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きれの模様



いまのわたしにはこうしたものが心地よい。
君に分かってもらえるだろうか。



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バレンタインでしょう、バラ?豚?んー、もうひと工夫。

ああ、弁護士先生ね、
おつきあいは、何人かあるわよ。
土日お泊りでゴルフに行こうって人がいて、
断るのもなかなか大変でね。
だって泊まるのがプリンスホテルなんだもの。
顧問だとかで安いらしいのよ。
でもね、夢がないわけ。ロマンスが。
あの人たち日本中移動しているみたい、
よく知ってる、地方の名産とか、地方の代議士とか、
あとインドによく行く人もいるな、
元気だわね、
仕事のことばっかりべらべら、
コンプライアンスのことでまた仕事が増えているみたい、
話を聞いていると、どこの株が下がるかってことは分かるわね、
上がる株はわかんない、
言わないようにしてるのかな、
ここのママとはもう長いみたいだわね、
この間ね、
若い弁護士さんが調子に乗って、
ママにボスの悪口を言ったのね、
まあ、知らないのも無理はないけどね、
ママは笑って聞いてて、あとでボスにちくったのよ、
それでいろいろあったみたいで、もうその若い人は来なくなったわね、
まあ、下っ端のうちはそんなもんでしょう、
どこの世界も一緒だわ。
這い上がってこられたらご立派ね。
世間では弁護士先生でしょうけど、
うちじゃ、そうはいかないし。
社長さんに比べれば、まじめな人が多いわね、
陰気っていうか、お医者さんで言えば、何科が近いのかしらね、
難しい試験に受かって、って誉めて、
勉強の苦労をまず聞くわけ、
で、ここだけの話っていうのに付き合う、
わたしたちは社長さんたちの愚痴を聞いてるから、
ここだけの話もよくある話なんだけど、
気前がいいのは最近はITさんだわ、
なんでもベンチャーキャピタルの予算がたくさん降りてくるんでしょう、
子分を一杯つれてきてくれるし、
ありがたいわ、
弁護士さんたちね、そんなに儲かっていないと思うわ、
まあ、銀座で飲めるだけ立派だけど、
自分のお金じゃないみたいだし、
でもね、昔はよく弁護士さんの二号さんになって、
お店を持たせてもらったなんてあったのよ、
前はお金持ちだったんだわ、
それとも、もともとお金持ちの人が弁護士になってたのか、
羽振りのいい人もいたらしい、
郷土料理の何とかって店で、
静かないい店、普通の魚屋で買ってきて、普通に焼いたり煮たりするの、
年取ったらいいかもね、自分のお城がもてるんだし、
人事の苦労もないわけだし、
お店でね、この間も客の取り合い。
ママが間に入って、やっと納まった。
でもそのあと、お客さんのお説教。説教している間に時間オーバーして、
こっちは儲かったけど。
やっぱり不景気なんだ。
ロシア人?
そうね、うちは来ないけど、話は聞いたわ、すごいってね、
だって話ができないんだから、うちには向きじゃないわ、
もともとロシアの娘さんて美人が多いんじゃないかな、
和服を見に来る?
まあね、それもあるでしょうね、
フィリピンの子達にできないのはそれくらいかな、
だんだん差別化が難しくなってるわけ。
携帯がね、大変、
メールにこまめに返信して、
お祝いもメモしておいて、
でも携帯っていまいち信用できなくて、
わたしはメモ帳にも書いてる、
二重に、
あ、この間ね、ボトルを間違えたの、よくある苗字で、
わたしがボーっとしてたのね、
まいったわ
それでバレンタインでしょう、
気を利かせないとね、
何かいいアイディアないかな。
バラ?豚?んー、もうひと工夫。
ヤフオク見てみた?
おもしろいでしょ?
あれでビトンとか売っちゃうの。
まえ、変な子がいてね、どっかから、偽ビトンを仕入れてくるの、
それで昼は大企業で仕事をしてて、
その社内のネットで、オークションみたいなものに出品したの、
それで誰か買って、これは偽者じゃないかってことになったわけ、
そしたらね、こんな値段なんだから偽者に決まってるじゃないか、
って居直ったのよ。偽者を偽者としてふさわしい値段で譲ってあげた、と。
ほんと、それが常識だけど。
結局、上司からは怒られて、始末書を書いて、転勤。
お店も遠くなったし、来なくなったわ。

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子供よ 神による最終の正義を信じなさい

子供よ
この世は厳しい
この世は理不尽だ
お前は何も悪いことはしていないのに
なぜ苦しむのか
神様は理由があってお前に
病気を割り当てたのか
わたしには神様の気持ちが分からない
わたしはお前に説明もできない

でも子供よ
お前は不幸せではない
健康で横柄なものたちのように他人を食い物にしていない
つつましく生きればよい
他人のものを欲しがってはいけない
そこに幸せはない
お前はこの先も苦労するだろう
人並みの幸せが割り当てられていないのかと嘆くだろう
いかにもそうだ
不公平だ

だがお前にわかって欲しい
お前の父は享楽に耽ったりするものではなかった
ただまじめに働いて人生を終わった
それでいいと思っている
報われないとも思わない
働く場所があるだけでよかった
その日の労働を終わって静かに感謝する、その反復である
それでいい
そして
神による最終の正義を信じなさい

神による最終の正義が実現されるならばこの世は生きる価値がある
その正義が実現されないなら生きる価値はないと父は思う
最終的な正義が実現されるかどうかわたしには分からない
実現されると想定して生きるしかない
実現されないとしても、それ以外の生き方はない

神が最終の正義を実現しないなら
この世にも神にも
わたしは関係がなかったということだ
ただその場合にも
わたしとお前は父と子だ
それは変わらない
考え抜いた上での信念をこうして伝える

つらいだろうが
それでも
日々の勤めを果たしなさい
報われなくてもそれで当たり前だと思いなさい
神の国が実現すればそれでよし
実現しないならわたしたちは短い悪夢を見たというだけだ
それはそれでよしとしようではないか
わたしにお前がいてくれてよかった
それだけで充分によかった

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2割司法・泣き寝入り・弁護士増員

2割司法
 
 2割司法とは、司法すなわち裁判は、本来果たすべき機能の2割しか果たしていないという意味である。残りの8割は、泣き寝入り・政治決着・暴力や行政の力ずくで、道理を曲げ弱者をいためつけて物事が進んでいる。また、なるべく解決自体をあいまいにしたり、何故こんな結果になったかの道筋を明らかにせず、社会全体を不透明にしている。わが国が人類普遍の原理として憲法で受け入れた「国民主権」の国家として、自立した国民による国家を目指すならば、わが国の司法は21世紀に向けて根本的に改革されなければならない。このために今国会において司法制度改革審議会設置法が成立した。この審議会は、何よリ司法を利用する一般市民の立場からの改革を大原則とすべきである。
 従来の司法の改革は、常に、司法を現実に動かしている裁判官や検察官、それに弁護士の側からの改革であった。このことが結果的に司法と市民の間にあった濠(ほり)をますます広げ、司法を遠い存在にしてしまった。
 裁判の結果についてはいろいろ報道されるが、肝心の裁判制度や弁護士制度自体の論議に関する報道は少ない。刑事物語の映画でも、日本では、パトカーが来て犯人が逮捕されるシーンで終わるものがほとんどである。一方、外国の映画を見ると、逮捕されてから裁判のなかでドラマが展開していくものが多い。
 私は司法の機能や市民からの距離の面からの現象を「2割司法の二重構造」と呼んでいるが、2割司法の根本的治療のためには、まず司法と市民の間にある大きな濠(ほり)を埋め、もっと司法を身近に感じてもらうところから司法改革の論議が始められなければならない。そうでなければ、市民の立場に立つ司法の改革は空論に終わる危険性がある。
 司法制度の改革をもっと動的にとらえ、国民の大きな関心のもと、国民のエネルギーのもとに改革が進められなければならない。(中坊公平=元日弁連会長ー99年6月30日付『東京新聞』夕刊「放射線」より)
 
*****
なぜか引っ込んでしまった中坊公平氏の言葉である。
「2割司法の二重構造」は正しい。

弁護士の数が多すぎるなどと
全くおかしな議論があるらしい。
多すぎることは全くない。

事件があり、正義を主張したいのに、お金がないために、
弁護士を頼めない人がどれだけいると思っているのだろう。
あるいは、自分の当然の権利を守りたいだけなのに、
訴訟にすればお金がかかり、結局泣き寝入りする人がどれだけいると
思っているのだろう。

今、弁護士の数を増やさない方がいいと発言している人や、
裏でその方向で活動している人の名前をきちんと覚えておこう。

書類の一枚で人生が曲げられ、
それきりになっている人がどんなに多いか、
わたしは憤りを感じる。
個人的な努力ではどうしようもない。
弁護士でも司法書士でもとにかく数を増やして、
法的な合理的な解決が身近になって欲しい。
そして、法と信義に背くことをすれば、報いが来るのだと感じる、
あたりの前の社会になって欲しい。

現状では、金持ちだけが裁判に訴えることができる。
それが現実の一部分である。

いい弁護士さんはいる。いいお医者さんもいる。
なぜあんなにも立派にしていられるのかと思い、
尊敬する。
人間の出来が根本的に違うのだ。
そのような人たちに依存する制度は無理がある。



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なぜ感覚は慣れてしまうのでしょう

なぜ感覚は慣れてしまうのでしょう。

あんなに欲しかったコンピュータを買っても、車を買っても、
ピアノを買っても、ベースを買っても、犬を飼っても、おしゃれな急行の停まる街にすんでも、
みんな慣れてしまうのです。
ドキドキしなくなってしまいます。

はじめてテニスでスピンがきれいにかかって、相手が驚いたときの得意さ。
はじめてモーツァルトを最後までひけたとき。
英語で仕事ができたとき。
あの人に色の感覚がいいねって誉められたとき。
初めて鎌倉でデートしたとき。
あの人と初めてデートしたとき、別の人が別の人とデートしていたのを見たとき。
その人はずっと空を見ていた。
新宿の地下道で、古い恋人と歩いていて、新しい恋人とすれちがったとき。
広い東京で、よりによってあんなところで。

みんな慣れてしまう。
なぜなんだろう。

どきどきするには新しいことをするか、
もっと激しいことをしてみるか、
今までやってきた二つをくっつけてみるか、
いずれにしても暇しのぎをしなくてはならないのだ。

同じことをしていても最初の時のようにどきどきしていたのでは、
確かに不都合でしょうけれど。

この喜びにも慣れてしまうのかといういうな
あらかじめの失望はなかったけれど、
ただ単純に喜ぶ若者ではなかったのだ。

あのデートの日、
もうすぐCDはなくなってDVDになるのかななんて言いながら。
リヒターの特別カッティングのマタイのCDを見つけたのは鎌倉のCD屋さんでした。

神経細胞の話でいえば、
同じ刺激が入力されたとき、
直前の刺激をゼロとして数えるので、
その差に反応していることになる。
ΔR/Rという原理。
歳をとってRが蓄積増大して行けば、
ΔR/Rは無限にゼロに近づいてしまう。



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おじいちゃんがしたいものは、恋

大日本住友製薬のテレビコマーシャルで、
若い女性と祖父の交流を描いたシリーズがある。

女性が8ミリカメラ(だと思う、最近のビデオではないように思う)を回して、
祖父にインタビューはしている。
おじいちゃん、病気がよくなったら何がしたいですか?
「恋、かな」と答えると、
娘は床にのけぞって、
「エー、嘘でしよう!いったいどのお口がそんなこと言ってるんですか、ちょっときびしいんじゃないの、お母さん、おじいちゃんね、恋がしたってよー!」
と笑いながら、おどけている。
http://www.ds-pharma.co.jp/CM/movie/ie.html
家篇の60秒と、メイキングビデオ。

正直、こんなにもかわいい孫がいたら、
四六時中かわいがっていたいものだ。
石橋杏奈さん。

おじいちゃん役は井川比佐志で、
このひとは「病気を持った人」がうまいと思う。
昔、NHKのドラマで、沖縄の人で、心の病気にかかる父親をやったことがあり、
実にうまかった。小学校6年の娘がいるという設定だった。ふうちゃん。
太陽の子 てだのふあ、灰谷健次郎原作、だったように思うがはっきりしない。



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煉瓦亭は、一人で行きたい

煉瓦亭で。

煉瓦亭は、一人で行きたい。

昨日は一人で入ってきた若い女性が、
ワインを頼んでいた。
なにかいいことがあったのかもしれない。
一人で煉瓦亭に来て食事をするのは、
好ましい。

煉瓦亭に女二人で来て、
元祖オムライスを食べるなどというのは、
趣がない。



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このうえなくよく眠った

昨夜はおいしいものをたくさん食べて、
家に帰ってから資料を整理したりして、
とても充実して元気になり、
元気になったときの常で、
このうえなくよく眠った。
すっきり起きて、今日は雪がっていないなと確認、また寝た。
果物もなく、牛乳も切れてしまった。
冷凍うどんがあるだけだ。
買い物に行かなければと思いつつ、
またぐっすり眠った。
こんどは夢を見た。不思議な世界だ。
結局買い物に行きそびれて、
うどんを食べた。

疲れているから眠るのかと思っていたが、
元気でも眠るのだった。

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アボリジニが雨乞いの踊りをしている 祈りと強迫性と集団

ソニーの「世界遺産」
今日はオーストラリアの様子。
映像の世界はすばらしい。
実際に行ってみても、こんなに美しくはないことも多い。
多分、20回に一回くらいは、映像よりもすばらしい感動がある。
根本的に、旅は疲れるし、時間に追われるということもあるだろう。

実際の感動は映像だけの感動よりも数段すばらしい。
しかし映像よりも美しいものに出会うには、
それだけこまめに足を運ばなければならない。

アボリジニが雨乞いの踊りをしている。
三人くらいしかいなかったから、
番組用に演じて見せたのだろう。

雨乞いの踊りということで、なんだかいろいろと考えさせられた。
それは彼らの世界観の中では違和感なく適合しているだろう。
現代の私たちも祈りというものをする。
たとえば甲子園のスタンドで女子高生たちは、ヒットを祈っている。
雨乞いと同じである。
あるいは男性は女性の安産を祈る。
祈ったから実際に物理的な力になるとは、今のところは考えられていない。
いろいろな理論はあるれど。
しかしそれでは、こんなにも通時的で普遍的な祈りというものは、一体なんだろう。
無駄なのなら、進化論的に行って、淘汰されてもよいものだったはずだ。
それがどうして残ったか。

祈りが物理的な力に転化するという論点がひとつ。
しかしそれは現状では「トンデモ理論」に属するので取り上げない。
わたしはすきだけれど。
もうひとつは、心理的になにか有用な面があるのではないかということ。
仲間のために祈る人間の集団と、仲間のために祈っても無駄だと信じている人間と、
どちらが生存可能性が高いか。
甲子園で応援されている選手としては、やはり、祈りをひしひしと感じることなる。
その効果なのだろう。

つまり、甲子園の祈りは、選手を激励する。
雨乞いの祈りは、農民を激励する。天に何か届くわけではない。
どちらも、人間から人間への、メッセージである。

だから、たった三人で、テレビカメラの前で行う雨乞いは、異様だったのだろう。
集団の熱気の中で、もっと言えば、集団の狂気の中で、
儀式は行なわれ、集団は、納得するのだろう。

そのことで思い出されるのは、
人に知られると無効になるという祈りがあることである。
お百度参りとか、何かを我慢することとか、茶断ち、酒断ちなどがあり、
これは他人に対する心理的効果はないのであるから、
もっぱら自分を安心させるのに役立ち、
強迫性の心性に近いものになるだろう。

儀式は一般に、強迫性の心性に近い位置にあるのだが、
集団化すると病理性は薄められる。
個人化するほど病理性が目立つことになる。
これもおかしいといえばおかしく、不思議である。

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また、雪。夢千代みたい

また、雪。

夢千代日記みたいになってきた。
餘部の鉄橋のあたりはどうだろうか。

夢千代のいた温泉。
日帰りバスツアーがあるらしい。
いや、一泊かな。湯村温泉というところで、
箱根なんかより食事はずっといいと言っていた。

先週は、日曜の雪のせいで、月曜の横須賀線が遅れて、戸塚のホームに人があふれ出し、
結局休んだという人がいた。
結果としては休んでもらってよかったと思う。
会社の規則を守るということと、
人生を誠実に生きるということとは、
重ならない部分もある。

昨夜の雪は、大粒で、別々する雪。足元がすべるので、みんな歓声をあげている。
雪を喜んでいる。
大声を上げているのは中国人だ。
わたしは東京でも貧しい地域に住んでいるので、
最近は中国語の怒鳴り声をよく聞く。
韓国の人はあまり怒鳴らないかもしれない。

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お花屋さんで写真を撮りたい



これはお花やさんで撮影した写真。
写真を撮らせても、花屋さんは何も損をしていない。
むしろ、花をこうして宣伝してくれるのだから、
いいことなのだと思うが、それでもやはり、申し訳ないような気持ちもある。
花やさんに思い切って話してみればいいのだろうか。

ホテルなどに飾ってある花は
最近は大げさすぎて、好きではない。
むしろ日比谷公園に植えてある花などのほうが好きだ。
日比谷公園ではこまめに植え替えをしていて、
とても手間隙かけているのがよく分かる。
自然にしておけば虫もついて大変だろうが、
うまく咲かせていると思う。

このように手入れされた自然は
田舎にはないもので、東京に断然多い。

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小鳥のくちばしの紅色にはっとする

世界遺産の番組で
小鳥のくちばしの紅色にはっとする。

子供時代に女の仕種にどきどきしたように。

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カタログは無限の楽しみ

ある会社からのカタログが届いたので眺めていた。
カタログってどうしてこんなにも楽しいのだろう。
情報密度の高さも、好きなもののひとつだ。

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