正社員の立場の評価
正社員は一握りのエリートで
マネージメントを担当し、
実務は契約社員や派遣社員という
分け方をしている人もある。
細切れの実務を担当してもスキルアップしないから
格差が固定化するという。
わたしの感じでは、
正社員もものすごく大変で、
「いい思いをしているエリート」
「派遣社員から収奪している」
などとはぜんぜん思えない。
*****
単純労働に適合する程度となったら
円周率は3でいいとなったのだろうが
そんなゆとり教育では
単純労働にさえ適さないということで、
内容を変えたい様子だ。
しかし教育を手厚くすれば、
当然、社会や政治を見る目は肥えてくるので、
きつい批判が起こる。
権力を肯定する
優秀な労働力が必要だが、
多分、無理だろう。
老年にしてますます頭脳明晰
政治家、野中氏と藤井氏が出演。
まことに明解に語る。
老年にしてますます頭脳明晰である。
すばらしいことだ。
政治の事のついでに健康法も教えて欲しいものだ。
なぜそんなにも元気で頭がいいのか。
猫にねずみを捕まえてもらう
歩行者と一緒に、体長7センチくらいの、ねずみのようなものが走っていた。
歩行者は驚いて、よけて歩いていた。
いま問題になっているのはもう少し大きなねずみのようであるが、
いずれにしても、猫を飼ったほうがいいのではないか。
最近の猫は野生を忘れているようだから、
脳の一部を携帯電話と同じ回路で刺激して、
ねずみを捕獲するようにすればどうだろう。
捕鯨反対の人たちからまた文句が出るかな。
難民キャンプに行ったとしたら
コンピュータにたとえると、
ハードとソフトといえるだろう。
たとえば難民キャンプに行ったとして、
心臓のことや感染症のことは、
文化や言葉が分からなくても、なんとかなりそうだ。
これは人体のハードの部分だ。
しかし難民キャンプの中で心理を扱うとなれば、
言葉と文化、宗教、世界観に通じていなければ、
どうしようもないだろう。
これは脳のソフトの部分だろう。
心理の業界はIT屋の中でもハードを売るのではなく、
ソフトをケアする部門だということになり、
いきなり難民キャンプに行って活躍できるとも思えない。
OSが違う世界にいきなり行っても、
たいしたことはできないようだ。
ハード屋なら何かできそうだ。
チベットの目論見
今回チベットが騒いでいるのは、
いろいろあるだろうが、
結局、観光で食べて生きたいという人たちの意志が背景にあるのではないか。
めぼしい産業がなく、しばらくは豊かになれそうもない、
そんな中で、チベット仏教の様子は観光資源になる。
見た目にも分かり易い。
チベット仏教の人たちはそのままにしておいて、
観光で儲けたい人たちが動いているのではないか。
オリンピック前に人権問題だと騒げば
アメリカが反応して世界中に報道される。
とんでもなくいいコマーシャルになる。
爪の成長
死んでからもしばらく髪や爪が伸びるのが
不思議といわれることがあるが
髪や爪の細胞はすぐに死ぬわけではないので、
伸びるのが当たり前とも言える。
絨毯屋
なかなか高価である
シルクロードの番組の中で何回か
じゅうたんを背景に歌を歌っていた
安く手に入るのだろうか
NHK新シルクロード総集編-1
わたしは隣町の友人を戦争で殺してしまったと元兵士が語る。
カザフスタン
中国からカザフスタンに帰ってきた家族の映像
文字がない民族とのことで
歌を歌って気持ちを伝えるという
マティスの絵のようなじゅうたんが壁にかけてあった
とても美しい
衣服の模様も美しい
どこで作っている布なのだろう
綿花を収穫していたから地元で何か作っているのだろうか
ウズベキスタン
アゼルバイジャン
たとえば現代日本で個人的にイスラム教を信仰し、
時刻になったら祈りを捧げるので仕事はできないというなら、
ちょっといきすぎだというだろうが、
このような環境では異常ではないのであって、
結局空気を読んでいるのだろうともいえる。
アルメニアとの戦い
それにしても広大である
土地はいくらでもある
日本の小さな不動産を買ってほとんど一生をかけて
支払いをする
そんな人生にどんな意味があるのだろう
故郷の土地
人間は生まれて1年くらいの間に脳のセッティングが決まる部分がある
故郷の風土に合わせた人間として生き始める
その土地から引き剥がされて生きるのはやはりつらいだろう
難民の居住地を国が提供してくれた
昔の電電公社の官舎のような感じ。
今で言えば関東圏でサラリーマンが買う、
3000万円の一戸建て、駐車場を取れば庭がない、
そんな平屋。
日本人はどうしてこんなにも密集して暮らしているのだろう。
移民の計画とか満州国とか、
まあ、考えそうなことだ
また、世界的に見れば、愛国心を持ち、祖国を守るという軍隊がなくて
どうして国民が安心して生きられるだろうというのも常識らしい
日本は少し先を進みすぎているようだ
人間、あるいは、民族は殺しあうものだ
とのメッセージを読み取ることもできそうだ
グルジア
コーカサス山脈
ブドウ畑に囲まれた家
代々伝わるワイン作り
何という安定した人生だろう
ぶどうの木は孫のようにかわいいと語る
ここでも故里の歌・民族の歌
グルジアワイン
甲府のワイナリーを思い出す
海のない土地はどんな風だろうか。
一度住んでみたい。
NHKはデジタル放送にふさわしい映像を提供している
人々はそれぞれに美しい
これは撮影の技術が優れていることもあり
被写体を選んでいることもあるだろうが
それぞれの民族がそれぞれに美しい
ロシアの広大な穀物畑
トルコ
ペットボトルで何か飲みながら
豪華なじゅうたんを背にして
民族の歌を歌う
翼があったら飛んでいけるのにと
チェチェン
チェチェンはロシアであるという教育演説
チェチェンの人々は歌い踊り陶酔の中で
民族の団結を誓う
コサック兵
チェチェンと戦って力になったのが復活したコサック兵
帝政ロシア時代に活躍したがソ連時代には禁じられ
ソ連崩壊後に復活したという
熱烈な愛国者集団
祖国ロシアのために
学校では女性も軍隊の訓練を受けている
カラシニコフを組立て、
人を殺す訓練をしている
多分、貧しさや格差が背景にあると思う
徹底的に差別され貧しかったら
やはの軍隊が魅力的に思えるだろう
日本で226のときに東北地方の貧しさが背景にあったと先輩から聞いた
歌
祖国
故郷の土地
それらをキーワードにしているようだ
わたしには要するに貧困の問題のように思える
イスタンブール
ここでは多彩な民族と宗教の並存
とても理想化して紹介
バザールの活気を伝えている
アメ横のような感じ
コサック兵士の好戦的な様子を見ていると
やはり人間とは
希少資源をめぐって争う存在なのかと思ってしまう
殺しあって勝利したものが
子孫を残す
直後にスポーツ番組があったこともあって
余計に人間の攻撃性を考える
多分、全員が食べるだけの食糧があっても、
争いあうのだろう
ホルモンのせいだろう
仕方がない
食糧とエネルギーをめぐって争い
結局は殺しあうのだろう
そんな中で日本は人口が減少するというのだから
なかなかえらい
この世界での存在権を放棄する方向なので
大変平和的である
9条よりも明確で確実な世界へのメッセージである
音楽はヨーヨーマと出ている
売れるだろう
医学映像
医学関係で映像に敏感なのは
基礎系では解剖学、
臨床系では眼科だと思う。
解剖学は伝統的にスケッチがさかんで絵心のある人が多い。
人体の正確なデッサンのために必要な解剖学の知識というものがある。
美大には解剖の先生が教えに行く。
最近は筋肉を鍛える方面の人が、
正確な解剖学の知識を欲しがる。
解剖図を見て、この筋肉を鍛えるのに一番正しい運動はどうするのですかという。
肉眼解剖学では、
骨、筋肉、内臓を皮膚で包んでイメージしている。
表面の出っ張りにもくぼみにも理由があり、名前がつけられている。
ラテン語がそれぞれ割り当てられている。
たとえば、
長趾屈筋(musculus flexor digitorum longus)
橈側手根屈筋(musculus flexor carpi radialis);
などというような具合で、なかなかいいものだ。
古きよき学問の匂いである。
ヨーロッパの伝統のフレーバーである。
人体を眺めて、
こんなにも複雑で機能不明なものが立派に生きているのだから、
よくできているものだと感心する。
眼科は光学系のレンズそのものを扱うので
敏感になるのだろうか。
眼科の写真はとてもきれいだと思う。
コンピュータ映像に一番縁があるのが
放射線科だろう。
一番高価な機械を使う。
進歩も著しい。
日本の比較的強い分野だと思う。
手指の表情
手と指を画像にとらせる。
CMで言えば指輪とか石鹸とか。
そのために手指に傷がつかないように
常日頃から手入れを怠りなく、
手袋を愛用するという。
手指の表情には独特のものがある。
多分、脳とかなり直結していて、
無意識の動きがかなり含まれているのだろう。
脂肪の具合、
皮膚の張り、
静脈の具合、
いずれも意識的にコントロールできるものでもない。
さらにその上に動きが加わる。
過剰に読みとっても不都合だろうが、
伝わるものはある。
統合失調症の利点
多分、進化論的に淘汰されてなくなっているはずなのかもしれない。
ある民族で、統合失調症の原因になるような遺伝子が
全部取り除かれたら、
統合失調症には罹らず、
部族間の争いがあっても、有利に展開し、
といったプロセスが生じるはずだろう。
しかし何か利点があるから、
統合失調症はいまだに存在しているのだろうといわれている。
物事の関係を過剰に推定する癖だとして、
その推定が偶然、物理法則に一致していれば、天才といわれるし、
不一致なら、無価値といわれる。
しかし、物理法則も自然法則も、心理法則も、
表面的には環境に応じている部分があり、
一定の変化は必要なのだと思う。
そのようにして過剰な関係付けの癖は続くのだろう。
進化論で言う、放散と淘汰を繰り返している、
フロント部分なのだろう。
その点では、秀才の家系に、病者が存在するのも、当然である。
イメージとしては、
時計を考えて、
長針の描く大きな円と
短針の描く小さな円を考える。
短針の描く内部は、
どれも、普通。
長針の描く部分は、
12時あたりがストライクで、秀才、
それ以外の、1から11時はすこし不具合。
そんな感じ。
だから、短針の範囲内に納まらない傾向がいつも必要で、
統合失調症の傾向は必要。
長針の中の一部分だけが有用であるが、
どの部分が有用であるかは、
歴史の偶然にもよるので、分からない。
そのような遺伝子が生き残ったのだろう。
チベット報道
チベットの人たちの困惑も
深いと感じる
五体投地と言って、尺取虫のように、地面を進み、
聖地までたどり着く。
一族の中から僧を必ず一人出し、
その人を通じてダライ・ラマの教えが浸透する。
ダライ・ラマの写真がいつくも貼り付けられて
風にひらひらしていた。
宗教にも文化・文明にも発展段階というものがあり、
一足飛びにはいかない。
だんだん成熟していくしかない。
キリスト教がそうだった。
中国共産党による悪い行いもあるが、
カトリック教会による悪い行いの歴史的総体と比較すれば、
まだまだと思う。
どちらがいいというのでもなくて、
発展段階が違うのだと思う。
これはマルクスのいうようなことで、
むしろ、むしろ中国共産党が言いそうなことだ。
チベットの女性で英語でインタビューに答えている人もいた。
中国共産党を非難している言葉で、
それはそうだと思うが、
チベットの現状を見てみれば、
自決の原則がいいのか、どうか、
なにかもっと知恵がありそうな気もする。
その知恵は、報道では切られているのではないかと思う。
行き着く先はアメリカで、
自由と民主主義とが正しくて、
キリスト教のことは強くは言わないが根本的には
当然の前提として考えているようなところがあると思う。
現在のようにアメリカドルが基軸通貨としての威信を失いかけているときに、
やっとアメリカの、歴史の中での姿が見えてくるのだと思う。
人間は繰り返す
変えろと言われて一時は納得しても
いつの間にか元に戻っている
根の深いものがあるらしい
自分自身について
考え
ほぼ絶望している
花の撮影のタイミング
つくづく想うのは
タイミングが大事だということである。
花のどの時期に出会うか。
光線の具合はどうか。
人生も同じ。
同じ人と出会うのでも、
いつ出会うかで
まったく違う。
桜開花
いま、一本が咲き始め、
ここ二日でかなり開いて、
全体で六割程度だろうか。
染井吉野の色は薄いようでしかしよい色で
何度経験してもいいものだ。
もう何度も経験しているのだから
いまさらどうということもないようなものだし、
歳をとってきて、
感受性にも変化があり、
ますます、ただの桜に見えていいはずのものが、
ますます、しみじみと、ありがたいものに思える。
花屋さんに行ってもないのが
桜の花だ。
4月初めの頃は
日本の年度替りでもあり、
社会が変わる時期だ。
そのことも気持ちを不安定にする。
そもそも体が生物一般と同じく、
不安定になる時期である。
そのことも桜の賞味には関係している。
いろいろあって、やはり桜は特別なものなのだろう。
桜の木自体も、それぞれに成長し、老化しているのだと推定はするが、
去年と今年とでははっきりとは分からない。
桜の木の変化よりも、
人間の変化の方が大きい。
人同じからず。
歳をとることもひとつだが、
境遇の変化も、
思い知る。
3年後の自分
何ヶ月かで失望する。
この先何があるというのかと
思ってしまう。
研修では
「3年後の自分に何が身についているか、
自覚して、自分を育てなさい」
と言われる。
それは実は
「もう終身雇用はしない」
ということだ
「3年後、何も身についていない人は、
企業としては、いらない」
ということだ
そのことが苦しくなって
こちらから辞表を出すこともできるし
若いうちは職も見つかる
しかしキャリアアップできるのかといえば
運がなければ難しい
実力があれば、
いつか芽が出る。
実力があれば、
大きな会社なら、内部でいろいろな出会いがある。
飛び出す必要はない。
3年後の自分に
ため息が出る。
金持ちの子供たちの英語
日本の高校や大学で不適応になった
金持ちの子供たちは
アメリカに「留学」する
覚えたのは
当然あんなことばかりなのだが
一応アメリカ人とアメリカ調で話ができるようになる
10年もして帰国すると
立派な肩書きがついていたりする
金持ちの家に生まれることも悪くないようだ
労働力の成熟
という言葉を見かける
つまり、熟練した労働力に成長していくという程度の意味らしい
企業が投資して育てる意思はないらしい
OJTとはつまりほったらかしで
自分で覚えろということのようだ
教える技量がないのにOJTといわれても
どうしようもない
研修に行けば
研修屋が来ていて
勝手なことを言っている
こんな奴に講師料を払うくらいなら
もっと給料を上げて欲しい
それでも研修出席は点数になるから一応出る
バカな時代だ
こんな人生にいつまで付き合えばいいのだろう
あんな女のどこがいいのか
夫の愛人について
「あんな女のどこがいいのか」
たしかにそうだと思う
でもそうなってしまう
「わたしだって独身の頃は女だった」
ダンス教室
誰にも必要とされていない女たちがたくさんいる
不思議な光景である
ダンスをして一体何の効用があるのか、
自分で考えなくてすむようなセールストークがあり、
そのようにしてマーケットが形成されているのだろう。
お教室を見ていると、
日本人がそれほど貧乏とは思えない。
家を買うと転勤
よくあるパターンだ
意地悪なのか
おかげで賃貸物件はいつでもあり
会社への忠誠心を測っているのか
妻子を新築の家に残して
単身赴任するのは
ひとつの形で
そこからまた新しいいざこざが始まる
単身赴任して
家族のことは忘れて
研修会とか飲み会とかに時間を費やしていれば
出世はできる
必要とされること
生きていける部分がある
誰からも必要とされていない悲しさ
仕事を持つということは
他人にあてにされるということでもある
だから尊い
でもよく考えてみると
その人でなくてはならないということはまれで
誰ががいればそれで足りるということも
事実だ
一応、必要とされていると思って
明日一日を生きよう
先のことは考えても
どうにもならない
世界はひとつ 究極の直接民主制
これこそ、宇宙衛星よりもお金と知性を集中して解決すべき問題である。
これまで、条約や国際習慣法などの国際法が世界の法秩序を構成してきた。
複数の国家が、安全保障、外交関係などについて、
一部のエリートが運用し形成して来た。
WTOはエリートの取り決めが、市民の生活を直接に変えたものだった。
一方、障害者権利条約、環境問題、人権問題などは、市民生活の側から、世界の法秩序の形成を促している。
その先には、世界憲法がある。
世界が市民ならば、憲法は当然あってもいいし、唯一の統一体としての、世界連邦があってもいいのだ。
国家という中間段階を介してのみ、市民は世界憲法につながるのか。
あるいは直接つながるのか。
市民とは誰か。
具体的に一人一人の全体であるか。
あるいは、エリート政治家が想定する、理想の国民であるか。
*****
先日集まりで、無線投票機がおかれていた。
スクリーンに質問が映し出されて、
リモコンのボタンを押すと、
集計されて、
会場内の人たちの意見が分かるようになっている。
もうすでに、代表者を選ぶ選挙は必要ないかもしれない。
国会で必要な決議をすべて国民がすればよいだろうと思う。
官僚と国民は、選挙投票を通じて、直接に語り合うことができるかもしれない。
法律の内容を官僚が説明する。
現実の国民が理解可能なものにする必要がある。
国民は勉強して理解する必要がある。
わけの分からないタレントを選ぶのではなく、
直接、政策を選び、法律を選ぶ。
それでいいのではないか。
それは世界規模にもおよぷ。
紛争、温暖化、環境汚染、貧困、これらを我々は日本人として心配しているのではく、
世界市民として心配しているのである。
中国にもインドにも、アメリカにも、ブラジルにも、言いにくいことも言わなければならない。
投票は無記名投票にも、記名投票にもできるが、
場合によっては微妙なものになる。
こんな話が実現するのはいつのことだろう。
間接民主主義というインチキはいつまで続くのだろう。
機会の平等と結果の平等
昔から、社会主義の系統は、結果の平等を重視し、
自由市場主義の系統は、機会の平等を重視すると、
初歩の教科書に書いてある。
どうせ結果が平等なら、人間は働かないと、
インセンティブ主義のリバタリアンはいう。
そんなことはないはずで、どうせ結果が平等でも、
やりがいがあるなら、人は一所懸命になる。
人のためになるなら、一所懸命になれる。
そのことは信じてもいいのではないかと感じる。
*****
一方、自由市場主義の、機会の平等に関して言えば、
それは一種の理想であり、絵に描いた餅である。
機会の平等の典型的なものと思われている
入学試験にしても、
知識や技能を身に付けるプロセスを考えれば、
まったく平等ではないのだ。
東京の金持ちに有利なようにできている。
東京大学学生の親の収入が最近は高いといわれているが、
昔は他の大学に比較して高くなかったとしたら、
その方が不思議というものだ。
戦争前の状況を考えてみれば、
帝大生の親は金持ちだったに決まっている。
戦後の一時期に、一時的な機会の平等が実現したに過ぎないだろう。
資産家も権力者も排除され、
その空白部分に誰を入れたらいいのか、
民主主義的教育、平等主義的な教育が行なわれていた一時期がある。
その頃が、機会の平等に一番近づいた頃だろう。
イギリスではかなり階級的で、パブリックスクールは、
誰にでも開かれているものではない。
フランスでは、極端なエリート主義。フランスの支配層に
外国人の遺伝子がどれだけ入っているだろうか。
アメリカでは、もう少し才能を広く選抜する仕組みがあるように思う。
もっと極端に何もない国は、
やはり人材の発掘から考えないといけないのだろう。
支配層が、自分たちの遺伝子だけでやりくりできると思えば、
その範囲内でしか交配は進まない。
外部にはっきりとライバルがいて、
もっと頑張らないといけない場合には、
広く優秀な遺伝子を求めることになる。
ブライダル
花嫁のウェディングドレスよりも数段華やかな純白のウェディングドレスで
結婚式場にのりこむ。
たしかにそんな人生の場面があってもいい。
悪くない。
全ては自分の自尊心を外在化して、形にしたいがためのこと、
他人などどうでもよいと言う、
とても単純な原則がはっきりと感じられて、
むしろ、すっきりするのだ。