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銀座 サバティーニ

おおむねサバティーニは好みではないのだが
そろそろ1回立ち寄ってもいいだろうと思い
ランチに行ってみる
中高年女性ばかりで
いまさら驚くことでもないが
やはり感慨がある

食事の内容としては
やはり煉瓦亭のえびライスのほうが好きだし
さらにいえば
自分で作ったえびライスが一番おいしい
冷凍えびを買えばそれで充分だ
たまねぎを多めにいれて、
にんにくを加える。
二食分作って、半分は冷蔵しておく。

すごく冷えたパスタが出て
食べやすかったけれど
どうなんだろう
お腹一杯にはなったのでカロリー補給にはなった

おいしいんだけど
少しだけずれているんだと思う
不思議なものだ

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周囲の期待

自分なりにこつこつ進むとして、
それが周囲の期待に沿っているかどうかに関しては、
問題が生じる。

世の中で生きる人の普通の期待としていろいろな都合がある、
そしてそれらに応えてやることもまた、
普通であることの一部を構成する。
それをしないと、期待はずれになる。

生きていればこまごまとしたことがある。

そうしたことの期待にどの程度応えるか、
どの程度自分の無力をアピールしていくか、
難しい部分もある。

結局、疎遠になる。
それでいいよ。
みんなそれぞれ自分で歩けばいい。

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こつこつ進むしかない

人生は思い通りに行かない。
こつこつ進むしかない。

悩むプロセスにはさまざまあるだろうが、
結論はおおむねそんなところだ。

こつこつしたってどこまで行けるのかといえば、
それは大して行けないかもしれない。

だからといって、座り込んでしまっても、どうにもならない。
進めるうちは進んでみるし、
どこまで行けても行けなくてもそれでいい。

人生のおおむねはそんなものだろうと
思う。

いやなことはしなくていい、
それも大切なことだ。
いやな事を無理してやって
幸せになれるものかどうか、疑問だ。


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東急渋谷本店前田真三展

本当に久しぶりに渋谷の町を歩く
真夏の渋谷はこんな感じか
ぴったりの言葉は見つからない

渋谷東急本店はひっそりしている
品揃えは他の百貨店と違わないし
並べ方も空間に余裕があってすっきりしていて
買い物しやすい感じがするれど
人がいない
静かであることは
私にはありがたい

会場も空いている
前田真三は最初はサラリーマンをしていてアマチュア写真家として
活動していた。
実際、風景写真で言えば、
プロとアマの差などはっきり出るものでもなく、
要するにシャッターチャンスをどれだけ待てるかということだろう。
とすれば、自然に、プロになるのだろう。

前田真三の写真集は大体持っているし、
展示してある写真は見たことがある感じなので、
今回は大きくして見たということになる。

会場の最後にDVDの放映の場所があって、
そこでしばらくの時間をすごした。
写真集を持っているよりは、DVDを買って、テレビで眺めた方が気持ちよさそうである。

画面を見ているうちに、
NHKの台風の夜の深夜放送を思い出す。
妙な緊迫感があるのに、
妙に美しいとっておきのビデオが流れていたりする。

前田真三の風景写真は東山魁夷とよく似ている。
女子供にも安心して見せられる種類のものだ。
平山郁夫も含めて、NHKと文科省の推薦版ということになる。
毒がなくて、かつ、芸術になりえている。

安全安心平凡。
いいものだ。ただ落ち着く。

風景はほとんど模様になっている。
風景は画面構成の練習になっている。

遠景と中景と近景がある。
山があり、田んぼがあり、花がある。
徹底してそれだけである。
そしてわたしはその景色がたまらなく懐かしいのだ。
風景構成法の原理である。

北海道美瑛の景色はむしろ日本の景色としては珍しいのだろう。
近くに山が迫っていない。
雑木林の一群がない。
田んぼというよりも、ラベンダー畑である。
教会がぽつんとあったりする。

このあたりのラベンダーを育てたり、
このあたりのアスパラガスを食べたりしていた頃がある。

田んぼのない耕作地にキリスト教教会があるというのは
日本では珍しいだろう。
私は聖職者の生活を空想する。
わたしはそのような生活を選ぶべきではなかったかと空想する。
今からでもできるのだと空想する。

歩きながら写真を見ているよりも、
座ってビデオを見ているときの方が
空想は広がるように思う。

写真は、撮影したあと、色彩については多少の変更ができるのだろうと思って見ていたが、
ビデオを見ると、そんなことも特に必要ないようだと思う。

典型的な日本の農地に立つと、まず遠くに山が見え、水はそこから流れてくる。
そして近くに川があり、水をもらっている。
田んぼは長方形のことも多いけれど、棚田だったり、
優雅にカーブしたりしていて、一定しない。
農家の人が苦労して、最大の面積を決定したのだと思う。

そのようにして確保された平面に、
徹底して強迫症的に苗が植えられている。
さらに強迫症的に水分の量が調整されている。
またさらに強迫症的に、雑草を処理している。

*****
この世の懐かしい風景のひとつとして
私は記憶するだろう。

私の生きたこの世界は懐かしい世界であった。
離れ難い。

*****
東急の静けさから一転して、
渋谷の町のヒート・アップを感じる。

*****
渋谷の町には訪れる回数が少ない分、
店の一つ一つに思い出がある。
東急本店のタントタント。
東急本店のすし屋さん。その頃は幸せだったし、ありがたかったと今でも思っている。
私の人生の数少ない幸せな場面である。
何と言うこともない平凡な場面が幸せの代表的な場面として記憶されている。
どうして袋小路に入り込んで苦難の状況が続いているのか、いまだに理解できない。

本店近くのベトナム料理屋さん。

駅まで歩く間にペコちゃんのお店、フジヤ。

セルリアン・タワー。

*****
東急本店の地下には紀ノ国屋が出展している。
東急スーパーの高級店を入れればよかったのにと私は思う。
東急スーパーが好きだから。



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北京オリンピック開会式

用を足して買い物をして家に帰り着き、
いつものようにニュースを見ようとして
テレビを付けたら北京オリンピックの開会式の
ライブ放送だといってNHKが流していた。

そもそもわたしの嫌いなアナウンサー二人とタレントらしくて
いやな声だなあと思って聞いていると
手元に情報がたくさんあるのに
驚きました、
あれは誰でしょうねなんて言っていて、
まるで「お母さんと一緒」の放送のようだ。
聞いているほうが馬鹿なのか?
どこかで大人用の放送をしているのか?

誰でしょうかね、サラ・ブライトマンですかねといいながら、
すぐあとに、サラ・ブライトマンの略歴について
NHKらしく正確に伝えているのだから
この人たちの感動の仕方はどうも不思議だ。
中国式の報道に感染してしまったのか。
大人を相手にした伝え方というものが考えられないのだろうか。

見ていた限りでは、
ディズニーランドを10倍にした程度で
10倍にやればそんな風になるだろうなという感じ。

出てくるピアニストとか歌手は小太りで
ちょうどライブドアの元の代表みたい。

一つ一つに監督のメッセージがあるのだと
解説しているが、会場の音がそれで消されてしまう。
解説されないと分からないというのは
実際だめな芸術の見本というものだ。

芸術は沈黙を強いるものだ。

世界中の人たちの心配は、
中国が、日本と同じ方式で世界に存在を示したら、
多分、日本の10倍迷惑になるということで、
今日の開会式を見た限りでは、
多分かつての日本の10倍の迷惑に、実際なりそうである。

中国で発明されたものというテーマだったらしいが、
中国とはどの広さを指し示す概念なのか、とても怪しいのに、
全部「中国」の発明ということになっているらしい。
そして、民主主義と人権という概念はまだ発見されていないらしく、
それが悲しい。
分権思想はなく、中国共産党以外の政党はなく、
共産党員はわいろをやり取りする自由があり、
日本と同じく教員や公務員の任官を決定しているらしい。

公害とか非人間的な労働とか、そんなことを克服しつつ発展して欲しいものだが、
そうは行かないことが現実だと思える。

チベット、新疆ウイグル自治区の問題、宗教問題、など、
問題山積の上に、
日本に売られた毒餃子が今度は中国国内に出回ったらしいとのこと、
しかもそれを日本政府は連絡を受けていて、伏せていたらしいこと、
そんなこともあって、反・感動的な式典である。

開会式で子供たちが実に不自然に笑っている。
可愛い子が多いから
きっとトラウマもひどいものがあるだろうと
思ってしまう。

個人的にはこの手のものを喜ぶのは10歳くらいまでで、
その後知能が順調に発達すれば
喜ぶだけではなく別のいろいろな側面を見て悲しくなるのだろうと思う。
わたしは悲しかった。

乱れのないマスゲームを見ていると
さすが北朝鮮の親分であると思える。
人民を統治する技術はこの程度までにはあるということだ。

人々が権力に従うのは、
貧しさゆえと、暴力ゆえと、二つあるだろうと思う。
中国には二つともあるのだから、人民は従う理由がある。
もし権力側に不都合な行動が見られれば、
本人はもちろん、当局の監視の元にある一族が今後不幸せな目にあう。
人質があるからおとなしくしている。

中国にはいまだに奴隷がいるとの話をきたことがある。
一人っ子政策が貫徹されていて、
しかし現実には二人目が生まれてしまうわけで、
戸籍上は存在せず、国家の保護を受けず、人権もない状態の人びとである。

日本ではむかし、土地の散逸を防ぐため、長子相続が行なわれ、
長男だけが優遇され、次男以下は、都会に出て自分で稼ぐという時代があった。

日本では国土交通省が税金の無駄遣いをして、
どうろ館やどうろのミュージカルを上演したとか言われて、
そんなにもあほだったのかとあきれられたりしていたが、
オリンピックの式典というものはそれ以上であるはずはなく、
規模が大きいだけに、ばかばかしさが際立つ。

死刑になる人からの臓器取出しなども
聞いたことがある。
さらに死刑囚の臓器の売買に並んでいる人もいるらしいとのことで、
なんでもありといえばなんでもありである。

人々が最も貧しく、貧しさから脱出する現実的な方法が思いつかないとき、
政府が甘言を弄しても、人びとは動かない。
ただ暴力により圧殺するのみである。

人びとがもう少しだけ希望を持ち、実際に自分たちは豊かになれるかもしれないと思ったとき、
政府の甘言に人びとは従う。笑顔さえ浮かべて。

そのあと、多少の豊かさを手に入れたあと、
人々はもう少し人間らしく生きたいと願うことになる。
マズローの原則に従い、衣食住と安全が充たされれば、
より人間らしく生きたいと願うものだ。
そのとき、政府が単に高圧的でしかないとしたら、
人びとはオリンピックを喜んだりはしない。
精神年齢が10歳以上ならばオリンピックなど喜びはしないのだ。

中国の人民のどけだけがオリンピックを喜んでいるか知らないが、
喜んでいる人がテレビで笑顔を見せていて、
たぶん精神年齢はどのくらいだろうかと推定できる。

それどころではない深刻な問題があり、
現在の人間の統治技術で解決できるのか、
多民族の13億の民を、である。
しかも戸籍を持たない人びとを含めると14億人、
戸籍があってもなくても、少子には違いなく、
将来は少子高齢化が現実の問題として迫り、
日本の10倍の大きさの問題となる。

歴史の必然は民族の自立に向かうだろう。
その場合に、混乱の時代を回避して、うまく、EUのような共同体に移行できれば、
歴史に学んでいるということになるのだが、
まずいったんソ連のように分裂し、
苦しみを嘗め尽くし、戦火に焼かれ、その後に妥協するという道しか、
おそらくないのだろう。

なにより、宗教問題は大きな深い影を投げかけている。
臓器売買の問題にしても、宗教のない人間に何をいっても、無駄と言うものだ。
利益と、つかまったときの損とをはかりにかけているだけで、
内在的な罪の自覚には至らないだろう。
何しろ、宗教がないのである。

たとえば、子供の愛らしさを平気で利用する。
これはずるいと思う。
子供を登場させることでいろいろな問題に対して思考停止を要求してしまうのだ。
それでいいはずがない。

最近では長野でも何か似たようなことをやったらしいが私は見ていない。
今回は偶然で見てしまったけれど、
大金をかけて、大量のに人間を動員して、さらに非人間的な同調性を強制して、
その結果がこれかと思うと悲しい。

実際の中国人は、従順ではないし、倫理的でもない。
ならば統一の取れた行動を取らせているのは、
一瞬の偶然のバランスなのである。
貧しさからの脱出と、個人の目覚めとのバランス。
貧しさから脱出しかけていて、しかもなお、個人としては目覚めていない、
その状態でこそ、
もっとも、統治技術を発揮できる。

日本でいうなら、創価学会である。
日本共産党も多分おんなじ程度のものになるだろう。

細胞のたとえで言えば、
単細胞で独立して生きている状態と
肝臓の細胞のひとつとして集団に従属している場合。
栄養が充分に豊富なら単細胞で生きて、
栄養が足りないと集団的細胞になる例はよく知られていて、
知った途端に恐怖を感じる。

集団的細胞という表現は統治する側の表現であって、
統治される側から言えばトラウマ体験でしかないのだ。

トラウマを与えることによって他者を支配する方法が
延々と受け継がれてきた。

少数者、子供、女、障害者、異端者、すべての弱者。
トラウマを与える者を強者と定義し、
トラウマを受ける者を弱者と定義する。

トラウマを受けることにより症状に苦しみ、
結果として支配されることになる。

それは具体的な食糧と水の支配権や
火の支配権や
性的支配権に優越して、
心理的支配を確立することになるだろう。

一般にスポーツは心地よい面もあるものだが、
場合によっては敗者に屈辱が刻印され、
練習の場面でトラウマが刻印されることがある。

コーチはしばしばトラウマを与えて支配する人間である。

ピラミッドの頂上に近いものがトラウマから遠いわけでもない。
ピラミッドの頂上に近くなるほど、
大きくて複雑で持続的なトラウマが渦巻いていて、
症状の分析も難しくなる。

*****
これを契機にして、バカな開会式はやめるのが良い。
そう決心することが今回の開会式の唯一の有用性である。



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