体内のリズムを生む遺伝子の機能を失ったマウスと、うつ病の人の休息パターンが同じ
マウスと人間、休み方同じ・東大など、うつ病研究に活用も
マウスと人間の行動は動きの速さを別にすれば、休息の取り方などのパターンが全く同じであることを大阪バイオサイエンス研究所(大阪府吹田市)や東京大などの研究チームが突き止め、30日付の米科学誌プロスワンに論文を発表した。
チームは、体内のリズムを生む遺伝子の機能を失ったマウスと、うつ病の人の休息パターンが同じことも発見。生物の行動の背後に種を超えた基本法則が存在する可能性を示すとともに、うつ病の原因究明にもつながる成果として注目される。
発表したのは、同研究所の内匠透研究室長(神経科学)や山本義春東大教授(生体情報論)ら。マウスはかごに入れ、重みに反応するセンサーを敷いて動きを記録。人には腕時計型の加速度センサーを着けて普通に生活してもらい、体の動きを記録した。
活動時間や休息時間について、長いものや短いものがどんな頻度で現れるかを分析すると、パターンは全く同じで、人の動きを100倍の速さで早回しすればマウスと同じになることが分かった。〔共同〕(14:21)
ヘリコプター・ペアレント
親が学生を伴って就職相談窓口を訪ね、求人票を見て、学生より熱心に質問する姿も目撃されている。
「写真を愉しむ」飯沢耕太郎 岩波新書
・「撮り続ける」という才能
撮り続けているうちに自分が鍛えられるのだ。
・写真家四十八宜 安井仲治
い いつそスラムプは大なるがよろし
ろ ろくでもないもの感心せぬがよろし
は ハツと感じたら写すがよろし
に ニッコリ微笑む自信はよろし
ほ ほんとに自分を生かすがよろし
へ 下手な上手、上手な下手、どちらがよろし
と 撮れぬものは撮らぬがよろし
ち チクリと痛い批評はよろし
り 理屈倒れも時にはよろし
ぬ 塗つた薬は銀乳剤、時節柄無駄せぬがよろし
る 類を以つて集まると雖(いえど)も類作はせぬがよろし
お 煽てられたら少しは乗つてみるがよろし
わ 判るまで勉強するがよろし
か カメラ自慢はせぬがよろし
よ 夜る(ママ)も写つ(ママ)つるフイルムはよろし
た 誰も出来る事せぬがよろし
れ 例会は真剣にやるがよろし
そ ソツと控ゑ目、内容ある作品よろし
つ 常にカメラと離れぬがよろし
ね 熱心、粘り、は最もよろし
な 夏の暗室出た時よろし
ら ラクに出来てもいゝものはよろし
む 無理にやつてもいゝものはよろし
う 写るのはあたりまえへと心得るがよろし
ゐ 井の中の蛙、自惚れぬがよろし
の のぼせた写真家冷すがよろし
を 女の写真家もつと増へとよろし
く 首にかけたカメラ伊達じやないと知るがよろし
や やめたい人はやめるがよろし
ま まるで下手でも根気ある人よろし
け けつして油断をせぬがよろし
ふ フイルムの供給円滑なるがよろし
こ 斯(こ)の道ばかりと思ひ込むのはよろし
え 英気養ふ日曜よろし
て 敵も適度にあるがよろし
あ アマチユアーとて甘やかさぬがよろし
さ 醒めたる人々振ひ立つがよろし
き 嫌ひな作品学んでよろし
ゆ 夢をもつ作家大いによろし
め 目の肥ゑた人多い程よろし
み 水あらひは叮寧にするがよろし
し 失敗位は恐れぬがよろし
ゑ 縁あるモデル手荒にせぬがよろし
ひ ヒカリの画集は売行よろし
も もう少しで推薦、残念なのもよろし
せ セメテたまにはホメられてよろし
す すぐに天狗にならぬがよろし
京 きようの写真より明日の写真よろし
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こういうものは別の道にも通じるものと思う。
参考になる。
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写真家になるための三つの能力
・メカニズムを使いこなす能力
・場をコントロールする能力
・撮り続ける情熱
とのこと。
横滑りさせて治療者である三つの能力
・理論、小技、薬を使いこなす能力
・場をコントロールする能力
・治療を続ける情熱
とでもなるだろうか。
場をコントロールする能力は基本的に大切。
孫娘と会わない祖母
その孫娘と、韓国で会えるらしいと報道した。
関係者一同否定している。
しかし国民の多くは、そうすればいいし、
ついでに連れて帰ればいいだろうとさえ思っているだろう。
いつまでも日本国の宣伝役をしていたいのか。
孫娘と平和に暮らせばいいではないか。
そんな平均的な声を代表した新聞記事だったような気がする。
無論、いろいろな事情はあるだろうが、単純に、
孫娘が可愛いだろうな、一緒に暮らしたいだろうなと思うだろうと思うのである。
どうしてそうしないのだろう。
そうしない理由も山のように用意されているのだろうが、
理由があれば離れて暮らすのか。そんなものだろうか。
チベット
そして現状ではチベットよりも恐ろしいことが起こっているわけだが、
チベット問題に割く数秒もないものなのだろうか。
あんなにも重大問題だったのに、今日からは一言も触れないで過ぎる問題になったのか。
そんなはずはない。
すべての人間の言語は方言である
人間の歴史を考えればそうとしか考えられない。
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そのような類を議論する分野として、
弥生人の農耕が取り上げられていた。
弥生時代に農耕が始まるとして、
朝鮮半島などから、人が偶然に流れ着いて、
言葉が何とか通じるようになってから、実は稲作があって、
偶然もってきたけれど、これが米、なんていうはずはないだろうと言うのである。
田んぼをつくるには、幅広い技術が必要で組織力が必要である。
田んぼを耕すのにも時間がかかる。水はけを調整するのも、ちょうど良い土地にちょうど良いくらいの水を流す必要があるわけで、ジャガイモみたいに、埋めておけば何とかなるというものではない。
と言うことは、農耕の道具、苗、人材、それらがいっぺんに計画的に日本に来たのではないかというものだった。
なるほどそうかもしれない。ぼんやりしていて日本に流されてくるような個人に出来るものではなさそうだ。
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農耕と共に言語も混じり合ったものと思われるが、どうなったのだろう。漢字で表記すること自体が大陸の影響を示しているわけだろう。
書き言葉のない時代の日本語の音を漢字で書き取ったものなのだろう。何としぶとく日本語が残ったのだ。
どうして中国語をそのまま使わなかったのだろう。
それほどに田舎であったということか。あっさり先進文化に同一化する民族ではなかったらしい。
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すべての人間の言語は方言である
そしてすべての言語は
唯一の原言語の痕跡を各所にとどめているはずである。
そして探求が始まる。