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深尾憲二郎-9

[31: なぜ「てんかん」だったのか ]
 


○先生がてんかん学を専門になさったきっかけについて教えてください。

■そうですね、まず精神科に入った理由から話さないといけないでしょうが、これもけっこういいかげんな決め方だったんです。医学部では卒業するまで、何科を専攻するか選択しないんです。医師国家試験はみんな同じものを受けますからね。

○ええ。

■でも実際にはみんな、卒業する頃には自分で専攻を決めてます。精神科の場合は特に、医学部に入った時から、というか入る前から精神科医になろうと決めている人が多いんですね。他の学部を出てから入りなおした人もけっこういてね。もちろん、医学部は医者になるための学部だから、理科系の学部、理学部とか農学部を卒業したけれども満足のいく職に就けなかった人が、医者になると言えばたいてい親は反対しないだろうから(笑)、医学部に入りなおすということは珍しくないですよ。

○なるほどね。

■でも精神科はその中でも特別でね、文科系の学部を卒業してサラリーマンとか役人をやってたけど、若い頃からの精神医学への興味が断ち切れず、わざわざ理科系の受験勉強して入りなおしたとか、そういう人がいます。別に入りなおした人じゃなくても、高校時代から精神科医になることだけを考えて医学部に来る人も多いんです。そういう人は思いこみが強いわけですね。

○先生もそうでしたか?

■いや、だからそうじゃなかったんですよ。ぼくは医者の息子だから、医学部に行って医者になること自体は自分にとっては自然なことだったんです。で、父親は内科で開業していて、僕が卒業する前に兄がすでに内科を専攻していたから、僕は何科になってもよかったんです。最初から精神科に行こうとは思っていなかった。医学部の学生の半分か三分の一くらいは「精神科もおもしろそうだな」と思いながらも、でも精神科なんて医学としては邪道だと考えて、ほとんどの人は行かないんですよね。医学の王道はもちろん内科ですよ。僕も内科に行こうと思ってたんだけど…。

○なぜ精神科に?

■なんかね…大学時代にだんだん医学が嫌いになっちゃってね。若い人にはありがちなことだと思うけど、医学みたいな実学より、もっと理論的なことをやりたいなあ、とか思ってたんですよ。実は僕は学生時代に現代思想方面にかぶれましてね。空理空論を弄ぶようなことがとてもかっこよく思えたんですよ、当時。で、医学部でそういうことができそうなところというと精神科しかないでしょう?

○それはそうでしょうね…。

■それはつまるところ精神科が、精神医学が十分に科学的になっていないからですよ。最近はかなり科学的になっているかのようなふりをしているけどね。

○「ふり」ですか?

■ええ、さっきbio-psycho-socialと言ったように、精神科の病気というのは単に生物学的な、というのはつまり脳の、物質的異常だけから説明できないものも多いわけです。
 というか、精神病がなぜ病気と呼べるのか、それ自体が問題だ、というような哲学的議論の入る余地がまだあるわけです。精神というのは科学的には捉えにくいものですから、精神が異常になっているということも、当然科学的には捉えにくいんです。精神病理学がえてして哲学的な色彩が濃くなるのもそのためです。もっとはっきり言えば、生物学的精神医学が精神医学の科学的部分の探究だとすれば、精神病理学は非科学的部分の探究なんです。

○ふーむ…。それで、先生はその非科学的な精神病理学をやるために、精神科に進まれたというわけですか?

■うん、実際そういう部分はかなりあった。でも、僕はこどもの頃から科学の中でも生物学は好きで、学生時代には基礎医学者になろうかとも思っていたんです。薬理学教室で少し実験もやらせてもらったしね。僕はどちらかというと文科系の科目の方が成績がよかったんですよ。文科系だけど、生物だけは好きだったっていう人、よくいるでしょう?

○いますね。

■僕もそのクチですよ。しかも80年代に流行った現代思想にかぶれて、現代科学についても知ったかぶりしてお喋りする悪い癖もついてる文科系(笑)。だから僕はカオス理論についても思想的・哲学的興味から入ったんです。それですぐ挫折した(笑)。
 カオスについては僕が卒業した頃に巷で流行っていて、当時精神科の教授だった木村敏先生がやっぱり哲学的な興味を持っておられて、それで僕にやれやれとけしかけたんです。たまたま山口昌哉先生(京大名誉教授、カオス・フラクタル理論の日本における先駆者)の弟子の若い人と知り合って、その人と一緒に物理系の論文を読んだりしてたんです。その繋がりで、山口先生と木村先生を僕たちが引き合わせたんですよ。それが縁で木村先生は京大退官後、山口先生のいた竜谷大へ行くことになったんです。山口先生は昨年暮れに急逝されましたが、そのほんの一週間ほど前に、現在木村先生の勤めている病院で講演なさったんですよ。僕も聞きに行きましたが、「カオスと自己」という題名で、おそらく山口先生の最後の講演だったでしょう。

○そんなことがあったんですか。

■意外でしょう。山口先生は精神医学というより生命論に興味がおありだったように思います。理論生物学と言いますか。木村先生も一時期以降「生命」という概念を強く打ち出されています。非常に哲学的、抽象的な生命論ですが。もちろん、山口先生は数理生物学とか生物物理学をやってきた人ですし、木村先生の生命論はハイデッガーや西田幾多郎の哲学を基盤とした哲学的なものなので、一見かなり遠そうなわけですが、実は山口先生も若い頃に西田哲学を勉強されてたみたいなんですね。それでけっこう話が合ったみたいで。まあその辺は京都学派の系譜というものでしょう。

○はあ。

■それで、自分のことに戻りますと、要するに僕も生命論をやりたかったんですよ。理論生物学とか生物物理学にも興味があった。そういう分野をやっている数理系の人たちは、たいてい分子生物学が嫌いでしょう。僕もそうなんです。なんで嫌いなのか、考え出すとよく分からないんだけど、分子生物学が嫌いだということは、今やっているてんかん学というか臨床神経生理学的研究にも繋がっている。さっき言ってたリズムの問題とか、そうでしょう? リズムというのは時間次元の問題だから、分子生物学のような還元主義には馴染みにくいでしょう。

○ふーむ、そうでしょうか。

■そういうわけで、最初は好き勝手な生命論をやるために精神科に来た、という感じです。でも、精神科に入ってからは急速に考え方が真面目になりましたね。まあ、人の命を預かる医者なんだから真面目にならざるを得なかったんですが(笑)。臨床の仕事を真面目にやる、ということとは別に、理論的にも、哲学的な厳密さというのを重視するようになりました。木村先生は哲学者ではないけど、ほとんど哲学者のような人なんです。木村先生の主宰する勉強会が今でも続いていますが、そこではベルグソンを原語で読んだりしてますから。僕は木村先生から哲学的厳密さを学びました。

○哲学的な厳密さというのは科学的な厳密さとは違うのでしょうか?

■違いますね。科学が取り扱える対象はもちろん科学的に研究するのがよいわけだから、現代において哲学が取り扱うのは科学が扱えないものだけです。その代表が〈生命〉とか〈精神〉でしょう。科学では扱えないものというのは、検証可能な仮説が立てられないものですね。だから哲学的厳密さというのは、仮説を立ててそれを検証するという手続きについての厳密さではないんですね。むしろある立場を採った場合にどういう帰結になるかという、演繹に関する厳密さだと思います。それから理論の内的整合性。そういう観点から見た時に、科学の研究者が自分の科学的研究の含意について述べるところが厳密でないことはよくあると思うんです。もっとはっきり言えば、科学は、哲学的には曖昧な基礎の上に成り立っていると思います。

○うーん、そうでしょうか? これは議論するとキリがなさそうですね。

■でも、精神医学にとってはこれは決して空論ではないんです。なぜなら、精神疾患というものの基礎は実に曖昧であって、その存在を全否定することすら不可能ではないからです。1970年代、というとかなり最近のことと言っていいと思いますが、精神疾患というものを全否定する運動があったんです。「反精神医学(antipsychiatry)」というんですが、聞いたことありますか。

○いいえ、どういうものですか?

■それはね、フーコーの『狂気の歴史』なんかの影響から出てきたんですよね。精神医学という学問体系は、体制が作った管理のための一つの道具にすぎないのであって、刑法によって犯罪者とされた人を牢屋に入れるのと同じように、現在の社会体制を維持するのに都合の悪い精神を持った人間を監獄のような所、つまり精神病院に突っ込むということだけが目的なんだというんです。狂気とか精神病とかいったことにはそれ以外の意味はないと、つまり精神病なんか病気じゃないんだと言いだしたんです。だから精神医学そのものを破壊しなくてはいけないと。そういう極端な主張に、何でもかんでも「革命しなくては」という新左翼系の人たちがバッと飛びついていったわけですよ。
 当時、ソルジェニーツィンの『収容所群島』なんかが出て、ソ連政府が自分の国の体制を批判する知識人を精神病者として病院に幽閉して、薬漬けにしているということが暴露されたので、こういう反精神医学の主張もけっこうリアリティーをもって受けとめられたんです。

○ふーむ。

■たとえば、ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』といった本は日本ではずいぶん後で訳されたけども、その流れなんですよね(原著は1972年出版)。

○最近だと相対主義の人たちが言っているようなことでしょうか。

■そうそう。まさにそうです。精神医学の世界では昔一度行われたことなんですよ。非常に極端な形でね。精神医学そのものを全部相対化しよう、というか、なくそうと。実際にそういう時代があったんです。
 これには残念ながら、精神医学がそれ以前にやってたことがほとんど不毛だったということも、一因としてあったんですね。たとえば精神病の人の脳ミソを顕微鏡で見るとか、そういうことはいろいろやられてたんだけど、見るべき成果がなかったんですよ。今世紀の初め頃に、梅毒による精神病が野口英世たちによって分離されたけれども、精神分裂病という病気は、その概念が確立して以来70年代まで一向に生物学化されなかった。だからこそ、精神分裂病というのは実際には病気ではないというような極端な主張も通ってしまったんです。

○今もそういう主張をしている研究者もいるんですか?

■そうですね…いると思いますが、今は精神医学の主流が完全に生物学的精神医学ですから、そういう主張はほとんど無視されています。
 生物学的な研究は内容が少々怪しくても論文になって残るのに対して、反精神医学的な主張、あるいはそこまで極端でなくても、精神病の原因が心理的ないし社会的なものだという主張を科学的に裏付けることは難しいですからね。ある生物学的な研究成果に対して、同じ方法を追試して再現性がないと言って否定することはできるし、それは論文にもなるだろうけど、心理的・社会的な原因をポジティヴに証明することはかなり難しいと思うんです。

○それはそうでしょうね。

■それで、現在の精神医学も、生物学的精神医学の名の下にさまざまな新しいテクノロジーを導入して、一見活発に研究活動がなされているわけですが、実際はいろいろもっともらしいデータを出し合って、こうだ、いやそんなのは嘘だ、とかって言い合ってるだけという面もあります。特に日本の生物学的精神医学は、アメリカやイギリスで行われた研究を追試して、やっぱりそうでしたというのが多いですね。

○そんなに中身がないんですか?

■うん…。みんな言わないけども、生物学的精神医学をやっている人たちは、どっかね、開き直っているところがあるんですよ。

○え?

■もうね、精神病っていうのは、まともにやっても分からんと。本当に全然分からないんですよ。
 まあ遺伝子の研究をやっている人たちはかなり真面目だろうけども、遺伝研究以外の分野の研究者たちのほとんどは、分かろうと思っても無理だ、と思ってるんですよ。分からないんだけども、何か機械があったら測ろうと。とにかくいろいろとデータを出すんだと。データを出せば科学になるんだ、科学というのはそういうもんなんだと。論文を生産するのが科学なんだという開き直りがあるんですよ。池田清彦さんなんかが言っている皮肉と同じことになっちゃいますが、実際そうですよ。だってあの人たちが臨床でやっている仕事と、研究の成果として出しているデータは、ほとんど何も関係ないもんね。何のためにやっているのかというと論文を書かなくちゃいけないからね。論文書かないと大学におれないから。

○でも、先生はどうなんですか?

■うん、だからこんなこと言ってるとね、あんたどっちなの、ということになりますよね(笑)。友人たちにもよく言われるんですよ。

○だって先生はMEGで脳の中を探って、てんかんのメカニズムを研究されたりしているわけですよね…。

■うん。だから僕がなんでてんかんに来たのかというとね、精神病、特に分裂病は科学的アプローチが難しすぎると感じたことも大きいんです。つまり僕は両方やりたかったわけですよ。非科学的な精神病理学と、科学的な生物学的精神医学と、両方ね。精神病理学の人たちは、哲学とか現代思想とか、抽象的な道具を持ってきてね、わけの分からないドロドロした精神病の世界を、なんとか分かった気になろうというような試みをえんえんとやっているわけです。今でもね。で、僕もそこに関わっている。でも、その材料は生物学的にもアプローチできるてんかんなわけです。分裂病だと、生物学的な部分がまったく分かってないから…。

○そうなんですか? それなりには、分かってきているのかと思っていたんですが。

■うん、ここは読者のためにも強調しておきたいですね。
 最近よく一般向けの本に、ドーパミンが過剰になると分裂病になるとか書いてますよね。それはまあ、はっきり言って嘘ですよ。みなさんにとっては意外かもしれませんが、現在でも分裂病の診断は精神症状や経過というような抽象的なものに依っているのであって、血液中のドーパミン代謝物の量とかの物質的な証拠に依って診断しているわけではないんです。
 さっきも言いましたが、分裂病だけじゃなくて他のいろんな精神病や一時的な興奮に対してドーパミン・ブロッカーが効くということと、覚醒剤のアンフェタミンのようなドーパミン作動性の薬物を服用することによって、精神病で見られるような幻覚妄想状態が現れるということ。この二つのことだけが真実です。この二つの事実があるからといって、分裂病が解明されたということには全然ならないんですよ。
 というのは、分裂病という疾患は経過で定義されているんです。こういう発症の仕方をして、こういう経過を辿る、といったね。だから仮に分裂病患者の全員においてドーパミンの過剰があったとしても、ドーパミンの過剰が分裂病の原因だとは言えないんです。

○…。

■まあ、ドーパミン系の発生上の異常がもともとあって、それが成長過程でかくかくの効果を及ぼしていくんだ、というような仮説はあってもいいと思いますけどね。そういう仮説を検証できるところまで行ってないんです。生物学的精神医学はまだまだ未成熟なんです。とにかく、鬱病のセロトニン仮説にしても同じですが、ある病気の症状にある薬が効くということだけで、その病気が分かったと考えるのは単純すぎるということです。

○分かりました。それで先生はもっとよく分かっている病気であるてんかんに向かわれたというわけですね。

■ええ、まあそうなんですけど、もっと正確に言えば、まがりなりにも研究する方法がある病気として、てんかんを選んだんです。これはまた少し説明が必要なんですが、京大精神科では、生物学的な研究をすること自体が困難だったんです。

○どうしてですか?

■二つ理由があります。一つは、京大精神科では伝統的に生物学的研究よりも精神病理学が盛んだったということです。木村先生なんか、生物学的研究に対してはっきりと批判的な立場ですからね。もう一つは、さっきお話した反精神医学の運動と関係して、70年代以降、京大精神科では教室としての研究活動がまったく行われていなかったということです。二十数年にわたって、助手や講師の人たちも全然研究していなかったんですよ。なぜそんなことが許されるのかというと、助手や講師も医者でしょ。大学職員でもあるけど大学病院の医者でもあるから、研究しなくても大学病院で医療をしていればおれる、っていうのがあったんですよ。

○そうでしょうね。

■だけど、最近は医学部も他の理学部とかと同じように、だんだんと業績で評価されるということになりつつあるけどね。大学院大学っていう組織の改編もあって、研究しない人はいられないようになりつつある。それは業績主義だから今の世の流れに合っているんでしょうけど、ところがこれには副作用があって、動物実験ばっかりしている人は、医者に向いてない可能性が高いんですよ。というか、傾向としてはそうだと言ってもよい。そうすると大学病院の医者というのは、あまりよくない医者である可能性が高い。もちろん知識は一番集積されているところだし、専門化はされているから、大学病院には長所もありますけどね。でも、普通の人が医者に期待しているものに欠けているところがあるんです。基本的に研究者だから。

○ふむ。分かります。

■もちろん、基礎医学の人と臨床の人は違うから、臨床の人は多少なりとも人慣れはしているでしょうね。だけどね、業績のある人というのは基礎医学者と似てますよ。最近ではどこの教室でも基礎医学の研究室に行って修行して、そこで基礎医学の手法を使って業績を出す、ということになっているから。教室自体が、臨床の教授は基礎医学の教授に対して頭が上がらない、ということになってますからね。教授会でも基礎の先生たちの発言力が強くなっている。
 これはね、一世代前は全然違ったそうですよ。基礎医学の先生たちは「自分たちは医者じゃないから」といって黙ってたんだそうです。これは臨床医学があんまり科学的な水準に達していなかった頃の話でね。科学的な水準に達していったというのは基礎医学のほうに臨床が飲まれていったということでもあるんですよ。いまは論文の審査会でも、基礎医学の先生のほうが発言力が強いそうですよ。

○ふーむ。

■それでね。医学部の中から学園紛争が起こったというのはご存じですか?

○いや、知らないです。

■66年頃からね、インターン闘争というのがあったんですよ。昔のインターンというのは無給で働いていたわけですよ。それは、医師免許を持つ前にいろいろ習わないといけないから、ということで、無報酬で過酷な労働を強いられていたわけです。で、それはおかしいとみんな言い出した。例えば日教組の、教師も一種の労働者だといった主張と同じ流れで出てきたんですけどね。闘争の成果として今はどこの医学部でも卒業して国家試験に受かれば、研修医という形で、薄給だけどお金をもらえるようになってます。このインターン闘争から学園紛争が始まったんですよ。

○いまドクターの人たちが文句を言っているのと同じですね。

■まさにそうです。それで、医学部ではそういうインターン闘争から始まった学園紛争で、「医局講座制」が攻撃対象になったんですよ。医局講座制というのは、精神科なら精神科、眼科なら眼科という一つの診療科目がそのまま一つの教室でもある、という体制のことです。

○…ん? どういう意味でしょうか。

■これは当たり前と思うかもしれないけど、そうでもないんですよ。たとえば内科だったら、第一内科、第二内科、第三内科ってあるでしょ。

○ええ。

■患者の立場からすれば呼吸器内科、循環器内科ってはっきり書いてくれればいいのにね、第一、第二、第三なんて書いてある。なんでそんなこと言うのかというと、それは、教室の名前なんですよ。
 だから前の教授は血液学の人だったけど、今度は肝臓学だとかね。中身は変わることがあり得るんですよ。つまりあれは教室の名前なんですよ。
 そうすると、大学病院の人事っていうのは研究業績中心主義で、研究者である教授が、研究者の卵である若い人を引っ張って、研究者にするわけですよね。そうするとどういうことが起こるか。
 はっきりいって大学病院の患者さんは研究のマテリアルで、病院としての機能よりも、研究機関としての機能を優先されるということです。「大学病院に入院したら検査ばっかりされて治らん」っていう人が多いと思うんですが、僕らに言わせるとそれは当たり前のことなんですよ。そうでしかあり得ないような仕組みになってるからね。大学病院は文部省の管轄であって厚生省の管轄じゃないですし。ここ(国立療養所)は厚生省ですけど。大学病院は患者を治さなくても、たくさん研究すればもつ仕組みになってるんですよ。

○ふーむ…。

■そういう仕組みは実はもう30年前に疑問に付されて、医学部における学園紛争というのはそういう制度への反発から始まったわけです。患者を第一に考えなければならない、医療というのはそういうもんだろう、と。ところがこれが行き過ぎて、技術よりも治すという気持ちが大事だとか言いだしてね、研究を放棄するところまで行ってしまったわけです。そして自分たちは学位はいらないと宣言した。こういう考え方だと、だいたい医者が学位が欲しいということ自体おかしい、ということになるわけですよ。医者というのは患者を診るということが大事なんであって、動物実験して研究業績を上げることじゃないだろうと。理屈は通ってますよね、それ自体はね。

○それはそうですけど…。

■ただおかしいのはね、大学にポストを持ちながらそういうことを言っているということですよ。大学病院は研究・教育機関としての大学医学部の附属施設なんです。もともと理想的な医療を目指すところではない。理想的な医療を実現したいんだったら、開業でもして医師会とかで運動すればいいんです。今の医師会なんて医者の既得権益を守るための圧力団体で、一般人からの評判は悪いんだから。大学の中でそういうこと言っているというのは、結局は学生運動の名残なんだと思うんですよね。さっき森山さんのおっしゃったポスドクの人たちの運動も、見かけは学生運動と似ているでしょうけど、それはそもそもポストが十分にないから、経済的な安定のための闘争をしているわけでしょう? ポストを持ちながら運動するっていうのは贅沢ですよね。それどころか、医者は大学の中にいなくても食べていけるわけですから。

○そうですね。

■それでね、精神科関係で一番大きな組織は精神神経学会ですけれども、その精神神経学会で71,2年頃、反精神医学的な傾向の若い人たちが教授連を吊るし上げるということがあったんです。あなたたちは患者を材料にして科学的と称する研究を行なっているけれども、それは患者の人権を踏みにじる犯罪行為である、と言ってね。それで精神神経学会は政治的闘争の場と化して混乱してしまって、実質上分裂してゆくんです。研究を続けたい人たちが、研究の対象や方法論を共有する研究者同士で小さな学会を設立していったわけですね。そうやって成立した分派として、生物学的精神医学会、精神病理学会、児童・青年期精神医学会、それに社会精神医学会とかもあるんです。社会問題とか犯罪に関わった研究をする学会ですね。

○小田晋さんとかの…。

■そうそう。これらの学会は全部方法論も違うし、はっきり言って研究者の人間の質も違うから、分裂したのは当然といえば当然なんです。で、これらの学会が成立したのは、みんな精神神経学会の中で闘争が勃発した後の75年頃からなんです。

○それまではごちゃ混ぜだったんですか?

■それまでは全部、精神神経学会だった。今でも精神神経学会は毎年行われていて、いろんな分野の人がいろんな発表をしているんですが、学問的には活気がなくて、あんまり意味はない感じですね。じゃあ何のために存続しているのかというと、一つには認定医制度のためなんですよ。

○…? どういうことですか?

■これはね、内科の医者だったら日本内科学会に必ず属しているでしょ。産婦人科医だったら必ず産婦人科学会に属している。そういう形で、今でも医者はほとんど必ず自分の専門科目を代表する学会に属しているんですが、それをさらに進めて、各学会から認定をもらわないと○○科というのを標榜できなくなるようにしよう、という計画が厚生省にあるんですよ。
 これは各学会の権威によって、専門医の質を自己管理させようという意味合いだと思います。ところが、精神神経学会では若い時に紛争を始めた人たちによって、いまだに政治的闘争が続いていて、その人たちがこの計画に強硬に反対しているわけですよ。認定医制度というのは医療の管理化を進めるものだ、とか言ってね。それで、精神神経学会では毎年のように「認定医制度問題について」とかいう討論会をやっているんですが、話はほとんど前に進んでないんです。

○ふーむ。

■紛争が始まってからもう二十何年も経っているから、昔教授連の首根っこつかまえて紛争を始めた人たちの同世代が、もう教授になっているわけですよ。だから僕たちから見ると、ずっと上の同じ世代の中での争いが続いている。運動家たちと教授連が同じ世代だから、感情的にもなおさらややこしいんだと思います。世代交代によって多少とも状況が変わっていれば良かったんでしょうが、長い運動の歴史があるにも拘らず、医局講座制というものは今も全然変わっていませんから、運動家の人たちも引き下がれないんです。しかもなおややこしいことに、運動家の人たちにとっては予想外の要因によって、運動の目的の一部は達成されてしまったんですよね。というのは、1983年にWHOの勧告でね、日本の精神病院は厚生省から締め付けられたんです。

○締め付け?

■つまり日本の精神病院は人権侵害が甚だしい、とても先進国とは言えないような状態であると言われたんですよ、WHOに。

○83年にはまだそういう状況だったということですか?

■そうですよ。それどころか最近でも、インフルエンザで何人も死亡者を出した精神病院は、軽症の患者に痴呆患者のおむつを換えさせたりしてたんですよ。だいたい日本の精神病院というのは、戦後の一時期に厚生省がかなり緩い条件で認可したために乱立して、無法状態のようになっていたんです。ところが厚生省はWHOに指摘された途端に方針転換して、かくかくしかじかの条件を満たしていなければ精神病院としては認めないというように、条件を厳しく変えたんです。それで精神病院は一斉に変わった。結局ね、日本の医療は国民皆保険制で、どこの病院も国の援助を受けているから、その援助を受けられなくするぞと締め付ければ、簡単に変わってしまうんですよね。財布の紐を締めさえすれば簡単にバッと変わってしまうということが分かったから、何も病院の内部で医者が運動する必要はないということも分かってしまったわけです。だから運動家たちの存在意義も薄れてきてしまった。

○ふーむ。精神医学の歴史には紆余曲折があるということですね…。それで、話を戻しますが、先生がてんかん学に向かわれた理由は?

■うん、そういうわけで京大精神科では長らく研究が行われていなかったわけだから、自分で一から始めなくちゃならなかった。まず対象と方法を選ばなければならなかったわけだけれど、対象として分裂病や鬱病や神経症では、研究方法の選択が難しかった。その点、てんかんにはまず脳波があったからね。脳波の解析は面白そうだと思ったのが、直接のきっかけでしたね。

○他の病気については研究方法がなかったと?

■ないことはないんだけど、てんかんほど脳の機能障害だということがはっきりしていないでしょう。
 あのね、巷では精神科の病気がどんどん増えているように思われているみたいだけど、僕らから見ると、精神科の対象とする疾患の種類はどんどん減りつつあるんですよ。というのは、歴史的に精神科が扱ってきた病気の中で、脳の病気だと分かったものは神経内科に取られていってしまうから。てんかんもそういう意味ではすでに神経内科の病気なんです。昔は分裂病と躁鬱病とてんかんとで三大精神病と言われていたんですが、今は脳の病気だということがはっきりしているから、精神病とは言わなくなった。法律的にはいまだに精神障害として扱われているけれどもね。

○単なる定義の問題じゃないんですか?

■うん、定義の問題と言えばそうなんだけど、歴史的な背景もあってね。北米ではてんかんを診ているのはneurologistなんですよ。neurologyは日本の神経内科に当たります。だからアメリカで、てんかん(epilepsy)を診ている精神科医(psychiatrist)だというと、非常に変な顔をされるんです。日本の場合はヨーロッパの影響を受けているから、伝統的に精神科医がてんかんを診てきたわけです。だからヨーロッパ人が創設した雑誌ならば、精神科的な内容の論文でも受け付けてくれるけれど、アメリカの雑誌では受け付けてくれないですよ。

○なるほど、そういう問題もあるわけですか。深尾先生は明らかに精神科的な関心をお持ちですよね。

■僕は精神科出身だからね。僕が入った時の精神科の教授は木村敏さんだったんですが、その弟の木村淳という先生は世界的なneurologistでね。アメリカのアイオワ大にいたんですが、そこから呼ばれて京大の神経内科にきたんですが、だから何年間かは、京大の精神科の教授と神経内科の教授は兄弟だったんですよ。でね、淳先生が帰ってきて敏先生に「アルツハイマー(痴呆)の患者を全部精神科にやるから、代わりにてんかんの患者を全部神経内科にくれ」と言ったんだそうです。それはアメリカ型分類にしようということなんですよね、つまり。でも敏先生はアルツハイマーの患者を診たくなかったから、そのままになったんですけどね。

○ふーむ。

■精神科の病気の中で一番早く生物学化に成功したのは痴呆なんですよ。北米ではね。だけど逆に、日本では痴呆は神経内科が診ていたんですよ。痴呆に関係の深い神経心理学という分野では、精神科医と神経内科医が混ざっているけれども、日本では基本的に痴呆は神経内科医が診るんです。でも、痴呆というのは精神症状が出るんだから精神科が診るべきじゃないか、というのも一理以上あるんでね。本当にこの辺は、定義の問題と言うより、歴史的ななわばりの問題なんですね。

○なるほど。

■で、たまたま日本ではてんかんが精神科が扱う病気で、かつ神経内科の病気なみにね、科学的に扱う方法があるということで、僕はてんかんを選んだわけですよ。一方ではてんかんについては、精神病理学的な研究の蓄積もあって、それもまた面白いしね。
 要するに僕は、哲学的なものにも惹かれていたんだけど、そのまま行っちゃうとヤバイと思ったんですね。あまりにも手応えがない、何を言っても、言いたい放題じゃないかと。たとえば精神病理学では、自分で独特のコンセプトを作りだして一生それだけを言い続けるということも可能だと思うけれども、それはもうほとんど芸術の世界ですからね。まずいことに自分は芸術も好きなんですよね、特にアヴァンギャルド芸術が(笑)。だからそれはまずいな、研究者としては踏み外してしまうかもしれないと思ったんです。もっと手応えのあることをやりたい。モノとしての、いわば唯物論的な手応えですね。それでてんかんだったんです。

○なるほど。両方にまたがっているところを選んだというわけですね。

■うん。てんかんの精神病理学とてんかんの神経生理学を結びつけるというような仕事は、すごくやりがいのあることなんじゃないかと思ったわけです。だって、それは心身問題に直接関わっていますからね。だから僕の目からは、アメリカの神経内科医たちのてんかんの見方は、精神的な部分をあまりに軽視しすぎていると思うんです。てんかんこそは脳と精神の関係についていろんなことを教えてくれる病気なのにね。

○そうですね。そうだと思います。
 本日はどうもありがとうございました。

 



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深尾憲二郎-8

[27: てんかんと精神分裂病]
 


○てんかんの人が精神分裂病様になるというのはなぜですか? てんかんがトリガーになって、普通の人が病気にならないようにしているものが壊れる、ということですか。それともそうじゃなくて、もっと密接に関わっているんでしょうか。

■どうしてでしょうね。それこそ僕らが一番知りたいことの一つです。
 分裂病などの精神病の錯乱状態において、ドーパミン系が重要な役割を果たしているというのはたぶん当たっているでしょう。だけどそれはそれとして、心理学的に見たときに、どうして自我障害と呼ばれるような、あんなことが起こるのか。しかもみんな同じようになる。とにかく精神病というのは頻度が高いし、いったん罹ると同じことが起こってくるしね。まあ、そもそもそういうものを精神病と定義してきたんだから、当然だという考え方もあるけども…。

○精神病というのは分類すると20だか30だかくらいに収まっちゃうですってね。その話を聞いたときに、なんだ人間って狂ってもその程度なんだあ、そのくらいしかないんだ、と思って、けっこう衝撃的だったんですけど。

■そうそう。「反精神医学」系の人たちなんかはね、精神病というのは人間の可能性なんだから、体制側に都合が悪くても、人間の無限の発展のためにはそういうものを解き放たんといかんとか言うわけですけど、むしろね、精神病こそ人間精神の有限性をいやというほど表しているものだと思う。ボトッとみんな同じ落とし穴に落ちてしまうようなものなんですよ。

○だから僕は、人間の心もやっぱり機械なんだな、と思ったんですが。

■うん、精神病理学者というのは、いまおっしゃったような意味では機械論者ですよ。だって、普遍性があると思ってるもの。「人間の精神が壊れるときには、こう壊れる」と。
 これは昔、病理学が辿った道だけどね、人間は、みんな同じように壊れていくと。だから逆に人間にとってこういう機能が大事なんだ、という形で概念装置を洗練させていこうということだったんですね。

○なるほど。

■だから、いまおっしゃったような意味では、機械的な故障という考え方は合っているんです。
 けれども精神病理学で扱うのは主観的な概念だけであって、それと客観的な実体を安易にパカッとくっつけてはいかん、ということなんですよ。

○ふむ。

■話がずれちゃいましたね。てんかんでどうして精神病になるのか? てんかん発作が精神機能にどういう影響を与えるか。
 それには急性の影響と慢性の影響があります。慢性の影響というのは、てんかん発作を繰り返していると、だんだん知能が落ちたり、記憶が鈍ってくる。発作を繰り返すことで、だんだんと脳の組織が破壊されてくるために、精神機能に障害が起こって、慢性的な精神障害が起こってくるというふうに考えられています。実際、発作が頻繁にあると、脳波の背景活動も徐波が多くなったりして不可逆的に変化するんです。ただし、知能が落ちるということと精神病になることは同じではないですけどね。
 急性の方は、発作後精神病状態と言って、てんかん発作の直後に一時的に精神病のような症状が出ることがあります。それはどういうメカニズムかというと、たとえば手が痙攣するような発作が出る人は、終わった後もしばらくその手が麻痺して使えないんです。それになぞらえられるんだけど、痙攣発作を起こした後、しばらく意識がもうろうとしている状態がある。しかもときにはもうろうとしているだけではなく、幻覚妄想状態になって変なことを言い出したり暴れ出したりする。これは精神機能の高次の部分が麻痺しているために、高次の部分の制御から解き放たれた低次の部分が暴走している状態だと理解されています。

○ふむふむ。

■で、昔から注目されてきたのはね、その間に宗教的な体験をする人がいるんですよ、たまにだけど。そこから逆に、宗教者の中の何人かが、てんかんじゃなかったか、と言われているわけです。
 てんかんと神秘体験というのは古いテーマだから、そこから新しいことを言うのは難しいんだけどね。僕も今度はそういうことを書いてみたいと思ってます。神秘体験という言い方は陳腐だからあんまり好きじゃないんですけどね。

○何のことか分からないですからね。

■てんかんから慢性精神病状態になるメカニズムについて詳しくは分からないけれども、側頭葉てんかんに多いのは間違いないんです。で、それは側頭葉を刺激したときに起こるいろいろな興味深い現象、デジャビュとかが、何か関係あるんじゃないかと思われているんですけどね。
 で、そこから実はね、分裂病でも海馬がやられているとか言いだしたんですよ。80年代の後半くらいからね、MRIを使って、分裂病の人の海馬を見て、そういうことをみんなが言いだした。それが今では半分信じる、半分信じないみたいな形になっているけども、信じたい人は信じてますね。
 これは、やっぱりてんかん研究と関係あるんですよ。てんかん研究の蓄積があってね、つまり精神病としてのてんかん、正確に言うとてんかんの精神症状の研究と、てんかんの生物学的な側面の研究の蓄積があって、そこから分裂病の研究などに影響がある。それで、海馬がやられている側頭葉てんかんで分裂病のようなことが起こるんだから、分裂病の海馬はやられているんじゃないか、という発想が生まれたわけです。えらく単純だけど。

○なるほど。

■もう一つ関係ありそうなこととしてはね、側頭葉てんかんの患者さんの中には、「粘着性」の人がいるんですね。粘着性というのもなかなか説明しづらい概念なんだけど、実際にある性格の障害の一種なんです。たとえば、何か気に入らないことがあって、その理由を説明された場合なんかに、なかなか納得しなくて怒り出す。それでどんどんエスカレートして、暴力的になっちゃう。患者さんが発作を持っている上にそのような性格障害も出てきて扱いにくくなると、家族が困り果ててしまうんですよね。これは実際には側頭葉てんかんに限らないけどね。
 最近の一般向けのてんかんの本には、てんかんの性格障害のことってあんまり書いてないんですよね。これにはね、いろいろ事情があるわけですよ。てんかん患者で精神病症状を現す人は一部なのに、福祉行政などにおいて、てんかんが精神障害として扱われていることに対して患者団体が批判的だということがあるんです。

○ははあ。

■でも実際ね、患者の家族達は、患者の性格障害のために困り果てている場合も多いんですよ。どうにもこうにもならないと。なのに、てんかんは性格障害を引き起こすことがある、とあまり大っぴらには書けないんですね。

○でも一方で、情動と側頭葉てんかんの間には関係があるわけでしょ。患者の家族からすると、どこからどこまでがその人のもともとのパーソナリティで、どこからどこまでがてんかんによるものなのか分からないですよね。

■そうなんですよ。だからよく家族から「病気のためなんでしょうか?」って質問されるんです。
 他にもね、子供のころからてんかんだったんだけど、十何歳になってから精神病になったと親が言ってくるわけですよ。そういう場合、二つの病気を持っていると、そう理解している親もいるんです。

○ああ、なるほど。実際にはてんかんによるものなのに、ということですか。

■もっと症状がはっきりしない場合はね、「この子を病気だからといって甘やかせすぎたからこうなった」と思う親も多いわけです。
 さらにね、それを扱う医者によって言うことが違うわけです。

○はい?

■残念ながらね、てんかんって子供のときに発症することが多いから、まず小児科医が診ることが多いんです。小児科医はね、精神症状についてあまり診ないことが多いんですね。第一、そういう精神病的な症状が出てくるのは思春期以後だから。最近わがままになってきました、扱いにくくて困りますとか言っている頃に小児科医の手を離れるわけです。そして精神科医のところに来るときには立派な精神病になっていることが少なくないわけです。

○……。

[28: てんかんと性ホルモン]
 


○てんかんと性ホルモンの間に関係はあるんでしょうか?

■あ、どうして?

○いや、どうなんだろうかと。いま「精神病的な症状が出てくるのは思春期以後だ」とおっしゃいましたよね。よく精神病でも思春期になったときに多く出てくるのは、性ホルモンがバーッと出てくるせいでレセプターが揺れるからじゃないのか、という説があったように思うんですが。漠然とそうじゃないのかなあ、とみんな思っているだけなんでしょうけど。てんかんはどうなのかなあ、と思って。

■うーん。性ホルモンと関係がどうこう、というのは聞いたことがないですね。ある特定のてんかん症候群の罹患率には男女差がありますけど、側頭葉てんかんにはないしね。
 だけど患者さん自身は女性の場合、「生理の時にてんかんが起きる」としきりに言うね。この生理の前後にてんかんが起きるというのは、入院したら意外とそうじゃなかったりするんだけれども、一部の人にとっては真実なんですよ。

○一部の人にとっては?

■このことに関係ありそうなのはね、「若年周期性精神病」というのがあってね。それは、主に若い女の人で、月経に関係して、精神病になるんですよ。それ以外の時は全く普通の生活ができるんだけど、生理が近づいてくると、おかしくなって、変なことを言い出したりする。そして往々にして神秘的な体験、神様と出会ったりするんです。しかもそういう人はね、たいてい脳波にも異常があるんですよ。だから精神病の中でも、特にてんかんに関係が深い病気だと、みんな思っているんです。

○ほほう。

■だから、女の人の月経周期に関係して発作が出やすいということは、てんかんだけに限ったことじゃなくって脳の状態が事実変わるからなんですよ。もっと軽い場合、生理の時にはいらいらするとか、万引きしたくなるとか、言うじゃないですか。それがひどい人は、脳波も変わって、人格も変わって、錯乱すると。

○昔の巫女さんとかには、おそらく…。

■そうそう。そういう人が多かったんじゃないかと思います。
 てんかんの人の場合は、生理によって脳の状態が発作が起きやすい方に変わってしまうということだと思います。その変化には当然女性ホルモンが関わっているということになるでしょうね。

[29: 非定型精神病、粘着質、強迫神経症]
 


○ふうむ。この辺の話は、どれも分からないけれども、どれも興味深いというか、どれもこれも、お互いちょっとずつ関わりあっているような気がしますね。

■ええ、そうなんですよ。

○たぶん、全然無関係のものっていうのはないんでしょうね。

■そうだろうと思いますよ。
 たとえば、脳波に異常が出る精神病を指してね、「非定型精神病」という言葉が使われることがあるんですよ。非定型というのは、もともとは分裂病でも躁鬱病でもない、という意味なんです。どちらとも似たところがあるんだけどどちらでもない第3の精神病という意味で非定型精神病と呼んでいるわけですね。
 で、この病気の患者さんが幻覚妄想状態になる際には宗教的なニュアンスの強く出ることが多いんですよ。神様が乗り移った、みたいなね。非定型精神病はてんかんとは違うわけだけれど、脳波に異常が出ることと、神秘体験・宗教体験が起こりやすいことから、てんかんともやっぱり近い病気じゃないかなあと思いますね。

○何らかの形で…

■関係がある。そこまでは、みんな考えているんです。
 さっき言いそびれたけど、僕の診たてんかん患者で非常に印象的な人がいてね。入院していてある朝、起きてくるなり、「治った!」というわけですよ。自分は病気が治ったからもう帰る、と。
 「どうして治ったと分かるの」と聞くとね、神様みたいなのが現れ
て、治った、と言ってくれたというんですよ。その人は別に知能が低かったり、妄想だらけで全然話ができないような人じゃなくて、いつもは普通の人なんですよ。でもその確信が、ものすごく強いんですよ。
 だから、普通の人にはあり得ないような神秘体験、啓示の体験をするみたいですね。
 おそらく、これは推測ですが、寝ている間に発作が起きて、それが特殊な夢のような体験として残ったんでしょう。それで変な納得をしてしまうと、なかなか修正できないんです。

○「納得してしまう」…。

■僕はこれとね、おそらく粘着性とは裏腹な関係にあると思っているんですよ。粘着性というのはさっき言いましたが、とにかくしつこい、くどい性格ですね。おそらくこれはね、「納得できない」んだと思うんですよ。さっきデジャビュはcognitive seizureだという言い方は気にくわんと言ったけども、一理あるとは思うんですよ。
 つまり「認知」という言葉をどう捉えるかなんだけども、「しっくり」くるっていう感じね。これがたぶん欠けているんですよ。

○強迫性障害との関係はどうなんでしょう?

■うん、だから強迫性と粘着性って、たぶんすごく近いんです。

○強迫性障害は「心のチック」だ、という書き方がされていた本があったんですけども(『手を洗うのが止められない』晶文社)、そのcognitive seizureという言い方と、なんだか共通点があるなあと。

■そうそう。強迫と粘着は、同じことを何度も何度も確認する、っていう点では同じですよね。強迫性障害もフロイトが言っていたような強迫神経症と、明らかに脳が障害されている行動異常によるものとは、違うと思うんですよ。

○あれはきっと、「ここで終わり」というプログラムだかなんだかが欠けているんでしょうね。プログラムという言い方は、あんまりよくないと思いますが。

■「これで終わり」っていうか…。しっくりくるとか、納得する、ということ。これはまったく主観的な言葉使いですけど、僕自身はいまそれに拘っているんですけどね。しっくりこないんじゃないのかなあ。
 逆にね、発作が起きたときには、極端にプラスになるんですよ。その為に、自分の願望が反映された幻覚を見たりして、病気が治ったと思いこむと、修正が効かないんです。いつもはマイナスなんだけど、発作の時には逆転してしまうと。

○ふーむ。

■それはSPECTという検査法で血流を見てやるとね、いつもは発作の焦点というのは血流が低いんですよ。それが、発作の時にはバーッと上がって行くんです。そういうことにも対応しているんじゃないのかな。

○すいません、確認ですが、血流が増す時って、血流が増すから発作が起きるんですか? それとも発作が起きるから血流が増すんですか?

■発作が起きると血流が増すんです。

○じゃあ、そういう信号を出しているわけですか、発作を起こした細胞群が。

■うん。何らかの信号なんでしょうね。たとえば手を動かすと脳の中で対応している部分の血流が増しますからね。その延長上とも考えられますね。でもすごく極端ですよ。いつもは血があんまり行ってないところが、バーッと赤になっていくんです。だから脳の持っている、血流の自己調節の機能の延長上のものかもしれない。とにかく結果ですよ。

[30: 左右性の問題]
 


○左右性の問題はどうですか? てんかん発作のラテラリティというのはあるんですか。

■もちろん、右の脳で発作が起きると左半身に身体症状が出たり、ということはありますよ。でもそれより僕が興味があるのは側頭葉の左右差ですね。デジャビュみたいなものを起こす発作は、8割か9割が右ですよ。

○ふーむ。

■最近、MEGのデータで左右を分けてみたらね、面白いことが分かったんですよ。
 側頭葉てんかんに精神病が多いと言うことは昔から知られているし、右の側頭葉てんかんで、デジャビュとか、世界の見え方が変わってくるとかいった、精神的な前兆が多い、ということも、昔から言われていたんです。で、精神病は、少し左の側頭葉てんかんに多いということも昔から言われています。それをMEGでやってみたら、面白いことが分かったんです。

○どんなことですか?

■MEGで見ると、スパイクの双極子を、少なくとも二つに分けることができるんです。側頭葉内側のタイプと、外側のタイプです。で、内側タイプを全部取ってしまって、外側タイプだけを残すとね、左右差がはっきり出たんです。つまり右が精神発作、左が精神病のエピソードに対応していたんですね。

○それはつまり?

■つまり、右は正気なんだけどおかしな体験ですね、デジャビュのような。左だと何がなんだか分からなくなる。右の脳で発作が起きたときは、自覚ができるんですよ。
 それは、ガザニガの言う「解釈モジュール」が左脳にあるからだと思うんです。右で起こっていることを左で解釈するんで、これこれこういうことだと解釈できるんじゃないかと。ところが左で発作を起こしてしまうと「解釈モジュール」が発作に巻き込まれて機能停止するから、自覚できなくなって何がなんだか分からなくなるんじゃないかと思うんですね。

○「解釈モジュール」ですか。

■僕は、精神病の本質は自我が障害されることだと思っているんです。で、その自我という機能は、やっぱり左脳に局在してあるんじゃないかと。これまで話してきたことから僕が局在論的発想を好きでないことはお分かりだと思いますが、これは自分のデータが支持しているだけに認めざるを得ないんです(笑)。

 



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深尾憲二郎-7

[22: 無意識]
 


■たとえば、脳の研究者の人達もフロイトのことは知っていてね、なんとなく「無意識」っていうのはあるんじゃないかと思っている人がけっこういるんですね。

○いるみたいですね。僕には「無意識」っていう言葉が何を指して言っているのか分からない、というか、言葉そのものが意味不明なんですけど。

■それは知的に正直な態度だと思う。僕はね、脳の研究を先端的にやっている人の中にも、かなり知的に不正直な人が多いと思うんです。

○意識の上にのぼってこない、意識下、下意識みたいなところで、いろんなモダリティーの計算過程なり脳の活動なりがあることは当たり前だと思うんで、そういうのを無意識と言っているんだったら分かるんですけど、どうも話を伺っていると、脳の研究者の人でも、無意識っていうドメインがあって、その上に意識っていうものがあるように捉えている人がたまーにいるような気がすることがあります。

■うん、そういう人はいい加減なんですよね。ただ僕はこうやって精神科で臨床をやっているから、無意識というようなものはない、と言い切るには勇気がいるんですね。やっぱりフロイトの影響力があんなに大きかったのは、かなりもっともらしいところがあったんだと思うし。

○ええ、もっともらしいのはそうなんでしょうけど、フロイトの言っていることは、もっともらしいだけなんじゃないかなと。

■そうですね。もちろん科学じゃない。でも臨床的な有用性という意味ではやはり馬鹿にならないものなんです。フロイトの教えに従って治療したところ、効果があがったという例が膨大に報告されているんですから…まあ東洋医学なんかと同じようなものと言えるかもしれませんね。

[23: 機能局在論の弊害?]
 


○familiarityの話に戻しちゃいますが、精神病としてのドッペルゲンガー、二重身の話がありますね。あれって自分とそっくりじゃなくても、そっくりだと思っちゃうんでしょ。ということはやっぱり、「そっくりだ」と思う部分がどこかに機能単位としてあるのかなあ、と思うんですが。それはどうなんでしょう。

■カプグラやドッペルゲンガーの研究では、そういう物言いが多いんですよね。だけど、familiarityなんていう言葉を使って意味があるのかな、と思うわけです。例えば、小野先生の研究なんかすごく立派だと思うけども、知ってるか知ってないかということ、好きか嫌いかということって主観的なことですよね。それをニューロンで示すことそのものは納得できるんだけど、それとね、我々が主観的にね、好きか嫌いか、知っている知っていないということの間には、まだギャップがあると思うんですよ。あれで納得してしまうのはやっぱりちょっとね、安易じゃないかという気がするんですよ。もちろん、かなり重大なことを出してきているとは認めるんですよ。だけど、あの研究によってね、だから扁桃核は好き嫌いの中枢だといっていいのか。どうしてもそこが納得できない。

○と、仰いますのは…。

■だって、そうでしょ。ちょっと離れて見てみるとね、サルの研究をやっている研究者や、その発表を聞いている我々が、サルにものすごく思い入れしているんですよね。そういう視点で、サルは好きだからこうしたんだ、嫌いだからこうしたんだと言っているだけなんですよ。それは例の、サルが手話を覚えた場合にそれを言語とみなし得るかどうかということと同じ問題だと思うんだけど。
 僕はね、養老孟司がこう言っているのを聞いて、最初はすごい抵抗があったんですよ。というのはね、ヒューベルとウィーゼルの実験、ノーベル賞をもらいましたけど、あれはね、猫の脳の視覚野の中にああいうコラムがあるんじゃなくて、実験している人間の脳の中にあるんだと、彼は書いているわけです。最初はね、何を変なこと言ってるんだと思ってたんだけど、よく考えたらなかなか渋いんですよね。ヒューベルとウィーゼルの実験はあまり良い例じゃないと思うんだけど、小野先生の実験あたりになるとね、それはかなり疑ってみる必要があるんじゃないかな、と。

○見ようと思っているから見えているんだということですか。

■まあ、極端に言えばね。全面的に認めるには、ちょっと留保がいる、というくらいの意味です。

○なるほどね。

■やっぱり機能局在論の悪いところで、いろんな精神機能について、パッパッと実体を繋いで機械を作ってしまうような感じで話すのは、あまりにいい加減じゃないかな、と思うんですね。とにかくね、主観的な言葉を安易に使うのはどうもね…。
 たとえば、記憶って言葉がありますけどね、コンピュータがあまりに発達して機械に記憶って言葉を使うのは当たり前になってしまった。記憶容量とかね。記憶っていうのは量を量れるもんだと。数えられるもんだと。検索できるようなそんなもんだと。だけど人間の記憶と機械の記憶にはいろいろな違いがある。そのなかでもすごく重大なのは、エピソード記憶と、習慣として学習された記憶は質が違う、ということですね。そんなことは心理学者がワーワー言い出すずっと前にね、ベルグソンなんかが言っていたわけです。
 で、ベルグソンは、習慣性の記憶は大したものではなく、エピソードの記憶こそが精神の実体なんだと言っていたわけです。精神というのは記憶だと。「純粋記憶」という変な言葉を使っているけどね。
 これは空論みたいに聞こえるけど、ペンフィールドがね、側頭葉を電気でピッと刺激したら患者が何か思いだしたと。そしたら患者が「もう一回やって」と言ったので、もう一回ピッと刺激したら、「あ、そうか、あれは○○だったんだ!」と言ったと。そういうことにものすごく衝撃を受けて、ペンフィールドは「ここには精神がある!」とか言い出したわけですよね。これは、今の機械論的な研究者が聞くとね、側頭葉に記憶に携わる機能があるということで、それを呼び出したんだ、っていうことで終わりでしょ。しかしペンフィールドの受けた衝撃というのはたぶん、そんなものじゃなかったんですよ。つまり、「生の記憶」が出てくるということです。意識の中に、生のエピソード、あの時あった、あのことそのものが出てくる、甦ってくるということそのものが、人間の精神っていうか生そのものだと感じられたんじゃないかと思うんです。それは、彼自身がそういうある種文学的な感性を持っていたからだとも言えるんですが、僕は敢えてそこに拘っている。実はそこに拘ると科学じゃなくなるヤバイところなのかもしれませんが。ペンフィールドは実際小説も書いていたような文学的な人で、最後にはキリスト教の信仰に走って二元論者になってしまったわけだしね。

○なるほどね…。記憶というのは不思議ですね。

■だいたい大脳皮質の機能なんて、一次感覚野と一次運動野を除けば、ほとんどすべての領域が何らかの意味で記憶に関わっていると言われています。
 たとえば最近のワーキング・メモリなんかに関しては「未来の記憶」なんていう言い回しをする人もいてね。まあ、それはちょっとしゃれた言い回しでしかないんだけど。今、使われようとしている記憶だというわけです。脳の中に溜まっている情報を記憶と言ってしまうのならば、全部そうなってしまうわけでね。
 僕が言いたいのは、人間の精神にとって重要なのはむしろ主観的に思い出せるもの、すなわち自分にとって実際にあったことであると。懐かしさ、つまりfamiliarityを感じるのはそういう記憶に対してだけですからね。そして人間が自分で責任をとろうとするのも、そういう記憶に対してだけでしょう。そう思いませんか?

[24: 多重人格は実在するか?]
 


○記憶の障害というと、最近だと、いわゆる多重人格があるじゃないですか。多重人格については、先生はどんなふうに捉えていらっしゃるんですか。多重人格という症例は実際に存在するんでしょうか。普通に定義すると解離性障害の一つで、記憶障害だと考えられているようですが。

■多重人格には、ややこしい背景があるんです。精神科の人に聞いたら、みんなこう答えたと思うけど、日本ではずっと「多重人格なんていうものはそもそもない」と考えられてきたんですね。ところが、最近アメリカ人たちが「ある」とやかましく言うもんで、日本の精神科医の中にも「ある」という立場をとる人が増えてきたんです。
 ばかばかしい話だけど、幼女連続誘拐殺人事件の被告の精神鑑定ね、1回目は「責任能力あり」だったのに、数年後の2回目の鑑定で多重人格と診断がつけられた。まさにその1回目と2回目の間の数年のうちに、日本の精神医学界で多重人格の支持者が急激に増えたんです。

○…。

■それもね、もとはと言えばアメリカの精神医学界の特殊事情が絡んでいるんですよ。この十数年間の間に、アメリカでは長年隆盛を誇ってきた精神分析がいよいよ勢いを失ってきた。それで、フロイトに基づいてどうのこうのというこれまでの教条主義がだんだん通用しなくなってきて、そこで実は、フロイト以前に戻ってきてるんです。フロイトは最初の頃は精神障害の原因として幼少期のトラウマ(心的外傷)を大きく位置づけていたんだけど、後で現実のトラウマより心的な発達段階における逸脱の方が重要だと言うようになっていったんですね。つまり患者に催眠術をかけて幼少期のトラウマを捜し当てるような方法に対しては否定的になっていった。もしトラウマを思い出すことがあったとしても、それは必ずしも現実にあったことではないというのです。

○ほう。

■最近、PTSDっていうのが話題になっていますよね。PTSDというのは「心的外傷後ストレス障害」のことで、現実の具体的なトラウマがもとで精神障害を起こすものです。これが話題になったのは、日本では神戸の大震災があったからで、アメリカではベトナム戦争や湾岸戦争があったからだけど、実はアメリカで精神分析の権威が失墜してきたということと直接関係があるんです。多重人格という話もトラウマとの関係で出てきたんです。多重人格は存在するという立場の人たちはみんな、幼少期のトラウマをその原因として挙げていますからね。
 で、多重人格というのは本当にあるのかというと、深い精神の障害としてはないけども、浅いところ、現象的な現れとしてはあるという言い方になるのかな。

○え、どういう意味ですか?

■自分ではない他の人間というのは、ある意味で自分の中で生きているわけですよね。だから、他の人として自分が生きるということはね、それ自体はそんなに変なことじゃないんですよ。普通の人の精神でもあるでしょ。

○そうすると、自己と環境との分離の障害ということですか? それとも自己の境界が曖昧になっているとか?

■これは基本的なことだけど、自我障害と多重人格というのは、僕はほとんど関係ないと思っているんです。さっき僕が言った深い精神の障害というのは自我障害のことです。多重人格というのは、もっと浅いものだと思っているんです。浅いというのはつまり空想、ファンタジーの類だろうということです。

○妄想ということですか?

■いや、精神科では妄想というとかなり強い意味だからね。つまりねファンタジーというのは、正常な人、正気な人でも抱くようなものですよ。

○ああ、じゃあ多重人格も、そういうものだと。

■そう。だから、ファンタジーに傾きやすいパーソナリティというのが、アメリカの文化の中に多いんじゃないですか。だから、そういう現象が起こってくる。文化に結び付いたものだと思います。文化結合症候群というんですが。
 比較文化精神医学というのをやっている人達が、ニューギニアの方のワニ憑きだとか、いろんな地域に特有な病気を見つけているじゃないですか。ああいうものと比べてもいいと思う。

○ほう。

■だからね、脳生理学の澤口俊之先生(北大)なんかが、前頭葉のコラムが多重だから、多重人格もあり得るとか言っているのを読むと、はっきり言って呆れちゃうんですよね。自我の構造が前頭葉のコラムに関係がある、というのは、やや疑問だけど仮説としてならそこまではまあいいだろうと。でも、コラムはたくさんあるから多重人格もあっていいとかいうのは滅茶苦茶でしょう。

○そこまで言っちゃうとなんでもあり、って気がしますね。

[25: 結合問題はあるのかないのか]
 


■しかし、人格って考え出すと本当に難しいと思う。人格って何でしょうね。

○何なんでしょう。本の中ではみんな勝手に定義しているようですが。

■ちょっと考えるとね、確かに脳の機能かもしれませんが…。手足は人格に関係ないとみんな思っているからね。まあ実際に手を折ったりしたら多少は人格が変わるかもしれませんが、それでも手が折れたことが直接人格を変えたと思う人はいない。そういう意味では人格は脳の機能なんでしょう。そして、みんな少なくとも人格とは全体的なものだと思っている。全体的だっていうことは、一つだっていうことと同じなんですよ。
 最近の意識研究でもね、意識は一つだと。それはなぜか。Binding問題(結合問題)というのが議論されてますね。意識が一つなのはなぜかという問いに対する一番単純な答えはね、脳が一つだから、というものなんですよ。100年前にウイリアム・ジェームズが意識と脳の関係について、そう言ってたと思うんですけどね。
 つまり脳というのは生き物の器官で、その中で不可逆過程が起こっていると。で、それは一回きりのことだから、我々の意識は一方向に流れるんだと。
 それは分かりやすいんだけどね、そうすると多重人格というのは全く理解できなくなってしまう。だから、一つの人間に一つの人格しかないのは脳が一つだから。だから一つの行動パターンしかなくて、だから一つの人格しかない、というんだったら、多重人格というのは絶対あり得ないことになってしまう。

○うーん。僕にはなんで一つに統合されているのかということが、脳が一つだからだといったことで説明されるとは到底思えないんですけど。

■そう?

○思えますか?

■デカルトは松果体が一つだから意識は一つだと言ったんですよね。ペンフィールドは中心脳。脳幹が一つだからと考えたわけでしょ。でも考えてみればね、脳は一つだから、ってことだけでいいような気もするんですよ。

○うーん…。

■だって、みんな「統合」されているっていうけれど、統合ってなんのことなんですか。

○じゃあ先生は、統合とかそんなことを考えること自体がおかしいんだという立場ですか。

■そういう立場もあり得ると思うんですよ。
 「人格の統合」ということを厳密に考えるには、まず自分の人格というレベルと他人の人格というレベルを分けなくてはいけないでしょうね。自我障害は自分の人格が崩壊する現象だけれど、多重人格は他人の人格のレベルだけで起きる現象だと思うわけです。他人の人格のレベルというのは、あの人はこう考えるだろうとか、自分が今まで付き合ってきた人達のことをなんかモデルとして頭の中に持っていて…。

[26: 自我障害]
 


○他者の心の推定能力?

■そうです。それは今あの人はこう考えているから、私がこうするとあの人はこう考えるんじゃないかというシミュレーション能力でもあるわけです。ある特定の他人についての、そういうさまざまな自分との関係性が、一つのまとまりとしての他人の人格を作っているんじゃないですか。

○外界のシミュレーション能力ですか。最近、人間を進化的観点から理解しようという試みが行われてますけど、サルの群れとかで社会行動をするために心が発達したんじゃないかという話のことですか。

■そうそう。僕はあれが好きなんです。

○最近、人間の言語っていうものの起源も音声言語ではなくって、サルの身振り言語とか、他者の心を外見から判断するところから来ているんじゃないかと言っているようですね。本当かなあと思うんですけど。

■ニコラス・ハンフリーの『内なる目』という本がありますけど、ああいう考え方ですね。
 どちらにしてもそれはすごく高等なレベルで、正気の人が、正気のままやっているレベルですね。あのね、僕が思うにはね、多重人格を含むヒステリー的な病気というのはね、自分の行動に責任をとるっていうところが外れてしまって、無責任になるんですよ。そうすると、自分がお姫様だったらとかいうファンタジーが勝手に動き出すと。こういう自分の願望とか想像どおりになるっていうのはすごく表層的なもので、深いところの障害ではないと思う。

○ふーむ。

■それに対して精神分裂病などで起こってくる自我障害はね、「自分の体が他人に動かされている」という感じはね、これはもうファンタジーじゃないですよ。これはちょっと、実際に患者とつきあった人じゃないと分かりにくい話なんだけど。本人がとにかく、「誰かに見られている」とか言って、一時も安心できないんですよ。どこかから見張られていると。

○逆に言えば普通の人はそんなふうに感じないわけだから、そういう、自分の中に世界を構築しても大丈夫なようになっているわけですよね。あるいは、自分の中の外界シミュレーションを俯瞰できるようなシステムがあるんでしょうか? で、それが壊れると分裂病になるんでしょうか。自分が頭の中で作った仮想世界と、実際の世界が混乱してしまうとか?

■うーん…もちろん精神病の妄想には願望充足的な内容であるとか、そういうファンタジーと共通する面もあると思いますが、本当の妄想というのはすごく切迫したもので、ファンタジーや空想のように自分の好きなように、自由に作ってゆけるようなものではないんです。それは他者の人格が直接自分を左右するというような状態で、本人はまったく受け身になってしまうんです。だいたい仮想世界とおっしゃったけど、人格を持った他者というのは人間にとって単なる「環境」ではないでしょう?

○でも、分裂病というのは、他者をシミュレーションするっていう能力のどこかが壊れたことによる、というお考えではないんですか?

■いや、そうなんだけどね…どう言えばいいのかな。やっぱり分裂病は「自己の病」であって「他者の病」ではないんですよ。多重人格では自己の方の都合で他者に入って来てもらって代わってもらうのに対して、分裂病では自己がうまく成り立たないために、必然的に他者が入って来るんだと考えるわけです。
 もう一回繰り返すと、今の話はね、同じように「人格」といっても、われわれが持っている唯一の人格、生の人格、行動パターンとしての人格というものと、多重人格のように記憶の中から次から次へと現れて来るものは全然レベルが違うんだということ。反対に自我障害というのは、生の人格の方、すなわち人間精神にとって基本的な何かが壊れてしまっている、と考えているんです。その壊れているものとは何なのか。それが最も重要な問題ですよ。

○ふーむ。

■薬理学が好きな人たちはね、妄想についても緊急反応とかで説明するんですよね。周りから見張られている、っていうのは、草食動物が肉食動物を絶えず警戒するような原始的な行動が出てきていると。

○嘘っぽいですね(笑)。

■僕もそういう説はどうしても信じられないんです。ドーパミンが増えているのは事実だとしても…。
だって分裂病で幻聴が聞こえるとかいう現象は、人間社会的なものだし、しかも言葉を介しているわけですよね。他者の心を理解しようとするときも、たいてい他者の言葉というものをカギにしているんだと思うんですよ。だからそういうところに関わっているのは確かなんだけど…。これはまだちょっとうまく説明できないですね。僕が「講座・生命'98」に書いた論文では、哲学的他者論に対する批判に力点を置いていたわけですけど。
 とにかく、多重人格というのは壊れていないと言いたいわけ。正気の人が正気のままできることを、「無責任に」やっているだけだと思うわけです。自分の本当の人格はちゃんと保たれているんですよ、解離性、ヒステリー性の疾患というのは。

[27: てんかんと精神分裂病]
 


○てんかんの人が精神分裂病様になるというのはなぜですか? てんかんがトリガーになって、普通の人が病気にならないようにしているものが壊れる、ということですか。それともそうじゃなくて、もっと密接に関わっているんでしょうか。

 



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深尾憲二郎-6

[18: ミクロとマクロが繋がらない現状]
 


■てんかんの場合、我々は脳波を見て臨床をやっているわけですよ。もちろん脳波で全て分かるとは思わないけども、かなりの部分までは分かる。前兆のときはこの辺までで、発作が起きたときにはこの辺りまで広がっているとか、そういうことも分かる。脳ミソというのは目に見える大きさを持ってますからね、それは何を意味しているかというと、脳ミソの分業ということがけっこう大きなスケールで実在するということなんですね。で、脳に貼り付けた電極から見て、脳波の広がりが隣へと伝搬していく。シナプスを介さない横への伝導ということで、「エファプス性波及(ephaptic propagation)」という概念があるんですけど、あんまり文献がないんですよね。というのは実験系としてうまく証明できないんです。

○細胞をとってきて培養して、同期するかどうか試せばいいわけじゃないんですか?

■ミクロな系では、3Hzとかそういう遅い律動が作れないんですよ。一つの細胞がseizureを起こすということは簡単に作れるけど…。

○そこから先へ進めない?

■そう。遅い律動は興奮系と抑制系の大きな回路の相互作用によって作られているって考えられているからね。でね、てんかん発作の律動を作る大きなペースメーカーが脳幹にあるんじゃないかと、ペンフィールドの時代からみんな思っているわけですよ。それが、正常な睡眠の脳波に現れる紡錘波と何か関係があると、みんな睨んでいるわけです。でも、なかなかうまく実験で証明することができないんです。猫でしばらく実験がされてたんですけどね。

○二、三十年前の実験のことですか。

■そう、もうだいぶ昔の話です。ああいう実験が途中で尻切れトンボになって、いきなりパッチクランプでイオン・チャンネルがどうしたこうしたという話になっているわけね。繋がってない。

○ふーむ。研究の流行り廃りもあるんでしょうけど。

■ほんとそう。みんながその時の流行にワーッと飛びついてしまって間が埋まってない。
 1秒に何回かというリズムが起きるのも不思議だし、もっと不思議なのはさっき言ったように1ヶ月に何回か起きるということはなんでだろうと。全然わからん。
 そしてまたここでカオスが出てくるんですよ(笑)。こないだアメリカの学会に行ったらね、いまのアメリカのてんかん学会の会長は基礎研究をやっている人なんですが、その人が「unpredictability of epileptic siezures」という講演をしたんです。その人は真面目な研究をやっている人なんだけど、講演はちょっとウケを狙ったんでしょうね。てんかん発作はカオスかもしれないって言うわけです。でもunpredictabilityだなんて、そんなこと言っててもしょうがないと思うんですけどね。unpredictableなものをpredictするのが医療を含んだ技術の使命なんですから。

○予測できない、と言われても困りますよね。

■脳波の非線形解析でも、なるほどと思わされるものもないわけではないんです。たとえば、電極を頭に貼り付けるのか、脳の中に突っ込むのか知らないけども、脳波の次元がだんだん低く、つまりだんだん律動的になってきたところで、突っ込んでおいた電極から薬を注入してやるといった治療が考えられるんじゃないかと。将来的には。

○前兆を捉えたら、それを抑えてやるということですか。

■実際にね、本人が前兆を訴えたときに薬を投与すると効くんですよ。その後に発作になるのを止めることができる。だけど主観的な前兆がない場合もあるから、その代わりに脳波で予知できればいい、という考え方ですね。
 しかしそれに対して本当に非線形力学が寄与できるかどうかは怪しいですね。律動が出てくるというところが重要なわけだから。非線形じゃなくてもいい。

○律動が出てくる時っていうのは、恐怖感なりデジャビュなりが起こるってことは、やっぱり回路の単位で起こって来るんですか。どういう単位で律動が起き始めるのか、ということですが。

■うーん。今は脳の表面に電極を置いて調べているわけだけれども、その置き方はもう、決まってしまったやり方があるんですよ。以前はね、今でもヨーロッパではやっている人がいるけれども、脳を文字どおり串刺しにして調べていたわけです。はっきり言って適当というかね。この辺じゃないの、という感じで串刺しにしてたんです。電極のところどころのコーティングを剥いでね、剥き出しにしたところから脳内の電位を測ってたんですね。

○なるほど。

■でも今はね、最低限扁桃核と海馬だけは発作にとって大事だから差し込む。残念ながら側頭葉は傷つけることになるけどね。そして、ビニールのシート中に白金の電極が1cmごとに埋め込まれたものを脳の表面にぺちゃっと乗せる、そういう形ですよね。
 そうすると、シルビウス裂の中みたいな深く入り込んだ部位はカバーできない。僕は個人的にシルビウス裂の内部に興味があるんだけど、残念ながら全然分からないんですよ。発作の記録をしていると、ときどきこれはシルビウス裂の中から起こってくる発射じゃないかなと思われるものもあるんだけど、隔靴掻痒というか、表に出てくるまでは電極に捕まらない。海馬と扁桃核には電極が差し込まれているから、海馬・扁桃核がいつ発作に巻き込まれたかは分かるけれども、じゃあその時、辺縁系の他の部分はどうなっているのかなどということは分からないんです。みんな知りたいと思っているんだけどね。やたらに不必要な電極を差し込むことは倫理上できない。

○そりゃそうでしょうね。

[19: てんかんと記憶]
 


○研究者の人で自分がてんかんだという人はいないんですか。

■僕は知らないですね。

○そういう人がいたら、主観的な印象の拾い出しなんかはずいぶんできるんじゃないかな、と思ったんですけど。

■うん、僕がやっている精神病理学的な方法は主観的な情報を見ようとするわけだから、それには患者の側にかなりの知性と表現力が必要とされるんです。たしかにそういうことはあるけども、医者本人が病気を持っていても、大して変わらないんじゃないかな。自分の脳で起こっていることってほとんど分からないでしょうからね。発作がかなりの程度までいってしまってから、あ、ヤバイ、と思えるくらいでしょう。あまり変わらないような気がしますね。

○そういうもんですか。

■たとえば、ドストエフスキー(てんかん持ちだった)の書いていることをどのくらい信用するかっていうのがありますよね。古典的な精神病理学者は文学的な傾向が強かったですから、ドストエフスキーのいうことを、本当にもう、てんかんの真実のように崇め奉ってたんだけど、本当のところはどうかな?と思いますね。

○かなり創って書いていたかもしれないと?

■うん。本人はてんかんでかなり苦しんでいたんですよね。すごく嫌だったんだけど、良い部分を拡大したというか。あとから修飾して書いていたかもしれない。

○記憶するときにも、そもそも修飾されちゃいますよね。

■そうですね。かなり失われるはずですよ。
 発作になる前に前兆を毎回訴えるんだけど、後で本人は覚えてないっていう患者さんがいっぱいいるんですよ。それはたいがい側頭葉てんかんなんです。だから発作の時に記銘も障害されるんでしょうね。実際、そういう人は長い間に記憶が悪くなっていくんですよ。記憶機能が落ちていく。

○放電によってどんどんやられていく?

■たぶんね。詳しいことは分からないけどね。

○機能が落ちていく、というのはどういう単位で落ちていくんですか。神経細胞がどんどん死んでいくことで落ちていくのか、それとも、神経細胞一個一個のチャンネルが変わるとか、ブロッカーが変わるとか、どういうレベルで…。

■分からない。誰も調べてない(笑)。調べようがないんですよ。長年かけて記憶が落ちていくっていうのはね…。

○サルはてんかんになるんですか?

■うん、実験用のサル、脳に電極を装着されたサルがね、細菌感染を起こして、それが原因でてんかんを起こすことはあるみたい。

○細菌感染でてんかんになるんですか? どうしてですか?

■なるんです。人間でもいろんな原因でてんかんになりますから。たぶんね、膿瘍ができるんだと思うんです。脳の表面と硬膜の間とかに膿瘍ができて、その周りの細胞が異常になるわけですよね。そうするとてんかんが起こりやすいと。だから細菌自体が神経細胞に悪さをしたりするわけではなく、炎症反応とか二次的な環境の変化が細胞を変化させるんじゃないかと。

○どんなふうに変化しているんですか?

■たぶん、ミクロな実験をやっているような人が使っているような細胞、刺激に対してずーっと反応し続けるような細胞になってるんでしょうね。
 そもそも海馬が、記憶を担当しているとともに発作を起こしやすいというのは、もともとそういう性質を持った細胞がたくさんあるからだと考えられているんですね。脳に電気刺激を反復的に与えることで、自然にてんかん発作を起こすようになるキンドリングっていう動物モデルも、もともとは学習のモデルだったんですよ。それが必ず痙攣を起こすようになってしまうから、いまはてんかんのモデルとして使われているけれども。

○ふーむ。

■そういう考え方は前からあったんですよ。神経細胞っていうのは基本的には伝言ゲームみたいに、右から受け取ったものを左に渡すという形になっている。だから、一つ受け取って隣に渡したら、あとは次のものがくるまで黙っていないといけないんだけど、てんかん細胞というのは一回受け取ったら、どんどんどんどん滅茶苦茶に渡すと。そしたら周りにも連鎖反応が起きて、それがどんどん広がっていくだろうと。その過程でリズムが出てくるのはなぜかは分からんけども、ミクロの人がseizureって言ってるのはそういう意味だと思いますよ。一つ入力が入っただけで、ダダダーッと出力すると。マクロなリズムが作られるのが何故かは分からないけども。

○やはり最初はそういう形で始まるんでしょうか。発作は、どういう単位から始まるんでしょう。一個の細胞から始まるのか、コラムかセル・アセンブリか知りませんが、そういう機能単位から始まるのか。

■ああ、僕らは脳波でリズムを見ているわけだけれども、リズムっていうのは、かなり大きな細胞集団じゃないと作れないように思うんですよ。それとそういう律動性波形は広がっていくときに周波数が変わることがあるんですよ。狭い範囲である周波数をもって出現したリズムが、範囲が広がると変わることがあるんですね。そうするとそれは、何か固有振動数みたいなものがあるのかもしれない。100個の細胞集団と1000個の細胞集団では固有振動数が違うでしょうから。

○なるほど。

■でも、もとの100個の細胞集団はどうやって振動を始めるのかと言われれば、たぶん、コラムみたいな単位があって、その単位の中では入力と出力が互いに複雑に絡み合っているんじゃないか。それで閉回路になって、振動を始めてしまうんじゃないかと。

○機能単位があって、そこから始まる、という考え方ですか。

■発作の始まる単位が生理的な機能単位なのかどうか、それは分からないです。ケースにもよるでしょう。
 だけど、最近では部分てんかんの人にMRIで映るような病変があることがかなり多いと、分かってきたんです。以前はね、「病変はない」って言われてたんです。てんかんというのは一般には本当に「機能障害」であって、解剖学的病理学的な異常はないと言われていたんですけど、実際にはかなりあったんです。実際にその病変を切除すると治るしね。それでその切ったところの神経回路はグチャグチャになってる場合が多いんです。こういうことから、本当に脳の一部で起こっていることなんだなあ、一部の異常な神経回路から異常活動が起こって、周りの正常な回路が巻き込まれていく現象なんだなあということが分かってきたんです。

○なるほど。

[20: 手術の後遺症]
 


○手術の話が出たんで、お伺いしますが、手術の後遺症は残らないんですか? 記憶がなくなったりとか?

■残る人もいる。覚えていたことを思い出せなくなったということを検査ではっきりさせるのは難しいんだけど、本人の主観的な訴えはよくあります。「思い出せない」と。

○じゃあそれは、記憶があった、っていうことは覚えているわけですか。アドレスはあるんだけど、アドレス先のデータがない、って感じですか?

■そうとも言える。記憶に関してどんなモデルを採るかにもよるけど。
 たとえば、友達から電話がかかってきてね、誰と喋っているのか分からない。ただ、その声には聞き覚えがあるし、友達だはと分かるんだけど、誰なのか分からない。そういうことがある。

[21: 心理学の言葉を神経科学に導入する弊害]
 


○「声には聞き覚えがある」というだけだと、単に親和性を覚えているだけかもしれない、という可能性があるんじゃないですか?

■ああ、その親和性、英語でfamiliarityって呼ばれている感覚に僕は非常に拘っているんですけどね。familiarityという概念は微妙だと思うんですよ。概念そのものは前世紀中にもう作られていたみたいなんだけど、ペンフィールドはもっぱらこの概念を、今でいう「認知発作」のメカニズムとの関連で考えていたんです。僕はよくない言葉だと思うけど、現在、発作症状としてのデジャビュなどの錯覚現象は認知発作(cognitive seizure)と呼ばれているんですよ。
 ペンフィールドの理論に従えば、こういうことになるんですね。何か見たり聞いたりしたものを分かる、ということ。彼自身は昔の人だから「認知(cognition)」という言葉は使ってなくて、「知覚(perception)」という言葉を使っているんですが、知覚ということは、外から入ってきた感覚データを過去の記憶データと照合しているんだと。バーッと一瞬の内に記憶データが走査されて、似たものがあったらバチッとそこへはまるんだと。そしてデジャビュの場合は、間違ってそれが起こると。まだ見たことないものを見たと知覚してしまうからそういう錯覚が起こるんだと言ってるんですね。

○ええ。

■それはね、機械的な理屈としてはなるほどと思うんですよ。でも僕はね、気持ち的にしっくりしないものがあったのでね。最近でも同じような説明をするが人いますけどね。記憶しているものと、今見ているものが実際には違うのに、アイデンティファイに失敗してしまって、同じものだと認知する、それがデジャビュだというんです。だけど、それだとね、ベルグソンが指摘していたような「不思議な感じ」というのが説明できない。
 まあこの「不思議な感じ」というのは科学的に完璧に説明できるものではないような気もするんで、僕も哲学的に考察したりしているんですけど。「独特の不思議な感じ」とか言い出すとね、科学的には解明しきれないのかもしれないなあと思ってね。

○そうなんですかね? それはやや分からないんですけど。

■いや、僕は別に科学に反対するわけじゃないんですけどね。精神現象について科学的に説明するということは、安易にやると意味がないと思うんです。
 たとえばfamiliarityにしたって、familiarityだけが出てくるとかいうけどね、そういうのって、ずるいような気がするんです。機能局在論、神経心理学にとっては大切なことだと思うんですけどね。実際にはfamiliarity、親近感って、心理学的というか、主観的な概念でしょう。「こういう感じ」といった。

○ええ。

■それをあたかも実体であるかのように言う、というのはね。たとえば扁桃核とかを持ち出して、レッテル貼りをしてね。そしてあとはモノのように扱う、というのは、それはずるいというか、神経心理学の悪い所だと思うんですよ。

○もう少し説明して頂けますか。

■たとえば、昔ジャクソンという人がいたでしょ。近代てんかん学の父とも言われている大神経学者なんですが、彼なんかはものすごく言葉に神経質ですよね。心理学の言葉を神経学に使っちゃいかんと言ってね。本人は唯物論的な人で精神機能のすべてを機械のように説明しようとするんだけど、そのときに心理学の言葉を安易に使っちゃいけないということをしつこく言っているんですよね。そこらへん、最近の神経科学者はちょっと甘くないかな、と思いますね。

○脳と心、という言葉そのものがまさにそうですね。心=脳みたいな捉え方ですよね。
 心ってものの因数分解が全くできていない段階で、そういうことをパッと言ってしまっていいのか、本当にそうなの、というのはありますね。それで分かったような気になってしまうのは危険かもしれませんね。

■そうそう。そういう弊害みたいなところはある。

[22: 無意識]
 


■たとえば、脳の研究者の人達もフロイトのことは知っていてね、なんとなく「無意識」っていうのはあるんじゃないかと思っている人がけっこういるんですね。

 



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深尾憲二郎-5

[14: 抗てんかん薬の副作用、狙って薬が作りにくい理由]
 


○てんかんにはいろいろな薬がありますね。その話をお聞かせ頂けますか。

■抗てんかん薬にはいろいろありますが、薬理作用の解明は意外と進んでないんですよ。パッチクランプとかね、そういうレベルでいろいろ言われてはいるんだけど、意外と分かってないですよ。
 まず、ほとんどの薬がイオン・チャンネルにさまざまに作用するということが確かめられています。他には神経伝導速度を遅くするっていう薬(カルバマゼピン)もあるし、それとね、副作用として小脳失調を起こすような薬(フェニトイン)があるんですよ。その薬を長い間大量に飲ませていますとね、小脳失調が慢性化してしまうんですね。中には、小脳が萎縮しちゃう人もいます。

○萎縮しちゃうんですか?

■うん。それはもう悲惨なことになる。ちゃんと歩けなくなってしまうんです。
 で、その薬がいったい小脳にどのように効くのかを調べてみると、プルキンエ細胞が活性化してね、それが大脳に対して抑制的な働きをするらしいんです。それが大脳のてんかん活動を抑えるらしい。

○小脳が、ですか。

■そう。だけどそれは小脳の機能を害するから、失調になるんです。でもその薬もね、他にもいろいろな作用が知られていて、それだけが唯一の抗てんかん作用ではないみたいなんですよね。

○投与すると精神分裂病みたいになったりする薬もあると聞きますが。

■うーん、分裂病になるというより、幻覚や妄想を抱いたりするわけです。

○分裂病「様」の状態になるということですか。

■そうそう。分裂病というのはだんだん廃人になっていく、人格が崩壊していく、そういう経過のイメージが僕ら専門家にはあるからね。だから「分裂病様状態」なんてものはね、「分裂病」とは違うんですよ。

○一時的なものだからですか。

■うん。一時的な幻覚妄想状態というのは、どんな精神病でもありえることで、鬱病でもそんな状態になることがあるからね。てんかんでもあります。で、その幻覚妄想状態を引き起こす薬というのは、日本で開発された薬なんです。ゾニサミド(商品名エクセグラン)といってね。これは日本で1972年に合成されて、89年から市販されているんだけど、アメリカで治験をやったらね、副作用として尿路結石になるといって認可されなかったんですね。ところが日本ではそんなことはあまりないと。だからこれくらいなら使えるんじゃないかということになってるんですけど、僕らが使ってみて思うのは、他の薬と比べるとすごくね、精神病的な状態になることが多いんですよ。だからちょっと使ってみて、「あ、これはヤバイ」と思ったらすぐやめるわけです。

○ふーむ。

■それとね、これはカンなんだけど、会った感じでね、これはちょっとやばいんじゃないかな、この人は素質がありそうだな、という人に投与すると、必ず出てくる。なんかこう、神経質で、鬱陶しいような感じの人がいるんですよ、患者の中にね。で、そういう人にこの薬を飲ませると、すぐ出てくるね。

○へえー。

■だからこういうことはすご興味のあることで、てんかんをどうやって抑えるのかということを薬理学者は研究するわけだけれども、「なぜ精神病になるのか」ということもすごく面白い問題だから、科学的な興味を持った一部の研究者が調べて、その薬を使うと血中のドーパミンの代謝が変わるんだとか言ってますけどね。

○教科書的に考えるとそうなんだろうな、とは思いますね。でもそれだけじゃないだろうと? まあ1:1のわけはないだろうとは思いますけど。

■うん。実は精神病とてんかんの拮抗仮説というのが昔からありましてね、どの薬でも、薬を飲んで発作がピタッと止まったら、それと入れ替わるように精神病状態になる患者さんがときどきいるんです。「交代性精神病」と呼んだりしますけれど。だからゾニサミドに限ったことでもないんですよ。また逆に、抗精神病薬として広く使われているクロルプロマジンなどいくつかの薬が痙攣を起こしやすくするということも知られているんです。
 この精神病とてんかん発作の拮抗関係というのは、僕のようにてんかんを扱っている精神科医にとってはとても魅力的な問題なんです。精神病患者に電気ショックを与えて治療するという方法もこの仮説が基になっているんですよ。

○抗てんかん薬の開発の今後の見通しはどうでしょうか?

■最近いくつか治験されている薬は、GABAに関するものばかりですよ。やっぱりGABAが中枢神経系では抑制系の主役だと考えられていますからね。だからGABAとレセプターがカップリングしているというマイナートランキライザー(ベンゾジアゼピン類)とかGABAの分解酵素を阻害する薬(バルプロ酸、ビガバトリン)とかをみんな使ってきたわけだしね、今度はGABAの再取り込み阻害剤(タイアガビン)とか、GABAの前駆体(ガバペンチン)とかいろいろ作られているんですよ。

○そういうのは理論から狙って作られているわけでしょ。で、やってみたら効いたから、まあいいかあ、と。

■うん、そうそう。でもこれまでの薬と比べると、意外によくないみたいですよ。いろいろと副作用もあって。もう一つこう…、この十年くらいはヒット作がないんです。

○そうなんですか。これならオッケーというのはないんですね。

■だからこういうところでもね、てんかんのミクロな研究と臨床のギャップが、それほど埋まってないんですよ。みんなが思っているほどにはね。だから、海馬の回路がどうのこうのとか、カルシウム・チャンネルがどうのこうのとかみんな言うんだけど、それを狙って作って、バシッと治りましたという例は未だに一つもない。

○ふーむ。

■今まで心臓病用の薬として市販されているカルシウム・チャンネルのブロッカーは血液脳関門を通らないので、それを通るのを作ろう、という動きはありますよ。それはそのうちできるだろうと思うけどね。今のところ、例えば胃潰瘍のH2ブロッカーみたいに狙って作られたヒット作はないんです。

○なるほど。

■それはたぶん、てんかんがいろんな原因で起こるからなんですよ。いろんな原因で起こるのはなんででしょうね。一番注目されているのは、グルタミン酸のexcitotoxicity、「興奮毒性」って訳すのかな、変な概念があるんですよね。何かの原因で脳の一部がものすごく興奮すると、そこらへんの細胞がやられてしまって、しばらく時間が経つとそこらへんから発作が起きてくるという考え方があるんです。

○なんでそんなことが起きるんですか?

■うん、たとえば頭の中には動静脈奇型といって血管の奇型があってね、気が付かないだけで普通に暮らしてるんだけど、それが二十何歳になってから突然破裂して倒れて、麻痺して。その後、何ヶ月かしたらてんかん発作が起きるようになるとかいう人もいるわけです。
 でも、なんでやろ。

○いや、それは僕の質問ですから(笑)。

■分からへんのですよ。血管が破裂しててんかんになるのは、ヘモジデリンとかのヘモグロビンの分解産物、つまりは鉄の沈着と関係があるらしいとは言われているんです。動物実験で証明されたということで。
 でもいずれにしてもね、いろんな原因で起こるのが、てんかんなんです。いろんな原因で起こるということはつまり、あるレセプターとか、あるチャンネルの異常じゃないだろうということを示唆していると思うんですよ。

○多様な病態が、原因の多様さをそのまま反映している?

■うん、たぶんね。もちろん、どんな潰れ方をしても結局グルタミン酸が増えて、「興奮毒性」によって細胞が死んだ場合にのみてんかんになるんだということかもしれないけどね。

[15: てんかん発作はなぜ止まるのか]
 


○以前、ポケモン事件があったときに、ふと不思議に思ったことなんですけどね。どうして、てんかん発作は止まるんでしょうか? リセットスイッチがあるわけでもないのに。大発作を起こして意識を失った人が、しばらくしたら復活するのはどうしてなんでしょうか。考えてみれば非常に不思議なことだと思うんですけど。

■うん、それは実は、未解決の大問題なんです。
 意識を失って全身の筋肉が痙攣する大発作が起こるのは、脳のどこかで始まった発作活動が雪崩のように周囲に波及していったあげくに、脳全体が発作活動に巻き込まれるからだ、と考えられています。実際、ガクガクガクっていう間代痙攣のリズムはその時の脳波上の発射のリズムと一致しているんです。
 しかし雪崩現象で大きくなってゆくのは分かるとしても、それがなぜある時間経つと止まるのか? それに大発作って、いかにもたいへんな状態で、最初見たときは僕もびっくりしたけど、みんな同じ長さで終わるんですよね。

○え?

■同じと言っても秒単位で同じじゃないよ。分単位で同じ。1,2分で終わりますよ。まず意識を失って全身が硬くなって、ガクガクガク、と間代痙攣して、それが段々間隔が長くなってから止まって、ガーッていびきかいて寝るわけです。ここまでの過程がね、まず間違いなく1,2分で収まるんですよ。

○寝てから起きるまでの時間はどうなんですか?

■ああ、それは終末睡眠といってね、寝る時間は人によって違いますね。これもね、大発作をしょっちゅう起こしている人はね、ダメージが少なくて、すぐ起きてくるんですよ。めったに大発作を起こさない人はね、ダメージがきつくてね、なかなか起きてこないんですよ。

○どうしてですか、それは。

■分からないんですよ。本当に分からないことだらけなんですよ、残念ながら。
 ただ、痙攣が収まると同時に脳波上の律動も止んで、全体がダラダラした不規則な徐波(遅い波)になるんです。不規則な徐波はその出現している脳の部位が疲弊していることを現していると考えられています。大発作の後は全体がそういう徐波になって、それが発作直後の昏睡またはもうろう状態に対応するわけです。そこからすると、大発作が止まるのは、単にエネルギーが切れて脳全体が疲弊したからというふうにも見えます。
 ところが、「痙攣重積状態」といっていつまでも痙攣が止まらなくなる場合があって、その場合は放っておくとそのうちに心臓が止まって本当に死んでしまうんです。止まらなくて死んでしまう場合があるということは、逆に、1,2分で止まるふつうの大発作にはやはり発作を止める生理的メカニズムが働いているということでしょう。
 さっき話したように、発作の時に脳波を同期させてゆく仕組みも生理的なものだろうと考えられているわけですが、発作を止める仕組みもやはり生理的に存在するということでしょうね。

[16: てんかんのリズム]
 


■もう一つ面白いのはね、たとえば1ヶ月に1回発作が起きるという患者さんがいるんですよ。ホントかな、と思ったんだけど、入院させて見ていると、やっぱりだいたい1ヶ月に1回起こるんですね。同じ日っていうわけではないですよ。ほぼ定期的に。

○生理と同じくらいの正確さ、ということですか。

■だいたいね。1ヶ月に1回ということはね、その間に、何かてんかん発作の素になっているものが溜まっているんじゃないか、と考えるでしょ、自然に。

○うん、もしくは、もともと持っているリズムが関係しているか、ですよね。最近いろんなところで体内時計とかリズムとかの遺伝子を研究しているじゃないですか。

■昔ね、サーカディアンリズムとてんかん、というテーマでシンポジウムもあってね。モノグラフなんかも出ているんですよ。でもね、もしそういう普遍的なリズムによるものだったら、みんな同じ周期に発作を起こすはずじゃないですか。ところが実際には周期は個人個人でまちまちなんですよ。
 でもたくさんの患者さんを見ていると、側頭葉てんかんの患者さんなんか、月に2,3回、という人がすごく多いんですよ、不思議なことに。薬を飲んでも飲まなくても、月に2,3回という人が。

○え? じゃあ薬飲んでいる意味がないじゃないですか。

■飲んでた薬をやめると、一時的に発作が頻繁に出現してね、しばらくすると元に戻るとかね。それはいったい何なのか。

○何なんでしょう。

■それとね、女の人の場合はね、「自分では生理の前後に多いように思う」とか言うんですよ。でも入院させて見てみると、実際にはあまり関係なかったりするんです。本人がそう思いこんでいるだけで、プロットしてみたりするとほとんど関係なかったりするんです。これに関してもまたおかしい研究があってね、入院患者の発作の起きた時刻をプロットした結果を非線形解析してみたらカオスでした、っていうのがあるんですよ(笑)。だからどうした、っていう感じですね。

○(笑)。

■やっぱり役に立つものはね、周期なんですよ。この話も周期に関係するでしょ。結局、線形のリズムを持ったものだけが役にたつんじゃないかと。生の脳波を見るときも、こういう発作の頻度を見るときも。非線形とか言い出したらね、何の役にも立たないと思う。

[17: 行き当たりばったりの薬の開発]
 


○しかしまあ、わけの分からないことがいっぱいあるんですね。

■うん、だからね、ものすごく研究者を惹きつけるんだけど、ある程度以上はなかなか分析できない。いろんな薬があって、効くことは効くんだけど、それも経験に頼っていてね。まあ全般てんかんに効く薬と部分てんかんに効く薬の区別はできるようになったけど。副作用の出方にも個人差が相当あるもんだから、使いたくても使えない薬があったりとかね。なかなかきれいなデータが取れないし。
 新しい薬のデータを取ろうと思ったらね、これまで何も薬を飲んでない人に与えるのが一番良いんですよ。そういうのをフレッシュな患者と言うんだけど、みんないろんな薬を一杯飲んだあげくに治験薬を飲むでしょ。全然分からないですよ。効いたかどうかね。

○いっぱい飲んだ薬の効果が切れるのにどのくらいかかるか、ということは、あんまり分からないんでしょうか?

■いや、治験薬を試すことになったからといって、それまでに飲んでた薬を急に全部やめるということはまずないからね。ほとんどの場合、これまでの薬の上に治験薬を加えて飲むんですよ。だから治験薬だけの効果がわからないわけです。以前に飲んでいた薬の影響ということなら、いちおう市販されている薬ならみんんな代謝の経路や体内での動態も分かっているから、体の中に溜まるっていうことはないことになっているんです。
 だけど、明らかにね、飲んですぐ効かずにしばらくしてから効いてくる薬ってあるんですよ。例えば鬱病の薬がそうでね。鬱病の薬って2週間くらい経ってから効いて来るんですよ。だから鬱病の人には、これ飲んだらすぐに楽になりますよって言えないんです。嘘になりますから。こういう効果の発現がゆっくりしているのはたぶんね、しばらく薬を飲み続けていると脳の側に変化が起きるからなんですよ。

○なるほど。そういうことがあるわけですか。
 効くから飲ませてる、っていうことなんですね。

■そうですよ。薬はみんなそうです。モデル動物として鬱病ラットとかありますけど、あんなんでは人間に効く薬を試すのにはうまくいかないでしょうね。あれはだって、無茶苦茶泳がせて疲れてぐったりしているラットを鬱病だと言っているだけですからね。鬱病というのはそうじゃないでしょ。社会生活の中で疲れ果てた人なわけだから。そういう人に薬を与えると、2週間で、この2週間というのは生理的・薬理学的なタイムスケールから見るとずいぶん長いでしょ。その2週間の間に頭の中で何が起こるんだろうか。
 あと、マイナートランキライザーの類(ベンゾジアゼピン類)は、すごく耐性がつくのが早いんですよ。睡眠薬なんか毎日飲んでいたらすぐに効かなくなる。で、それはGABAのレセプターが変わるからだとみんな思っているんだけどね、本当のところは全然分かってないらしいですよ。

○そうなんですか? 薬の世界って本当に分からないんですね。麻酔でさえどうして効くのか分かってないんでしょう?

■そうそう。麻酔はね、長い間、膜が脂肪でできていて、それに溶けて効くんだとか言われていたんだけど、最近どうも違うらしいと言われていますよね。違う理屈で作られた薬が効くんで、そちらのほうにまた流行が移ってますね。

○しかし、そういう状態でみんなよく使ってますよね。

■うん、だからそれは話を広げるとね、医療ってそんなもんでね。ニーズが先にあって、取りあえずやってみると。危ないと困るから、危なくないかどうかだけは一応確かめるけど。それでも、ときどき危ないわけです。
 で、やってみて効いたから使おうということになるわけですが、それは偶然、効くと思っていた病気以外の別の病気に効くことが分かる場合もあるんです。だから新しい薬ってどうやって作られるのかというと、副作用から見つかることがかなり多いんですよね。

○ああ、最近はやりのバイアグラみたいに。

■そうそう。あれなんか心臓病の治験薬だったんだけど効かないから、返してくれと言ったら患者さんが返してくれなくてね。どうしてかと思って聞いたら…という話なんですね。そういうのは何も例外的なことではないんです。いま精神科でよく使っている薬の一つでスルピリドってあるんですけど、あれなんか胃薬だったんですよ。それを胃の悪い精神病の人に飲ませたら急に精神症状が良くなったから、抗精神病薬として使いだしたんですよ。だから意図せずに見つかった副作用が本作用として採用されていくということは薬の歴史では多いんですよ。

○ええ。

■ちなみにてんかんの薬として最も早く採用されたのは臭素剤なんですが、これは19世紀のヨーロッパでは、てんかんは性的エネルギーの過剰から起こると信じられていて、臭素剤を飲むとインポテンツになることを応用しようとしたものだったんです。もちろん現在では理論的には否定されていますが、臭素剤には実際に発作活動を抑える効果があったので、抗てんかん薬として残ったんです。

○へー。

 



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深尾憲二郎-4

[09: 精神科医に求められているもの]
 


■僕自身がどういう問題意識で研究をやっているのかというとね、なかなか理科系の人、文科系的な感覚を持ってない人に説明するのは難しいんですけど…。

○え、それって普通逆じゃないんですか?

■え、そう? 普通の科学的な話題っていうのはそうかもしれないけれど、なんかねえ、人間の精神機能に関する研究というのは…。精神病を生物学的、薬理学的に説明している人たちの考え方って、あまりに粗っぽいというかね…。

○うん、それは思います。それに精神病を治すにしても、家庭環境まで含めて治すとか、そういうことをしないといけないわけですよね。そうしないとお話にもならないというか。例えばドーパミンのレセプターが増えたっていうんだったら、なぜ増えたのかっていうことがあるわけですよね。そういうことも含めてまるごと治療しましょ、というのが今の真面目な精神科医の人が考えていることだと思うんですけどね。
 その一方で、生物学的アプローチで治そうという人は、還元してしまえば薬理的なバランスが崩れているっていうんだったら、クスリを外から入れてバランスを治してやれば良いじゃないかと。その後でそれ以外のことは考えてやればいいじゃないかと考えているんじゃないかと。

■うんうん。精神病に限らないんだけど、機械的な説明をする人は病気というのは「失調」だと考えているんですよね。機械の失調だと。でも、そうネガティブにだけ捉える必要はないんじゃないかなと思うんですよね。精神病というのは人間の脳ミソがここまで発達したことに伴う副産物なんだろうけど、その副産物を故障としてだけ見ることはないんじゃないかと。もちろん故障なんだけどね、ある意味では。
 もし、機械の故障という見方をしてしまうんだったら、精神病理学というのはほとんど意味がないと思うんですよ、逆に。

○と、おっしゃいますと?

■つまり、生物学的精神医学というのはいろんな道具を使って外から調べるものでしょ。具体的に言えば、外に出る物理的な変化や行動を調べるわけですね。それに対して精神病理学というのは本人の内面に入っていって、本人が何を感じているか調べるわけですよね。もし機械的な脳の故障が精神病のすべてだとすると、内面に入ったりすることは全然意味がないことになってしまう。

○内面というのは心の感情とか、主観のことですよね。

■まあ、そういったもろもろのことです。今でも普通の人は、「精神科医」と言ったら精神分析屋みたいなものを想像するでしょう? カウンセラーとかね。本人、自分が苦しんでいることを、分かってくれる人を精神科医に期待しているわけでしょう。

○ええ、そうでしょうね。

■で、そういう方向とね、いまの精神医学が追求している方向とはまったく相反するわけです。反しても良いじゃないか、というのももちろん一つの立場ですよ。でも僕はそうは思えない。精神科医の中でも生物学的精神医学が大嫌いな人は臨床心理に向かうわけですよ。で、内面を分かり合う魂の世界とかにいっちゃうわけです。それもまた極端すぎるんですよね。魂の世界にいっちゃう人は、今度は精神病をね、恣意的に解釈するようになるんですよ。

○恣意的?

■うん、この人がこういう妄想を持っているのは、こういう養育歴を持っているからじゃないかとかね。

○河合隼雄さんの箱庭療法みたいな世界のことですか?

■うーん、そうですねぇ。もちろん臨床心理というのは職人芸的な世界だから、治すのがうまい人はいるんでしょう。そのことは否定しないし、そういう人がいないと困りますからね。

○一方で、明らかに機械の故障としておかしくなっている人もいるわけですよね。そういう人には当然、投薬が必要ですよね。そこらへんについてのお考えが、いま一つよく分からないんですが。

■うん、僕が言いたいのは、精神医学を医療技術として考えると、生物学的精神医学でいいんじゃないかな、ということです。でも一般の人は、おそらく精神科医には内面を分かってほしいと思っているんじゃないですか。そうすると精神医学は世間のニーズと解離してしまっている、ということになる。

○アメリカみたいに精神科医とカウンセラーがいっぱいいればいいんでしょうか?アメリカではどうなっているんでしょう?

■アメリカではね、精神科医自身が精神分析をやっているんですよ。といっても実際に精神分析やっている人には医者じゃない人も多いんですよ。でも、精神科医になるためには精神分析の訓練も受けることになっているんですよ。ところが日本ではそうはならなかった。

○日本では精神分析というのはまったくメジャーじゃないわけですよね。最近のTVとかにはやたら精神分析が出てくるので誤解されているところも多いようですが。

■僕らの考えではね、精神科医の第一の仕事というのは「この人は精神病か精神病じゃないのか」ということを見分けることですよ。そして精神病だったら薬を使うんですよ。場合によっては電気ショックを使うかもしれないけど。精神病でなければ、願わくばカウンセリングの方に行っていただくと。ただ、あてになるカウンセラーが実際にいるかどうかが問題ですよね。

○じゃあ、本来、カウンセリングもできるくらいのことが今の精神科医には求められているわけですか。

■そうですね。ただ、時間の制約もありますからね。できないですよね。それとね、実は今の医療制度の枠内でも精神分析でお金が取れるわけですよ。でも本格的にやろうと思う人から見たら、全然制度が整っていません。だからやってもいない人がやったかのようにしてお金を取っているような状態で、非常によくないんですよ。つまり、内容がないのに、あるかのように見せかけている人が大勢いるわけです。

○うーん。

■医者だから、基礎の研究者と違って、社会のニーズに応えないといけないという立場から言ってますけどね。社会のニーズと、精神医学が向かっている生物学的な方向が全然合わないんだということです。
 でも本当の僕の本心は違うんですよ。僕の本当の興味は、むしろ基礎研究者的なところにあるんです。

○ええ、以前はそうおっしゃっていたのに、と思いながら伺ってました(笑)。

■その辺は僕自身はたしかに中途半端なんですよ。
 ただね、てんかんの患者さんで精神状態が不安定な人って多いんですよね。そういう人も「自分を理解して欲しい」って言うんですよ。

○そりゃそうでしょう。

■うん、言うんです。で、精神科って名乗ってる限りは、そう期待されるわけです。ところが、その期待に応えない医者が多いんですよ。

[10:精神医学は文理が入り交じった領域 ]
 


■で、僕自身は、そういう人間の内面の問題、主観的な問題と、脳の問題、客観的な問題を対応づけるということに興味が向いているから、どっちもやらなければならないと。自分で。というのも、今まであてになるようなものがあまりないんですよ。

○え?

■あてになるものがないんです。みんなどっちかしかやってないから。海馬・扁桃体をそれぞれ記憶と、情動、好き嫌いの場として見るのはすごく綺麗な話で魅力的なんだけど、それだけで納得してしまっては貧しいというかなあ…。

○それ以上のモノがあるのではないかということでしょうか?

■それ以上のもの。うーん、そうだなあ。
 最近、理科系で脳に興味を持ってる人と話していると、「あなた自身がそんなつまらないものだと思っているのかね?」っていう疑問が湧いて来るんですよ。

○ああ、なるほど。でもそこ、神秘なきところに、「神秘なき神秘を感じる」ってところもあるんじゃないんですか?

■うん、理科系はそうでしょう。パシッと、なんか真っ白になっちゃうところが良いんでしょう。

○例えば肝臓の悪い人がいて、その人にカンゾウヨクナールというクスリを与えるとその人は健康になれます、と。で、その流れで、脳の調子の悪い人がいて、その人はノウミソヨクナールというクスリを飲むと良くなる、それですべてオッケー、何の問題もないと思う人が、まあ理科系文科系で人を分けると理科系の人なんだろうと思うんですよね。
 そこで、そうやったときに、それでいいんだろうかとか、どこからどこまでがその人の本質なんだろうかということを考えると、ちょうど文理が入り交じったところの人たちになるんじゃないかと思うんですけど。

■うん、そうですね。僕が思うには、精神医学は本質的に文理が入り交じった領域なんですよ。

[11: 精神病に薬が効くとはどういう意味か]
 


○普通の人って、精神病って心の病だと思ってますよね。それが一部にせよクスリで治るんだということは、ある意味すごく衝撃的なことだと思うんですよね。

■うん、そうでしょうね。でも実を言うと僕らもね、本当に治ったのかといつも疑ってますよ。あのね、Bio-psycho-socialというつまらん言葉があるんですよ。直訳して「生物心理社会的」要因とかいうんですけどね。精神疾患というのはその3つの次元にまたがっているんだとか言って、それがモデルだというんだけど、そんなのモデルのうちに入るのかな、と思いますね。次元の違うものを3つ並べてもね。

○モデルっていう言葉の意味から外れてますよね。

■そう思うでしょ。でも言うんですよね、モデルだと。そこらへんが精神医学の胡散臭いところなんだけど。
 多くの精神疾患に対して僕らはマイナートランキライザー(ベンゾジアゼピン類)というのを投与するわけですよね。それでその病気が治っているのかというと、僕は治ってないと思うんですよね。それは本人のね、脳の回路とどう対応しているのかも分かってないという意味もあるけどね。

○効くからいいや、ということなんですか。

■うん、効くというのもね、最終的な苦しみのところにだけ効いているわけですよ。普通の人がマイナートランキライザーを飲んだら、眠くなって、脱抑制になって酔っぱらったみたいになったり、スケベになったりするわけですよ。それを、キリキリして自分で自分を苦しめているような人に投与したら、一時的にはその苦しみは収まるわけ。でもそれは決して病気が根本的に治ったということにはならないと思う。本人の性格が変わるわけでもないしね。
 ただ、人間は眠れなくなるとますます悪い状態に落ち込んでゆくものだから、薬の力で眠っていただくことは、良い状態に戻ってゆくためのきっかけを作ることにはたしかになるんですよ。だから臨床的には十分役に立っているんです。

[12: 薬物時代の、患者と医者の関係]
 


○今でもクスリを日常的に飲んでいる人は大勢いますよね。僕はそのうち、向精神薬を普通に飲む時代も来るんじゃないかと思うんです。逆にそういう時代になったとき、もしてんかんの特効薬みたいなものがあって、それを飲めば普通に暮らせるんだったら、いまは患者さんとして扱われている人たちも、ごく普通に社会にも受け入れられるんじゃないかなと思うんですけど。

■うん。実際、昔と比べれば薬のおかげで人前で発作が出ることがなくて、てんかんを持っていることを周りに知られずに生活している患者さんも多いんですよ。でもそういう人でも内面的には、いつばれるか分からないという不安をずっと持っているんだけれどね。本当の意味の特効薬は、そういう不安を完全に解消するものでなくてはならないわけですね。だから、あなたの言うようにすべての精神疾患に対する特効薬が揃った時代について想像してみると、どっちかっていうと『現代思想』的になるけども、内面、っていうか考える主体がなくなっていくのかね、将来。いまの技術社会っていうのが進んでいくと、内省がなくなって、ただ「訴え」だけがある。その訴えだけに対して医者、あるいはその代理をする機械が薬とかを処方して治していく。そういう風になるのかもしれない。それで何が悪いんやろ、っていう気もするしね。

○…。

■今までのところはそうじゃないけどね。たとえば拒食症の様な病気はね、社会の変化に伴って現れてきた病気に間違いないんですよね。めちゃくちゃ増えたんですよね、この十年か二十年で。最初はとても珍しい病気だったんですよ。それがまず先進国で出てきて、あっという間にバーッと世界中に広がった。
 感染症じゃないんだから病気が物理的に侵入してきたわけじゃない。社会の方が変わったから出てきたんでしょ。みんな日本語を使い続けているのに、どうしてそんな外国にしかなかった病気が出てきたのか。日本の社会が変わって、それに相関して日本人の心、日本人の脳が変わったということでしょう。まあ、それがBio-psycho-socialという意味なんでしょうけどね。
 社会が変わるに従って病気も変わっていくわけだけど、どうも現在の日本を含めた先進国の趨勢では、薬物依存の人が増えていく傾向にあるみたいですよね。それは何なのかといえば、自分の欲求を何でもお手軽に処理したいとう傾向だと思うんですね。科学技術の進歩もそういう一般人のニーズに合わせていくでしょう。
 だからこのままいくと、だんだん悩む主体っていうのがなくなっていって、ただ「痛い」とか「苦しい」とかいった訴えだけがある、それに、医者なり機械なりが訴えを処理していく。そんな時代になるのかなあ。

○そこまで『現代思想』的には考えてなかったんですけどね(笑)。

■でも理科系の考えるユートピアってそんなもんかなあと思うんですよね(笑)。

○ユートピアかどうかは分からないですけど、普通の人でも酒飲んだり、カフェインを摂ったりするのを見ていると、現代はもうある意味で、向精神薬摂取時代に突入しているから、副作用がなくって、飲んだらムシャクシャが収まるクスリとかがあったら、飲む時代が来るんだろうな、と。

■考えてみたら、酒というもの、つまりアルコール摂取の習慣がどの文化にも古くからあるっていうのも不思議な話ですよね。

○肉食った時と野菜食った時でも精神状態って違いますよね。そういうことと同じ延長線上にあるんじゃないかな、と。それでいいのかもしれないな。脳を機械だと思っているからそういう発想になるのかもしれませんが。

[13: てんかんの精神科医]
 


○でも先生はそれ以上のものがあるんじゃないかとお考えなんですよね?

■うん、だから思想的な方から見るとね、僕はポストモダンの人たちに言わせれば、自我とかそういうものに拘っているんだ、お前は拘りすぎ、ってことになるんですよ。自我を捨てなさい、とね。逆に僕から見ると、ポストモダン思想は文科系の理科系に対する全面降伏という風にも見えるんだけどね。

○ふだん、MEGを使って電流双極子を見ている人の言葉とも思えないんですけど(笑)。

■いや、MEGの話をしろって言われたらするけどもね。でも僕にとってはあんまり面白くないというか(笑)。
 さっき患者のニーズという話をしましたが、てんかんを専門にする精神科医というのはね、どちらかというと患者のニーズに応えるのが難しい精神科医なんですよ。

○は?

■というのは、精神科の病気の中で一番最初に生物学化されたのがてんかんですからね。そうすると、精神科医でありながら、患者さんの内面の苦しみとかあんまり聞かずに、いやはっきり言えばあんまり聞くのが好きじゃなくて、脳波を見たり、外から見える発作が起きているのを止めよう、っていうのが楽しいという人が多いんです。その楽しさというのは内科医や外科医と同じ質のものですよね。患者さんの訴えがあって、それを治す、と。精神科医に独特の内面的な仕事ではない。精神科医の仕事というのはもっと曖昧模糊としたものです。
 だからてんかんをやっている精神科医っていうのは、精神科医の中では精神科医らしくない人が多い。人間より機械が好きとかね、そういう人が多いんです。

○先生はどうなんでしょう。

■てんかんをやっている割には、割り切ってないところが僕にはあるんです。MEGをやっている範囲では割り切っているんだけど、それはある意味仕事というか、業績づくりとしてやらざるを得ないからやっているようなところがありますね。

[14: 抗てんかん薬の副作用、狙って薬が作りにくい理由]
 


○てんかんにはいろいろな薬がありますね。その話をお聞かせ頂けますか。

 



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深尾憲二郎-3

[06: 律動はなぜ重要なのか]
 


○すいません、今ひとつよく分からないんですが、発作が起こるときに律動が起こるということは、どうして大事なんですか?

■臨床的にはね、普通の人には起きない変な律動、たとえば棘徐波律動が出てくると、実際に発作を起こすからね。

○脳波を見ているとそういう波形が出てきて、その後で発作を起こすんですか?

■うん、波形と臨床症状の出現の前後関係は発作の種類によるけどね。臨床的な発作症状というのはね、脳波にその波形は出ているけれども、何もない、ということもあるんですよ。そういうのをsubclinical dischargeというんですけどね。clinicalには何も出てこないけれどもdischargeにはなっているんだということでね。脳の中では発作にはなっているんだけど巻き込まれている範囲が小さい。
 また範囲の広さだけの問題でもなくて、silent areaっていってね、発作が起こっていても症状が出ない領域っていうのが脳にはいっぱいあるんですよ。連合野とかね。だから本人はちょっと頭の働きが鈍っているかもしれないけども、はっきりした症状は出ないと。それがある程度広がってくると、あちこちに機能障害が出てきて、外から分かる臨床的発作の状態になるんですよ。

○うむむ。

■いや、本当にそうなんですよ。ということは「発作」というのはこういう日常的な裸眼で見ていることを言っているんです。今のてんかん学が進歩したのはビデオ・脳波同時記録というので症候群が分けられてきたわけで、たしかにこの人とこの人は同じだけれども、この人とあの人は違う、ということをやってきたわけですね。ビデオっていうのは要するに裸眼で見ているわけでしょう? それってすごく原始的な感じもするけれども、そういうところから始めないと仕方なかったんですね。

○なるほど。

■リズムが大事っていうのはどう説明したらいいのかなあ…。むしろ脳波を物理、工学の方から見ている人たちは、てんかんでリズムが起きるっていうのは非常に面白いことだと思ってるんですよ。それは、非線形力学とかを使って解析できるんじゃないかと思っているからです。

○ええ、いまお話を伺いながら、カオスとか、複雑系をやっている人たちならどう捉えるんだろうかと…。

■うん、そうですよ。物理系の人たちに話すと面白がりますよ。
 僕が研修医の頃のことですが、いろんなところに応用されたんだけど結局あんまり役に立たなかった、簡単にフラクタル次元を測るアルゴリズム(グラスバーガー=プロカチア・アルゴリズム)があるんですけど、それを使って、プリゴジンの弟子のバブロヤンツっていう女性研究者がてんかん発作の脳波にはストレンジ・アトラクターが出てくるという論文を書いてました。で、津田一郎さん(当時・九州工業大、現・北大)がそれを誉めてましてね。僕もそれを真似してやってみたんですよ。

○ふーむ。僕は正直いって津田先生の話、良く分からないんですよ。『カオス的脳観』みたいに、脳の中でカオスがある、それに何か重要なことがあるんじゃないか、といった程度だったら分かるんですけど、それが意識とか精神とかそういうことの解明に結局どう結びつくのかがさっぱり分からないし…。

■うーん。僕は一時期すごく共感したんですけどね、いまは批判的だけど。ご本人も当時とは大分考え方が変わっているかもしれないと思いますが。
 僕が当時考えたのは、てんかん発作において、すごく次元の高い、一見ランダムな活動から、すごく次元の低い、はっきり言ってほとんど一次元(単振動)に近い活動になっていくことが、意識を失っていくことと対応しているんじゃないかと考えたんですよ。つまり、意識というのは複雑なものだとみんな思ってますよね。で、その複雑さは情報処理の複雑さだろうと。それがほとんど一次元の振動に落ち込んでしまうということは、当然、意識のレベルが落ちていくということじゃないかと、割合素朴に考えたんです、当時。

○なるほど、それで?

■だけどね、なかなかうまくいかなかった。単なるアナロジーではなくて、ある一面を言い当てているとは今でも言えるのかもしれないけども、臨床的にはあんまり意味のない話だな、と今では思ってます。

○そうなんですか? 実際にはそうはならないんですか?

■なります。なるんだけどね…。
 リズムっていうのが何なのか。物理系の人たちによってひとしきりそういう研究がされて、90年頃にそれこそ“Chaos in Brain Function”というモノグラフが出たりしたんだけど、結局それ以来あまり進歩していないと思う。あとであの人たち──理学系工学系の脳波屋さん──の言っていることがおかしいと思ったのは、ああいう非線形力学の枠組みを使えば、脳のどこから情報を取ってもね、全体の情報がそこに詰め込まれていると。脳の各部位の間の相互作用がものすごくきついもんだから、一つの軌道を取ればね、全部が畳み込まれていると。

○ホログラム理論みたいにですか。

■ああ、ちょっと似てますね。それをうまいこと座標軸を作って開いてやると全部出てくると言うんだけど、それはね、全然間違っていると思った。っていうのは、頭蓋骨などの抵抗で、脳波の情報というのはすごく減らされているんですよ。脳波を実際にとり始めて最初ひどくショックを受けるのは、電極を頭に貼るでしょ、そしてそれをコードで引っ張って脳波計のアンプに繋ぐわけだけど、電極を頭から外していてもね、出ているんですよ波形が。

○そんなにノイズがあるんですか。

■ええ。つまりノイズと脳波の区別がつかないということですよ。実際に僕らが見ているのは何なのか。緊張しているときの脳波と、環境ノイズとが区別できないのはすごくショックだった。だから脳が一番活発に情報処理しているときの脳波の情報というのはランダム、ということになってしまうんです。

○ふーむ。

■つい最近でもね、ある大学の教授がてんかんの脳波を情報の伝達という観点から分析しようと。その人は医学部出身の人なんだけど自分でプログラムもするから。そういう動きはあるけど。

○難しいと。

■難しいというか、原理的な問題があると思うんです。脳波上のてんかん性波形の伝播はたしかに情報の伝達として数学的に分析できるでしょうが、それは脳内で行われている生理・心理的な情報処理とはほとんど何の関係もないでしょ。そういう生理・心理的な情報処理は脳波上ではランダムにしか見えないんですからね。

[07: 自然による刺激実験としての、てんかん]
 


○先生は本の中で、てんかん発作の直前に起きる情動の揺れ、精神状態についてお書きになってますよね。ああいった発作の前兆に特に興味をお持ちになったのはどうしてですか。

■僕は京大で現象学的精神病理学を学んでいたので──現象学というのはもともとはフッサールの哲学的現象学のことだけどね──、そういうふうなものの見方で、発作の前兆を見たら面白いんじゃないかな、と思ったんですよ。ちなみにアメリカでは精神分析がすごく流行ったから、てんかんの前兆を精神分析的に見るとか、そういう論文も書かれているんです。だけど精神現象を現象学で見るというのは、精神分析みたいな既成の枠組みを取り払ってね、本人の心の中でいま何が起こっているかということをただ虚心坦懐に見る、ということなんですよ。
 それは言えば簡単なことなんだけど、なかなかね、本人が前兆を訴えて苦しんでいるときに「あなた、どんな感じがするんですか?」と聞いたりするのは難しいことなんですよ。

○そりゃそうでしょうね。

■それをうまく聞き出すというのも一つの技術なんですよね。「発作が起きそうです」、と言われたら「どんな感じなの?」と聞く。そうすると、本人の主観で起きていることをできるだけ詳しく聞き出すということで、てんかん発作というのは脳の一部で起こるわけだから、脳の一部が異常に活動したときに何が起こるか知ることができるのではないか、と。そういう狙いがあったんです。

○自然による刺激実験としての、てんかんですか。

■その通り。教科書的にもね、てんかんの前兆というと、側頭葉の発作の場合は音が聞こえてくるとか、後頭葉の発作の場合は光が見えるとか、大ざっぱには誰でも知っていることはあるわけなんですよ。
 もっと詳しいことを知りたいと思ったんです。それはペンフィールドの書いた本で、古典になっている“Epilepsy and the functional anatomy of the human brain”を読書会でみんなで読んでいて思ったんですね。ペンフィールドはそういうことにすごく興味を持っていたようです。ペンフィールドは脳外科医ではあるけれども、精神現象ということに非常に興味を持っていた人だったんですよ。

○なるほど。

■もちろん現在では、ペンフィールドがやったように意識のある人の頭を開けて電極で刺激するなんてことはできない。でも、もう少しソフィスティケイトされた形ではやってます。頭蓋骨の中に電極を入れて、脳の中のどこにあるかはレントゲンで分かるから、何列何行目の電極を刺激したらこんな感じがしたとか、そういうことは今でもやっているわけです。それはもちろん実験のためにやっているわけじゃなくて、手術のために、どこからどこをどのくらい切るかということを決めるためにやっているわけですが、その副産物として、何か分かるのではないかと期待したわけですよね。

○ふーむ。副産物ね…。

■でも実際はね、臨床の現場って無駄なことをやっている余裕はないですよ。

○そうなんでしょうね。

[08: 前兆現象としてのデジャビュ]
 


○先生はてんかんの前兆現象としてデジャビュ(既視感)のような感覚が起こることがある、とお書きになってますね。それはどうしてなんでしょうか。

■デジャビュというのはほとんど誰でも経験したことがある現象ですが、側頭葉てんかんの発作の前兆として、その強いのがよく出現するんです。だから側頭葉の機能になんらかの関係があるはずですね。しかもデジャビュはそれだけじゃなくて、自分が自分でないような感じ(離人感)とか体外離脱体験にも繋がる現象と考えられますので、心身問題についての取っかかりとしていいのじゃないかと思うんです。

○なるほど。

■最近ね、酒井邦嘉というまだ若い認知神経科学の研究者が書いた本で『心にいどむ認知脳科学』というのがあって、その本では「記憶と意識の統一論」というのを唱えているんだけど、デジャビュについて少し触れてるんですよ。デジャビュという感覚があって、それは前世の記憶だ、輪廻転生の証拠だなどと言われているけど、それは本当であろうか、とね。酒井さんの説では、脳の中の原風景みたいなものがあって、それと重なるんじゃないかと。たぶん彼はオカルトにかぶれている若い人たちに警告しているつもりなんだろうけど、僕らから見ると、百年前から言われていることを繰り返してるだけじゃないかという感じです。認知神経科学の人たちは精神病理学の歴史を知らないんでしょうね。

○最近の精神疾患の人の症例集とかその手のものをパラパラめくる限りでは、親近感のようなものを感じるものがたぶんある種のモジュールとして、おそらくは扁桃体とかにあって、それがいかれちゃうとカプグラ症候群(知っている人や家族を偽物と感じる症候群)とかになるんじゃないかと思ったんですけど、そうではないんでしょうか。だから逆に、そういうところから放電が始まると、デジャビュのような感覚が前兆として湧き上がってくるのかと思ったんですけど…。

■ええ、そう考えられていますね。
 精神現象、主観現象、精神病理学と、客観的な生物学なり神経学と対応づけるという観点からすれば、海馬・扁桃体の働きだろうということになりますね。
 でも、自分としてはもう一つね、そういう説明ではなんか満足できないところがあって。

○ええ、お話を伺いながらどうもそれっぽいな、と感じたもので。それは?

■この感覚が何なのかというのは説明しづらいんですけどね。
 例えば…、扁桃体と海馬の相互作用を研究してらっしゃる小野武年先生(富山医科薬科大)が、場所ニューロンというのが海馬にあるというのを発見されましたよね。

○空間認知に関わるニューロンですね。

■ええ。実験室の中でサルがトロッコみたいなので自分で動けるようにしてあって、周りに風景のようなものが作ってあるんですよね。そしてあるところに来るとピピッと反応するニューロンがあるという話なんですよ。しかも、この風景をこっち側からだけ見たときにだけ反応する、と。これは後で数学的に解析して相関を証明したんでしょうけどね。
 そういうものとね、デジャビュが本当に同じなんだろうか、と思うわけですよ。サルがデジャビュを感じているかどうかはもちろん確認しようがないわけですが、脳生理学の人たちはそれで十分だと思うらしい。でも僕にはどうしても納得できないところがある。

○「同じなんだろうか」とは、どういう意味ですか?

■海馬の中にすべての記憶があるわけじゃないだろうけれど、ある種の記憶にとって海馬が非常に大事だと言うことは誰も疑わないですよね。海馬のある特定の部位が刺激されたら特定の記憶が出てくるということも認めるとしても…、それだけで本当に説明はついているんだろうかと思うんですよ。僕が臨床をやっていて、患者の主観症状をいつも聞いているという環境の影響ももちろんあるでしょうけど。
 たまたま僕はMEGをやっていて、スパイク(てんかん性発射)の発生源を決めようとしている。これも実はどこまで信じられるのかという問題はあるんだけどね(笑)。

○そうなんですか(笑)?

■いや、ただ僕の信じるところでは、海馬あるいは内側構造からの発射を意味するdipole(双極子)とね、外側皮質からのものとに分けると、むしろデジャビュみたいなものは、海馬からじゃない方のもの、むしろ外側皮質からのタイプのものに相関したんですよね。だから少なくとも側頭葉の外側皮質は関係していると思うし。
 ペンフィールドがね、側頭葉皮質を刺激したら患者がいろいろ思い出したと書いてますね。けれどもそれは外側皮質と一緒に扁桃核や海馬を刺激していたことにペンフィールドが気が付かなかったんだ、と言われたんです。後の研究者たちが深部電極を挿し込んで海馬や扁桃体を刺激してみた結果、ペンフィールドが見たものは内側構造の刺激の結果だったと言い出したんだけど、それはやはり言い過ぎでね。
 だって、海馬みたいな原始的なところに複雑な記憶のすべてがあるはずがないでしょ。いや、生理学者ならもちろんそうじゃないと言うだろうけど。短期記憶についての最初の割り当てみたいなことをやっているだけかもしれない。

○ふむ。単純に割り切れないということですか。

[09: 精神科医に求められているもの]
 


■僕自身がどういう問題意識で研究をやっているのかというとね、なかなか理科系の人、文科系的な感覚を持ってない人に説明するのは難しいんですけど…。

○え、それって普通逆じゃないんですか?

 



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深尾憲二朗-2

[03: てんかんの原因遺伝子と回路異常はどこに]
 
○具体的には何をコードしている遺伝子が怪しいと言われているんですか?

■やっぱりイオン・チャンネルか、何か神経伝達物質のレセプターだとみんな思っているんですけどね。
 カルシウム・チャンネルやクロライド・チャンネルとカップリングしている何とかレセプターだとかみんな思っているんだけど。それは遺伝子のプローブが作られているものがあちこちにあって、染色体のここらへんにあるということを知っているもんだから、ある症候群の家系について連鎖解析か何かでそれを含んだところがどうも怪しいということになると、話が合ってきてみんな喜ぶわけですよ。

○…。

■一方で、てんかんの動物モデルで一番研究されているのは、キンドリングと呼ばれている側頭葉の海馬とか扁桃体から起こる発作のモデルなんだけど、それは側頭葉てんかんが薬物治療によっては治りにくいてんかんで、しかも手術によって治ることがあるからなんですね。特に海馬に特異な病理的な変化があるということで、それが動物実験によって再現できるんじゃないかと。発作を起こすモデルを作って、ある段階で殺して、脳をスライスして見てみるわけです。
 そして人間の側頭葉てんかんの病歴と比べてね、たぶん赤ちゃんのときにひどい痙攣が起こって、その時に海馬の回路が壊れてしまって、その後繰り返し発作が起こるようになるんじゃないかとみんな思っているわけですね。それは側頭葉てんかんに関しては非常にもっともらしい仮説なんですよ。しかしじゃあその前に最初のひどい痙攣を起こす遺伝子の異常はあるのかというと、それはよく分からないんです。

○ふーむ。

■その分野はかなり研究者の数も多くて、盛んにやられているんだけど、言うほどにはね、臨床に近づいてない。動物モデルは動物モデルで閉じてしまっているところがあって。

○実際に臨床現場にいる先生の感覚だと、ということですか。

■うん、やっている人は本気でやっているんだろうけど、もう一つね…。側頭葉てんかんの病歴も一通りではないしね。たしかに子供の頃に長い引きつけを起こしていることが多いんだけど、そうとも限らないしね。

○なるほど…。

■まあ、遺伝子との関係はね、てんかんの人が子供を産んだらやっぱり発作を起こしたということがあるんですね。だからやっぱりあるんだと思いますよ。だけどね、たぶん、かなり多因子だと思うんですよ。非常に多くの遺伝子が絡んでて、たまたま、ある組み合わせになったときに出て来るんじゃないかと。しかもその組み合わせもおそらく一つじゃない。そういうものだろうと思いますね。

○抑制系の回路を作っているもののどこかが壊れているとそうなるんですかね?

■GABA系とかね。分からないですけどね。

○ふーむ。てんかんって、子供の頃によくなるそうですね。でも大人になってくると、だんだん出なくなっていく。それはやっぱり成長の過程でそういう回路ができあがっていくからだろう、と考えられているんですか?

■そうですね。
 あのね、脳波の検査の時に過呼吸ってやってもらうわけです。スーハースーハー、わざと息を激しくやってもらう。そうするとね、中にはバーッと脳波の状態が変わってくる人がいるんです。それはてんかんの患者さんではなくても、ある年齢までは脳波って変わりやすいんですよ。それがだんだん大人になるに従って、あんまり変わらなくなってくるんですが、てんかんの患者さんはいつまでも変わりやすいままなんです。そういうことがあるんで、みんな、そうは思っているんです。

[04: 細胞レベルの発作と、脳全体の発作]
 
○しかし、それは一体何を示しているんですか。その脳波は実体としては何を示しているんでしょうか?

■分からんのですよ。抑制系が発達してくるという言い方で、多少は具体的なイメージが浮かぶけれどもね。実験系でね、やってることと今ひとつ…。
 てんかんも、いまのニューロサイエンスのテーマの一つだというわけで、基礎研究の人たちがたかってくるわけですよ。アメリカでも日本でも。一つの細胞で、なんとかチャンネルがどうしたこうしたということをやっているわけですよ。でも、それを抑制するっていうことと、脳全体が発作を起こすっていうことは同じだろうかと。僕はすごく違和感があってね。無関係とは思わないけど。
 ああいう、深呼吸したときに脳全体が一秒に何回か振動するっていうようなものすごく大きな反応が、細胞一つのものから本当に説明できてるんだろうか。「抑制系」っていったときの「系」ってどういう意味なんだろうかな、とかね。

○なるほど。

■薬理の人たちは、すでに分かっているニューロンの繋がりを問題にするでしょ。なんとか系がなんとか系を活性化してっていう形でね。でもそんなこと言うと、全部繋がってしまうんですよね。だからむしろ、全部繋がってしまうのが、どう抑えられているのかということの方が大事だと思う。

○ううん。

[05: 律動が周りを巻き込んでいく]
 
■それと、実際の発作の広がり方っていうのはね、これは部分てんかんと全般てんかんでおそらく違うんだけど、部分てんかんの患者さんが手術を受ける場合の検査の過程で、僕らは頭蓋内脳波で発作の広がりをある程度見ることができるんです。
 それで見ると、発作活動というのはじわじわ隣に広がって行くんですよ。

○え?

■つまり、狭い範囲でまず始まったものが、ズワーッと周りに広がって行くんですよ。
 発作活動というのはつまり律動的な強い電気的振動ですね。もともとはそんなものはなくて、ザラザラしたバックグラウンドのノイズしかないわけですよ。そこに、忽然と妙な律動が出現すると。その律動が、周りを巻き込んでいくんです。で、またその律動が、遅くなったり、場合によっては速くなったりするんです。非常に不思議なんだけど、それが、てんかん現象なんです。
 つまり何が言いたいかというとね、セロトニン系が賦活されたからとかドーパミン系が賦活されたからとか、そういうことじゃないと思うんですよ、てんかんというのは。もちろんそういう薬理学的なことが起こってもおかしくはない。でも僕らの実感としては、てんかんというのは律動がね、引き込みっていうのかなあ…。

○心筋細胞がだんだん同期して律動していくようにですか?

■うん、そうそう。本当にそうなんです。

○でも、実体としてはセロトニン系がとか、ドーパミン系が、という話ではないんですか? それとは違う要因によって同期していくんじゃないか、ということですか?

■そうそう。薬理学的な、セロトニン系がといった場合は、解剖学的にはこれこれこういう構造があって、こっちはドーパミン系で、あっちはセロトニン系でという形になっていて、外から血液を通じて与えると、パッと働くと。そんなイメージでしょ。
 そうじゃないんだと思うんですよ、てんかんというのは。ニューロンが、もともと持っている可能性が出て来るんじゃないかと。暴力的な律動をしてしまうというのはね。

○もともと皮質のニューロンというのはそういう同期する性質を持っていて、それがポッと出てくるのがてんかんではないか、ということですか?

■そうです。そういう同期現象についてのミクロのメカニズムは要するに分かってないわけですよ。

○でもクスリを与えると治ったり収まったりということはあるじゃないですか。そういう話はあるけれども、本質とは違うんじゃないかということですか?

■うん。動物にてんかん焦点を人工的に作って、そこから細胞を取り出すとたしかにジャジャジャッといわゆるseizure(発作)の活動が起きるんだけど、それとね、僕らが脳波で見るような一秒に何回か、3Hzとか5Hzとかの活動が脳全体で起こってくる、あるいは一部から脳全体へバーッと広がっていくことが、どう関係あるのかはよく分からないんですよ。それは、セロトニン系が動員されたからだとかいうことではないんだと思うんです。
 少なくとも部分てんかんで見ていると、隣を巻き込んでいくんですよ。この部分が発作を起こすと、次はその隣、その次はまたその隣と、巻き込んでいくんです。

○いわゆる解剖学的な繋がり、線維とは関係なく巻き込まれていくんですか。

■うん、関係ある場合もあるでしょうね。離れた皮質に跳ぶこともあるんですよ、たまにね。跳ぶときにはたぶんどこかの線維を伝わっていくんでしょうね。

○ふーむ。

■その繋がりというのはね、みんな分からないんですよ。最近、optical dyeですか、興奮した細胞が光って見える染料があって。あれでネズミの後頭葉皮質を見た研究があって、それだと、コラムを一回りした興奮が隣のコラムをまたくるっと一回りして巻き込んでいくという形でしたね。あっちのほうが、合ってるんじゃないかと思うんですよ。コラムみたいな単位はあるんだろうと。

○話がちょっとずれちゃいますが、コラムという構造は、結局のところ実際にあるんですかね?

■いやー、僕には分からないですけどね(笑)。少なくとも後頭葉皮質にはあるでしょう。

○人によって言うことがあまりに違っていて、僕らみたいな立場の人間がどちらを信じれば良いんだろうかと。あるところにはあってないところにはないんだろうなとは思うんですけど。

■そうでしょね。
 あのね、繰り返しますけど、発作は律動、リズムができるということが一番大切なんですよ。臨床てんかん学の中ではこれが一番重要なことです。僕らはそのリズムを作り出す実体を想定してペースメーカーという言い方をするけどね。ペースメーカーはどの部位にある、とか。
 しかもこの律動が、一秒に何回かという非常に遅い律動なんですよね。もちろん速くなると、普通の脳波では目に見えなくなってしまうだけかもしれないけども。だけどね、目に見えるくらいの律動のときに発作が起きるということが重要なことだと思うんですよ。それとミクロの細胞がseizureを起こすということがどう繋がるのか、いま一つ分からない。

[06: 律動はなぜ重要なのか]
 
○すいません、今ひとつよく分からないんですが、発作が起こるときに律動が起こるということは、どうして大事なんですか?

 



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深尾憲二朗-1

【深尾憲二朗(ふかお・けんじろう)@国立療養所 静岡東病院 てんかんセンター】
 研究:精神病理学、てんかん学
 著書:『講座 生命'97』所収「死のまなざしとしてのデジャビュ」、哲学書房
    『講座 生命'98』所収「他者を真似る自己」、哲学書房


○てんかんの研究者、深尾憲二朗氏にお伺いします。
 深尾氏は脳磁図(MEG)を使い、てんかん発作のメカニズムに関する研究を進めておられる一方、情動、精神などについても深い関心を持って考察をすすめておられます。
 9回連続。(編集部)
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○最近は、精神とか心とかの話が流行りですから、今日のお話はいろんな方の興味を引くんじゃないかと思ってます。
■そうですか? そうかなあ。ぼくの興味がそんなに一般性があるかどうかは疑わしいと思いますけど。

○いやいや、よろしくどうぞ。

[01: てんかんとは]
 


○てんかんとはどういう病気なんですか。結局、教科書的なこと以外はよく分からないんで、先生からお伺いしたいんですが。

■はい。
 まず、てんかんは大脳皮質の病気だということは分かっているんですよ。マイナーな意見としては皮質以外の部分、たとえば基底核からもてんかんは起こるんだという意見はあるんだけれども、まあ定説では皮質です。それで現在てんかんとは「大脳皮質の神経細胞の過剰な発射によって発作を繰り返す慢性脳疾患」である、と定義されています。

○発射、ですか。

■「発射」というのはdischargeの訳で、これは「放電」と訳されることも多いんですけど、放電というのはおかしくてね。まるで脳を蓄電池みたいに捉えているように聞こえるでしょう。
 dischargeというのは語源的には荷物(charge)を下ろすことで、医学用語としては、もともとは鼻水が出るとか、とにかく溜まっているものが出ることを全部dischargeと言ったんですよ。そこから神経学の中ではdischargeという言葉は、神経の中を何か流体が伝わっていって、感覚を伝えたり筋肉を動かしたりするということを表現するようになったんです。19世紀半ばまで神経学はデカルトの自動人形みたいな力学モデルでしたからね。
 そういうわけでもともとは放電の意味ではなかったんだけど、脳波が出てきてから、この発射に当たる現象が脳波上の激しい電位変動として捉えられるようになったので、いつの間にか放電のイメージにすり替わってしまったんです。

○なるほど。

■とにかく、てんかんというのは大脳皮質の神経細胞の発射が過剰になっていて、それで臨床的な発作が起こるということです。発作の症状としては全身または体の一部の痙攣のほかにも、感覚性のものや精神性のものがあり、実にさまざまな発作症状があります。それでそういう発作を一回だけでなく何回も繰り返す慢性の疾患のことを、「てんかん」と呼んでいるわけですね。

○なるほど。それで?

■ぼく自身はこれまで、脳磁図(MEG)を使っててんかん性発射を捕まえて、その発生源を推定することで、いろいろな原因でいろいろな皮質の部位から起こってくるてんかん発作のメカニズムを明らかにしようという研究に携わってきたんです。
 脳磁図は脳から出る磁気を測るテクノロジーですが、脳から出る磁気というのは脳の中を流れる電流に伴って発生するものですから、てんかん患者の脳の中を流れる異常に強い電流を、頭の周囲の磁場の変動として捉えることができるわけです。脳磁図を使った研究は広い意味での脳波学、いわゆる臨床神経生理学的方法に入ります。

○ええ。

■でも本当は僕自身はてんかんの精神医学的側面の方に興味を持っているんですね。それはなぜかといえば、いわゆる心身問題に直接関わっていると思うからです。僕は心身問題に強い興味があるんです。

○心身問題とてんかん、ですか。確かにそれは面白そうです。

[02: てんかんと精神病 ~内因性、外因性、心因性]
 


■昔はてんかんは精神病の一種だと考えられていたんです。二、三十年前までは、本当のてんかんというのは遺伝して、脳の中に器質的な異常がないものだと言われていたわけですよね。確かに一部、交通事故で頭にケガをした人がてんかんを起こすようになることがあることは知られていたけれど、そういうものは続発性、あるいは二次性と呼ばれて、本当のてんかんではないとされていたんですね。

○ええ。

■そして脳波が出てきてからは、本当の、つまり遺伝する素因性の──現在では「特発性」と呼びますが──てんかんを脳波から見分けようということが始まったんですよ。
 てんかん学の歴史上、非常に重要であったペンフィールドの「中心脳仮説」というのがありますが、これは、いろんな意味で微妙なものなんです。

○と、仰いますと?

■というのは、ペンフィールドは脳神経外科の立場から、てんかんも手術したら治るんじゃないかということをやっていた人なんですね。そのペンフィールドが、たしかに大脳皮質の局所にある病変を外科手術で取ったら治るてんかんもあるけれども、そうではなくて、脳幹のある部分、彼の言う「中心脳」から全体に投射してくるてんかんもあると書いているわけですよ。それをペンフィールドは「中心脳性発作」と呼んだんです。それがちょうど、遺伝する体質性、特発性のてんかんにあたるわけですよ。

○なるほど、で、実際は?

■そういう人の脳は、MRIなんかで見ても何も異常は見つからないんですが、脳波は異常で、実際に発作を起こす。だから敢えててんかんを精神病だというんなら、それだけが残ってくるんですけどね。でもそういうタイプのてんかん患者には、むしろ精神病は少ないんです。本当に臨床的に問題のある精神病を抱えている人は側頭葉てんかんに多いんです。つまり、目に見えて脳が傷んでいる人に多いんです。

○器質的な原因がはっきりしている人ということですね。

■うん。だから僕はこっちに来てから患者さんを診ているとね、側頭葉てんかんの患者さんで、側頭葉の発作もあるんだけど、精神病の症状もあるという人が、けっこういるんですよね。しかも病気の重い人に多いんですよね。つまり発作が治らない、薬を飲んでいても発作が止まらない人に、精神病の症状を持っている人が多いんですよ。それで大学時代の師匠である木村敏先生に、「そういう患者さんは精神病と区別がつかないですよ」と言ったら、ひどく嫌がられたんですね。

○それはなぜですか?

■なんでかというと、精神病というのは、古いタイプの精神科医の人たちにとっては脳の病気じゃないんです。あるいはそこまでは言わないにしても、脳に何かがあったとしても、脳の障害や変化は二次的なものであって、本質的には精神そのものの問題だと言いたいわけです。

○「心因性」、というやつですか?

■ううん、あのね、それともちょっと違うんです。それとは別に、「内因性」という言葉があるんですよ。

○ああ、最近だとコンピュータ・アナロジーで言われているやつでしょうか? システムとしての心、それが崩壊すると。

■ああ、そうだと思います。でも僕は、機械でやっている人たちは、「心因性」と「内因性」の本当の違いが分からないんじゃないかと思うんですよ。第一、僕ら自身にも本当はよく分からないんだから。

○…?

■精神疾患は原因によって分けると内因性、外因性、心因性の3つがあります、とだいたい教科書には書いてありますよね。「内因性」の精神疾患が躁鬱病と精神分裂病で、実は昔はこの中に、てんかんも入っていて<3大精神病>と言われていたんです。
 「外因性」は、薬物中毒とか、梅毒のような脳を侵す病気のためにおかしくなるとか、頭部外傷を負った後におかしくなるとかいったものです。「心因性」というのは社会的ストレスによるいろんな神経症とか最近話題のPTSDとかのことですよ。

○なるほど。

■だけど「システムとしての心」というのは内因性と心因性のどっちのことを言っているんだろうか。僕はやっぱり、専門外の人たちは内因性というコンセプトがピンとこなくて、混乱しているんじゃないかと思うんですけどね。

○ちょっと話はずれちゃいますが。この辺りのことを本で読んでいて、僕が一番よく分からなかったのは、器質的な精神病と、そうじゃない精神病があります、とよく書いてありますよね。その意味が僕はよく分からないんですよ。器質的じゃない精神病っていうのがあるのか、ということが僕には分からない。つまり物理的な実体がないものがあるはずないんだから、器質的なところに基盤がない精神病なんか、ないんじゃないかと思ったんですけど。

■うん、それはね、あなたが唯物論者だからですよ。

○いやまあ、そうなんですけど(笑)。

■精神医学っていうのは今でも唯物論になってないんですよ、この3元説があるということは。また別の見方をすれば、僕は器質性という言葉の意味がよくわからないんですよ。器質というのはorganの訳でしょ。この場合のorganっていうのはたぶん脳のことを指す。そうすると器質性って何を指しているんだろう。
 というのはね、よくてんかんを診ている医者でも、「器質的な異常はない」とか言うんですよ、写真を見てね。そういうのはね、時代によって変わるんですよね。一昔前にはCTで分からなかったことが今はMRIで捉えられたりするでしょ。MRIもどんどん新しく強力なものが作られて、その度に新たに見えてくるものもあるし。単に目で見えるか見えないかで言っているだけなんですよね。

○今はレセプターがどうこう、ということで器質性と言っているんじゃないんですか。

■いや、そういう分子レベルの話になったら器質性かそうでないかの区別というのは全然意味がないと思う。実際、今のところ臨床ではレセプター・イメージングなんか使っていないしね。
 ただ、最近の研究者の間では、内因性というのは何のことかというと、遺伝するもののことを指すと考えているんですね。一方、心因性というのは獲得されたシステムの異常で、内因性は遺伝だと。

○ええ、どうしてもコンピュータ・アナロジーで捉えちゃうんですけども、内因性というのは初期不良、例えばチップにホールがあったとか、そういう欠陥の類で、逆に心因性というのは、ソフトが走っている状態で起こるシステムエラーみたいなものじゃないんですか。まあ、こういう「たとえ話」には違うともそうだとも言えないとは思いますが。

■生物学的精神医学者の人たちはそういう見方でしょうね。ただ分裂病と躁鬱病は一緒にならないんですね。分裂病というのは細かい回路の異常じゃないか、と考えている人が多いんですね。顕微鏡で見ても分からないくらいの。

○「回路」というのは実体としての回路ですか?

■ええ。生物学の人たちは、なんとかそれが見えないか、と思っていろいろやっているわけですね。そして、内因性というのは遺伝素因のことを指すと考えているわけですね。例えばてんかんにも何らかの形で遺伝素因があることはみんな認めている。

○先生はまた別の立場なんですか?

■ううん…。僕はこの3元説ってあまり意味がないように思うんですよね。
 例えばね。心因によって分裂病になるか、といった議論を精神医学ではするわけですよ。で、ならんと。というのは、いろいろ臨床的な経験の蓄積があるからね。実際、何も原因がないのに、ある人が成長過程のある段階でものすごくおかしくなることがあるんですよね。その人を病院にへ連れてきた家族は「きっかけとなったのはこういうことで…」とか言うんだけど、そういうのはみんな大したことないことだったりするんですよ。なのにおかしくなるんだから、もともと素因があったんだと。それを内因性と言っているんですけどね。で、その素因というのは遺伝するらしいということなんですね。
 でも最近の研究だと分裂病というのはどうも一つの病気じゃない、と言われているんですね。だから非常に遺伝の研究は難しい。

○ええ。

■躁鬱病のほうがまだ可能性がありますね。鬱だけというのは分からないんだけど、躁と鬱の両方があるのはかなり遺伝するらしいということが分かってますね。そうすると逆に遺伝子と突き合わせやすいのはやはり内因性だということになるでしょ。

○なるほど。

■じゃあてんかんはどうなのかというと。てんかんはいま20~30の症候群に分けられているんですが、中には遺伝性が強い症候群もあります。そういうのは遺伝研究もされていて、鍵となる遺伝子が何番染色体のこの辺にありますとかいう人もいるんだけど、なかなか再現性がなくて困っている、といった状況です。

○再現性がないんですか?

■うーん、まだちょっと論争中といったところですね。
 結局、遺伝する実体は症候群といった単位じゃないかもしれないわけです。国際抗てんかん連盟によって81年に発作の分類がされて、89年に症候群分類というのがされたんですよ。だからまだ分類されて10年も経ってないんです。みんな今の分類で十分だと思っているわけじゃないし。まだまだ新しい症候群が見つけられたりしていますからね。
 症候群というのは外に現れている表現型ですよね。それによって遺伝子の異常と1:1で対応づけられると考えるのが、もともと理想主義というかね。みんなそうだったらいいなと思っているんですけどね。

 



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不用品回収

やらなくてはいけないことがあれこれあるけれど
面倒で先延ばし
ブログだけ書いている

郵便受けにチラシ

不用品回収……いつも見る
粗大ごみ……わたしのことだろうか
役所でも引き取ってくれないもの……わたしのことだろう
遺品整理……まだ生きているが、その日が目に見えるようだ



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船場吉兆 使い回し

 牛肉の産地を偽装表示していた高級料亭「船場吉兆」(大阪市中央区)が、本店の料亭部門で客が残した天ぷらやアユの塩焼きなどの料理をいったん回収し、別の客に提供していたことが2日、分かった。料亭経営を取り仕切っていた当時の湯木正徳前社長(74)の指示で昨年11月の営業休止前まで常態化していたという。大阪市保健所も同日、「モラル上あってはならないこと」として食品衛生法に基づき、本店の立ち入り調査を行った。事実関係を確認したうえで行政指導する方針という。

 一方、九州産牛肉を但馬牛などと偽って販売した偽装事件について、府警は、表示変更のコストを節約するために偽装を継続したとみて、不正競争防止法違反(虚偽表示)容疑で湯木前社長と長男の喜久郎前取締役(45)らの書類送検に向け、詰めの捜査を急いでいる。

 関係者の証言によると、使い回しは、本店の調理場で、仲居が客席から下げてきた器を回収。客がはしを付けた料理は調理人が廃棄するが、はしを付けずに残った料理の一部はいったんトレーなどに移し替え、器に盛り付け直して別の客に提供していたという。

 使い回されていたのは、アユの塩焼き、ゴボウをうなぎで包んだ「八幡巻き」、エビに魚のすり身を塗って蒸した「えびきす」など。天ぷらは揚げ直して出すこともあった。さらに手付かずの刺し身のつまも出し直していた。

 接待の宴席などでは、比較的食事に手をつけない接待側の客に使い回しの料理を出していたといい、元従業員は「先輩の調理人から『使えるものはすべて使う』と指示され、残った料理をえり分けていた。1人数万円の料金を取っていた高級料亭として恥ずかしい」と話している。

 これらの使い回しについては、府警も一連の捜査の過程で事情を把握しているという。

 船場吉兆の代理人弁護士は、使い回しを認めたうえで「お客さまに大変申し訳ない」と謝罪。「(1月の)営業再開後は一切やっていない」と説明している。

 食品衛生法は、腐敗などで健康を損なう恐れがある食品を販売することを禁じているが、使い回しに関する規定はないという。市保健所は「健康被害がなければ法的な責任は問えないが、食に携わる事業者としてあってはならない」と話しており、同社の関係者から詳しく事情を聴いている。

*****
どうせ関係ないことですが。

アユの塩焼き、ゴボウをうなぎで包んだ「八幡巻き」、エビに魚のすり身を塗って蒸した「えびきす」など。天ぷらは揚げ直して出すこともあった。さらに手付かずの刺し身のつまも出し直していた。

いいじゃないですか。別に。そんなもので喜んで食べている程度の客なら。
世の中を多少でも知っているなら、奥の方でどんな人が何をしているのかくらい、分かりそうなものです。



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Giorgio Armani Paul Stuart 煉瓦亭

http://www.giorgioarmani.com/ga_menu/JP/home.html
Giorgio Armaniのページ。
動画も音楽も楽しい。
やっぱりすごいな。説得力がある。
オープニングの画面がいい。
http://www.giorgioarmani.com/index.jsp?language=JAP&site=AC&movieSession=armani_collezioni.swf&audio=acceso
ここの音楽もいい。
みんな痛いような顔をしている。

*****
今日街で見かけた中ではPaul Stuart の女性もの花柄ワンピースが素敵だった。
そのうえにピンク系のカーディガン。冷房対策だ。

*****
銀座煉瓦亭で食事。
エビライスとポークカツ。
いつもの組み合わせ。
合計で2500円。
小さなマッチを一箱もらった。
お香に使う。

*****
プランタンでは店内にボサノバ。
いいぞ。通勤で見かけた覚えのあるワンピースを発見。
なんとなく全体に夏のリゾートのゆったりした気分だった。

*****
無題200805022.JPG

Paul Stuart の花柄ワンピース みつからず
こんなのを見つけた

Paul Stuart の明るくて抜けのいい色が好きだ


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Eee PC ASUS vs 工人舎

Eee PC ASUS vs 922SH vs EM・ONEα(S01SH II)
を店舗で比較した。
ソフトバンク922SHはとても使う気にならない。
キーボードの配列も特殊だし、厚いし。
EM・ONEα(S01SH II)も似たようなもので、
こういうもので何かをしたいという気持ちがよく分からない。

店舗ではEee PCのとなりに工人舎。
どちらもEMのモバイル端末とセットで割引販売していた。

キーボードはこのくらい小さくてもいいような気がしてきた。
指を運ぶ時間が節約できる。

SSDも快適であるような気がする。売れるのも納得できる。
工人舎もあまり変わらないが、高いし、キーボードの様子が少し違っていて、
その少しの違いがやはりEee PCのよさなのかもしれない。
バッテリーは約3時間と出ていた。
短すぎるのでだめ。旅行に持っていけない。

ペントメモ帳で足りる。

それよりも、電子辞書がたくさん出ていて、使いやすそうだ。
これに携帯を乗せればいいのに。
出さないのは何か理由があるのだろう。
辞書が入っているのだから文書作成はすぐできるだろう。
それを電波で飛ばせばいいだけなのだが。

電子辞書にワープロがついていればそれで充分だ。
飛ばすときには携帯に接続できればそれでいい。
多分あるのだろうが、見つけられないだけなのだろう。

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