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バレンタインはバラとブタ

今年最初のチョコは、バラのチョコ。
よくできている。

二番目は、ブタの鼻のチョコ。
これは何でしょう?
何か流行なんでしょうか?

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テレビに興味がないのはうつのせいではない

テレビに興味がないのは、
うつのせいではなく、テレビがつまらないからだ。

サラリーマンは、家に帰ってから、
メールをチェックしたり、自分が定期的に訪れているサイトを巡回したり、
SNSでなにかの連絡をしたり、
パソコンの前で時間を費やすことのほうが多いようだ。
自分に関係のないテレビよりも、
確実に自分に関係のあるネット世界のほうが価値があるのももっともだ。

妻たちは、夫が、夜や休日に、パソコンに向かっているのが、気に入らない。
夫がテレビを見ているのなら、一緒に見られるし、意見もいえるから、少しはましなのだろう。
パソコンに向かってしまうと、夫と妻は遮断されると、妻は感じているらしい。

ずっと昔からの決まり文句があって、
「朝刊に目を通す興味がない、テレビを見る興味がない」のは、うつの兆候。
うつで自宅休養するときは、
「まずよく眠り、体を休め、ラジオでも流しておくか、テレビでもボーっと眺めいてること」。

ところが最近は、うつで自宅にいるとして、テレビはあまりにもばかばかしくて、
見るでもなくただつけておくにも、不愉快なものとの感想が強い。
最近はテレビ番組とかどうですかと聞いても、
ニュースは見ることもあるけれど、
インターネットのほうが一覧性があるし、
早く見られるので、いいと語る。

それはそうだろうなとも思う。
ニュース・ショーが軒並み時間を繰り下げているのは、
サラリーマンの帰宅時間がそのくらい遅くなっていることの反映でもあるのかもしれない。
それでも関心がなくて、
古舘が見当違いに怒って見せても、無視するだけなのだ。
インターネットで見出しだけ閲覧すれば充分という意見も、もっともだろう。

おおむね、解説は信じていないようだ。
スポーツの結果の数字くらいが信じられるだけ。
みんなそれぞれマスコミの世界に知り合いの一人くらいいるから、
どんなに堕落した世界か承知しているようだ。

しかしそのようにくだらなくて関心がないはずのマスコミ界から、
知事が誕生し、世論が生まれているのだから、
よく分からない。

昼に、家事や育児をしながら、主婦たちはどんな気持ちで番組に接しているのだろう。
このあたりはあまり話を聴いたことがないので分からない。

自民党が広告ターゲットにすえたというB層。

広告は、広告料に価する効果があるのだろうか。
電通は、このまま電通でいられるのだろうか。

新聞の世界は、朝日、読売、日経の三紙の記事が読み比べられるという
新サービスANYなど動きあり。
電波メディアはもっとも動きが遅く、もっとも旧守的で、いまだに護送船団そのものである。
電波規制をはずすどころか、
NHK攻撃を強めている。
楽天にだって、ライブドアにだって、電波を割り当てていいはずではないか。

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愛の言葉じゃない

わたしはどうしてこんなにもきつい言葉であなたを責めているのだろう。
ごめんなさい、もうとまらないの。
電話であなたに話したあの言葉を友人が聞いて、驚いていた。
それは愛の言葉じゃない、仕事の言葉だ。

それは愛の場所でしょう。
それは育てはぐくむ場所でしょう。
どうしてそんなとげとげしい言葉で連絡しあってるの?

どんなときにも余裕とユーモア、それがあなたじゃなかったじゃない。
仕事が変えた?
年齢が変えた?

そんなことはない。
あなたはただ忘れているだけ。

思い出して、やさしい言葉を。
人と自分を包み込む言葉を。

あなたは包むのがうまい人、
とりあえず包んでおける、
そしてあけたときには、もう問題はなくなっているのよ。

そうしてきたじゃない。いつも。
もう一度、そうしてみて。
お願い。

もっと愛の言葉を話して。
もっと愛の人になって。

未来の保証が欲しいのも分かる。
でもどんなに誓っても約束しても契約書を交わしても、
別れるときは別れるんだよ。

今あなたが愛の人にならないでどうする。
もっと愛になるんだよ。
できたんだもの、
できるはず。



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娘を持つ父親の気持ちって想像しますかこの現代で

こんな世の中になってしまいましたがね、
もしあなたが女性とお付き合いするとして、
その女性にも父親が確かにいるのだということを
思い出して欲しいです。

娘を持つ父親の気持ちって、
想像しますか?

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メタミドホス

狂牛病と鳥インフルエンザのずっと前から、
餃子、ハンバーグ、ミートソース、つくね、このあたりは思い切り怪しかったはずで、
慎重な人は、かたちのある肉を買って、
その場でひき肉にしてもらっていたと思う。

特に餃子とシュウマイは、野菜と混ぜた上に皮で包むので、何がなんだか分からない。
肉まんも同じような怪しさ。

しかしお互いに面倒なことであり、
肉屋にすれば、
混ぜ具合を任せてもらえば、
安くてうまいのをつくってあげますよという気分だっただろう。
混ぜれば、有毒物も少量になり、分からないわけだ。

株でいう分散投資である。餃子はいろいろと混ぜることによるリスク・ヘッジともいえるのだ。
捨てなくてはならない端っこの野菜を使えるので、エコでもある。

有毒物の蓄積は、肝臓や神経系だったり、胎児だったりする。
鉛・ヒ素・有機塩素・PCB・カドミウム。
DDT・ディルドリン・ヘプタクロール。
ダイオキシンなど。
環境ホルモンについては一騒ぎして収束したが、何かが解決されたわけでもないだろう。
アルコールについては、胎児にとってはとても有害な物質だと
みんな分かっていながら、若い女性に缶ビールを飲ませて、
ワインをおしゃれだといったりしている。
妊娠する女性は大人なのだから全部自分のせいだと思っていいが、
子供はどうするのだとかわいそうになる。

1969年の話で、
「洗剤についても、京都で開催された日本先天異常学界の総会において多年研究の結果に基づき「食品や野菜を洗剤で洗ったら水洗いをする必要がある」と注目すべき警告が発表されている。」
という記事があり、
洗剤で洗ったら、水洗いはするでしょう、ごしごしと、と思うが、そうでもないのだろうか。

着色・漂白料、食品加工剤、添加物、保存料、発色剤・乳化剤・強化剤について警告があり、

「輸入食品(昭和43年度1年間に13万4300件、1300トンが輸入されている)の中には極めて有害なものがフリーパスで国内に持込まれ国民の口に入っているのである。」
さらに有害物質の蓄積と複合汚染について指摘している。

体内に次第に蓄積していくとして、
その症状は、老化や更年期、ストレスや過労と思われているのかもしれない。

食べものだけ気をつけていても無駄で、
排気ガス、タバコ、電磁気、などなど。よく生きているものだと思う。

資料によれば、希少元素の資源分布として、廃棄された製品を資源として計算すれば、
日本には希少資源がとてもたくさんあるのだという。
逆に考えれば、ごみの中には、日本の自然には存在しないような元素や分子がたくさん
詰まっているわけで、それらが次第に地下に浸潤し、回りまわって体内に蓄積するのも
困ったものだ。

三浦半島の農園に野菜と果物を買いにいったとき、
テレビとか自転車とかを勝手に捨てている大きな穴を見つけて驚いたことがある。

冷蔵庫の中で、賞味期限を過ぎても腐らないで存在しているものは、一体何なのだろう。
レトルトパックはどうして腐らないの?
レトルトパックで生きてきたわたしはもう覚悟しているし、
自分の責任で食べているので、文句はいわないつもりだけれど、
もし信じきっているのなら、少しだけ心配した方がいいかもしれない。

農業はやってみればわかるけれど、
とにかくすぐに虫がつく。
それを手で取っていたのではとても間に合わないし、
とても高くついてしまう。
無農薬といっていても、実は、無農薬の期間を守っていれば、
それ以外の期間については許可されている場合もある。
野菜の表面についた農薬も、時間がたてば分解されたり流されたりするので、
そのことを見越して、人の口に入る頃には「無農薬」となっていればいいとの
見解も、無理とはいえない合理性があると思う。
だって、そうしないと、虫に食べられた残りを人間が食べることになる。

輸入品は、輸入だから安いこともあるけれど、農薬の規制が日本と違うこともある。
規制があっても、守るとも思えない。

韓国の製品に問題があったとき、
「輸出品にだけ問題のある材料を使っただけで、
自国消費分には混ぜいてない」とか言っていたらしいとの
報道が記憶にある。

自分が食べたもので自分が毒されるのは仕方がないとも思う。
レストランなどで他人が調理したものは絶望的で、
悪いのもなのだろうと考えていれば間違いはない。
仕入原価とその日の売れ行きを考えて、
なるべく上手に仕入れるが、どうしても残りは出る。
残ったらどうするか、レストランの従業員に聞いてみればいい。
あるいは、材料をとても安く仕入れられる機会があったとして、
それを使わないでいられるだろうか。
混ぜてしまえば分からないと考える人がいるかいないか常識で判断してどうだろう。

どんな人がどんな経路でレストラン経営者になっているか、考えてみることもいいだろう。

食事をする人には残酷な話になるが、
生き物にガンが発生すると、異常増殖して、収穫はとてもよくなる。
筋肉のガンだと一番都合がいいがそれはそんなに多くない。
別の部分のガンだったら、つぶして混ぜれば、いいわけだろう。
ガン細胞自体は、遺伝子が異常なだけでたんぱく質に特に異常はないから、
食べても吐いたりはしない。
ただ自分の責任である。
ガン以外の病気だとして、捨てるだろうか、つぶして使うだろうか。
敗血症だったとしても、よく煮沸すれば、菌は死ぬだろう。
500円で食べられるランチってなんだろうと考えてみたらいい。
自分の時給が800円だとして、どうか。牛丼もカレーも500円以内だ。
なにがどうなっていても、大人なのだから自分の責任である。

しかしそれでもかわいそうなのは、子供である。

大人なら、価格や面倒くささやいろんな都合で、決められる。
永遠に生きるわけではないから、
コンビニ弁当を食べることもできる。
子供はそれができない。
特に子供の神経系に影響が微弱に出ている場合、
どうしようもない。検査してもはっきりしない程度の、「最近の子」といわれ、
「ゲーム」と「携帯」のせいだといわれる。

コンビニのおにぎりは、添加物なしなんて書いてあるけれど、
「指定された物質以外なら表示はしなくていい」という法律らしくて、
指定されていない物質をシャワーのように降りかけているらしい。
別に死なないし、下痢もしないから大丈夫。
細菌が死ぬだけだから。
でも、長期の影響については、これから結果が徐々に現れるだろう。
結果が出たときには、複合度が重積していて、解析不能になっていて、
責任問題にはならないだろう。
そして、あの世代はコンビに弁当と牛丼と、スナック菓子とレトルトと、
そんなものを食べていたバカな世代だったと
言われて終わればいいのだけれど、
子供に影響が出ていれば、それではすまない。
マグロの水銀はいかにも胎児の中枢神経に影響しそうである。
そういった観点からは、若い女性はクジラを食べない方がいいような気がする。

わたしの知識は最新のものではないし、
人から聞いたものも多いので、
確かではない。
不安をあおるようなことを書いているかもしれないが、現実は
メタミドホスで下痢と吐き気を起こしているよりも、
悪い状況かもしれないことを考えておく必要はある。

出生率が悪いことと関係があるのかどうか。



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なべて薄きもの

感覚は洗練されたほうが楽しい。

中国に、お茶の原木がある。
その木を守って生きている民族がある。
彼らは普段さぞかしおいしいお茶を飲んでいるだろうと想像する。
しかし彼らはただの水を飲んでいる。
貧しいからと言ってもいいが、感覚の洗練である。
代々、飲み物に格別の注意を払い、結果として、真水である。

お茶を入れたとして、どんどん薄くしていって、最後には、
茶器の中には白湯、その中に分子一個だけ、お茶が入っているという状態を味わうことができる。
大部分は白湯で、「おっ、いま、茶が一個通った」と喜ぶ。
そのような洗練。

似たような例で、
モーツァルトのクラリネット五重奏曲がある。
はじめは普通に聴いているのだが、
次第に薄く薄くしてゆく。
つまり、音量を絞る。
ついに、ほとんどゼロに近い音、
時折クラリネット音のかけらが聞こえるような気がする、という程度まで絞る。
頭の中で響いているのか、空気が響いているのか、ついに区別できない。
そのときまさに理想のモーツァルトが完成している。

何にでも醤油をかけて
顰蹙を買う人にだけはならないようにしようと思う。



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朝青龍

NHKではがんばれの声ばかりが大きい。
ニュースでくり返し、
頑張れ期待していると流し続けている。
編集権を使った世論操作である。

相撲は野球以下の扱いで結構という人も多いに違いないのだ。
野球みたいに、CSで放送すれば充分との意見もあるだろうと思う。

スモウは、マーケット原理が働かない部分で守っていかなければならない文化なのだろうか。
だとすれば、今回の乱暴横綱の振る舞いは許せないことになる。

多分、彼にすれば、ここでチャンピオンになって、親方になるか、だめなら、
プロレスでも、K1でもやってみるか、いずれにしても出稼ぎなのだから、
気楽なものだ。



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現代のロビンソンクルーソー

個々が資本主義のエートスを内在させて近代人として勤労に励めば、
ロビンソンクルーソーのような人間類型のように、
禁欲し楽しみは先に延ばし、工夫をして、記録を残し、節約を心がけ、
資本を蓄積し、ついには蓄積資本が利潤を生む段階にまで到達する。
そのような壮大な構想を持って仕事に打ち込める環境では、現在は、ない。
労働力の切り売りをしているだけで、将来の展望はない。
資本の蓄積はできない。
できたとしても教育費と住宅ローンでまず消える。
継続的な仕事・定職がもてたらまだいいほうで、
多くは不安定な臨時労働者でしかない。
技能の習得もできず、いつまでたっても無技能者である。
そのような人たちが働く場所は公共工事の工事現場である。
そうでなければ、一昔前に返って、軍部である。その前は、女工哀史である。

誰でもできるけれど、喜んでやる仕事、
これを人々の周囲にいつも置くことがどんなに大切か。
真面目に働きさえすれば、幸せになれるという希望。

昔なら、ドングリを見つけて集める技術がそれにあたったのだろう。
現代ではどうしても知的熟練ということになる。
その域に達しないものは、仕事が中国に行っているのだから、
中国に行って働けばいいのだが、そうもいかない。
そうならば、中国と同じ時給で働けばいい。
それしかない。それがグローバル化ということだ。

生産活動がそのレベルになってくれば、
消費活動も、100円ショップで済ませられるようになる。
イトーヨーカドーでも100円の商品をたくさん置いている。
それで何とか食べていかれる。

日本にいながらにして、
中国人的な収入で、中国人的な支出で、生きることが、求められている。
そうなれば、確実、中国の仕事を奪える。

高級日本は、中国なんかよりずっとすごいのだけれど、
低級日本は、中国に負けないくらい、低級なのだ。
中国の下請けになるくらいの気持ちの踏ん切りだ。

*****
まあ、そこまで言わなくてもいいけれど。
なんとかなるだろう。

要するに、適当な仕事があればみんな明るくなれるのにという単純なこと。

ロビンソンクルーソーは、孤島にたどり着いて、
とりあえず自分で食べていくために、なすべきことがあったし、
それがはっきりと見えていた。



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心の涙

Y先生は奥さんが亡くなったとき、
じっとじっとマタイ受難曲を聞いている時間が多かった。
15年位前になるだろうか。

そのY先生の編集したカセットテープが段ボール箱に一杯届いた。
わたしにとって、これはただの物体ではない。

思いを込めて編集した人間がいて、
それをくり返し聞いた人間がいて、
そしてわたしに届いたのだ。

わたしもかなり影響されてしまい、
悲観的になっているのだけれど、
こんなときにはもっともっと悲観的になって、
心の涙を流したい。

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バッハ マタイ受難曲

マタイ受難曲 第39曲
Erbarme dich, mein Gott
http://jp.youtube.com/watch?v=ucg7l1g8G4g&feature=related
すばらしい歌唱とは言い難い。

カール・リヒター指揮のヘルタ・テッパーが古い日本人ファンには有名。
二度録音していて、58年版が決定版として有名。

これが抜粋版のジャケット。
カラヤンは文句なくかっこいいけれど、
リヒターは実に精神的なおでこをしているでしょう?
この人があの世にいるのだから、
あの世はいいところに違いない。

一言で言えば、あまりに泣いている演奏で、あまりに宗教的ともいわれる。
ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団というのは音楽的には素人っぽいといわれる。
でもわたしなどはこれで音楽ともキリスト教とも出会っているのだ。
その後の演奏は宗教というよりも音楽に比重が置かれているといわれる。

全曲版はもっと地味な表紙。
CDにも特別録音版がある。
うちにもあるが、聞いてもはっきり違いが分かるわけではない。

これがドラマの挿入歌に使われたとかで、
それがきっかけで、受難とはどんな話なのか知りたくて、
CDを聞きつつ解説を読んでいると話していた。

それこそまさに
バッハが意図していたことだ。
音楽を通じて、
イエス・キリストを知ってもらうこと。

手元にある録音では、
カール・リヒター、カラヤン、ヨッフム、ブリュッヘンといずれも7分台、
クレンペラー、フレーミッヒ、スズキ、ショルティ、フルトヴェングラー、よく分からないもの二つ、これらについては、録音時間も不明。

第39曲アリア(アルト)              Nr. 39 Arie (Alt)

  主よ、私を憐れんでください。          Erbarme dich, mein Gott,
  とめどなく流れる私の涙ゆえに。           Um meiner Zahren willen ;
  ご覧ください、心も目も             Schaue hier, Herz und Auge
  あなたのみ前にはげしく泣いています。       Weint vor dir bitterlich
  憐れみ給え、憐れみ給え。              Erbarme dich, ernarme dich.

歌詞は短いけれど、たっぷり歌う。

高橋悠治の編曲でピアノ版がある。
ヘレヴェッヘ、レオンハルト、ガーディナーなどもあり。

キリスト教の難しいところを知りたい人は、
「神の痛みの神学」北森 嘉蔵にチャレンジしてみてはどうだろう。
北森 嘉蔵には「愁いなき神―聖書と文学」があり、これは初心者にも分かり易い。

なぜイエス・キリストは十字架で死に、
人間を愛するのか、
神の痛みとは何か、何ゆえか。

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いつまでも枯れることなく

いつまでも
枯れることなく
泣くがいい

そう言われているような気がする
つきはなされて

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寂しがり屋のくせに孤独 寒がりのハリネズミ

わたしの愛する子供たち
なぜあなた方は孤独を愛するのか
そんなにも寂しがり屋のくせに

寒がりで一人ではいられない
ハリネズミだ
やっぱり最後は一人である

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「イワシの頭も信心から」に含まれる教え

「イワシの頭も信心から」
という言葉がある。
「いわしのあたまもしんじんから」または「いわしのかしらも……」とも読む。

冬が終わって新しい春を迎える節分にあたり、
鰯(いわし)の頭を柊(ひいらぎ)の小枝に刺して、
戸口に挿す風習が行われた。
鬼は柊のトゲと鰯の臭いが嫌いというので、
これを玄関において、鬼を退散させる。
鬼は外である。

鬼というものは何者であり、何が好きかきらいか、
そんなことは実証的な話ではないから、
どう考えたとしても仕方がないが、
庶民とはそういうものだ。

つまらない信仰という程度の意味で、
場合によっては、「気の持ちよう」「病は気から」といった、
ほとんど誤用の意味合いで用いられる場合もある。

つまり、変なものをありがたがって、困った奴、なんていう意味なのだろう。

医者の仕事も信心という意味合いがかなりある。
学術的に正しいけれど、患者は全く安心しない、というタイプの医者と、
学術的にはプラセボに近いけれど、とにかく安心して、任せられる医者とがいるのは
現実である。

偽薬がかなり効くのだという事実は無視できない。
小麦粉でもかなり効く。

すべての患者を安心させられるということもなくて、
あるタイプの患者さんにはあるタイプのお医者さんがいいというだけのことだ。

医者でなくても、どうせ買うならあの営業の人に発注してあげたいと思わせる
営業マンがいるものだ。
ポイントはそこである。

あるお医者さんが、「眠れないんです」という訴えを聞いていた。
前のお医者さんが出してくれた薬はこれで……、
実はこんな悩みがあって……、
と一通り聞いて、少しだけお話をして、
前のお医者さんが出した薬と同じ薬を出す。
しかしメーカー違いで、名前が違うから、患者さんは、違う薬だと思う。
昔はジェネリックなどという言い方はしなかった。
ベンザリンをネルボンに置き換えただけで、
化学物質としては全く同じということになる。

そして一週間後、患者さんはすっきりした顔で現れ、
「先生、あの薬いいです、よく効きました」と言う。

あとで先生はこのからくりを学生に説明する。
何が患者を癒したのか、を教育していた。

患者さんは、薬を飲むたびに、
あの先生に守ってもらっている、
あの先生のあの言葉を思い出そう、
と思える。

移行対象と言える面もある。
お母さんの温かさの替わりのぬいぐるみ。
お医者さんの言葉の替わりの薬。

これを「いわしの頭も信心から」と言って軽蔑するのも勝手だが、
人間が何かを悩むということ、何かに癒されるということは、
そういうことなのだという知恵を
汲み取ることも可能である。
同じ薬なのに、こんなにも効果が違うのはどうしてか。

先生はまた、
同じ薬を出していても、
効き始めるまで時間がかかるということもあるから、
前医が無駄だったわけではない、
ここに来るまでには、その先生も必要だったのだと
説明もした。

新興宗教や占いの人たちも、この面では実に深く研究を重ねている。
医者よりも、よく治す人たちもいる。
参考にして、謙虚に学びたいものだ。

オーラの人たちを軽蔑する一方で、
学ぶべき点がないか、考えてみたいものだ。
学ぶべき点が大いに、ある。

もちろんだが、いまどきのいい医者は、
まず生活習慣指導と食事指導である。



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大野病院事件・検察やマスコミのあり方

大野病院事件は2008-1/25に第12回公判、遺族の意見陳述まで来て、
3/21 検察側の論告求刑
5/16  弁護側の最終弁論
という予定のとことである。
いろいろな意見があり、大変なことだ。
http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/cat2780594/index.html
などが参考になる。

医療もそうだが、むしろ、
検察やマスコミのあり方が、議論されるきっかけになればいい。
検察やマスコミはどのようにして責任を取るのだろう。

責任のありかを押し付けあうようになったらもうおしまいなのだろう。
それよりも、みんなが立場を入れ替えて考えられる想像力が必要だ。
そのためなら、非常なロスを承知の上で、
役割ローテーションをしてみたいものだ。
患者、医療、マスコミ、検察、警察、これだけをフルコースで経験したらいいのでははないか。
想像力がないのなら、
実体験するしかないだろう。

マンションの理事は否応なしに回ってくるでしょう?
それと同じです。

子供の頃、ごっこ遊びをしなかったに違いない。
役割を変えて、なりきって遊ぶでしょう。
そんなこともできないらしい。



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やっぱり赤福は売れるのか

赤福が販売を再開し、
やはり大変売れ行きがよいらしい。
白い恋人もそうだった。

ライバルメーカーは
何も手をうたないのだろうか。

赤福や白い恋人にそんなに
秘密のノウハウがつまっているのだろうか。

こんなにも多種多様の食べものがある中で、
どうして売れるのか、不思議だ。

これでは赤福も白い恋人も反省しないのも無理はない。

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ホーキング博士の宇宙論はいい、それとして

ホーキング博士の宇宙論は確かに興味深いだろう。
しかしそれでうつも、パニックも、統合失調症も治るわけではない。
何とか治るようになれはいいのだが。



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マイスキーとアルゲリッチ

競演したなかには、
チェロのマイスキーと、
ピアノのアルゲリッチという組み合わせもあった。

アルペジオーネソナタで、
演奏の緊張感もすばらしい、いい演奏だった。

ただそのとき、二人に何があったのかなかったのか、
我々下々としては興味の的となるのである。
アルゲリッチの積極的作戦が成功しただろう。

またカラヤンは音楽でムターを愛したのであって、
それですばらしくよいのだが、
カラヤンといい、ムターといい、人生をそれだけのものと考えているはずのない種族である。
そのときカラヤンに可能であっ最高の愛し方で、
女王ムターを迎えたに違いないと思う。



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雪の銀座

 
雨に日にも姿のいい君が素敵だと思って一枚撮影しました。
知らない人です。



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