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社員の転職・復職フォロー

ベクトル、企業のメンタルヘルス対策支援-社員の転職・復職フォロー

 人事コンサルティングを手がけるベクトル(東京都港区、卜部憲社長、03・6403・5781)は、企業向けの「メンタルヘルス就職支援室」を開設した。企業と契約し、精神疾患を抱えた社員の転職や復職の支援、またカウンセリング、ストレスチェックなどのメンタルヘルス対策を総合的に支援する。国内で初めて、精神疾患で休・復職待機中の人を対象に同社の専用施設で“リハビリ出勤”プログラムを実施、心身の健康を取り戻してからの社会復帰を支援するサービスを提供する。
 うつ病などの精神疾患の患者やその予備軍は年々増加傾向にある。だが「回復して復職しても、リハビリが完全でないため再度休職するというケースも増えている」(卜部社長)という。このためベクトルでは支援室を新たに設けるとともに、個人の状態に応じた形で同社の専用施設に“リハビリ出勤”してもらうプログラムを導入した。
(掲載日 2008年02月29日)



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新任女性教師、夢半ばの自殺…遺族が公務災害を申請

新任女性教師、夢半ばの自殺…遺族が公務災害を申請

「ごめいわくをおかけしました」と書かれたメモは、くしゃくしゃになった状態で見つかった
2006年に自殺した東京都西東京市の市立小学校の新任女性教師(当時25歳)の両親が28日、地方公務員災害補償基金東京都支部に公務災害の認定を申請した。
 教師になりたいという夢をかなえたばかりの女性は、学級内に続くトラブルに悩んでいた。「悲劇を繰り返さないよう、新任教師に手厚いサポートを」と両親は強く訴えている。
 「小学校教師はやっぱりきついね」。自殺を図る約2か月前、福岡県の母親(56)にあてたメールに、そうつづられていた。
 教師の夢を追って、短大から首都圏の教員養成大学に編入学し、06年4月から西東京市で教師になった。
 低学年を受け持って間もない5月中旬、学級内で万引きのうわさを聞いた。名前の挙がった児童の親に伝えると、「どこに証拠があるのか」と抗議を受けた。校長が親に謝罪して収まったが、後日この件について職員会議で報告を求められた。
 後に女性の部屋で両親が見つけた遺品のノートの切れ端に、女性の文字があった。「確証がないのに電話してしまい、保護者を傷つけてしまった」「校長や副校長にもご迷惑をおかけしました」。職員会議で謝罪した言葉の下書きだった。同僚の一人は「彼女が謝らなくても、と違和感を感じていた」と、遺族側の川人博弁護士に語っている。
 さらに7月ごろ、学級内で児童の上履きや体操着が隠され、保護者会の対応に追われた。7月中旬にうつ病の診断を受け、8月末まで休職した。9月に復職したが、学級内で起きた新たないじめなどの問題が続き、症状は悪化していった。
 着任時の女性教師は、同僚には明るい性格と映っていた。だが、10月下旬に近くの駅へ歩く姿を見た複数の同僚からは、「やつれて、やっと歩いている様子だった」との証言がある。
 女性教師は10月30日に自宅アパートで首をつり、12月16日に息を引き取った。教師になって、わずか9か月だった。
 市教委は「指導役の教師も、親身になって相談に乗っていた。特別な精神的ケアはなかったが、2学期からは業務の一部をほかの教師に任せ、校内研修も免除して負担を軽減していた。考えられる支援は行っていた」と説明する。
 しかし、女性教師を診察していた精神科医は「うつ病は過労や仕事上のストレスが原因であり、このうつ病の結果、自殺に至った」との見解を示している。
 川人弁護士は「一番問題なのは、新任教師への精神的ケアが管理職らに欠けていたこと」と述べ、公務災害だと訴える。
 女性教師は、教員の志望書に、「精一杯の情熱と愛情で、子供の可能性を引き出していきたい」と書き、希望にあふれていた。両親は「休暇で実家に戻ってきた娘は『職場は想像以上につらい』とこぼしていた。なぜそこまで追いつめられたのか」と、今も納得できずにいる。(朝来野祥子、山田睦子)
2008年2月29日03時32分  読売新聞)


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「孫」代理出産、夫妻と実母 3人で胸中を語る…長野

「孫」代理出産、夫妻と実母 3人で胸中を語る…長野
 
――日本学術会議は、代理出産を禁止する報告書案をまとめた。
 
 私と同じ病気の人や、手術で子宮をとった人はたくさんいる。その人たちが幸せになれる方法を禁止するのはおかしい。


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タミフル耐性インフルエンザ、横浜で集団感染

タミフル耐性インフルエンザ、横浜で集団感染
タミフル|インフルエンザ
 治療薬「タミフル」が効かないインフルエンザウイルスによる集団感染が、横浜市内で先月発生していたことが、同市衛生研究所の調査で分かった。
タミフル耐性ウイルスによる集団感染は、国内では初めてで、世界保健機関(WHO)に報告された。 耐性ウイルスが広がる中、新型インフルエンザが発生すれば、タミフルに耐性を持って流行する可能性があるため、別の治療薬を備蓄するなどの対策が必要になる。 同研究所によると、耐性ウイルスが見つかったのは、同じ区内に住む8~13歳の男女5人。3人は小学校で集団感染し、他の2人は同じ病院で診察を受けていた。同研究所では限られた地域で小規模に流行したと推測している。


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所得だけでなく死亡率にも格差か、構造・経済改革後のニュージーランド

所得だけでなく死亡率にも格差か、構造・経済改革後のニュージーランド
所得格差|死亡率格差|ニュージーランド|構造・経済改革|健康格差研究
 ニュージーランドでは、1980年代から90年代に実施された大規模な構造・経済改革によって所得格差が拡大したが、これにともなって所得額別の死亡率にも格差が生じた可能性があることが、Otago大学(ウェリントン)健康格差研究プログラムのTony Blakely氏らの検討で明らかとなった。同氏らは、これらの死亡格差に寄与した疾患についても解析を行った。BMJ誌2008年2月16日号(オンライン版2008年1月24日号)掲載の報告。

人口調査と死亡データを解析する繰り返しコホート研究

本試験は、1981、1986、1991、1996、2001年の人口調査と死亡データを解析する繰り返しコホート研究であり、対象は1~74歳のニュージーランドの全人口であった。 家計所得額別のコホートごとに、年齢および人種で標準化した死亡率を算出した。また、絶対スケールおよび相対スケールの双方で所得と死亡率の格差を評価するために、標準化死亡率の差および比、さらに格差のslope index(SII)およびrelative index(RII)を算出した。

相対的死亡格差が拡大、絶対的な格差拡大は確認できず

性別、年齢、所得額で層別化した各群の全原因死亡率は、25年の試験期間を通じて25~44歳の低所得層では男女ともに変化はなく改善が見られなかったが、それ以外のすべての群は低減しており改善が認められた。 すべての年齢群において、1981~84年から1996~99年にかけて所得額により相対的死亡格差が拡大(RIIが男性で1.85から2.54に、女性で1.54から2.12に増加)したが、2001~2004年には安定化(それぞれ2.60、2.18)した。絶対的死亡格差の経時的変化は安定しており、1996~99年から2001~04年にかけてはわずかながら格差が縮小していた。 所得による死亡格差に最も寄与した疾患要因は心血管疾患であるが、男性では1981~84年の45%から2001~2004年の33%へと低下し、女性でも50%から29%へと低下した。これは、癌の寄与が男性で16%から22%へ、女性では12%から25%へと増大したことと関連すると考えられる。 Blakely氏は、「経済再編中および再編後のニュージーランドにおける所得額別の死亡格差は相対的に拡大したが、絶対的な格差拡大は確認されなかったことから、構造改革との因果関係を断定することは困難」と結論し、「死亡格差に対する個々の死因の寄与には経年変化が見られることから、健康関連政策の優先順位を再考する必要が示唆される」と指摘している。


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PTSD発症率は非派遣兵の3倍、戦闘に曝露したイラク/アフガニスタン帰還兵

PTSD発症率は非派遣兵の3倍、戦闘に曝露したイラク/アフガニスタン帰還兵
PTSD|イラク|アフガニスタン|帰還兵|メンタルヘルス
 米軍のイラク/アフガニスタン帰還兵のうち実際に戦闘に曝露した兵士の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の発症率は非派遣兵の約3倍にも達することが、BMJ誌2008年2月16日号(オンライン版2008年1月15日号)に掲載された米国海軍健康研究所(サンディエゴ)のTyler C Smith氏らの研究結果で明らかとなった。最近の報告では帰還兵の10%にPTSDの症状が見られるとされるため、同氏らは大規模な米軍コホートにおいて自己報告によるPTSDの実態調査を行った。

約5万人の兵士のデータを解析

本試験は、イラク/アフガニスタン戦争に先立つ2001年7月~2003年6月に7万7,047人の米軍兵士および予備兵/州兵を登録したミレニアムコホートのデータを用いたプロスペクティブな大規模コホート研究。 2004年6月~2006年2月に実施されたフォローアップにより、5万184人から健康関連のアウトカムに関するデータが収集された。主要評価項目は自己報告によるPTSD発症率とし、PTSDチェックリストとして“Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders”第4版の一般向け判定規準を用いた。

派兵そのものよりも戦闘への曝露が重大な影響

2001~2006年にミレニアムコホートの40%以上が派兵され、ベースラインとフォローアップの間に初めての派兵としてイラク/アフガニスタン戦争の支援に赴任したのは24%であった。 ミレニアムコホートのうち、1,000人年当たりのPTSDの新規発症率は10~13人であった。自己報告によるPTSDの症状発現率あるいは診断率は、戦闘に曝露したと報告した兵士が7.6~8.7%、戦闘に曝露しなかったと報告した兵士が1.4~2.1%、派遣されなかった兵士は2.3~3.0%であった。 ベースライン時にPTSDの症状を報告した兵士においては、派兵が症状の持続に影響を及ぼすことはなかった。また、全般に女性兵士、離婚経験者、下士官兵、およびベースライン時に喫煙あるいはアルコール依存を報告した兵士で新たにPTSDの症状を訴えるリスクが高かった。 Smith氏は、「ベースライン時の背景因子で補正したところ、派兵されて戦闘に曝露した兵士における自己報告によるPTSDの新規症状発現/診断率は、非派遣兵の約3倍にものぼった」と結論している。また、「これらの知見は、戦闘曝露兵におけるPTSDの重要性を明確化し、派兵後のPTSDの発症には派兵そのものもよりも特定の戦闘への曝露が有意な影響を及ぼすことを強調するものだ」と指摘している。


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手足はつるつる

昨日といい、
本日といい、
手足もつるつるで、
温泉に入った後のような
肌の心地よさである。
水道水に、または水道貯水タンクに何か入っているのだろうか。
原因不明ながら、気持ちよい。


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「小さな政府」が亡ぼす日本の医療

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第120回

緊急論考「小さな政府」が亡ぼす日本の医療(1)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)
2765号よりつづく

ニューオーリンズの防災対策に欠けていたこと

 昨年の本欄で,ハリケーン・カトリーナで孤立したニューオーリンズに踏みとどまって患者のケアに励んだがゆえに殺人罪に問われることになってしまった医師の話を紹介した。カトリーナは,ニューオーリンズ地域に限っても1000人を超える死者と2500億ドルに上る大被害をもたらしたが,ニューオーリンズが著しく嵐に弱い街であることは,カトリーナが襲う前から防災関係者の間では常識となっていた。
 実際,2004年には仮想ハリケーン「パム」の襲来を想定,連邦政府・州・市関係者による,大規模な防災シミュレーションまで実施されていた。仮想ハリケーン「パム」の規模はカテゴリー3と,実際に襲来したカトリーナ(カテゴリー4)よりも小さい規模に設定されていたが,「パム」程度のハリケーンで堤防は決壊,市の大部分が洪水に覆われるとコンピュータ・シミュレーションは予言していたのである。
 つまり,いつか嵐がくることも,嵐が来たらひとたまりもないであろうことも,いずれも「想定内」の事態であったのだが,ニューオーリンズの場合,防災体制が強化されることはついになかった。連邦政府にも,州政府にも,堤防の増強工事などにかかる莫大なコストを支出する気などさらさらなかったからだが,結果的に,為政者たちに防災対策の「緊急性」を実感するイマジネーションの能力が欠如していたことが致命傷となったのである。

日本の医療政策を防災対策にたとえると……

 ニューオーリンズの場合は,嵐に備えて堤防を補強する準備を怠ったことが大被害につながったが,昨今の日本の医療政策を見ていると,大型の嵐が間違いなくやってくるのはわかりきっているというのに,「維持に金がかかるから」という理由で堤防を削ることに専念しているように見えてならない。世界史上前例のない超高齢化社会という「大嵐」が到来すれば,社会全体として医療サービスの必要が増大する「大雨」が降ることはわかりきっているのに,もともと先進諸国の中では最低の部類に属する医療費(=堤防)を削ることに専念しているのだから,とても正気の沙汰とは思えない。
 大雨が降るとわかっているのに堤防を削れば洪水になることは避け得ないが,では洪水になったらどうしろと,医療費抑制論者は言っているのだろうか? 実は,彼らが抑制しようとしているのは,正確には医療費の中でも保険給付などの公的部分であるが,いざ病気になって医療費負担がのしかかるようになった(=浸水が始まった)場合は,個々人が自己責任で頑張れ(=バケツで水をかき出せ)と,言っているのである(換言すると,医療保険について「公を減らして民を増やせ」という主張は,「堤防を削るからバケツで頑張れ」と言っているのと変わらないのである)。
 しかも,嵐の本体が来るのはまだこれからだというのに,すでに堤防決壊の兆しが見え始めているのだから,日本の医療の将来を考えると暗澹とせざるを得ない。以前からも言ってきたように,日本がこれまで安いコストで良質な医療を国民に提供することができた最大の理由は,医療者たちの義務感と過重労働が支えてきたからに他ならない。それが,過重労働に耐えてきた医療者たちに対し,医療費抑制に加えて,医師数抑制という「鞭」で打つアビュースを加え続けてきたのだから,医療者たちの志気が低下したのも不思議はない(その典型が巷間言うところの「立ち去り型サボタージュ」である)。さらに昨今メディアをにぎわしている救急患者・妊産婦の受け入れ「不能」問題に端的に象徴されているように,日本の医療は,ついにアクセスに障害を生じるところまで追い込まれてしまったのである(受け入れ「拒否」と報じるメディアもあるようだが,医療側がどんなに受け入れたくとも患者を受け入れることが「できない」のだから,「拒否」という言葉は不適切であろう)。

迷妄な観念

 大嵐が来ることはわかっているうえに,堤防が決壊し始めている兆候さえあるというのに,なぜ為政者たちが堤防削りに専念するのかというと,その最大の原因は,「日本は小さな政府で行くのだ」という迷妄な観念にとらわれた人々が,医療も含めた社会保障費の抑制を続けてきたことにある。彼らは,日本は「国民負担率」(国民所得の中で租税と社会保険料が占める割合)を5割以内に抑えなければならないと主張し続けてきたが,実は,先進国の間では国民負担率が5割を超える国がほとんどであり,「大きな政府」で国家を運営することがノームとなっている。国民負担率が4割を切る「小さな政府」でやっているのは日本以外では米国やスイスくらいしかないのだが,彼らは,いったいなぜ国家の形態として「大きな政府」ではなく「小さな政府」を選ばなければならないのか,その納得できる理由も提示しないまま,医療費が増え続けると国が亡びてしまうという,根拠のない「医療費亡国論」を前面に押し立てて,医療費抑制に励んできたのである。
 私から言わせれば,超高齢化社会の到来を目前として公的医療費を抑制することほど国を亡ぼす早道はないと思うのだが,「小さな政府」を主張する人々には,その恐ろしさを実感するイマジネーションの能力が欠如しているとしか思えない。嵐が来てから悔やんでも手遅れであることは,カトリーナの例を挙げるまでもないのだが……。
 
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第121回

緊急論考「小さな政府」が亡ぼす日本の医療(2)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)

2767号よりつづく

「National Burden Rate」?

 医療費も含めて日本で社会保障の財源が論じられる際,「国民負担率」(国民所得に占める租税と社会保険料の割合)なる数字が議論の出発点となることが最近の流行りとなっているようである。しかし,ここで私が読者の注意を喚起したいのは,この「国民負担率」なる言葉,日本以外では一切使われていない事実である。たとえば,私は,米国で暮らすようになって20年近くになるが,当地で,「国民負担率」に相当する言葉が社会保障制度を巡る議論に使われるのを聞いたためしがない。
 聞いたためしがなかっただけに,ずっと,「国民負担率」は英語で何というのか知らなかったのだが,「National Burden Rate」と訳すのだと知ったときには,あまりに滑稽で,恥ずかしさすら覚えるような訳だったので,つい,吹き出してしまった。逐語訳の和製英語であることは間違いなかったし,「National Burden Rate」と聞いて「国民所得に占める租税と社会保険料の割合」という元の意味を連想することができる米国人など一人もいないことは容易に想像できたからである(実際,当地の米国人たちに「National Burden Rateと聞いてどんな意味を考えるか?」と聞いたところ,返ってきた答えで一番多かったのは「障害者や失業者など,国家の重荷となる人々が人口に占める割合か?」というものだった)。
 さらに,「National Burden Rate」をグーグルで検索すると,このフレーズが登場するのは,ほぼ例外なく日本から発進された情報を扱うサイト(たとえば,日本で発行されている英字新聞)のみであり,日本以外の国では使われない言葉であることは,サイバースペースでの使用現況を見ただけでも明らかなのである。

misleadingな語感

 いったい,誰が,何を意図して,他の国では一切使われることのない「National Burden Rate」なる珍妙な概念を発明したかはさておくとして,日本で社会保障の財源を論じるに当たって「国民負担率」なる概念が議論の出発点となることの最大の問題点は,この言葉が,国民に対し,事実とはかけ離れた誤解や,必要のない恐怖心をかきたてる,misleadingな語感を内包していることにある。
 たとえば,図に,主要先進国の国民負担率を示したが,この図を見た途端に,「フランスやスウェーデンでは,給与の6割,7割を税や保険料で天引きされるのだから大変だ」と,事実とは大きくかけ離れた思い込みを抱く人が多いのも,「国民負担率」という言葉が,「個々の『国民』が実際に『負担』するお金の『率』」という,misleadingなイメージを醸し出すからに他ならない。

 前回も述べたように,先進国のほとんどが,国民負担率が5割を超える「大きな政府」を運営している事実があるにもかかわらず,日本で,多くの人が,「大きな政府を運営する国」=「国民が重税に喘ぐ国」という誤った先入観を抱くようになったのは,「国民負担率」なるmisleadingな語感を有する言葉を意図的に流行らせた人たちがいたせいだったと言っても言い過ぎではない。換言すると,「国民負担率」という言葉は,日本の社会保障論議を誤った方向に導くことで,「小さな政府を運営する国」=「国民の負担が小さないい国」という,迷妄な固定観念を蔓延させることに威力を発揮してきたのだが,この「小さな政府=善」とする議論の延長線上で医療費(特に公的給付)も抑制され続け,いま,日本の医療が崩壊の危機に瀕する事態を招いたのだから,この言葉を流行らせた人たちの罪は大きい。
 実は,国民負担率は,その語感とは裏腹に,国民の負担の実際を正確に反映する指標とはなりえない。国民負担率の数字が,国民負担の実際と大きく乖離しうることは,国民負担率31.9%と,日本(39.7%)以上に小さな政府を運営している米国で,国民の負担が日本よりもはるかに重い事実を見ればそれだけで明らかなのだが,次回は「国民負担率が大きくなると個々の国民の負担も重くなる」とする議論が詭弁であることを,国民負担の実際を日米で比較することで検証する。
 
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第122回

緊急論考「小さな政府」が亡ぼす日本の医療(3)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)

2769号よりつづく
 前回,国民負担率という言葉はmisleadingであると書いたが,その語感とは裏腹に,国民負担の実際を現さない数字であることを,国民負担率31.9%と,日本(39.7%)よりも「小さな政府」で国家を運営している米国の実情を見ることで説明しよう。

「中流」モデル世帯で日米を比較すると……

 ここで,租税・年金保険料・医療保険料について,実際にどれだけの額を負担しなければならないのかを日米で比較するために,「自営業者,課税収入700万円,世帯主年齢50歳,4人家族」という「中流」モデル世帯を考える。結果を表に示したが(金額は1年分の納入額,1万円未満は四捨五入,1ドル=106円で換算),所得税は,日本の97万円に対し,米国の連邦所得税99万円と,非常に似通った数字となる。次に,住民税だが,厳密にいうと,米国には日本の住民税に相当する税は存在しない。そこで,「所得を基に算定される地方税」ということで州税(ここでは私が住むマサチューセッツ州)をあてはめるが,日本の住民税70万円に対し,マサチューセッツ州の州税は37万円となる。さらに,年金であるが,日本の国民年金保険料17万円に対し,アメリカの場合,自営業者には「自営業者税」115万円が課税される(課税収入の15.3%。日本では年金「保険料」であるが,米国ではsocial security taxの名が示すとおり,年金「税」として徴収されるので,納入しない場合は「脱税」となる。日本と違って,加入漏れとか納入漏れとかいった類の「間の抜けた」現象は起こりえないのである。なお,自営業者税の内訳は年金税12.4%,高齢者医療保険税2.9%となっている)。

 日米国民負担比較(50歳,自営業,4人家族)
   課税収入700万円(1ドル=106円)として比較
 日本米国
所得税
住民税(州税)
国民年金
医療保険
97万円
70万円
17万円
62万円
99万円
37万円
115万円
242万円
総計246万円493万円

 最後に医療保険料だが,この「中流」モデル世帯の場合,日本では国保と介護保険を合わせて上限額62万円を納入することとなる。これに対し,米国では,無保険者になりたくなかったら,民間の医療保険に個人で加入しなければならない。保険料は,保険の種類,居住地,保険会社の別などで大きく異なるが,マサチューセッツ州最大手の保険会社ブルークロス・ブルーシールド社が運営する保険の中から,日本の国保にいちばん近いタイプの保険(註1)に加入した場合,年間保険料は,242万円となり,日本の4倍近くとなる。というわけで,この「中流」モデル世帯の場合,租税および年金・医療保険料負担の総計は,日本の246万円に対し,米国は493万円と,日本のほぼ倍となっている。米国の国民負担率は日本より低いのに,租税・保険料などの実際の国民負担は日本よりもはるかに重く,国民負担「率」の数字が示すところとは正反対となっているのである。

本末転倒の主張

 なぜ,このような乖離が起こるかというと,それは国民負担率なる指標が「公」の負担だけを算定して得られる数字だからである。「小さな政府」がよいとする人々は,医療保険についても「『公』を減らして『民』を増やせ」と主張しているが,その通りにした場合,確かに「国民負担率」の数字は小さくなるが,民の負担が増えた分,実際の国民負担は増えるのであり,「国民負担『率』を下げた分,国民の負担が減る」などと勘違いしてはならないのである。それどころか,「民」の医療保険は「公」よりも高くつく特性を有している(註2)ので,米国の実情からも明らかなように,「『公』を減らして『民』を増やす」政策は,実は,国民の医療費負担を逆に重くする政策にほかならない。
 「国民負担率を小さい数字にとどめるために医療費の公的給付も抑制しなければならない」という本末転倒の主張に対しては,「国民負担『率』を減らす行為は実際の国民負担を重くする行為である」という真理を突きつけることで対抗しなければならないのである。

(この項つづく)

註1:同社は個人加入向けに保険料(月額)が965ドルから2509ドルまで26種類の保険商品を用意しているが,保険料は(1)患者の受療行動に強い制限を伴うHMOか,それとも制限が比較的緩やかなPPOか,(2)デダクティブル(保険給付が開始される前に一定額を全額自己負担する仕組み)があるかどうか,(3)自己負担額の割合がどれだけであるか,などで変わってくる。表では,日本の国保にできるだけ近いタイプの保険という基準から「PPO型,家族全体のデダクティブル1000ドル,自己負担2割」の保険の保険料を示した。
註2:加入者から徴収した保険料のうち実際の医療に支出されるコストの割合は「医療損失(medical loss)」と呼ばれるが,営利の保険会社の場合,医療損失が高い数字となると「経営が下手」と株価が下がってしまうので,株主の利益を守るためには,できるだけ医療に金を支出しないという経営をすることが経営者の責任となる。現在,営利の保険会社の医療損失の平均は81といわれているが,これに対し,メディケア(高齢者用公的医療保険)の医療損失は98である。言い換えると,公の保険では納入した保険料(税)100のうち98が患者に実際の医療サービスとして還元されているが,民の保険では81しか還元されず,利用者にとって非常に「高くつく」ものとなっている。



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道徳性の神経生理学

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第109回

道徳性の神経生理学

李 啓充 医師/作家(在ボストン)
2730号よりつづく

トロリー問題

 倫理学の領域で「トロリー問題(trolley problem)」とよばれるジレンマとは次のようなものである。 【設問1】あなたの目の前で電車が暴走しています。電車の進行方向には線路を歩く人が5人いますが,誰も電車が近づいていることに気がついていません。もし,あなたが線路の切り替えスイッチを作動させて電車の進行方向を変えれば5人の命を救うことができますが,問題は,切り替えた先の線路にも歩行者が1人歩いていることです。5人の命を救うためには1人の命を犠牲にしなければなりませんが,あなたは切り替えスイッチを作動させますか?
設問2】陸橋の上にいるあなたは,電車が暴走していることに気がつきました。線路の先には5人の人が歩いています。もし,あなたが,自分の横に立っている人を線路の上に突き落とせば,電車の暴走を止めることができますが,あなたは5人の命を救うために1人の命を犠牲にすることができますか?
 2つとも,「5人の命を救うために1人の命が犠牲にされる」という設定は同一だが,ほとんどの人が設問1に対しては「はい」と答えるのに対し,設問2に対しては「いいえ」と答えることが知られている。設問1と2とで,それぞれの行為の結果生じる利益と損失とはまったく同一であるのに,なぜ,人々の判断は,こうも正反対にわかれるのであろうか?
 ちなみに,設問2には,次のような医学バージョンも存在する。
設問2:医学バージョン】救急車が5人の重症患者を運んできました。2人は腎臓を,他の3人は,それぞれ心臓・肝臓・肺を緊急移植すれば救命が可能ですが,ドナーを探している時間的余裕はありません。たまたま,救急室の隣で献血中の人の血液型が,運ばれてきた5人と適合します。あなたが外科医だったとして,5人の命を救うために,献血中の患者に犠牲となってもらって臓器を移植しますか?
 設問2の医学バージョンも「5人の命を救うために1人の命を犠牲にする」という状況は同一である。これに対しても,聞かれた人のほとんどすべてが「いいえ」と答えることが知られている。しかも,設問2に対しては,どちらのバージョンにもただ「いいえ」と答えるだけでなく,時間をかけて考え悩むという過程を経ず,瞬時に「いいえ」と答えることが知られているのである。

正邪の判断が決められる仕組み

 デカルトやカントの昔から,morality(倫理性・道徳性)は,ヒトにのみ属す特性とされ,物事の正邪の別を決めるのは,「理性」がなす業とされてきた。しかし,トロリー問題・設問2に対する常人の判断は,「直感的」といってもよいほど瞬時になされるのが普通であり,正邪の区別が「理性」のみによって決められるとすると説明しがたい。  「多数の命を救うためとはいえ,隣に立っている人を突き落としたり,まったく健康な人の命を奪って臓器ドナーとしたりする行為は自らが『手を下す』直接的なものであり,スイッチのオン・オフという『迂遠』な行為と比べ,感情が関与する程度が大きい。だから,設問2と1とで,普通の人の判断はまったく正反対になるのだ」とする説明がされる所以だが,ここ数年,倫理的・道徳的判断には,理性だけでなく感情も寄与するのだとする説を支持する,神経生理学的知見が集積されるようになったので紹介しよう。
 トロリー問題に対する生物学的解釈を深めるきっかけとなった研究としては,グリーン等によるものが有名であるが,彼らは,被験者がトロリー問題や類似するジレンマを解決する際,脳内のどの部分が「活性化」されるかを,機能的MRIを用いて解析した。その結果,隣の人を橋から突き落とすなど,問題解決に「直接手を下す」手段が要求される場合,脳内の理性的思考に関わる領域だけでなく感情に関わる領域も活性化され,両者の活動の「バランス」の下に最終的判断が下される仕組みが示唆されたのだった(Science 293(5537),2105-8, 2001)。
 さらに,今年になって,腹内側前前頭葉皮質(VMPC:ventromedial prefrontal cortex)に傷害のある患者は,トロリー問題に対して常人とは異なった判断を下すことも示された。VMPCは,以前から,同情・羞恥心・罪悪感といった「社会的感情」に関与する領域として知られていたが,この領域に傷害がある患者は,例えばトロリー問題に対して,「多数の命を助けるためには,隣に立っている人を橋から突き落としても構わない」と答える傾向が際立って強いことが明らかにされ,倫理的判断は理性と感情のバランスの下に下されるとする説が,一層信憑性を強めることになったのだった(Nature446(7138),908-11, 2007)。
 本欄では,前回まで,「回復の見込みがない患者の延命治療を中止する行為と殺人との違い」について論じてきたが,「延命治療の中止は殺人と変わらない。一度つけた人工呼吸器は絶対に外してはならない」と決めつける人々は,両者の決定的違いを理性的に比較する過程を辿ろうとはせずに,「直感」の命ずる段階にとどまったまま,短絡的に判断を終えているように思えてならない。


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精神障害のある救急患者対応マニュアル

精神障害のある救急患者対応マニュアル
必須薬10と治療パターン40

宮岡 等 監修
上條 吉人 執筆

《評 者》黒川 顯(日医大武蔵小杉病院院長/救命救急センター長)

救急医・精神科医のすき間を埋める一冊

 昨今,精神疾患を有する人が,外傷や疾病になった時の救急医療が大きな問題になっている。この状況に自殺未遂というキーワードが加わると,初期診療をする救急病院を探すことも,身体的問題が解決したあとのフォローアップ医療の担い手を探すことも困難となる。身体科の医師は,精神疾患を診られないから引き取れないといい,精神科の医師は,少しでも身体科の問題が残っている患者は診られないと受け入れを拒否する。結局,何でも引き受けてくれる救命救急センターに運ばれ,身体的問題が解決したり,すべて解決してはいなくても急性期を脱したりした場合に,行く先がないために,いつまでも引き受けざるを得なくなってしまうのである。
 さて本書の随所にみられる薬物動態や病態の解説をみると,著者がそもそもは精神科医だったにもかかわらず,多くの救急疾患の診療にも対応する力を持っていることがよくわかる。それは,東京工業大学理学部化学科を卒業してから医学部に進学したという彼の経歴からすれば当然のこととうなずかされるとともに,持ち前の探求心と,一つひとつの症例を大切にするという日常診療への姿勢によるものであると感心させられる。
 近年,精神科医が常駐する救命救急センターが増えているが,精神科医が常駐していない施設もある。そんな施設において,本書は大いに役立つことは必至である。一方,身体科の医師がいない精神科の病院にとっては,精神科医が身体疾患を診たり,病態を考えるきっかけを与えてくれる有用な書といえる。


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『神経文字学-読み書きの神経科学』

『神経文字学-読み書きの神経科学』発刊によせて
詩を書く立場から

谷川俊太郎

岩田 誠,河村 満 編

A5・頁248 定価3,360円(税5%込)医学書院
ISBN978-4-260-00493-0

 些細な一時的失読,失書は多くの人が経験していると思いますが,健康な人間は読み書きを子どものころからほとんど呼吸と同じようにしているので,コトバを失うことを,たとえば癌ほどには心配していないのではないでしょうか。ですがたとえ部分的にでも読み書きの能力を失うことは,他人とのコミュニケーションがとり難くなるだけでなく,生きている世界そのものの秩序が崩れていくことでもありますから,その不安は健康な人間の想像にあまります。私はコトバを材料に,詩という細工物を作る仕事をしていますから,本書を多分他の仕事をしている人より切実な感じで読んだと思います。
 詩はどんなふうにして書くのですか,というような質問をされることがあります。パソコンの前に座ってコトバが泡みたいに浮かんでくるのを待つのです,というのが私の答え方です。浮かんできた数語ないしは一行を昔は鉛筆で書いていましたが,今はキーで打ちます。深層の混沌から生まれてきたコトバが表層で分節されて定着し,眼に見える形でディスプレーに現れる。普通は意識することのない,脳と眼と手をむすぶその働きの不思議さ,精妙さを,本書は脳の働きのある種の欠落から追求し,いわばネガからポジを写しだすように私たちに示してくれます。
 詩は散文と違ってより多くをいわゆる深層言語に負っているのですが,コトバの浮かび方は一様ではありません。詩を書くとき,ほとんどの場合私には静寂が必要ですが,ときに音楽の一節が,またときに漢字のある一語が,またときにはひと続きのひらがなの視覚的印象が,詩のコトバを喚起することがあります。それがまず音(声)として意識されてから文字になることもあるし,意味を伴った文字の形がコトバを導き出すこともあります。こういうコトバの浮かび方は,散文の場合と微妙に違うと思います。詩は時に通常のシンタックスからはずれ,病的になることすらありますから。
 長くともに暮らしていると,夫婦の筆跡が互いに似通ってくる例は私の身近にもありましたが,私自身はある時期,苗字の谷川を書くときの筆跡が亡父のそれとそっくりになって,少々薄気味悪い思いをしたことがあります。別に意識して直した訳ではなく,いまではまた父とは違う筆跡になりましたが,たとえば年齢とともに変化するサインというもの,また字形は変化しても筆跡鑑定家が調べれば同一人のサインだと証明できる事実,そんなところにも「神経文字学」という新しい分野の研究が拓いていく地平がありそうです。


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阪神淡路大震災を振り返って

阪神淡路大震災を振り返って
医療従事者に今,伝えたいこと 吉田 茂(名古屋大学医学部附属病院医療経営管理部准教授)

 13年前の1月17日,兵庫県南部で起きた大地震のことを思い出す人は,地元以外では少なくなったことでしょう。その後,日本の各地で比較的大きな地震災害が発生したこともあり,あの阪神淡路大震災の衝撃的な記憶も薄れがちなのかもしれません。しかしながら,当時,神戸市中央区の病院で震度7を経験した者にとっては,今もなお,鮮明に脳裏に焼きついており,おそらく一生涯消えることのない記憶でしょう。
 名古屋市の位置する東海地区では,東海地震の不安を抱えていることもあり,災害医療に対する関心は比較的高いと言えます。私も何度か災害医療の専門家の講演を聞きましたが,いつも何か心に引っかかるものを感じてしまいます。その理由は,被災地で災害医療を行い被災者を助けることと,医療従事者自身が被災者となることのアンビバレントな状況が語られていないからだと最近になって気付きました。
 そこで本稿では,私の周りで見聞きした被災医療従事者の風景を語り,若干の提言をしたいと思います。もし同じような状況に陥った場合,皆さんが医療従事者としてどのような行動を取るべきかを考える一助になれば幸いです。

医師の場合

 神戸市垂水区のA医師の自宅は一部損壊でした。居間のテレビが反対側の壁際まで移動し,部屋の照明器具もコードがちぎれて吹っ飛んでいました。着の身着のままで外に出ましたがエレベーターが動いておらず,階段に行列ができていました。毛布に包んで抱っこしていた末っ子は歯をガタガタ震わせていました。雪が降るくらい寒い季節の明け方ですから無理もありません。地震直後,A医師の頭の中には勤務先の神戸市中央区の病院のことはありませんでした。しかし,落ち着いてくると,NICUの入院患者が心配になり,居ても立ってもいられなくなりました。こんな大変な時にも家族を放っておいて病院に向かうのかと言いたげな妻と子供たちを妻の実家に託して,彼は病院へ向かいました。
 結局,その日からA医師は1か月間,病院に泊まり込みました。携帯電話もない頃で,最初の3日間は,避難所を転々としていた家族と連絡が取れず,子供を3人抱えた妻がどうやって水や食料を確保していたのか知る由もありませんでした。

看護師の場合

 Bさん(3年目)は,自宅で足の不自由な母親と二人で暮らしていました。震災時,彼女は夜勤だったため直後の大混乱に見舞われ,母親の安否を気遣いながらも患者対応に追われました。連絡が取れて母親の安全を確かめられたのはずいぶんと後になってからでした。大きな余震が続く中,建物が倒壊すればまず間違いなく下敷きになるであろう母親を自宅に独り残してBさんは病院で働いていたのです。
 Cさん(新人)は,たまたま大阪の実家に帰省していて難を免れました。彼女の両親にとっては,この偶然を神様に感謝したことでしょう。Cさん自身は,同期の新人や先輩看護師が頑張っている被災地の病院にすぐ戻るつもりだったと思います。しかし,次の日もその次の日も1週間経っても彼女は被災地には帰ってきませんでした。結局,しばらくたって被災地が落ち着きを取り戻した頃に帰ってきたCさんを待ち構えていたのは,周囲の冷たい視線でした。
 二児の母として夫の両親と同居していたDさん(病棟師長)は,病院からやや離れた郊外に住んでいました。そこの被害は軽くてすんだのですが,子供を残して仕事へ向かうことは家族がなかなか許してくれなかったようです。ほかにも同様の立場にあった師長,主任クラスの方が結構いました。たまたま,師長,主任ともに震災直後に出てこられなかった病棟では若手の不満が爆発して,3月末には大量の退職者を出すことになりました。

看護学生の場合

 病院から徒歩で数分のところに併設の高等看護学校の校舎と学生寮がありました。震災直後,寮の学生たちは寒さと恐怖で震えながらも病院にいち早く駆けつけて,健気にも救護活動を手伝ったという武勇伝が残っています。しかし,二十歳前後で親元を離れて神戸の学生寮で暮らしていた彼女たちの本音はどうだったでしょうか。以下は当時の看護学生の手記の抜粋です。
 「廊下にうずくまって泣いてる子がいたり,何人かでかたまっていたり。階段の電気もなく,真っ暗闇で,コンクリートのかけらがたくさん落ちていました。1階に着くと,ガスのにおいが充満していました。寮生数人が傘立てでガラスを割って外に出ました。外に出てビックリ! 隣の自動車展示場の1階部分が押しつぶされて車は全部ぺっちゃんこ。辺りを見渡すと,そこら中で火の手が上がって,地面には亀裂が走って,電信柱は倒れてる。とりあえず人数確認をして,新しく建て直されたばかりの病院に行こうということになりました。あそこだったら大丈夫だろうとみんなが思っていました。道路の亀裂を避け,火の手を避けながら病院にたどり着いて,呆然としました。電気は点いていないし,1階は水浸しでした。自家発電とか非常時の病院機能に期待していたので,ショックは大きかったです。でもそんなことを言っている間もなく,病院の中から患者さんが運び出されてきました。やがて,夜が明けてきて,いろいろなところから怪我をしている人たちが運ばれてきて,駐車場は患者さんでいっぱいになりました。私たちは何ができるっていうわけではなかったのですが,何かを手伝いに散らばりました。みんなパジャマのままで。でも,その時寒かったっていう記憶はありません。どういうことをしたか,何ができたのか,その時の記憶はまったくないです……」

大災害時の病院の役割

 病院は医療を行う場所という常識は,大災害時には意味を成しません。地震直後から,近隣住民が多数,病院に押し寄せて来ました。雨や寒さをしのげ,体を横たえることのできる場所は貴重なのです。ましてや,病院には自分たちを助けてくれるという期待感を持っています。水や食料を期待する人たちもいます。外来ホールなど1階部分はあっという間に毛布を敷き詰めて簡易避難所になりました。病棟部分には立ち入らないでくださいと言っても,そのうち,病院内のいたるところに避難者がうろつくようになります。治安の悪化が懸念されたため,正式な避難所への移動を求めようと提案したところ,一人の医師が猛烈に抗議しました。「どこの避難所もいっぱいで,環境もよくない。病院から追い出されたら行くところがない人もいる」というのです。実は,その医師の自宅も全壊で家族は避難所生活を強いられていたのでした。

被災地の医療従事者のあり方

 被災地の医療従事者は,決して使命感で動くべきではありません。阪神淡路大震災ではさまざまな住民がお互いに助け合いました。初期救急活動は,一般住民の力が非常に大きかったと言われています。その中で同じ被災者としての助け合いの一環として,医療従事者は自らの持てる医療の知識,技術を被災患者に提供するという姿勢が自然だと思います。決して,自分や家族を犠牲にして,義務感や使命感で行動するべきではないでしょう。しかも最初の3日間程度でよいのです。3日経てば被災地外から医療救援隊が来ます。来なければいけません。あとは彼らに任せて,被災者としての自分たちの生活を立て直しましょう。次に医療現場に戻れた時に通常の医療活動としてフルに働けばよいのです。

被災地内外の医療資源の再分配

 震災後1週間を過ぎると,次第に被災患者は被災地外の医療機関へ移り,さらには被災地の居住人口そのものが激減したため,被災地での医療需要は減少しました。特に子供たちはまっ先に安全な場所へ移送されたため,被災地の小児人口は限りなくゼロに近づき,避難所にも子供の姿を見かけることはなくなりました。逆にその頃,被災地周辺の医療機関(特に小児科)は未曾有の患者増加で悲鳴を上げていたようです。
 医療機器も同様で,被災地周辺の医療機関で人工呼吸器などが不足していた時に,被災地の機能停止した病院には多くの医療機器が眠っていました。これらの人的資源,物的資源を流動的にうまく活用する仕組みがあれば非常に有用だと思います。
 
 最後に,阪神淡路大震災で亡くなられた多くの方々のご冥福を祈るとともに,震災後,人生が大きく変わってしまった方々に再び幸せが訪れることを心より祈念いたします。

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統合失調症の早期発見・早期治療

統合失調症発症危険状態における発症頓挫に対する取り組み
-好発年齢の若年患者に向けて

水野 雅文(東邦大学医学部精神神経医学講座・教授)

国際的な潮流となっている早期発見・早期治療の現状

 臨床精神医学の領域では近年,欧州や米国,豪州を中心に,統合失調症のような精神病に対する早期発見・早期治療への関心が急速に高まっている。
 早期発見と早期治療が転帰に影響を与え,十分な回復に不可欠の要因であることは一般医学の常識であるが,精神科領域では早期発見や予防といった概念は長く封印されていた。特に統合失調症においては,諦めにも似た空気の中で,治療といえばかつて精神病院と呼ばれていた精神科病院に収容する入院治療が中心であり,わが国の精神科には不幸にして地域ケアという概念はなかなか根付かなかった。
 一方,諸外国においてはクロルプロマジンの発見以来,1960年代初頭から次第に脱施設化とも呼ばれる地域化が進み,退院が促進され外来治療が中心となり,精神科病床は減少の一途をたどり,イタリアのように精神病院の全廃完了を宣言する国まで誕生した。結果的に地域ケアこそが治療の中心となれば,早期発見・早期治療の機運が高まってくるのも必然であろう。
 国際早期精神病協会(International Early Psychosis Association; IEPA)は現在会員約3000名の学術団体であり“Early Intervention in Psychiatry”というジャーナルも刊行されている。隔年の学術集会開催ごとに参加者が急増しているが,残念なことに日本からの参加はまだ少ない。
 実際に地域で進められているサービスは,国や地域により異なるものの,基本的な戦略はファルーン・マクゴーリモデルとか,Closed-in Strategyと呼ばれるものである。
 すなわち発症危険状態あるいは前駆期における非特異的な症候に着目し,これらを地域の中でゲートキーパーが見いだしたなら,それを確実かつ迅速に専門家の治療へとつなげる地域ネットワークのことである。現時点でこれが最もうまく機能しているとされているのは豪州・メルボルンのEPPIC(Early Psychosis Prevention and Intervention Center)あるいはオリゲン(Orygen)と呼ばれる地域介入システムである。

早期介入のための前提

 早期介入を是として進めていくためには,偽陽性を最小にする診断スキルの獲得,早期介入による転帰改善のエビデンス,さらに早期治療手段の開発などが前提となる。
 偽陽性の最小化に関しては,現時点ではYungらの診断基準を満たした自ら援助探索行動を起こして受診した症例においては1年以内に精神病状態へ移行するものが約40%とされている。これらの症例は発症危険状態(ARMS: At Risk Mental State)にあるとみなされ,専門家による慎重なフォローアップや適切な介入の対象となる。今後,臨床診断のみならず,さまざまな生物学的指標も用いた診断技術の向上により,偽陽性がさらに少なくなっていくことが望まれる。
 早期介入による転帰の改善は当然のことではあるが,これをもとに早期介入を推進するためにはエビデンスが必要になる。現在もっとも強調されていることは,治療の遅れに伴う転帰の悪化である。精神科領域では1990年代から精神病未治療期間(DUP: Duration of Untreated Psychosis)と呼ばれる概念が生まれ,精神病症状の顕在化から治療開始までの期間として示される。
 DUPは単なる生物学的な治療の遅れのみならず,精神疾患にまつわる偏見(スティグマ)に対する警鐘も込めた概念であり,公衆衛生的指標としても受け入れられている。わが国のDUPはYamazawaらの研究によれば東京都内(大学病院精神科外来と単科精神科病院)で平均13.7か月とされているものの,全国的な調査などは行われていない。DUPと機能予後の関連についてはさまざまな検討がなされており,その多くはDUPの長さと機能予後の不良に有意な関連を見いだしている報告であり,早期介入の必要性を示している。
 さらに近年の神経画像研究からはこの未治療期間においても進行性に脳器質の変化が生じていることも示されている。DUPと転帰の関連もさることながら,実際にこの治療の遅れを短縮することにより,機能転帰の改善のみならず,家族関係や社会機能の維持や就学・就労の継続,など多数のメリットが挙げられる。

求められる,好発年齢層への知識教育

 ではなぜ,わが国のような医療先進国にあってもDUPはかくも長いのであろうか?
 精神疾患に対するスティグマや病識,あるいは疾患についての正しい知識の乏しさが大きな要因であろう。実際,統合失調症の好発年齢が15歳以降の思春期・青年期であるにもかかわらず,中学・高校レベルでメンタルヘルス教育はほとんど行われていない。幻聴の存在を知らずして,幻聴を体験した時に病理性に気付き,専門医を受診するという行為が自発的に起きることは期待薄である。
 筆者らはこの数年,都立九段高校の健康教育週間の中でメンタルヘルス関連の講義をしているが,高校生の反応は概ね良好であり,メンタルヘルスの知識教育は統合失調症のみならずうつ状態ほかのコモン・メンタルディスオーダーの早期発見・早期受診の推進にきわめて有効な手段であると考えている。

東京ユースクラブサイトの創設

 こうした一連の状態に何とか風穴を開けたいと試みたのが東京ユースクラブサイト(註1)の立ち上げである。本サイトは統合失調症の発症危険年齢である10-20代の若者を対象としたもので,統合失調症の前駆状態などに関する知識提供やPRIME-J(註2)を用いたセルフチェック,さらにメール相談にも応じるというメンタルヘルスの早期介入に向けたわが国で最初の試みである。
 本サイトの運営はNPO法人みなとネット21という地域における精神障害者のサポート団体により運営されているが,そのことはごく控えめに表示されているだけであり,精神疾患に対するアンチスティグマの観点を徹底している。
 こうした試みは除々にではあるが拡大し,現在では富山県心の健康センターのこころのリスク相談や東北大学病院のSAFEメンタルヘルス・ユースセンター,東邦大学医療センター大森病院メンタルヘルスセンターの“イルボスコ”(EPU: Early Psychosis Unit)などの活動へと発展している。
 イルボスコは外来精神科デイケアに統合失調症発症危険年齢の若者への介入という特化した役割を持たせ,地域の学校(養護教諭や学校医)やかかりつけ医との連携を強化し,早期発見後の良好なアクセスを保障しようとするものである。センター内の児童思春期外来,ユースクリニックで外来診察をしつつ,イルボスコで心理社会的治療を濃厚に行っている。
 一般に精神症状は,身体症状の自覚と異なり,自らの体験を言語化しづらかったり他者へうまく伝えにくいという特徴がある。これにスティグマが加わるのだから,本人が自らは訴えない精神症状を発見することはもとより困難なプロセスではある。
 しかし自分で言語化できずとも,類似の症状について,こういう体験はないですか,と質問すると首肯してもらえることもしばしばある。前述のPRIME-Jは回答しやすさに配慮されており,当科の外来では初診の方に任意で記入していただいている。これによりARMSの診断は数値化されているため,容易であり,専門医への紹介の基準にすることも可能である。問題はその際の説明であり,不安をあおることのないように上手に勧める必要がある。

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憂さ晴らしに、酒の力を借りるのは無駄かも

憂さ晴らしに、酒の力を借りるのは無駄かも――。ラットを使った実験で、薄れかけた恐怖の記憶をアルコールが鮮明にする役割を示したという。成果は米国の専門誌に掲載された。
松木教授らは、ラットをふだんの飼育環境と違う箱に移し、電気ショックを与えた。いったん通常の飼育環境に戻し、翌日、恐怖を与えた箱に戻した。ラットが箱の中でじっと動かない時間の長さから、「恐怖記憶」の度合いを測った。 再び箱に入れて恐怖記憶を呼び覚ましたラットを2グループに分け、片方にアルコールを飲ませた。すると、酔ったラットは、しらふのグループより、箱の中でじっとしている時間が長くなった。思い出した恐怖記憶が、アルコールによって強められたと考えられるという。 松木教授は「記憶はいったん不安定になり、徐々に固定していくとされる。嫌なことを忘れる奥の手は、おぼろげなうちに、楽しい記憶で上書きしてしまうこと」と酒に頼らない忘れ方を勧めている。 (記事提供:読売新聞)


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