英社、角川書店。

他業種では、
ミサワホーム、積水ハウス、大和ハウスが、ハウスメーカー。
デパートは三越と高島屋。たれ目でなで肩で和服がよく似合う。
和服は肩パットをはじめ、いろいろと整えるようだが、
この人はかなりなで肩ではないか。
だから多分肩もこる。当帰芍薬散がぴったりの、当芍美人さんである。

クラブツーリズム、東横インがご挨拶。
日産、トヨタ、HONDAがいずれも、エコとロボットを前面に出している。
花王、メナード、Cannon、Panasonic など。
メナードはとても美人だけれど、和服は最高とは言えない。

利益を確保していそうな会社から広告会社が搾り取っている。
利益が出ているということは社員が泣いているということかもしれない。

積水ハウスはとてもきれいなメッセージ。
でも、そう思うのは小学生まで。
広告というものは如何に嘘であるか、深く実感されるこの正月である。
そして、その隣に並んでいる記事も、多分、嘘が多いだろうと思う。

嘘だからこうして見ていられるのかもしれない。
普段載っている通販や健康食品の広告など、ひどいものが多い。
広告に応じて、朝日新聞の記事も、中身がずいぶんやせてしまった。



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西村由紀江 NHK 趣味悠々 やさしいピアノ 

NHKで午前中に放送
なんて表情があって美しい人でしょう
被写体として魅力的
映画アメリのヒロインに似ています
そして何より、演奏時に、
指、前腕、上腕が美しく、表情があります。
輝いている、そして、語りかけている。
と思っているうちに30分がたちました。

音楽関係も、
諏訪内さんをはじめとして、
ビジュアルも最優秀という方が増えつつあるようです。



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NHK「ダーウィンが来た」ウミショウブの花

沖縄、西表島の海中にウミショウブが生えていて、
大潮の日、一斉開花して、海表面を滑り、
海面が一メートル五十センチ下がったところでめしべが海面に出て、
三時間のうちに受粉する。その美しいこと。
大潮の日に開花して受粉する仕組みはまだ分かっていないという。
映像は、海自体も透明で、光にあふれており、
さらにおしべとなる花が美しいので、文句なしにすばらしい。
感動でした。

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東京で学び生活することの意義

わたしは東京山手線内の暮らしが一番長い。
ついで東京近郊電車で一時間くらいの場所。
その次に長いのが地方。

比較してみると、当たり前だが、東京は情報密度が高い。
新聞やテレビで伝わる情報以上のものが東京にはある。
情報密度が高いと息苦しいという人には、
地方の方がいい。
世の中雑音ばかりが多いとの考えの人には地方がいい。

東京で学ぶことの意義はこのあたりにあるだろう。
じっくりと古典を勉強し、自らも古典作家になろうという人ならば、
東京の喧噪は馬鹿馬鹿しい。
若いうちは先輩に連れ回され、夜中まで酒を飲み、
タクシーで帰る生活。
そんな中で疲弊する人もいる。
しかしそんな中で何かを学ぶ人もいる。
いいことも悪いことも。

大学は東京という場所がいいのか、筑波くらいがいいのか、
意見があるだろう。
早稲田などは所沢とかにもあるようだし、
私立大学は八王子などに引っ越ししたところも多い。

しかし、実際に廊下で誰かとすれ違い、
誰かの講演会の看板が立ち、
誰かの展覧会が画廊で開かれ、
そんな風景を喫茶店から眺めている。
学生生活の一部はそのようなものだ。

文章を読みつつ、個人の声とか表情が伝わる。
活字の中には、聴衆の、崇拝するような態度までも、情報として含まれている。

そのように考えると、新聞、雑誌、単行本、テレビなどは、やはり、何かを思い出すきっかけに過ぎないとも思える。

私としては、その「きっかけ」にどうしてもこだわりたい。

ここまで書いたことを無にするようであるが、
私は書かれた言葉に固執する。
そのためにも、東京という環境は大切なものを含んでいると思う。

活字の嘘を知るために、と言ってもいい。

たとえば霞ヶ関を歩いて何かを感じる。すれ違う人たちはみんなまじめそうだ。
たとえば汐留から朝日新聞社を眺めて、何かを感じる。
渋谷でNHKを望みつつ、公園を歩く。
高輪で小泉さんとすれ違う。
五反田で高橋英樹のあとにゴルフボールの会計をすませる。
渋谷と丸の内で講演会の梯子をして、自慢話の脂っこさに辟易する。
外苑と東大の銀杏並木を眺めて、世の中の平和さに驚く。
毛利庭園で、ここがお天気放送の場所かと思う。
裁判所のエレベーターで乗り合わせる人たちは、
たったの15秒だとしても、うつ病以外には考えられない何かを発している。
恵比寿三越は店員があまりにも暇だ。
品川のキャノンギャラリーは受け付け嬢の椅子が低すぎて隠れてしまっている。
東京の新しいホテルはみんな国際水準で、一体庶民はどこに行けばいいのだろう。
フィットネスクラブでキムタクを横目で見ながら汗を流す。
ショーウィンドーで輝いている花々。
坪三万円でふっかけておきながら、
儲けたら8パーセントよこせという大家。ごまかす店子。
なのにサラリーマンの昼食は500円。
品川シーサイド、イーオンのお昼には、腰のない讃岐うどんが一番人気。
倹約したい人はカップ麺を食べている。
品川のプリンス系のホテルで見かけるクリスマスツリーは、
まるで群馬県の温泉である。どうしてなんだろう。それは、ニューヨーカーが客ではなく、群馬県民が客だからだ。
保守的な人たちは、群馬県的なものが品川にあることで安心するのだ。
一方で、高輪アウトバックステーキには米国人旅行客をほっとさせるものがある。
高輪のしゃぶしゃぶを高いお金を払って食べている旅行客が気の毒だ。
同じ品川でもストリングスホテルに泊まった客はセンスがいい。
仕事で出張する人の飛行機のマイレージはどうして個人につくのだろう。
マイレージでデジカメを買い換えた人の話を聞いた。
ソニーの評価が低くてがっかり。
ニコンのカメラで東京タワーを撮影している金持ちそうな男性がいた。
粗末な格好でカメラを担いで歩く、六義園撮影の一行がいた。大声で自慢しあっている。
男女で並んで撮影していて、よそ行きの言葉を交換している50歳くらいの人たちもいた。その脇を訳ありの様子で年齢の離れたカップルが通り過ぎる。
体質の深いところで、まだまだ江戸庶民だと感じる。

お金のある人はさっさと米国で教育を受けている。そんな中で、東京で学び暮らし仕事することの意義を深めたいものだ。

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うんちはなぜくさい?

太陽が暖かいのは時代や文化によらない
何かの流行は時代と文化に依存する

うんちをくさいと思うのはウンチそのものの客観的性質ではない
しかしまた流行によらない
これは人間の脳がそのように指令していると考えられる

「臭い」と認識するのは、人間の側の事情である
化学としていえば
ウェルシュ菌などが産生する物質を知覚している

その物質をなぜくさいと思うか?

赤ちゃんのウンチはあまり臭くない
腸内にはビフィズス菌がたくさんいるからだといわれる
老人介護において大便のにおいが和らげば少しは介護しやすいといわれる
そこで腸内のビフィズス菌を増やすことも試みられた
著効はないようだ

この点だけを見ても
赤ん坊は嫌われない
老人は嫌われる
という自然の仕組みが透けて見えるような気がする
(いいもんじゃないけれど)

犬を散歩に連れてゆくと
マーキングをする
排泄物に含まれる化学物質を利用して
縄張りを主張している

そこで人間の場合も
便がくさいと感じられるのは
縄張り行動に役立つからではないかと
仮説を立ててみる

こう考えてみよう
古代である
ドングリの林がある (→イベリコ豚がいるにちがいない!)
ドングリがたくさん採れる日当たりのいい大木もあり
いまにも枯れそうな頼りない木もある
集団内のオスたちは何となく自分の場所を占有する

オスたちはその体力知力胆力により序列ができている
その序列に従ってドングリ林の中のいい場所をとる
そのように住み着いて
縄張りを見張ることになる

そこでマーキングである
なるべく広い場所を自分のものとして主張したいならば
なるべくくさい大便または尿を
なるべく遠くに
置くことが有効である

(変なことを書いていますね。耐えられない人はこのあたりで。この先もきれいなことではないです。)

普段ゴロゴロしている場所から
便意を感じた時に走り始めて
なるべく遠くまで行けること
これが大切である

下痢は不利である
便秘の方が有利である

なるべく遠くまで走る体力がないといけない
我慢強さがないといけない

家族がいるとして
その中で排便前に一番遠くまで走るものが
一家の家計にもっとも貢献していることになる

また
なるべくくさい便を確保するという点でも
便秘がちの方がよろしい
従って腸は長いほうがよろしい
そこで日本人の小腸大腸は長くなった

一家の中で一番くさいウンチをする者が
家計にもっとも貢献していることになる

こんな縄張り行動ができるのも
うんちはくさい、他人のうんちの臭さには勝てない
と思う共通認識があるからである

うんちを嫌悪しない人間がいれば
これは平気でそのあたりのドングリを集めてしまうだろう
(? だとすれば、淘汰の結果、ウンチを臭いと思わない人が増えるはずだな……。)

概略以上のような事情で
うんちはくさいのである

火の中に手を入れればやけどをする
これは脳の思いこみには関係しない
うんちはくさい
これは脳の思いこみである
どうしてそんな思いこみが共有されるに至ったものか
説明ができるだろうと思った次第である

こうした思いこみから解放されている人達も少なからず存在することも、
一種の思いこみであることを証明するだろう。

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五木寛之 NHK ブッダ最期の旅

ブッダ最期の旅の足取りを辿りながら
五木寛之が語る番組

五木寛之は40を過ぎてから大学で仏教を学んだ
そして現代の苦悩に仏教はどう答えるか
答えを模索してきた

70を過ぎたのだという
旅をしていて老いを強く感じるのだと語る

ブッダは記録によれば80を過ぎての旅であり
昔のことだからさらに負担の大きなものであっただろう

人生は生老病死いずれも苦しみであるという
ネガティブな認識から発する

現代とは生存の基本条件がそれだけ異なっている
ということでもあるのだろう

朗読されているのは
中村元がパーリ語から日本語に翻訳したもの
独特な文体である

反復が多く
詩の体裁を取っている
しかしこれを日本語でも詩というのかといえば
多分詩とはいわないだろう

それは単に私の習慣の問題かもしれない
それも詩なのかもしれない

パーリ語で詩であったものの
翻訳をすればこんな意味になる
という程度のものだろう

詩というよりは歌詞というべきだ
哲学的な内容を歌詞にしてみればこうなる
そのように響く

画面にはNHKで見慣れたようなインドが映っている

私は今疲れていて
そのインドの風景から
何か積極的なものをつかむことができない
ただなにか圧倒されている

そうした圧倒的なものに自分をさらすのがいまは億劫だ

人の世の中の圧倒的な濁流に身をさらすのがいまはつらい

ブッダは
私は永遠に生きるなどとは言わなかったようだ
偉い人だった



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チーズに醤油?

トマトにはなにかかけますか?
ドレッシング、マヨネーズ、ソース、砂糖、醤油は見たことがある。
みそは見たことがない。
こんなにバリエーションがあり、それぞれにおいしそうなのは、
家庭の味に大きな差があるからなのだろう。

たとえばチーズでもいろいろあるかもしれない。
チーズに醤油をかけて食べる人も探せばいるのかもしれない。


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街を歩いて 摂食障害





こんな看板を眺めつつ歩いていたら、
前を歩く人の手に「吐き胼(はきだこ)」を発見。
多分、過食と嘔吐を反復している人だ。
苦しい人生だろう。

看板の中の女性たちは、ありもしない幸せを振りまいているのだ。

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絵が下手と運動が下手

絵が下手と運動が下手を比較してみる。
絵を描く、自分は下手だと認識する。しかしそれを訂正はできない。
運動、例えば野球をする、自分は下手だと認識する、しかしそれを訂正はできない。
下手だと知ることと、訂正できるということとは、かなりの距離があるらしい。

さてそこで、訂正に必要な手順を考える。
野球の場合には、実にたくさんの要素があって、簡単ではないのはすぐに分かる。
絵の場合にはどうだろうか。極端にいえば、その線をどこに書くか、の局面に限定すれば、何本か引いてみて、これが一番よいようだくらいの判断はつくものだろう。
どちらの絵がいいかについての判断ももてないという場合は、この論には含めないことにする。
とすれば、絵を描くプロセスを分解していけば、ひとつひとつについて、どの線がいいか、どの色がいいかを慎重に選ぶことができるはずで、
訂正の機会が保証されている限りは、自分の納得の行く線と色を置くことができるはずなのである。
だとすれば、それはそれなりに満足できる絵になっているはずである。

一般に、絵を描くときに感じることであるが、自分の描いた絵を、いいものとは思わないにもかかわらず、自分は書いてしまうという、おかしなことである。
内部に、いい絵と悪い絵の基準があるのに、悪く描いてしまうのはとても腑に落ちないのだ。
それが運動のように、瞬間反応の熟練を要するなら、
よい動きを理解していても、それを実行できるまでにはまだ努力が必要なのだと分かる。
絵画の場合、ゆっくりやっても構わないと言われているとすれば、ただ、美醜の判断部分だけが働くはずなのである。
しかし実際にはそうではない。セザンヌがいいとか、モネがいいとか言っていながら、
自分が描くものは、小学生の落書きでしかない。
描く時は美醜の判断回路は停止しているかのようである。

ここがおかしいのだ。
時々刻々、線を吟味しつつ描くならば、もっとましなものになるはずなのである。
例えば、描画ソフトで、いったん描いた線を、つまんで、曲率を変化させたりできる。
うまい絵を描けないはずがない。

何がいい絵かについての概念が頭の中にない人にとっては、所詮無理なことであるが。

何がいい絵であるかは、分かっている。
なぜ自分はいい絵が描けないかは、分からない。
この不思議な不一致を何とか説明できないかと思うのだ。

可能性のひとつとしては、何がいい絵であるか、本当は何も分かっていないのだという場合が考えられる。見当違いの部分で感心しているわけだ。これは仕方がない。

もう一つの可能性としては、いい絵を理解する部分と、絵を描く部分とは、脳の中でかなり離れた場所に存在していて、共同して働くなどということはできないというものである。
どうも描く一瞬前には、判定脳は思考中止しているようだ、そして描かれた途端に、活動を再開する。そんな感じがする。



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柄谷行人「日本近代文学の起源」

何という稠密なパズルだろう。
膨大な引用、さまざまな概念装置、
それらをパズルのように組み立てて見せる。
ただ圧倒される。
パスカル、フッサール、デリダ、ローレンツ、スタロバンスキー、
ルソー、ソンターグ、フーコー、ピアジェ、
その他、私にはなじみのない人多数。
一体何というアクロバットだろうか。

中に小川未明の登場する一節があった。
たしか親戚の古い家で、小川未明の子供向けの話を集めた
大きな固い本があって、夏の間、読んだ覚えがある。
同じ家に、夏目漱石の坊っちゃんがあったことも覚えている。
全集版の大きな本で、オレンジ色のような表紙ではなかったか。
古い文字遣いだったような気がする。

柄谷のありがたい労作をしばらく眺めて、
心に浮かんだことはそんなことだった。

中村光夫も懐かしく思われた。
読んだことはないけれど、ある年の神田の古本屋で、
中村光夫の「ある女」というタイトルの本が大量に売られていたことを覚えている。



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ハナブサ・リュウ「美の王国」

銀座ニコンサロンにて写真展
ハナブサ・リュウ「美の王国」。

主に彫刻などを写真に撮っているんですが、
相手は動かない。
目をつむらない。

要するにライトの具合を調節して、
あとはカメラを調整、
写真に焼くときにまた調整。
シャッターチャンスという問題は限りなく小さくなるような気がする。

彫像なのに、いや、彫像だからなのか、生々しい。





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大江健三郎「取り替え子」2

1.
心理成長の屈折点

二十歳前のあの二人の体験は何だったのだろう。
それをわたしは二通りのメタファーとしてとらえる。
ひとつは、少年期から性的人間への変革に伴う、心のきしみ。
もう一つは、精神の病に近接した、精神の危機。
両者はもちろん密接に関連するのでバラバラに考えていいわけではないのだが、
しかし、誰でも通る道と、精神の病に近接する危険な道と考えれば、
両者は同一というものでもない。
単に時期が近接していて、両者が混じり合うことがあると考えてもいいかもしれない。

人間は少年期にいったん完成する。小学4年生位か、男女混合クラスで、
男女の違いよりも、人間としての共通性を生きる。
男が、極めて一部の優秀な男を例示して、自分も男だから共通に尊敬を要求していいのだと言い始めて、歪んだ世界を作り出す、少し前の時期である。
建築でたとえれば、完成した一階部分に、無理な形で二階部分が建て増しされるようなものだ。
一階部分は、個体として生き延びる構造である。
二階部分は、繁殖して次世代を残すための構造である。
この時期に、いつまでも小学4年生ではいられないことの苦しみを
克服しなければならない。

また、一階部分と二階部分の接合がうまく行かない場合には、
苦しみの延長に、
この現実と、人間の精神と身体が、実は、適合していない
のではないかとの疑いが生まれる。
これはある種の精神の病の始まりを導くことになるだろう。

この現実を受け入れらないのだから、
精神の目を閉じてしまうしかないのではないか。
青年にとって世界は思ったよりもはるかに分厚い。

このあたりの事情または雰囲気を具体化したものとしてイメージできた。

2.
取り替え子の発想。
なるほど、イメージを喚起し、連鎖させるに足る、強い発想である。

取り替えられた子に、前のこと同じ言葉を教え込み、同じことを考えるまで教育するとしたら。
「だから同じ言葉を話す」とあるが、
私にはそうした共同性の地平が心塞ぐものだ。

生まれ変わり、無垢を取り戻す。
それは美しい発想である。
しかしながら、同じ言葉を入力し続けたのでは、
結果も同じではないのか。

3.
死を乗り越えるために、再生のイメージを取り出し、
当然女性のイメージを大きく取り上げることになる。
多分死はそのようにしてしか乗り越えられない。
時間軸を動かない絶対のものとして、
その軸に沿って、死滅と再生を反復する、
それは循環の世界であり輪廻の世界である。
一直線の発展発達ではない。
技術の世界の直線性に対して、
心理の世界の根本的な循環性、
あるいはそこにわずかの進歩部分を見込むとして、
心理の螺旋階段状の成長を考えている。

しかし思うのだが、そこにも、その先にも、何かの根本的な解決があるのではない。
安定した解を求めるのなら、人間は根本的に同じことを反復するのだと定義した方が考えやすい。
しかしそれでは未来は解放されない。
未来を解放してしまえば、反復からは逃れられるものの、
未来の姿を知ることはできず、結局、人間の未来を信じることは不可能である。

4.
学ぶ人、読書する人、書く「作業」に打ち込む人。
多分、強迫的に読書している。
読書の内容をコラージュして行けば、精神を編むことができて、
そこに語り口という文法を持ち込むなら文章によるコラージュ作品が出来上がる。
その産物が成果の構造をどれだけ写し取っているかに、
著者は責任を取らない。
むしろ、世界はこれを作ったのだと提示している。
それは自分は子の世界の産物であるとの信念があり揺らがないからだ。

5.
最近のスタイルをくっきりと感じる人は、
茂木健一郎と思う。
〈引用〉
自由意志の不可思議について考えた。 
 果たして、人間には未来を自由に選び取る
余地があるのか。
 古典的決定論、量子力学的確率論、
神経認知科学。非線形力学。カオス。
 諸学の成果に照らし合わせて、
自由意志はありやなしや?
 私はそもそも、未来を選び取れた
のだろうか?

 徹したロジックの人は、一見狂人に見える
のではないか。
 正気とは、精神の成分をやさしく
分離しておくことを意味するからだ。
 自由意志についての論理を貫く時、
人の精神は異界に遊ぶことになるのだろう。
〈引用終わり〉

時代が科学にここまで追いついてきたことを嬉しく思う。
こうした内容をソフトな語り口で語る人が
世間から高く評価されている社会は悪くないと思うのだ

科学者が哲学的にまた文学的に語ることは堕落だと
思われてきた
ある種の挫折だと信じられてきた

そんな言葉を並べている時間があったら
なすべきことがあるはずだと
いわれていた

そんなものは俗世間をしのぐための方法でしかない
科学の本質、知性の最上の成果に挑まずにどうするのか、
そういわれたものだ。
しかし現在はそのような一直線の進歩も信じられていないわけだし、
最先端部分での根本的な停滞も
科学者の自信を奪い去っている

そんな中で
「何を」提示するかではなく
「どのように」提示するかを
この人は芸にしていて、まさに秀逸である。
まんじゅうのあんこは同じだけれど、
つつんでいる皮を工夫し始めたのだ。



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のどが腫れている

のどが腫れている。
町内会理事会では一言も話さなかった。
テニスでタイブレイクになって長引いて遅れた人一人。
相撲は今日が山場だといって落ち着かない人一人。

シャラポワが優勝したけど、
前はシャラポワが練習に来ていたんだ、
近くで見るとテレビで見るよりずっと大きいしね、
筋肉もすごくてね、
日本は男子でもかなわないだろうな、
とか。

相撲は結局、一敗同士で明日が横綱対決。興行側としては理想的な展開。
朝青龍がヒールに徹してしかも強いからおもしろいかも。

お相撲さんは「赤ちゃん顔」をしていて、おもしろい。
大人も、脂肪割合を増やしていくと赤ちゃん顔になるものらしい。
「ふける」というのは、脂肪がなくなることなのかもしれない。

そうは言っても、若々しくてしかもやせている人もいないことはないので、
脂肪がないだけではないだろう。
脂肪に女性ホルモンが溶けているので、その関係はあるだろうが。



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ただのおばさんとなぜ気付かない

同僚が不倫してまして
ときどき相談を受けてます
社内不倫ですね

どうみてもただのおばさんなんですよ
きれいでもないし
趣味がいいわけでもなくて

恋愛感情って怖いです
ただのおばさんが
不倫相手になっちゃうんですよ

どんなからくりなんですか
こころのからくり
ただのおばさんとなぜ気付かないものですかね

二人でラブホテルに行くっていうんですから
どうにかしてますよね
聞いてるこっちが頭痛しそうです

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サンパピエ

感情労働っていうわけか。
なるほどね。
あたしは7階だけど、
八丁目のあたりは、
肉体疲労も知能負荷もなくって、
ただひたすら感情疲労だわ。

あたしは感情マシンね。

そう、サンパピエって、
気になってたの。
以前そういわれて非難された。
身分証がないじゃないかって意味ね。

あたしたちライセンスで営業してるんじゃないもの、
あたりまえだわ。
人間の根本の感情で向き合ってるの。

Wiiと違うのよ、
画面の向こうでプログラムが喋ってるだけじゃない。
だから疲れるし長くやってられない。
消耗品。
ピッチャーの肩とおんなじ。
脳の中が赤くなってる写真、あれよ。
かなり必死。

顔は母親にもらったもの
頭はどうせよくないし
一度も太ったことはない
でも気持ちだけは気をつけてるのよ
せめて白い感じでいようって

もうかなりまだらだけど
でも少しでも白い感じを出したいの
こんな世の中だけど
すこしはいいとこだって思ってほしい

だまされるけど
だましてない

もうみんなにはよくしてもらったから
恩返ししたいの
ちょっといいでしょ
気持ちは寛大

同伴が疲れるの
おいしいですって食べて
あとで吐いてるんだもの
どうしてあんなアミノ酸臭いもの食べられるんだろう
おすしなんか食べても
消化しませんようにって思いながら
なるべく吐いてる
水銀だって脅かすんだもの

ミシュランに載ってから
みんなおんなじお店に予約するの
だからこっちはいつも同じもの食べてるわけ
ありがたいけど

あたしは手料理もできないけどね

憧れはね

あ、ま、いっか
感情労働者も明日はお休み

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Mal d'Archive

デリダのフロイト論
「アーカイブ酔い」
Mal d'Archive
であるが、
アーカイブの病
でもいいのではないだろうか。
悪よりもいいと思うが。

『わたしは「物質」だと「思っている」』、
この矛盾がどうしても解けない。

どうでも言いといえるあなたが羨ましい。



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ディア マサオ

ディア マサオ

元気でいるって
マリちゃんから聞いたわ

ワンタンの上手な女の人は見つかりましたか?
わたしはその後もう一段腕を上げました。
きっと気に入ると思うけど
つくってあげません。
でも、ずっと一人です。

追伸。
子供の頃貸したままの、
タイプライターのリボンをいつかこの世で返してください。

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すこしだけまともな暮しがしたい

もう不幸も苦労もたくさんだ。
激動はもう遠慮したい。
ただ薄く平坦な幸せがほしい。
それだけだ。



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