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自分がどこにいるのか確かめたい人

自分がどこにいるのか確かめたい人は、
本を書いてみればいい。

何の本を書いたらいいか分からない人は、
「人生のほんとう」池田晶子[著]の目次に沿って、一つ一つ、自分が知っていること、考えること、
また分からないこと、問題だと思うことを書いてみたらいいとおもう。
http://blog.so-net.ne.jp/shinagawa-lunch/2008-02-06-13
これらを何も調べないで、現時点で自分だけで必死に考えて、
目次を見て思いつくことを順番に書いて整理してみれば、
自分についてのかなりいい分析になりそうな気がする。

タイムカプセルにでもして、しばらくたったら眺めてみればいいだろう。
自分がどんな年月を送ったのかが分かる。

異業種交流会

異業種交流会が紹介されていた。
しかも早朝。
朝だと仕事の予定に左右されないのだという。

医師やカウンセラーの仕事は
異業種交流会と似ている。
ひたすら他の業界の内幕を分析している。

個人的な結論は、みんながみんな精一杯大変だということだ。
どうしてこんなに頑張る社会なのかと思う。

高度経済成長の頃はモーレツサラリーマンといわれて、
ポジティブに評価されて、
ひたすら仕事をしたものだろう。
いまは格差社会とネガティブに言われながら、
やはりひたすら仕事をしている。
やっていることは多分似ているが、
疲れ方が違う。

日本マクドナルドで直営店店長は実際は店長の名に値しないから、
残業代を支払えということになったらしいが、
さぞかし疲れる店長職だっただろう。
しかしそんな感じの仕事を続けている人は一杯いて、
もう爆発寸前かと思うが、
いつまでたっても一向に爆発しないのが不思議である。

*****
ついでだが、NHK青山キャスターが沖縄でプロ野球キャンプを取材するようになって、
アイラインのメイクを変えたような気がする。
今のほうがいいと思う。ひそかに元気をもらっています。


仕事と睡眠

ストレスがたまりませんかといわれる
学校教師とか医師とかカウンセラーとかは
感情労働だから
当然ストレスがたまる

一人の人の悩みを何パーセントか
あるいは何ppmかもしれないが
すこしだけとしても
合計すればちょっとした量になる

ひたすら眠る
死んだように眠る
誰にも邪魔させない

しかし夢にはうなされる
不思議な夢をたくさん見る
そしてそれを自分で分析する

夢の中で夢を再演していたりもする
せりふを喋るように
まるで演じているように
再演したりもする
そして ああこれは かつての夢の再演だと 思っていたりする

すべては一瞬のようでもある

そして目覚めたら、
仕事をする。
ただひたすら。
目の前のことを片付けていく。
順番にひとつずつ。
几帳面である。

人生に仕事と睡眠しかないので
極端に合理的である。
悩む時間もないといっていい。

私は私の人生について語ることが極端に少ない。
実際、語るべきことが、ない。
語ることがあるとすれば、
夢のことと他人のことだ。


東京は雨とみぞれの中間くらい

今日は寒かったなあ
東京は雨とみぞれの中間くらい
そんな表現も類語辞典で探し出せそうだ

傘を持っていてもささない人もいた
東京が雪でも海辺の街では
雨のことが多い
一足先に梅でも咲いている頃だろうか

わたしはそろそろ
老人ホームに入居しようかと思うよ
お墓も決まったことだし

寒いと体にこたえる
温かくしていたいが
そうもいかない

しかし人より苦労する必要も無い

わたしの子供

わたしは人に優劣があるとも思わないし
優れた者がより多くの苦労を進んで負うべきだとも思わない

みんな同じくらいすばらしいのだし
誰かが苦労していたらその人を助けたい

わたしの子供であるお前は
人より優れていたりはしない
だから人と同じように努力しなければならない
しかし人より苦労する必要も無い
必要のない苦労ならわたしが取り除いてあげるだろう

人と同じだけの努力をして
人と同じだけの苦労も味わい
人と同じだけの楽しみも生きればいい
当たり前に歳をとるのだ


地雷 心に傷

記事の引用。CMC特別レポートより。

*****
「悪魔の兵器」地雷の被害によって、手足を失い自由を奪われる人は今なお絶えない。しかし、より深刻な問題は、彼らが手足を失ったコンプレックスによって、心に傷を負うことだ。私たちは彼らの心の傷を癒すために、新しい試みとしてラジオ放送を始めた。

フィジカルケアだけで良いか?

 CMCが地雷原の村・ボップイに小学校を建設するまでの過程と、2004年7月の落成前後の状況は前回までの報告の通りである。ともかくも、新しい校舎での授業が始まった。
 最初のうちは先生も机も足りずに、1・2年生は合同教室、3年生が1教室と、2つの教室をヨアン先生が行ったり来たり掛け持ちで教えるという状態であった。7月からの長い夏休みを経て、10月新学期が始まるとき、2人の新任の先生が着任し、各学年それぞれ1人の担任が受け持つ体制が整った。

 その頃、新しい事業の必要性が提起された。それは、地雷被害者の置かれている実情を知るなかから生まれてきた。多くの被害者は仕事が無く貧しいうえに、手足を失ったコンプレックスで自信を無くしている。引っ込み思案で社会と没交渉になりがちで、その結果、孤独に陥っている人が多い。
 人間社会において、孤独感ほど辛いものはない。地雷は、わざと手足を吹き飛ばす程度に火薬を抑えているため、命そのものは辛うじて取り留めるのだが、その後の人生に絶望して自暴自棄になったり、果ては自から命を絶ったりする人もいるのだ。

 貧困のなか、健常者でさえ生活が厳しいカンボジアで、地雷被害者が生きてゆくことがどれだけ困難を極めるかは想像にかたくない。ましてや被害に遭った後で親に捨てられた子供や夫に逃げられた女性の場合、いかばかりか…。

 地雷撤去活動と地雷被害者救済活動を支援していくことを目的の中心に据えているCMCとしては、被害者への義足の提供や、手術を受けさせるなどのフィジカルな救済のため病院や義足センターを支援してきたが、それだけで果たして良いのだろうか。

*****
本当に。


映画「いのちの食べ方」

http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/

私たち日本人が1年間に食べるお肉(牛・豚・鳥)は約300万トン。だれもが毎日のように食べている膨大な量のお肉。でも、そもそもお肉になる家畜は、どこで生まれ、どのように育てられ、どうやってパックに詰められてお店に並ぶのでしょう?本作は、そんな私たちの生とは切り離せない「食物」を産み出している現場の数々を描いたドキュメンタリーです。世界中の人の食を担うため、野菜や果物だけでなく、家畜や魚でさえも大規模な機械化によって生産・管理せざるをえない現代社会の実情を、オーストリアのニコラウス・ゲイハルター監督がおよそ2年間をかけて取材・撮影しました。
本作を観ると、現代の食料生産工場の生産性の高さに驚愕するとともに、私たちが生きることは他の動物たちの生命を「いただく」ことに他ならないことだと、改めて実感させられます。

 
食肉偽装だけではない。日本の「食」の問題点とは?
 日本の食料自給率は、先進国中でも最低の39%(2007年9月現在)。食料自給率が低いということは、ほとんどの食材を輸入に頼っているということになりますので、何か事件が起こると、ある日突然メニューから食品が消える事態が起こりえます。例のBSE騒動で牛肉が消えたこともありました。
 カニは非常に人気のある食品ですが、カニの主な輸入国はアラスカ・カナダ・ロシアが大半で、全体の6割以上を占めています。カニの美味しい北海道でも、全体から見ればほとんどわずかな量です。このように海外からの輸入に頼っている食材としては、小麦(自給率14%)・豆類(7%)・果実類(41%)・肉類(54%)・魚介類(50%)などがあります。めん類、みそ汁、ジュース、魚や肉もみんな輸入ありきで食べられる食品なのです。
 日本は食料自給率が低いわりには、世界で最も残飯を出している国でもあります。金額に換算すると、11兆1000億円もの量になります。現在、世界の人口は63億人ですが、その中できちんと毎日の食事ができるのは、たった8%の人々と言われており、日本もその中に含まれています。また、世界で8億人が栄養失調状態であり、年間900万人が餓死している中での事実と考えると、異常な数字といえます。私たちは、いまこそ毎日の食事の中で、いのちの有難みを「感じる」必要があるのではないでしょうか?


前ページでご紹介したように、食料は世界規模でみると、決してあり余っている訳ではありません。本作をご覧になると、どのようにして日々の食事が作られているのかがお分かりになるでしょう。ただ、本作をはじめて観た方は、驚くかもしれません。なぜなら、この映画には、あまり詳しい説明やナレーションが出てこないからです。でも、それはただ不親切な訳ではありません。監督のニコラウス・ゲイハルターからの私たち観客への挑戦なのです。映画を観ていく内に、まるでクイズのように仕掛けられた監督からのメッセージに気づくことでしょう。
しかし、そうは言っても、いきなり観てしまうと戸惑ってしまうかもしれませんので、次ページでは「いのちの食べかた」をもっと面白く観るヒントをお教えします。


人生のほんとう 池田晶子[著]

本の中身は読んでいない。しかし、目次を見ていて、自分なら何を書くだろうかと考えてみる。著者は何を書いているだろうかと推定してみる。それもかなり楽しい。刺激的な目次が並んでいる。
著者は、哲学するとはどういうことかを日常の言葉を用いて示し、多くの読者を得る。2007年2月23日若くして、惜しまれつつ死去。

目次
1.常識―生死について
処世訓よりずっと大事なこと/根本にある謎/人生を見直す視点/常識とは何か/当たり前を生きる強さ/なぜ生きて死ぬのか/存在の謎に気づく/見方が逆転する/人の死は悲しいのか/一期一会ということ/死ぬのに死なない/問うているのは誰か/人生の公式/言葉と定義/ライフプランという不自由/たかが人生という覚悟/覚めてみる夢/不可思議な構造

2.社会―その虚構を見抜く
「国家」はどこにあるか/「思い込み」と「作りごと」/戦争はなぜ最大の愚行か/社会と個人は対立しない/私は「日本人」ではない/お金というフィクション/会社のせいにはできない/血縁の考え方/親子の不思議/家族という虚構/「世間」とは何か/「皆」と「世論」/虚構と自覚して生きる/心理的な落とし穴/愛と孤独/理想の共同体/精神の革命

3.年齢―その味わい方
アンチ・エイジング/鶴亀だって年をとる/隠居・長老はどこへ消えた/「ピンピンコロリ」の矛盾/人生の皮肉/年齢の秘密/経験の意味/形而中の味わい/過去はどこにあるのか/物語化の欲望/中年期以降が楽しい/「時熟」の味/内省する習慣/合わせ鏡の構造/歴史が面白くなるわけ/意識の宇宙史/私はすでにボケている

4.宗教―人生の意味
宗教はいかがわしいか/真贋の見分け方/宗教を求める心理/一神教とは何か/神のパラドックス/一神教の限界/禅の面白さ/自分の意志では生きていない/「信じる」から「気がつく」へ/科学的般若心経の間違い/論理で語り得ないもの/救いとは何か/何ものでもないという原点/大安心とは/色即是空の意味/宗教はメタファーである/解脱に逢うては解脱を殺せ/お釈迦様は覚ったのか/一休さんの人生 

5.魂―自己性の謎
哲学の向こう側/私の嗜好はどこから来たか/魂のイメージ/心理学における魂/ユングの語り方/エゴとセルフ/「胡蝶の夢」/魂という宇宙/唯魂論/自我という錯覚/ヘラクレイトスの断片/科学的アニミズムの不気味/キャラクターの不思議/「運命は性格にあり」/俗流・亜流のつまらなさ/成功哲学は行き詰まる/輪廻転生という型/語りの二つの方向/カルマの物語に巻き込まれるな/実体ではなく関係性/元型としての神話/ピュタゴラスへの悪口/プラトンの苦心/物語を自覚する 

6.存在―人生とはなにか
人間が崩れてきた/ネット社会の悪弊/脳ブームと痴呆化/多勢に無勢/無意識とカタストロフ/自分さえ善ければ/「欲をかくな」/「時代精神」とは何か/現代の時代精神/不可知のX/語りのレベル/謎を生きている自覚/池田は死ぬが私は死なない/縁起と空/言葉は沈黙を伝える/死者の言葉/無への言葉/若い人は勘がいい/十七歳からの手紙/「メビウスの帯」/垂直的な精神/可能な限り深く味わう


*****
もう一つ目次をのぞいてみると、こちらはすこし刺激が少ない。

「あたりまえなことばかり」池田晶子[著]

走りながら考える
善悪を教えるよりも
生命操作の時代
プラトン、ロゴスの果て
哲学と笑い


考えるとはどういうことか
生きているとはどういうことか


幸福はどこにあるのか
どうすれば癒されるのか
孤独は苦しいものなのか
本当の自分はどこにいるのか
死ぬのは不幸なことなのか
他者の死はなぜ悲しいか
老いは個人の生を超え

 


みぞれのような幸せ

東京では朝、雪というほどの花びらでもない、
みぞれというほどの直線的な弾道でもない、
そんなものがちらほらと見えている。
傘をさすほどでもない。
濡れるほどでもない。うっすらと見えるし、
ときどきはほほをかすめる。
その程度。

それって、
私の人生における、
幸せの粒のようなものだ。
かすかに見えて、
存在は感じられるが、
はかない。

COOP手作り餃子一日5000個

テレ朝の画面でインタビューに答えている、
元餃子工場労働者女性。
一日に5000個から6000個作っていたとのこと。
具を皮で包む作業をいうらしいのだけれど、
5000個とは。
残業を入れて一日10時間として、
一時間に500個。
0.72秒で一個である。
「包む」といってもいろいろあるだろうから、
よく分からないものの、とんでもないような数字である。


ダロワイヨのチーズパン

昔は、ダロワイヨのチーズパンとくるみパンが好きでよく食べた。
最近、無印良品のチーズパンを食べたら、
ちょっと違うけど、似たような味で、むしろチーズが一杯で、
ダロワイヨに比較して遜色なく、
いい時代になったと思った。

甘いものしか食べたくないと思う日

甘いものしか食べたくないと思う日があり、
皇居前パレスホテルの
チョコシフォンケーキ (直径18cm)
ティラミス(小 直径15cm)
だけを食べたのだった。おいしかったので、
またやってみようと思う。

……をつくる機械の開発と販売

スーパーで、たくさんの種類のラーメン。
ほとんど似ている。
ラーメン製造機を売っている業者がいて、
各地で作らせているはずだ。
そしてあのスープのもとの、怪しいこと。
決して腐らず、ごってりしたあの怪しさ。
散々食べているし、また食べるだろう。

カレーのレトルトパックも、
レトルトパック製造機を作っているのは、たくさんではないのだろうと思う。
キューピーの最近のレトルトパスタソースは、透明である。
先日はゴルゴンゾーラソースを食べた。
透明でも保存できるものなのかとますます怪しんでいる。

月曜の朝、ラーメンをゆでる鍋に水、
つゆをゆでる鍋に水、
ラーメンどんぶりがひとつ出たまま。
日曜の夜、夕食はラーメンにしようと思って、
準備しかけて、そのまま眠ったらしい。
老人は突然眠る。

友人の仕事は、有機ELをつくる機械をつくる仕事。
それをソニーに売る。
だいぶ前から話していたが、最近やっとソニーは製品化したようだ。

フルーツだけ

夜、疲れ果てて家に帰る。
感情労働の疲れ。
甘いものしか食べられない。
少しの間フルーツだけ食べている。
そのあと少し何か食べる。

テレビではプロ野球新人中田翔がバットを振っている。

もう許してほしいと心底思う日々である。

食糧自給率

食糧自給率を上げるさまざまな方法があるのだろうけれど、
勝手にどんどん繁殖して虫にも強い、
白菜とほうれん草とジャガイモとラベンダーを
掛け合わせたような植物が開発されればいい。
その方向で遺伝子操作などもすると思うが、問題がある。

遺伝子組み換えトリプトファンの昭和電工。
同社によって製造されたトリプトファンからは、後になって60近くの種々の不純物が検出され、そのうちの2つは、発症を引き起こした疑いのある重要なものだった。つまり、同社が枯草菌の遺伝子を組み込んだことで予期し得ない有害物質ができ、しかも、これを濾過して取り除く精製工程を無視したことで大きな被害がもたらされたということらしい。 FADは生命工学産業の保護育成のために、真実の発表を遅らせたというスキャンダルに発展。

という記事を以前に書いた。
簡単ではない。

アメリカは、戦争なんていう公共事業はやめて、世界緑化作戦を進めて欲しい。
貧困と飢えをなくすことが人間らしい生活の第一だ。
戦争して人殺しをすると、
アメリカの兵士はうつになったり自殺したりしてしまう。
テロリストに殺されるのではないのだ。
うつと自殺で死ぬのである。

自由と民主主義はいいけれど、
一緒に食糧もできるようになれば、もっといいはずだ。

空間があったら、こまめに農地にしたい。
ビルの屋上を農地にするように法律で強制する。
道路は全部屋根をつけて、屋根の上は農地にする。そのために税金を使う。

世界各地が緑化されて農業生産量が上がれば、
商売で困る人たちがいることも分かるのだけれど、
それでも、人類の将来を考えれば、食糧問題は大切である。
原油問題と絡んではいたけれど、とうもろこしを燃料用にするといっただけで、
日本の物価はぽんと跳ね上がったわけだから。

戦略物資として、ミサイルや空母よりも、ずっと有力なものが食糧で、
日本はその点で自立できていない国家である。

国際分業は、勧めていい分野が多いけれど、基本食糧は、国際分業も限度がある。
成田空港を外資に買わせていいのかという議論をしていたが、
それどころではない問題だろう。

それにしても、何でもかんでも、大事なものはみんな外資に買われていて、
挙句の果ては、成田空港かと、呆れた。


ミサイルよりも食糧自給率

安全保障を考えるなら、ミサイルを空撃するよりも、
食糧である。

安くて危険なものはやはり危険と分かった。
でも、高くてもいいから安全なものという選択肢がすでに存在していない。
農村には雑草と老人ばかり。

*****
書いていて思ったけれど、
安い と 安全 はどちらも 安 という感じを使っている。
cheapとsafetyは関係ないのに、
安価と安全は漢字を共有している。
どちらも「こころが安心」と通じるのだろうけれど、
現代では、安価と安全は矛盾するものとなっている。


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