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世の恨みはとどまることがない

人の世の恨みはとどまることがない

人が死んだとしても輪廻して恨みだけは残るかもしれない

輪廻がないとしても
子供に教育するかもしれない

もし神が存在するのなら
公正な裁きをもたらすかもしれない

愛の神なのか
裁きの神なのか

あなたは無限に赦す
あなたは無限に裁く

裁かれるわたしは無限に赦されたい?
裁かれるあなたは無限に裁かれる。

回避するために平気な
ダブルスタンダード

わたしは子供に恨みを教育はしない
しかし子供はわたしの日記を読むだろう
そして判断するだろう
自分の親が間違っていたのか
そうでなかったのか

わたしにはもう怒る気力はない
ただ日々を生きるだけで精一杯だ

しかし人の世が否定の精気に満ちていることは感じるのだ
Negative Energy
すべてを悪に読み替えるエネルギー



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一家の主人は主婦

うつ病はつらいなあ
休職して休んでいても、
くつろげるとも限らない。
一家の主人は自分だと思っていても、
実際はかみさんが主人なのだと思い知る。
かみさん、子供、犬、自分が本当の序列である。



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何もなかった二人

中学の同級生
男と女
部活が同じで
帰る方向が同じで
よく一緒に帰った

わたしは晩生でそれらしい話はしなかった
恋愛ごとなんて人間を甘くするものだと軽蔑もしていた

周りの大人たちは表向きそういう態度であった
わたしは素直に従っていた

大人の言いたいことなど
ふた周りも先取りして
承知して見せている
そんな優等生だった

その人にどうしようもないほどの欲求を感じたこともない
それは時と場合により制御できる範囲のものだった
しかし制服の下は充分に充実していて
笑顔もまた怒った顔さえも愛らしい女だった
感情の動きが母親とも妹とも違う
なにかそれは男と女の感情に似ていた
組み替える脚を見せられ私は何かを感じていた
私には歳の近い妹がいたのでその延長で
考えようとしたが
やはりその範囲では処理できない
過剰な女性部分があった

そのようにして静かでつまらない時間が過ぎた
逸脱は高校生以後のことである

いま中学の彼女との時間は
満開の桜の下で
花びらが降りかかり
これから二人で写真撮影をする
そんな
陰のない明るさなのである

美しい思い出になった

桃の花下照る道に出で立つ乙女は
多分あの人だ

家が近所だったので、
何かの機会に母と彼女が帰り道で同行し
話すこともあったらしい
何度か感想を聞いた
いい娘さんだねと

いい娘には違いない
しかしわたしにはなすべきことがある
チャレンジがある
社会のため人類のため
そんな思いの中学生だった

考えてみれば今も変わっていない
いつでもわたしにはしなければならないことがある
プライベートな生活の前に
しなくてはならないことがある

そのようにして一生は過ぎたのだ

桜の花びらが舞い散るその下に
わたしの幸せはあったのだろうかといまも思う



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司馬遼太郎「空海の風景」

空海については以前から興味があった

精神現象を理解するにあたって、
脳の機能不全からアプローチする方法と、
天才脳の機能からアプローチする方法が可能であると考えている。
空海は天才脳のひとつであろうと思っていた。
その点で興味があった。

司馬遼太郎は私の叔父が好んでいた。
そのうちの何冊かは、読むように勧められたこともあった。
しかしわたしは、小学生の頃勧められたシャーロックホームズも、
中学生の頃勧められた司馬遼太郎も、
つまらないとしか思えず、今日に至った。

今回は頭が回らないこともあり、
読みやすい感じもして、
司馬遼太郎の描く空海を読んでみた。

筆致は、「街道を行く」の感じで、地理をしるし、風景をしるし、
歩いている司馬遼太郎の呼吸をしるし、そのように進む。
それにしてもなんと博識なことか。
一冊の本を書くためにこれだけの準備をするものならば、
著作は実にたいへんな苦行に属する。
しかしながら、断片的な知識が総合され、
空海の心理を推理する段になれば、
報われた感覚にもなる。

真言密教の位置づけについてであるが、
私は門外漢ながら、
私にはやはりどうしても、仏教内の呪術部門としか見えないのだ。
いかに精緻な理論的背景を持とうとも、
すべてのインド哲学と同じく、現代の評価からすれば、
乏しい観察事実をかなりの空想で補った末の、
大部分が妄想である、そのような体系である。
空海の時代にはこのような要請もあったであろう。
祟りから逃れるために必要であっただろう。
しかしそれは古代の遺跡である。

さて、空海を当時の天才と認定するには充分な資料がある。
まず語学の天才であり、書、詩、文の天才である。

宗教的天才というべきか。
それについては、どうだろう。
司馬遼太郎が描くところによれば、
かなりの幸運に恵まれて、空海は密教の正式の跡継ぎになった。
私の見方からすれば、空海はこの幸運に縛られて一生を過ごしたとも言える。
彼ほどの人ならば、
密教など、効き目の不確かな呪術に過ぎないと
言い放っても良かったと思う。
それをしなかったのは、やはり彼も世俗人であり、
生きる打算があったのだろうと思う。

空海は入滅したのではなく、入定したのであり、
従って、係の人がいまでも、食事と着替えの世話をしているという。

空海ほどの人ならば、永遠の命など、人間にとって害あるものだと言いきってほしかった。
人間に完成はあるかといえば、
完成はない。
ただDNAの環境への適合性を、その一生の中で検証しているのみである。
永遠に生きる命は、
環境変化に対応することが難しくなり、
資源の浪費となる。
それよりは、DNAを拡散させる形で子孫を残しておいて、
その適応を試した方がいい。
環境は変化するからである。
そして正しいも正しくないもなく、
ただ環境に適しているかいないかがあるだけである。

司馬遼太郎は空海を描くにあたり、
もっと大げさにその天才ぶりや奇跡に彩られた人生を強調することもできたであろう。
それをしなかったのは、やはり、信仰の対象であるとの思いがあったのではないか。
穏やかな筆致に司馬遼太郎の大人の感性を感じる。



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映画「アイリス」

作家アイリス・マードックが老年期認知症になり、
記憶が薄れ、認知が悪くなって行く。
その中で夫との過去が回想されつつ、
静かな死を迎える。

夫と過ごした豊かな時間があったから、
認知症となってからの時間も意義深いものになった。
たいていの人の場合には、生活が忙しく、
個人の心理に入り込むことも難しく、
理解できないままで終わってしまう。

おおむねふっくらとした体型の人が出てくる。
これもいいことだ。

脚本としては盛り上がりに欠ける。
しかし認知症そのものの悲しみが強いので充分に説得力がある。

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ドラマ「優しい時間」

再放送をしている。
最後に少しだけ出てくる大竹しのぶが
最も深い印象を残す。
これが女優というものか。
加藤治子に少し似ていると思った。
前回は北島三郎が出演し、いい役だった。
確かにこのような心理的空間がありうると思わせるところがある。
優しくなればいいだけなのに優しくなれないのが
人間の気持ちというものだ。
不思議なものである。
主題歌も久々に聴いて、とても良いと思った。

ずっとそばにいると
あんなに言ったのに……

長澤まさみがぴかぴかの新人で登場している。

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スウェーデン映画「ぼくとママとおまわりさん」

息子と父の関係を描く。
さっぱりしていていい話。
フロイト的な込み入った話ではない。
子どものこころの世界をていねいに描いている。
こんな話が好きだな。

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韓国映画「サッド・ムービー」

生きることは苦しい、悲しい。
別れという行き止まり、
死という行き止まりを
前にして、人は何ができるのか。
ただ運命に翻弄されるだけなのか。
ただしばらく泣いてそのあとでまた生き始めるのか。
辛いことだ。
しばらくは、ただ泣くことしかできない。



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NHK 環境革命 レスター・ブラウン

NHK、クローズアップ現代、環境革命について、
レスター・ブラウンにインタビュー。
説得力あり。
このような仕事に後半生を捧げるのも悪くないと思う。

環境革命を第三の革命と呼び、
農業革命には何千年もかかった。
産業革命には数百年かかった。
環境革命は数十年でできるかもしれない。
何よりも、自然はそれまで待ってくれないかもしれないのだと語る。

別の書類では、産業革命。IT革命、そして環境革命と並べていた。
どれを前の二つの革命といっているのか、不明。

プランB 2.0を提唱している。
プランAは従来の自由市場による経済で、
希少資源を適正に割り振るタイプの
経済には適していた。
しかしたとえば、石油資源についていえば、
生産と輸送のコストは計算しているが、
環境破壊とか健康被害については、計算に入っていないのだ。

その点まで含めて考えると、
プランB 2.0となる。
たとえば、石油を全世界で分け合ったプランAと違い、
ローカルなエネルギーに着目する。
たとえば、風車による発電。
地域ごとに適したエネルギータイプを選んで使用する。
そうすることで環境を保全できる。

バイオエタノール問題に関しては、考えるべき点がある。
人間の食料ともなる原材料であり、
それを食べた方がいいのか、燃料にした方がいいのか、考慮を要する。
年収3万ドル以上の人たちは燃料に使いたい。
年収3千ドル以下の人たちは食料に使いたい。
この二つの層の間で、資源の争奪戦になる。
この点について、自由競争ではなく、
政治によるコントロールが必要ではないかという。
バイオエタノールを一度満タンにするだけの量があれば、
人間が一年食べられるのだとか言っていた。

現在来日していて、
品川・多摩大学ルネッサンスセンターにて
明日25日に講義があるらしい。

再生不可能な程度にまで自然が破壊されるか、
人間が気付いてプランBを採用するか、
どちらが早いかであるという。

また、一国の経済利益で解決できる問題ではない。
全人類が滅亡するか、
全人類が新しい安定に至るか、いずれかである。

いまとなっては衝撃的な新しさはないものの、
いずれにしても人類が解決しなければならない問題である。
解決するか、滅亡するか、二者択一である。
そして部分的に解決の糸口も見えている。
なにより日本の技術が大いに役に立つ。
日本人はもっと大いに勇気を出して活動していいのではないかと思う。

環境ビジネスの世界で、日本語が飛び交う、
そんな近未来を夢想する。



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映画「晩秋」(1989)

ジャック・レモン、ケビン・スペイシーなど出演。
ジャック・レモン扮するDadが中心の話。
老年にいたり心身の不調が起こり、
長年交流がなかった家族が寄り集まり、
それぞれが自分の人生を振り返り、
失われたもの、欠けたものを、取り返そうとしつつ、
時間は待ってくれない。

しかし映画だから、何とかまとまりのついた人生になった。
人生の最終局面で、このように立派に素敵に振る舞える父も立派だ。
それを支えつつ、失われた家族愛を取り戻そうとする息子もすばらしい。

途中の日本についての情報はとてもおかしいけれど、
それもまた、理解できることだ。

一回見て、ハードディスクから消去した。



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キムチスパゲッティのつくりかた 簡単版

1.
オリーブオイルでキムチを炒めただけ。キムチは刻まずにそのまま入れる。
キムチが甘くかんじる。
これは豪快だ。

2.
ゆでたスパゲッティに納豆、キムチ、生卵を乗せて、
部分的に好きなように混ぜて食べる。
こちらはオイルを使わない。
白いご飯に合うものならば、スパゲッティにも合うだろうとの考えだろう。

でも、
考えてみれば、
スパゲッティよりも白いご飯が好きだな、私は。
また、別の比較をするなら、スパゲッティよりも、
うどんやそうめんのほうが好きだな。

スパゲッティにかけられるものなら、だいたいは冷奴にも合いそうだ。

そうすると、まず、ベースとして、その食事で、炭水化物にするか、たんぱく質にするか、選ぶ。
炭水化物ならば、白米、そうめん、スパゲッティの中から選ぶ。
玄米を混ぜるのも最近は流行だけれど、
私は好きではない。
たんぱく質ならば、豆腐。
これでベースが決定。

次にトッピングを選ぶ。
これでいいじゃないか。



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都ホテル内「四川」中華ランチ2200円

四川にてランチ定食2000円+サービス料

麻婆豆腐おいしい。

店内ディスプレイはこんな感じ







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浅田彰・田中康夫「ニッポン解散」続・憂国呆談

この二人のエネルギーに脱帽。
ここにも独特な文体がある。
2002-2005の対談を収録。
こんな人たちに比べたら
大多数の人々は痴呆状態を生きているのだ。

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よくある小さな進路変更

それはもう悲しいくらいの回り道。
どうしようもなかったりだとはいえ、
微量の少年的ヒロイスムもあり。
微量の冒険主義もあった。
結果として、主観的にはなかなか大きなチャレンジだったけれど、
客観的に見れば、よくある小さな進路変更にすぎない。
なによりぬくぬくと暮らしていたではないか。
チェ・ゲバラに比較すれば、out of placeどころか、
ただ同じ場所でたたずんでいたに過ぎないのだった。



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