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プレゼント

http://jp.youtube.com/watch?v=FbfSVCgwPEc&feature=related

あなたがわたしにくれたもの
オレンジ色のハイヒール

あなたがわたしにくれたもの
緑色した細い傘

あなたがわたしにくれたもの
シャガールみたいな青い夜

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花問屋のウェブアドレス

ピーチピンクのバラの花

雨に濡れてじっと待つ花

アルコール症と認知症

日本の社会はアルコール症と認知症には寛大であるような気がする。
一方、うつ病には、気力がたりないとか気の持ちようだとかいいがちである。
また、ある種の病気は正体不明の印象のため、犯罪と強く結び付けられたり、
または、怠け者だと非難されたり、理解がなく寛大ではない部分もある。

ざんげの値打ちもない

http://jp.youtube.com/watch?v=AIDluLZMdq4&feature=related

ざんげの値打ちもない - 北原ミレイ 阿久悠

「石狩挽歌」なかにし礼

「石狩挽歌」
なかにし礼作詞・浜圭介作曲/昭和50年

海猫【ごめ】が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖【つっぽ】の やん衆がさわぐ


ニシンの回遊は郡来【くき】と呼ばれ、群で日本海を回遊しています。
その群にカモメが付いて回ったので、カモメが大群で見えると郡来がやってくるのがわかったという。
やん衆は東北から4月-7月頃にかけて出稼ぎに来ていた漁師達で、赤い筒袖とは綿入れ半天のようなもの。


雪に埋もれた 番屋【ばんや】の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く

番屋は海岸に作った大きな住宅兼作業所で、ニシンを陸揚げし、大鍋で煮上げて絞り、畑の肥料となるニシン粕を作っていました。
ニシン曇りの日、夕方から浜には篝火が焚かれ、網元、船頭、やん衆、飯炊きの女達もじっと沖を見つめて群来を待つ。

ニシンが回遊してくると海面が盛り上がり、ニシンの銀鱗が跳ね上がった。
自分たちの建網に入るのを期待し【入れ、入れ】と祈るように叫んだのでしょう。
一度郡来が来ると、何昼夜にわたり寝る暇も、食べる暇もなく処理作業にかかり切った。
そのやん衆達に炊き出しの飯を作る、飯炊き女達も夜通しとなりました。


あれからニシンは
どこへ行ったやら

破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ
オンボロボロロー


昭和29年の郡来を最後に、ニシンはバッタリと途絶えてしまいました。
海水の温度が高くなったから、取り尽くしてしまったから、気まぐれな魚だからと諸説があるが、真相は不明です。
建網と呼ばれる問い刺し網が使われることなく、しかしいつかきっと郡来は来ると信じつつ待つ漁師の心情がわかります。


沖を通るは 笠戸丸
わたしゃ涙で
にしん曇りの 空を見る


ベッド数が多く大きな人員収容力と長い航続距離を持っていた笠戸丸は,移民船として絶好の条件をそなえており、第一回ブラジル移民船としてスタートしました。
それからは台湾航路,南米航路,再度台湾航路,日本海の鰯工船や蟹工船となった。
敗戦直前の一九四五(昭和二十)年八月九日,カムチャツカ半島西岸の日魯漁業ウトカ工場沖に停泊中,ソ連機の空爆によって沈められたといわれています。

郡来が来るのは不思議と、どんよりとした曇り空が多かったことから付けられた。

http://jp.youtube.com/watch?v=aLGE6-HwqbM&feature=related


精神療法は行きはよいよい帰りはこわい

行きはよいよい 帰りはこわい
とは
人生についていえることだが
精神療法についてもいえることのように思う

行きはいいんだが
帰りが厳しい

年寄りの冷や水

年寄りの冷や水とはよく言ったもので
本当に冷えてくると調子が悪い
冬は冬でよくないし
夏は夏で冷房がよくない
特に梅雨の時期はエアコンは寒いばかりだ

冷たい点滴をされると
尿が近くなって困る
温かい点滴にすると
細菌の繁殖の心配があるらしい

エビデンス

EBMでもっともらしい事を言っているが、
まず疾患分類があやふやなのだし
症状の改善にしても症状とは何かが問題だし
何をどのように測定したかも大いに問題である
細かい事を言えばきりもないが
適応が悪いからうつになったのか
うつだから適応が悪くなったのか
その人に薬を使ったとして
どの時期に使ったのか
どんなことばで説得して
どのように納得したのか
ますます問題である

チェロはバイオリンの一種といわれたら DSMのうつ分類

チェロはバイオリンの一種といわれたら
はじめは驚くけれど
百回も聞いていれば
それも一理あると思うだろう
おおきなバイオリンといっても、間違いではない

DSMでいううつは
チェロもビオラもバイオリンも
まとめて暫定的にバイオリンと呼ぶことにするというので
チェロを弾いていた人たちは驚いたわけだけれど、
それは、
概念の緻密さの違いというもので、
これから徐々に訂正されてゆくだろう。

StoolもChairもSofaも椅子となってしまうようなものだ。

ないた赤鬼

人間と仲良くなりたい赤おには、ある日戸口の前に立て札を立てました。
「ココロノヤサシイ オニノウチデス ドナタデモ オイデクダサイ」と。

けれども村の人たちは警戒して一人として近寄ろうとはしません。
それを聞いた親友の青おにが一計を案じてくれました。
「村で僕が暴れるから、僕をおさえて、僕の頭をぽかぽかなぐればいい。そうすれば人間たちは君を信用するさ」。
赤おには躊躇しながらもその言葉に従いました。

やがて安心した村人たちは競って赤おにの家を訪れるようになりました。
けれども青おにはそれ以来一度も訪ねてきません。
「キミト ツキアイヲ ツヅケテ イケバ、ニンゲンハ キミヲ ウタガウ コトガ ナイトモ カギリマセン」心配してたずねていった赤おには、誰もいない青おにの家の戸口にこの張り紙を見つけました。
それはこうくくられていました。
「ドコマデモ キミノ 友ダチ 青オニ」。
赤おには涙をながして泣きました。

浜田廣介「ないた赤鬼」


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