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わたしのLWB

わたしの場合のLife Work Balanceは
まったくだめ

おととしの夏に、知り合いから、
イタリアの貴族の別荘が空いていて、
使っていいというから、毎年行ってるんだけど、
広いから気兼ねなくできていい、
何しろ貴族の古い別荘だから広いの、
イタリアに住みたいなら、いい経験になるから、
一ヶ月くらい行こうよと
誘われた。

唖然とした。
この人は私のことが何にもわかっていない。
夏の一ヶ月を休んで、仕事はどうする。
盆の三日を休むだけでも、心配になってしまうのに。
わたしは24時間仕事に費やしてまったく悔いはない。
別のこともしてみたが、非常に不愉快だった。
人生の時間は短い。
わたしには仕事しかない。仕事が私の幸せだ。
そんなことがそばで見ていて分からないのだろうか。
無理解に呆然とする。

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働く女性怒る

働く女性は怒る

職場では男性と同等以上に仕事をしろといわれる
家庭では育児を男性に任せていられない
しかも、趣味のひとつもなければ、母親仲間でも肩身が狭い
「しなやかに美しく・働くだけで終わらない」なんて言い続けて雑誌にのって商売している
腹が立つ
無性に腹が立つ

うそばかり言う雑誌に腹が立つ
きれい事ばかり並べている女に腹が立つ
仕事も家庭も趣味もリゾートも手に入れろと駆り立てるマスコミに腹が立つ

世の中が競争原理で成り立っている以上、
才能が同じなら、
時間と労力をかけたものが勝つのだ
そんな当たり前なことを無視して、
しなやかに美しくなんてやっていられないのだ

できるとすれば、
大卒の私が高卒の職場に乗り込んで、
有能さを発揮するような場合だろう。
その場では、時間内で仕事は終り、優秀といわれ、
家庭も維持できるだろう。

しかしそれでは、わたしの大学の同級生と比較して、
わたしは幸せではない。
私は仕事で認められたい。

仕事の場面では、優秀といわれているうちは実力を発揮できていないのだ。
実力相応のポストに収まれば、
優秀でも何でもない。
やって当たり前といわれる。

男性が24時間仕事に打ち込んで、
それで頭打ちになるのに、
女性にどうしろというのか。

実際私は生理がとまっちゃうくらい仕事しているのだ
それなのに。

頭にくる。

*****
なるほどもっともである。
やはり、世の中が悪いと思う。

でも、思い出して欲しい。
源氏物語も、枕草子も、和泉式部日記も、額田王も、みんな女性ではないか。

男性には筋肉の塊があるだけで、
たいしたことはできない。

女性の脳こそ、立派なのだ。

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ワーク・ライフバランス

ワーク・ライフバランスとは
ワーク・ライフバランスの目的は、仕事とプライベートをうまく調和させ、相乗効果を及ぼし合う好循環を生み出すことです。
たとえば、仕事において、高い付加価値を提供し成果を上げるためには、広い視野や人脈が必要ですが、それらは仕事以外の場所で身につくことが多いと思いませんか?
つまり仕事以外の場を大切にすることによって、仕事も短時間で成果を上げることができるようになるのです。いいかえると、仕事での成果を上げるために「働き方の柔軟性を追求する」ということがワーク・ライフバランスの核心であるということです。
「ワーク」と「ライフ」を“ハーモニー(調和)”させることで、仕事でも家庭でもより豊かな生活ができるのです。

ワーク・ライフバランスが生まれたきっかけ
ワーク・ライフバランスはもともとは欧米で普及した概念です。

●アメリカでは・・・
米国では、1970年代からサービスを中心とした第三次産業への業種転換や女性の権利意識の高まりにより、女性の社会進出が急速に進みました。
その後、1980年代後半の不景気で各企業がリストラを行う際に、少数精鋭による効率的な業務遂行を進める一環として、優秀な女性を積極的に登用するため、仕事(ワーク)と家庭(ファミリー)を両立できるよう配慮する「ワーク・ファミリー・バランス」施策を導入する企業が増えました。これらの企業の業績が向上したことにより、次第に他の企業にも波及していったのです。
さらに、1990年代に入ると、女性社員に限らず、より多くの多様な社員にとって働きやすい環境を整備する「ワーク・ライフバランス」や「ダイバーシティ」の概念への移行が起こり、さらに様々な人事関連の制度が開発されました。

●イギリスでは・・・
イギリスでは、1980年代にサッチャー政権が労働分野の規制緩和を進めたことやサービス産業の拡大、家族構成の多様化などにより女性の社会進出が進むとともに、1990年代の長期的な景気拡大に伴う労働需給の逼迫から大企業を中心に優秀な社員の採用や定着を目的にした柔軟な働き方についての諸施策が普及しました。
また、1997年に成立したブレア政権の下、2000年から官民一体のキャンペーンが展開され、これがワーク・ライフバランスの普及に大きな影響を及ぼしました。このキャンペーンの中心に位置づけられたのが、ワーク・ライフバランス施策を導入するためのコンサルティング費用を政府が補助するという「チャレンジ基金プログラム」です。また、政府は「フレキシブル・ワーキング法」の施行など法律面の整備も進めたこともあり、1990年代初頭には先進国中最低レベルだった労働生産性は、今では日本やドイツを上回り、長らく低迷していた就業率も回復傾向にあります。労働生産性と就業率を高めることに成功した要因のひとつがワーク・ライフバランスへの取り組みにあることは間違いないといえるでしょう。

●日本では・・・
では、日本におけるワーク・ライフバランスの取り組みにはどのようなものがあるのでしょうか。

日本では、ワーク・ライフバランスというキーワードが浸透する前に、「男女均等推進」と「ファミリー・フレンドリー」の2つの考え方が提唱されました。
「男女均等推進」の流れは、1985年のいわゆる男女雇用機会均等法の成立がひとつのきっかけとなりました。その後、1997年に改正男女雇用機会均等法が成立し、「ポジティブ・アクション(すでに生じている事実上の男女格差を積極的に解消するための策)」や「セクシャル・ハラスメント」に関する規定が盛り込まれました。2006年にも男性への差別禁止、間接差別禁止などを盛り込んだ改正が行われ、2007年から施行されています。
この「男女均等推進」と並行して、「ファミリー・フレンドリー(両立支援)」の流れも活発化していきました。これは1991年に成立した育児休業法から本格化したといえるでしょう。そして、大きな転機となったのが2003年に成立、2005年に施行された「次世代育成支援対策推進法(次世代法)」です。2007年には、この次世代法に基づき適切な行動計画を策定し、目標と達成するなどの7つの基準をすべて満たした事業主は、次世代支援に対する取り組みを実施しているとして認定を受けられる制度もスタートしました。

このように、日本では現在、次世代法によりワーク・ライフバランスの取り組みが企業の間で急速に進みだしています。今後は、欧米での経緯や男女均等推進の流れも踏まえながら、日本企業にとってあるべきワーク・ライフバランスの形を本格的に形作る段階に入っていくといえるでしょう。
 
ファミリー・フレンドリーなどとはどう違うの? 
「ワーク・ライフバランス」と似た概念として、いくつかのキーワードがあげられます。それぞれの特徴を把握して、ワーク・ライフバランスとの類似点・相違点を知ると、ワーク・ライフバランスの必要性をより深く理解できます。

●ファミリー・フレンドリーとは・・・
ファミリー・フレンドリーは一般に「両立支援」と訳されることが多く、「企業が社員に対して、働きながら育児や介護をしやすい制度や環境を整える」という意味で使われます。
厚生労働省では、「ファミリー・フレンドリー企業」を「仕事と育児・介護とが両立できるような様々な制度を持ち、多様で柔軟な働き方を労働者が選択できるような取り組みを行う企業」と定義し、具体的には次のような4つの柱があるとしています。

●男女均等推進とは・・・
男女均等推進とは、「男性・女性という性別にかかわりなく、その能力を発揮するための均等な機会が与えられ、また評価や待遇においても差別を受けない」ことをいいます。

●ダイバーシティとは・・・
欧米では、「Diversity and Inclusion」、すなわち「多様性と受容」と表現されます。日本ではこれを縮めて「ダイバーシティ」と呼ばれています。これは、性別はもとより年齢、国籍、人種、宗教などバックグラウンドの異なる様々な人材を受け入れ、それぞれが個性を発揮できるようにする、という概念です。

●CSRとは・・・
CSRは「Corporate Social Responsibility」の略で、「企業の社会的責任」と訳されます。企業も社会を構成する一員として、経済活動における法令遵守の徹底、利害関係者への情報公開を進め、さらに社会問題や環境問題にも積極的に貢献していくべき、という考え方をいいます。
様々な企業不祥事が続発する中で強く意識されるようになってきた概念で、ワーク・ライフバランスやダイバーシティも、広い意味でのCSRにかわるものともいえるでしょう。
ただ、CSRはあくまでも企業の「責任」を問題とするものであり、企業の利益創出や経営メリットを追及する意味をも含むワーク・ライフバランスとはやや次元が異なる面も有しています。

以上をまとめると、単に家庭やプライベートを充実させる、ということにとどまらず、仕事での成果をあげるために「働き方の柔軟性を追求する」ということがワーク・ライフバランスの核心である、といえるでしょう。
 
戦略としてのワーク・ライフバランス 
このように、日本では法律の整備や各企業の取り組みにより、「ワーク・ライフバランス」という概念も広がりつつありますが、福利厚生の1施策にとどまってしまっている現状があることも事実です。
次世代法はあくまでも会社を変えるきっかけであり、これをさらに一歩進め、企 業の経営戦略とつなげていくことが必要になっていきます。そのためには、ワー ク・ライフバランスを促進するためのメリットをきちんと把握しておくことが重要です。

昨年、富士通総研が2300社を対象に、育児休業の利用率や女性社員の平均勤続年数など約50項目を調べたところ、40以上の項目で平均以上だった120 社では、2002年までの10年間で経常利益が平均で27%上昇していました。 この結果をもとに、(株)富士通総研 経済研究所 主任研究員の 渥美由喜氏 は、「女性支援だけではなく、男性の育休や時短など両立支援策を積極的に行っ ている企業の業績や生産性が上がっているということがいえるでしょう。
一般企業では同じ期間にむしろ16%減だったことから、ワーク・ライフバランスへの取組みの有無で、両者は大きく明暗を分けていることになります。
こうしたデータを踏まえると、働かない人を優遇するのは無駄と考える経営者も いますが、両立支援に取り組むと、業務体制や組織の無駄の見直しが進み、優秀な人材を確保や引き留めの手段にもなり、企業にとってメリットに気付く意味は 大きいといえるでしょう。」と指摘します。

わたしたちは、このようにワーク・ライフバランスを促進することによって経営的にもメリットが得られることをお伝えし、ワーク・ライフバランスのとれた企業への変革のお手伝いをさせていただいています。 

*****
若者の場合の、文武両道のようなものですな。
東大の野球部の諸君は実に立派。

でもね、野球をすれば、早稲田に勝てないし、
勉強では部活やってない人にかなわないし、
難しい立場なんですよ。
 



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リスク限定型投信元本割れ必至

「リスク限定型」と呼ばれる投信は、日経平均株価が一定の範囲内であれば元本が確保され、一定の分配金を受け取ることができる。

 商品によって多少の違いはあるものの、
(1)スタート時に日経平均を基に設定した「スタート株価」が1年ないしは1年半後の判定日に日経平均を上回った場合、
(2)もし上回らなくても1年半のあいだ、日経平均があらかじめ定められた価格(ノックイン価格)まで下がらなければ、
元本は確保されるといった仕組みになっている。

今回は、二つの条件をいずれも「クリアー」してしまい、
元本割れとなる可能性が高まったという。
そして、心配しているという。

何を心配しているのだろうか。
株価が上下するのは当然である。
こんなにも下がっているのだから、
現金で返ってきたら、将来上がりそうなものを
買って仕込んでおけばよいではないか。

買いのチャンスなのである。
一時的に損は確定するが、それでいいではないか。
チャンスのときに、銘柄を乗り換えたと思えばよいではないか。
今度はきちんと自分で選ぼう。

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感情労働者

精神科医は、自分が楽しいときでも、
患者さんが泣いていれば、悲しそうにする。

自分が悲しいときでも、
患者さんがうれしいときには、うれしそうにする。

自分はほとんどなにも食べられないときも、
過食症の人の話を聞く。

他の職業の人も同じようで、
たとえば歌手は、プラーベーとに楽しいときでも、悲しい歌を悲しそうに歌う。
舞台では、プライベートでは女と別れたばかりの俳優が、
ぬくぬくとした幸せを演じる。

悲しい曲がヒットすれば、悲しそうに、でも実はホクホクの気持ちで、歌う。

会計士は、自分が儲かったわけではないのに、顧問先の業績を喜び、
弁護士は、自分は憎んでもいない相手に対して、顧客と一緒に悪口をいう。

看護師は自分が生理前でイライラしているのに、
患者さんには安心の笑顔を提供し、
三越のレジ打ちは、自分では食べないようなものを包んで笑顔で売っている。

セールスマンは時々つらそうな顔をする。
精神科医はそれを見逃さない。



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「悩み」の正体 香山リカ

「悩み」の正体 香山リカ著 (新赤版1068)

   いまどきの「悩み」と向き合い、ココロを解きほぐす

 精神科医としての臨床経験を活かし、現代人の心の問題をはじめ、様々な社会問題を鋭く考察しつづけている香山リカさんの新刊です。香山さんは、一昨年、岩波新書より『いまどきの「常識」』を刊行しました。「反戦・平和は野暮」「お金は万能」など、日本社会に広がりつつある、新たな「常識」を取り上げ、それらが人々に受け入れられつつある背景、その問題性などを鋭く考察しました。同書は、出版されるや大きな反響を呼び、現在も多くの読者に読まれています。その香山さんが、今回は、現代人の「悩み」に向き合います。

 ここ数年、「自己責任」という言葉がよく使われるようになっています。誰かが、困難に直面していても、それはすべてその人のせい。こうした認識のもと、「だから、困っている人を助ける必要はない」という「強者の論理」が導かれることとなります。こうした考えは、現代社会の動きを象徴しているのでしょう。現実に目を向ければ、福祉は次々と削られ、不安定雇用の増大によって、働いてもまともに生活できない人も目だってきています。そして、弱い立場の人間が、政府など権力者に楯突くと、中傷や個人攻撃などバッシングの嵐……。

 そうした「自己責任」の考えが広がる中で、ストレスや息苦しさ、精神的な苦痛を抱えている人も少なくありません。しかし、その辛さは、本当に自分自身のせいなのでしょうか、と香山さんは問いかけます。すなわち、その「悩み」は本当に自己責任なのか、と。自分自身が変われば、その「悩み」は解消されるのか、と。

 本書では、「場の空気が読めなかったらどうしよう」「働いても生活できない」「まじめに生きてきて損をした」など、現代人ならではの「悩み」を30ほど取り上げ、その「悩み」が生じる背景や原因を探ります。そうすることで、そうした「悩み」が、けっして「自己責任」などではないことが明らかになることでしょう。疲れた心を解きほぐすためにも、まずは「悩み」の正体を見極めることからはじめてみては、いかがでしょうか。

(新書編集部 田中宏幸)
     
  ■目次
 まえがき
  
 1 嫌われるのがこわい――人間関係編  
  場の空気を読めなかったらどうしよう
他人の失敗が許せない
若い人の要領のよさについていけない
暴力にどう対処したらよいか
家族どうしなのに気持ちが通じない
 
  2 無駄が許せない――仕事・経済編  
  忙しく働いていないと不安だ
働いても生活できない
効率がすべてなのか
やりがいを感じられない
地方にいても展望がない
 
  3 このままで幸せなのだろうか――恋愛・結婚・子育て編  
  恋愛したいけれど出会いがない
結婚できないかもしれない
子どもがいないと不幸せなのか
親になったが自信がない
結婚は失敗だったのだろうか
 
  4 老いたくない、きれいでいたい――身体・健康編  
  自分の顔、からだを変えたい
健康のために何かしないと不安だ
老いたくない、病気になりたくない
病気になっても医者に診てもらえない
現代の医療に信頼がもてない
 
  5 いつも不安が消えない――こころ編  
  自信が持てない
前向きな気持ちになれない
気分に浮き沈みがある
「ありがとう」が息苦しい
自分は誰にも大切にされていない
 
  6 まじめに生きてきたのに――社会・人生編  
  まじめに生きて損をした
「便利な世の中」についていけない
自分は何の役にも立っていない
おとなになりたくない
この先、楽しいことはない
 
   あとがき

  ■岩波新書にはこんな本もあります  
  精神病  笠原嘉著 新赤版581
 
*****
「場の空気が読めなかったらどうしよう」
について言えば、
著者は充分に場の空気を読んで、支配さえしているようだ。
香山リカの正体。

決して偏った極端なことを言わない堅実さは編集者に安心感を与えるし、
売れ行きも維持できるだろう。
学校の図書館にも買ってもらえるし、
親も薦めるかもしれない。
90歳を超えた日野原重明先生の「生き方上手」の域にすでに達している。
リカちゃん、お見事!

*****
精神病  笠原嘉著 これは私の参考にする教科書。いい本です。



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変えてゆく勇気―「性同一性障害」の私から 

 変えてゆく勇気―「性同一性障害」の私から 上川あや著 (新赤版1064)
   
   あきらめからは、何も生まれない

■著者からのメッセージ
 本当に困っている人こそ、声を上げることが難しい。それが「性同一性障害」を抱えて生きてきた私の実感です。27歳まで「男性」として暮らし、30代に入り「女性」として生きるようになりました。男性の身体を持って生まれましたが、幼い頃から自分を男と思えませんでした。自分らしく振舞えば「男らしくない」と非難され、好きになるのはいつも男性。そんな自分が自分でも理解できず、誰にも相談できずに自分の心を偽って生きていました。世間は典型的であることを是とする空気に満ちていて、世間の「フツウ」から外れることが恐ろしかったのです。そんな私が、どのように「自分」を取り戻し、地方選挙に立候補するに至ったのか。この本では、まずそんな私の体験をつづっています。

 また、顔を出して活動するようになってから、性的少数者に限らず、社会にはさまざまな立場の少数者がいて、かつての私と同じように声も出せずに暮らしていることを知りました。とことん困って苦しんで、模索を繰り返した今、私が感じるのは、この社会では「声を上げないといないことにされてしまう」現実です。黙ったままでは状況は変わりません。本の後半では、埋もれがちなニーズを掘り起こすことで生まれる実際の変化と、効果的に声を上げ、社会を変えてゆくヒントについても触れています。一歩を踏み出すことはたしかに勇気のいることです。でも、声の上げ方を工夫することで、必ず応えてくれる人に出会えるというのも私の実感です。

 「この社会も、まだまだ捨てたものではない」。本書を読んで、少しでもそんな気持ちになっていただけたら、著者としてそれに優る喜びはありません。
 
  ■著者紹介
上川あや(かみかわ・あや)
1968年、東京都生まれ。
1990年、法政大学経営学部卒業。
1998年、「性同一性障害」であるとの診断を受ける。
2003年4月、「性同一性障害」であることを公表の上、世田谷区議会議員選挙に立候補し当選、同年5月より世田谷区議会議員。
2000年1月から、「性同一性障害」を抱える人向けの勉強会や交流会、一般向けのシンポジウム開催など、「性同一性障害」をもつ人々の自助・支援活動に携わる。現在では、性の問題に限らず、多様な社会的少数者の環境改善に関心を寄せている。
 共著に『多様な「性」がわかる本』(高文研)
     
  ■目次
 はじめに
  
  第1章 「私の戸籍は男性です」―政治家になった  
  1 顔を見せて訴えなければ
2 手探りの選挙活動
3 変わってゆく街の空気 
  第2章 私は誰?―性を見つめて  
  1 仲良しは女の子
2 第二次性徴
3 孤独感と罪悪感の中で
4 サラリーマン時代
5 「もうごまかせない」
  第3章 性を移行する―居場所を探して  
  1 初めて仲間に出会う
2 性を移行する
3 「女性」としての暮らし
4 社会保障制度が使えない
5 司法への絶望
  第4章 性別変更に道を拓く―「性同一性障害者特例法」の成立をめぐって  
  1 議員立法の知らせ
2 国会のルール
3 特例法の成立
4 なお残る課題
  第5章 ちいさな声、声にならない声―当事者のニーズを掘り起こす  
  1 「常識」を疑うことから
2 一万五六〇〇人の「外国人」
3 七〇〇人の「オストメイト」
4 ひとり親家庭の実態
5 要約筆記と手話
6 失語症会話パートナーの養成
7 バラバラの「点字ブロック」
8 政策決定の現場で
  第6章 沈黙から発言へ―「変える」方法  
  1 沈黙は「存在しない」こと
2 自己肯定感をもつ
3 確実に声をとどけるために
4 権利意識の危うさ
5 嫌がらせに負けない方法
  第7章 「フツウ」って何だろう―寛容な社会とは  
  1 ボーダーライン、この恣意的なもの
2 性的少数者のいま
3 「フツウ」って何だろう
 
   あとがき
 ◆もっと詳しく知りたい人のために

*****
アメリカで騒がれているものはやがて日本に上陸する。
そして現在上陸しつつある。

今、ドラマでもやっています。
診察場面も出てきます。



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生老病死を支える―地域ケアの新しい試み 方波見 北海道で

 生老病死を支える―地域ケアの新しい試み 方波見康雄著 (新赤版992)
   
  北の小さな村で地域医療に新たな試みをしてきた開業医の提言
 北海道空知郡奈井江町――かつては炭坑でにぎわったが、今は過疎と高齢化に悩む小さな寒村です。著者はその地で、父から医業を継承し、40年にわたって地域医療に尽力してきた開業医です。

 この北の小さな町で、医療の先進的な試みがなされました。それは病院の開放型共同利用です。家庭医と病院が連携し、患者本位の医療・介護が受けられるようになりました。前例の無い取り組みに、最初は医師会の反対などさまざまの困難がありましたが、著者の熱意で克服しました。開放型共同利用によって、患者さんが自分らしく納得した人生の締めくくり方を実現できるようになったのです。

 生老病死は、人間の必然です。しかし医者としてそこに伴走していくということはどういうことなのか、本書では、著者の長年の体験に基づきながら、やさしく語りかけます。

 なかでもご自身の闘病・入院体験を紹介しながら、高齢化社会の医療のあり方、地域医療の課題、行政との関わり方などを具体的に語るところは迫力があります。

 最後に、近年の市町村合併が、地域医療にもたらす問題点を挙げ、これからの地域と医療のあり方への提言を行います。

(編集部 川上隆志)  
     
  ■著者紹介
方波見康雄(かたばみ・やすお)
1926年 北海道奈井江町に生まれる
1952年 北海道大学医学部卒業
専攻―内科学、老年医学、高齢者問題、生命倫理
現在―医療法人社団滋佑会方波見医院理事長。臨床のかたわら、北海道大学医学部非常勤講師、藤女子大学教授(臨床栄養学・生命倫理・死生論)、北海道医療大学客員教授、北海道医師会常任理事、日本医師会医事法検討委員会委員などを歴任
著書―『未来の人間学』(共著、春秋社)、『がんとの対話』(編共著、春秋社)、『ターミナルケアへの提言―いま、何が問われているか』(編共著、金原出版)
     
  ■目次
はじめに
  
  第一章 地域で老いを診る―故郷で医療を継承して   
  父の往診鞄/父業の医療を継承する/開業医の医療―人間と病人・患者と病気と/地域で老いを診るということ 
    
  第二章 医療と生老病死―いのちの完成を目指して   
  奥行き深い出会い/死に場所の選択/忘れられた人生の継続性/癒しと支えと慰めを/生老病死と長寿社会―高齢者の死の臨床/死の解決―あるお年よりの話/老いと病と死の受容をめぐって/高齢者の「いのちの完成」をめぐって/天与の恩寵―故郷で百寿者を診る 
    
  第三章 地域で老いを支える―小さな町での新しい試み   
  地域でともに診る―病院の開放型共同利用ということ/小さな町での新しい試み/老いを支える町づくりへ/町立病院を回診する/生活回診―わたしの流儀 
    
  第四章 老いて自立を保つ―最後の成熟に向けて   
  あたりまえのことができるか/老人と鏡/おちつかれたか/一日仕切り/雨水余滴/いのちの風光/蝉と老いとターミナルケアと 
    
  第五章 老いて病を得て―わたしのカルテから   
  心臓突然死の危うきに立つ/心臓バイパス術を前にして/ICUに入る/傷痕/森を歩く 
    
  第六章 老いを生きるということ―地域ケアの新しい形   
  懐かしき友への手紙/続・懐かしき友への手紙/最後の成熟に向けて 
    
  終章 市町村合併と地域医療の行方   
   
  あとがき

*****
著者については専門も違い、よく知らないが、地域医療のあり方を考える上で参考になる。
地域で生きて家庭で死ぬということが難しい時代になってしまった。
生死を解釈する枠組みがなくなった。
宗教を共有していないし、唯物論を共有しているわけでもない。

人類の歴史の中で極めて特異な、不思議な光景である。

*****
冬の往診も大変そう。
患者さんの通院も大変だろうな。
最近はバスの本数も減らされているというし。



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スーフィズム イスラムの心 宗教間の対話と理解

スーフィズム イスラムの心 岩波書店

スーフィー教団の指導者が語ったイスラムの信仰と神秘の奥義

 これまでイスラムと言えば,イスラム革命,政教一致のイスラム,イスラム主義,殉教,ジハードといった規範的イスラムの政治性や威力のみが強調的に報道され,そしてそれがイスラムの「単なる宗教ではない」特性であるとして,研究者によっても解説されてきた.したがって,残念ながら,一般の日本人,特に宗教者にとってイスラムは,他者の宗教として敬意を表すべき対象ではあっても,そこから自分の生き方,問題解決の指針を見出しうるような宗教ではなかった.
 そのような中で,本書を通して,自我の否定や神の愛という心の問題の解決を目指し,そのために導師につき,その指導の下に修行を行なうことを旨とするイスラムの神秘道,スーフィズムの存在を認識することは重要である.世の中の平和を力によってではなく,各人が心に平和を築くことを通して実現しようとする試みである.そこには仏教にきわめて近いものがあり,その意味で日本人には身近に親しみを感じさせるイスラムがある.伝統的な規範的イスラムや原理主義とも,また近代主義イスラムとも異なる,別の顔のイスラムがここにある.(……)
 この「普遍性」は……個別の民族・文化・宗教・伝統に限定されない,それらの差異性や多様性を超えて広く人類に共通するもの,という意味である.人間相互および伝統の差異性や多様性を超えた普遍的側面,一体性をみることの重要性を,ベントゥネス師はとりわけ強調する.……この「普遍的存在」こそ,まさに人間の「本源的性質」なのである.……ということは,諸宗教はその本源に目覚めれば,その多様性にもかかわらず共通の地盤に立って理解し合えるということである. (訳者解説)

 シャイフ・ハーレド・ベントゥネス
1949年,アルジェリアに生まれる.この地に本部を置き,フランス,ベルギーをはじめ,ヨーロッパ各地に展開するスーフィズム(イスラム神秘主義)の教団(アラウィー教団)の4代目シャイフ(導師).「イスラムの友」協会(現「ヨーロッパの大地」協会),フランス・ムスリム宗教会議などの設立と運営を通して,宗教多元主義の立場からエキュメニスム(宗教間の対話と理解)を実践し,開かれたイスラムの啓蒙に努める.著書はほかに『コーランの啓示と内的人間』(L’Hommeinterieur a la lumiere du Coran,Albin Michel,1998)などがある.

 スーフィー教団の指導者が,戦争とテロルと環境破壊にあえぐ,全世界に向けて呼びかけます.イスラムの信仰は人をどこに導くものなのか,宗教において寛容とは何か,原理主義はなぜ今もなお落とし穴であり続けているのか,そして真の聖戦とは何か……
 1990年代前半,湾岸戦争の余燼がなおもくすぶる時代に始められたインタヴューが本書の基礎になっています.イスラムの精神性における危機の認識がモチーフになったといわれていますが,導師(シャイフ)はここで驚くほど率直に語っています.イスラムの信仰生活の実像についてはありのままに,そして信仰の核心にひそむ秘儀と奥義に触れては言葉にできるぎりぎりの線を探りながら――その誠実さが,本書を伝道や神学的議論の書ではなく,生きられた霊的体験と社会的実践の書にしています.
 霊性における,異なった宗教と民族の壁や性差をも超える普遍性を,導師は説いてやみません.師と弟子が手を携えてたどる霊的修練の階梯を語るときも,覚醒にいたって現実世界に立ち戻る際の心得を諭すおりにも,原理主義的な考え方への逸脱を戒め,中庸と寛容に強調点が打たれます.異質なものに開かれてあるあり方こそ,イスラムの伝統であり心であるというのが,本書を貫く導師のメッセージです.
 民族と宗教の相違が紛争の火種であり続けている今日,一つの教団が有する〈信〉の経験的な核心を揺るがすことなく,宗教間の対話と理解を主張する導師の思想には,平和と共生への道を探るための重要な指針が含まれています.
【編集部 中川和夫】

第一章 徒弟時代
第二章 スーフィーの伝統
第三章 導師と弟子
第四章 イスラムの五柱
第五章 進歩の三つの段階
第六章 霊的修練
第七章 男性と女性
第八章 神的時間
第九章 真実の瞬間

*****
中庸と寛容に強調点という。
まことにそうありたいものだ。
宗教間の対話と理解はできると思う。



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